彼女の愛した寿司屋の中華
彼女の愛した寿司屋の中華
「たいしょー、私はホイコーローを所望する―」
開店前の店内に、聞きなれた声が響く。
一月振りにやってきた常連客の少女の注文に、若い大将はいつもの様にため息を付きながら答えた。
「どうせ何度言っても聞いてくれねえだろうけど、こっちも意地だ。言ってやる……ウチは寿司屋だ馬鹿野郎!」
その声を聞いて、少女はニコニコと笑い、大将は再び深いため息を付く。
ただしそれは、少女に笑われた事についてではない。少女にニコニコと中華料理を頼まれ続け、やがて寿司屋としての尊厳が崩れてしまった事に対するため息だ。
「まあ意地っつっても、もうそんな事も言えねえんだけどな」
そう言って、大将は店から続いている居住スペースに消え、やがて手にメニュー表の様な物を手にして戻ってくる。
「見てみろ」
そう言って大将が渡したメニューを少女は受け取り、やがてとある項目を見つける。
「えーっと、中華始めました?」
「そう、ウチ、寿司屋だけど今度から中華始めるんだ」
正直無茶苦茶な話だと大将は思う。
寿司屋が中華なんてあり得るか? 否、あり得ない。
「どうしたの? 寿司屋に中華なんて馬鹿みたいだよ?」
「寿司を全く食わず、メニューにすらない中華を延々と頼み続けた奴が何を言うか」
「で、どういう風の吹きまわし? 毎回私の注文に文句を言ってたキミが、今更どうして中華をメニューに入れたの?」
「……人気が出たんだよ」
大将は渋々といった風に答える。
「お前が営業中にも関わらず中華を頼みやがるから、数少ないお客さんが冗談みたいに注文して来やがったんだよ……そしてら、大絶賛された」
「そして口コミで広がった?」
「正確には食べログでな」
それ以降、裏メニューの中華がウマイ店として徐々に客が増えて行っている。正直に言って、大将の店はまるで流行っていなかったのだが、今月は近日メニューに加える予定の裏メニューのおかげで黒字になりそうである。
だからメニューに入れた。負けた気がするが、現状寿司よりも圧倒的に売り上げが良いのだから、メニューに加えざるを得ない。
「とにかく、そういう訳でメニューに追加した。だからこれからはもう、お前に文句も言えねえんだ。つーわけで、ホイコーローで良かったか?」
「うん。お腹すいたから、なるべくはやくねー」
「分かった。あと、お前、毎度毎度店来るの早すぎ。営業時間に来い」
そう言って男はホイコーローの調理を始める。
本当なら、寿司を作る場で中華を作るなどあってはならない事だろう。その筋の人が見たら普通に怒りそうだ。そう思って当初は裏方で調理していたのだが、今は客がそれなりに増えたから、従業員が自分しかいない店内のカウンターを簡単に空けられない事。そして客の殆どが中華を頼みに来るから、もう普通に堂々とカウンターで調理している。
(本当に、どうしてこうなったのか……)
大将はぼーっと、半年程前の事を思い出す。
とある定休日の日、店の前に女の子が倒れていた。
救急車を呼ぼうと思ったが、その女の子がただ単純にお腹が減って倒れていたという漫画的な状況だと知った店主は、家に上げ、つい数分前に昼食として食べホイコーローとご飯を与えた。
その結果、客が居ない寿司屋に上がりこんでは、中華料理を頼むようになった。何度か寿司も食べたが、結局こっちの方がおいしいと中華ばかりを注文している。
あれから半年……目の前の少女は、中華しか頼んでくれない物の、寿司屋の一番の常連客となっていた。ここ一月程見ていなかったけど、基本的に週四のペースで来てくれる、居て当たり前の存在になっている。寿司屋で中華を注文する客が居て当たり前というのは、いい事なのかどうかは分からないが、毎回凄いおいしそうに食べてくれるので結局文句を言いつつ作ってしまう。その積み重ねが、中華のメニュー入りだ。
「ほらよ、出来たぞ。ライスはサービスだ」
ホイコーロと茶碗に盛ったご飯を少女に出すと、少女が笑顔を作る。
「ありがとッ! いただきまーす!」
そうして少女はおいしそうにホイコーローとご飯を食べ始めた。
本当に良い笑顔だ。店主は作ってよかったと、内心そんな事を思う。
そしてただ見ているだけだと暇なので、ちょっと聞きたかった事を聞いてみる事にした。
「なあ」
「ん? どうしたの?」
