ようこそ!異世界学園勇者クラスへ

夙多史

二章 狙われた青真珠(3)

 迎賓館裏手の用水路。
 追っ手を撃退した怪盗ノーフェイスは、水中から静かに飛び上がって土の上に足をつける。防水性のスーツに付着した水滴を魔法で弾くと、目的の青真珠が展示されているホールの窓へと音もなく駆け寄った。
「……」
 