「ここ最近、全然来なかったけど、どうしたんだ?」
居て当たり前の存在が、一月も顔を見せなかった。流石に心配にもなってくる。
その言葉に少女は少し黙った後、やがてゆっくりと口を開く。
「まあ色々あって、此処に来る時間が取れなかったんだ」
「へぇ……で、今日来たって事は、時間が取れるようになったって事なのか?」
「取れるようになったっていうか、今日だけ取れたって感じ」
そう言った後、少女は暫く黙って……少し悩む様な表情を見せた後に言う。
「私、引っ越す事になったんだ」
「引っ越し?」
「うん。色々あってね。此処一カ月は、ソレ関連の事が忙しすぎて顔を出せなかったんだ。ほら、私見ての通り社会人だから、色々と忙しいんだよ」
「見ての通りも何も、中学生位にしか見えねえよ」
まあ社会人でもなければ、こうして頻繁に通っては来ないだろう。
でもまあ……それはどうでもいい。
「……で、引っ越すって事は、もうウチの店には来れねえって事か」
「まあ……そうなるね」
少女は残念そうに、だけど笑ってそう言う。
「だから最後にこうしてこの店にこれて、そして朗報が聞けて安心した」
「朗報ってのは、中華がメニューの乗った事か?」
「そうだね。正確には、良い感じに店が繁盛したんだって事だね」
少女は再びホイコーロに箸を伸ばしながら言う。
「結構心配だったんだよ。だってこの店、閑古鳥が鳴いてたじゃん」
「まあ、昔はそうだったな」
今は中華を目当てに来る人が沢山いる。もう中華料理屋に変えた方が良いレベルにだ。
「だから、自分の気にいってた店が繁盛してくれたのを聞けて、安心した」
「そりゃどーも」
そう言った後大将は少しだけ何かを考えるそぶりをして……そして少女に言う。
「……他に何か食べたい物とかあるか?」
「え?」
「何か食べてえ物はねえのかって聞いてんだよ。金は取らねえ」
所謂餞別という奴だ。
「うーん……じゃあエビチリ!」
「……最後まで寿司は頼まねえのな」
そう言いながらも、店主も薄っすらと笑みを浮かべ、少女に出す最後の料理の調理を始めた。
食事が終わり、少女は愛着の深い寿司屋……いや、中華料理屋を後にする。
店を出て少し歩くと、そこには長身の女性が立っていた。
「……満足したか?」
「うん、大満足」
「そうか」
「私の謹慎処分は何時までだったっけ?」
「三年だ」
「長いね」
「短いだろ。座敷わらしが勝手に私用で運気を変えた。本当なら、少なくとも五年は謹慎処分で下界に降りて来られないんだぞ? それを、謹慎前の自由時間を一日与えられて、謹慎も三年だけでいいんだ。感謝しろ」
「うん、ありがと。私の謹慎処分を短くする為に、土下座までしてくれたんだよね。上司の鑑だよ」
「そう思うんだったら、もう変な真似は止せよ」
「はーい」
そう言って少女は笑う。
そしてそんな少女に、上司の女はそういえばと尋ねる。
「あの店、どう見ても寿司屋だよな……だけどお前が運気を上げたら中華が繁盛した。なんで寿司の方は全く繁盛していないんだ?」
「私が好きなのはあの人の人柄と、中華だから。寿司は別にどうでもよかったんだ。だから中華だけが繁盛したんだと思う」
「気の毒と言っていいのか、どうなのか……寿司屋なのに中華って」
「でも、あの人、笑ってた」
「そうか……なら良かった」
そして、二人の影が消滅した。
少女が店に来なくて三年が経過した。
「……よし、掃除終わり」
開店前、大将は店の掃除を終え、一息付く。
三年で、随分と忙しくなった。
気が付けば寿司屋なのに、ミシュランの一つ星まで貰ってしまった。寿司屋なのに中華が上手い店として。もう本格的に中華料理屋にしたほうがいいのかもしれない。
三年間も経てば、少女以外の常連客が沢山出来た。だけど数ある常連客の中でも、やはり最初期の頃に居た立った一人の常連客は大将に取って特別な存在だ。
寿司の方は大したことは無いけど、中華料理の腕は確実に上達している。今の自分の中華を少女が食べたら、どういう反応をしてくれるだろうか。
そんな事を考えながら、大将は開店時間を待つ。
やがてその時間が訪れ……扉が開く。
そして現れた常連客に、大将は尋ねる。
「いらっしゃい。何食う?」
「ホイコーローを所望する!」
こうして彼は今日も、中華鍋を手に取った。
開店前の店内に、聞きなれた声が響く。
一月振りにやってきた常連客の少女の注文に、若い大将はいつもの様にため息を付きながら答えた。
「どうせ何度言っても聞いてくれねえだろうけど、こっちも意地だ。言ってやる……ウチは寿司屋だ馬鹿野郎!」
その声を聞いて、少女はニコニコと笑い、大将は再び深いため息を付く。
ただしそれは、少女に笑われた事についてではない。少女にニコニコと中華料理を頼まれ続け、やがて寿司屋としての尊厳が崩れてしまった事に対するため息だ。
「まあ意地っつっても、もうそんな事も言えねえんだけどな」
そう言って、大将は店から続いている居住スペースに消え、やがて手にメニュー表の様な物を手にして戻ってくる。
「見てみろ」
そう言って大将が渡したメニューを少女は受け取り、やがてとある項目を見つける。
「えーっと、中華始めました?」
「そう、ウチ、寿司屋だけど今度から中華始めるんだ」
正直無茶苦茶な話だと大将は思う。
寿司屋が中華なんてあり得るか? 否、あり得ない。
「どうしたの? 寿司屋に中華なんて馬鹿みたいだよ?」
「寿司を全く食わず、メニューにすらない中華を延々と頼み続けた奴が何を言うか」
「で、どういう風の吹きまわし? 毎回私の注文に文句を言ってたキミが、今更どうして中華をメニューに入れたの?」
「……人気が出たんだよ」
大将は渋々といった風に答える。
「お前が営業中にも関わらず中華を頼みやがるから、数少ないお客さんが冗談みたいに注文して来やがったんだよ……そしてら、大絶賛された」
「そして口コミで広がった?」
「正確には食べログでな」
それ以降、裏メニューの中華がウマイ店として徐々に客が増えて行っている。正直に言って、大将の店はまるで流行っていなかったのだが、今月は近日メニューに加える予定の裏メニューのおかげで黒字になりそうである。
だからメニューに入れた。負けた気がするが、現状寿司よりも圧倒的に売り上げが良いのだから、メニューに加えざるを得ない。
「とにかく、そういう訳でメニューに追加した。だからこれからはもう、お前に文句も言えねえんだ。つーわけで、ホイコーローで良かったか?」
「うん。お腹すいたから、なるべくはやくねー」
「分かった。あと、お前、毎度毎度店来るの早すぎ。営業時間に来い」
そう言って男はホイコーローの調理を始める。
本当なら、寿司を作る場で中華を作るなどあってはならない事だろう。その筋の人が見たら普通に怒りそうだ。そう思って当初は裏方で調理していたのだが、今は客がそれなりに増えたから、従業員が自分しかいない店内のカウンターを簡単に空けられない事。そして客の殆どが中華を頼みに来るから、もう普通に堂々とカウンターで調理している。
(本当に、どうしてこうなったのか……)
大将はぼーっと、半年程前の事を思い出す。
とある定休日の日、店の前に女の子が倒れていた。
救急車を呼ぼうと思ったが、その女の子がただ単純にお腹が減って倒れていたという漫画的な状況だと知った店主は、家に上げ、つい数分前に昼食として食べホイコーローとご飯を与えた。
その結果、客が居ない寿司屋に上がりこんでは、中華料理を頼むようになった。何度か寿司も食べたが、結局こっちの方がおいしいと中華ばかりを注文している。
あれから半年……目の前の少女は、中華しか頼んでくれない物の、寿司屋の一番の常連客となっていた。ここ一月程見ていなかったけど、基本的に週四のペースで来てくれる、居て当たり前の存在になっている。寿司屋で中華を注文する客が居て当たり前というのは、いい事なのかどうかは分からないが、毎回凄いおいしそうに食べてくれるので結局文句を言いつつ作ってしまう。その積み重ねが、中華のメニュー入りだ。
「ほらよ、出来たぞ。ライスはサービスだ」
ホイコーロと茶碗に盛ったご飯を少女に出すと、少女が笑顔を作る。
「ありがとッ! いただきまーす!」
そうして少女はおいしそうにホイコーローとご飯を食べ始めた。
本当に良い笑顔だ。店主は作ってよかったと、内心そんな事を思う。
そしてただ見ているだけだと暇なので、ちょっと聞きたかった事を聞いてみる事にした。
「なあ」
「ん? どうしたの?」
「ここ最近、全然来なかったけど、どうしたんだ?」
居て当たり前の存在が、一月も顔を見せなかった。流石に心配にもなってくる。
その言葉に少女は少し黙った後、やがてゆっくりと口を開く。
「まあ色々あって、此処に来る時間が取れなかったんだ」
「へぇ……で、今日来たって事は、時間が取れるようになったって事なのか?」
「取れるようになったっていうか、今日だけ取れたって感じ」
そう言った後、少女は暫く黙って……少し悩む様な表情を見せた後に言う。
「私、引っ越す事になったんだ」
「引っ越し?」
「うん。色々あってね。此処一カ月は、ソレ関連の事が忙しすぎて顔を出せなかったんだ。ほら、私見ての通り社会人だから、色々と忙しいんだよ」
「見ての通りも何も、中学生位にしか見えねえよ」
まあ社会人でもなければ、こうして頻繁に通っては来ないだろう。
でもまあ……それはどうでもいい。
「……で、引っ越すって事は、もうウチの店には来れねえって事か」
「まあ……そうなるね」
少女は残念そうに、だけど笑ってそう言う。
「だから最後にこうしてこの店にこれて、そして朗報が聞けて安心した」
「朗報ってのは、中華がメニューの乗った事か?」
「そうだね。正確には、良い感じに店が繁盛したんだって事だね」
少女は再びホイコーロに箸を伸ばしながら言う。
「結構心配だったんだよ。だってこの店、閑古鳥が鳴いてたじゃん」
「まあ、昔はそうだったな」
今は中華を目当てに来る人が沢山いる。もう中華料理屋に変えた方が良いレベルにだ。
「だから、自分の気にいってた店が繁盛してくれたのを聞けて、安心した」
「そりゃどーも」
そう言った後大将は少しだけ何かを考えるそぶりをして……そして少女に言う。
「……他に何か食べたい物とかあるか?」
「え?」
「何か食べてえ物はねえのかって聞いてんだよ。金は取らねえ」
所謂餞別という奴だ。
「うーん……じゃあエビチリ!」
「……最後まで寿司は頼まねえのな」
そう言いながらも、店主も薄っすらと笑みを浮かべ、少女に出す最後の料理の調理を始めた。
食事が終わり、少女は愛着の深い寿司屋……いや、中華料理屋を後にする。
店を出て少し歩くと、そこには長身の女性が立っていた。
「……満足したか?」
「うん、大満足」
「そうか」
「私の謹慎処分は何時までだったっけ?」
「三年だ」
「長いね」
「短いだろ。座敷わらしが勝手に私用で運気を変えた。本当なら、少なくとも五年は謹慎処分で下界に降りて来られないんだぞ? それを、謹慎前の自由時間を一日与えられて、謹慎も三年だけでいいんだ。感謝しろ」
「うん、ありがと。私の謹慎処分を短くする為に、土下座までしてくれたんだよね。上司の鑑だよ」
「そう思うんだったら、もう変な真似は止せよ」
「はーい」
そう言って少女は笑う。
そしてそんな少女に、上司の女はそういえばと尋ねる。
「あの店、どう見ても寿司屋だよな……だけどお前が運気を上げたら中華が繁盛した。なんで寿司の方は全く繁盛していないんだ?」
「私が好きなのはあの人の人柄と、中華だから。寿司は別にどうでもよかったんだ。だから中華だけが繁盛したんだと思う」
「気の毒と言っていいのか、どうなのか……寿司屋なのに中華って」
「でも、あの人、笑ってた」
「そうか……なら良かった」
そして、二人の影が消滅した。
少女が店に来なくて三年が経過した。
「……よし、掃除終わり」
開店前、大将は店の掃除を終え、一息付く。
三年で、随分と忙しくなった。
気が付けば寿司屋なのに、ミシュランの一つ星まで貰ってしまった。寿司屋なのに中華が上手い店として。もう本格的に中華料理屋にしたほうがいいのかもしれない。
三年間も経てば、少女以外の常連客が沢山出来た。だけど数ある常連客の中でも、やはり最初期の頃に居た立った一人の常連客は大将に取って特別な存在だ。
寿司の方は大したことは無いけど、中華料理の腕は確実に上達している。今の自分の中華を少女が食べたら、どういう反応をしてくれるだろうか。
そんな事を考えながら、大将は開店時間を待つ。
やがてその時間が訪れ……扉が開く。
そして現れた常連客に、大将は尋ねる。
「いらっしゃい。何食う?」
「ホイコーローを所望する!」
こうして彼は今日も、中華鍋を手に取った。
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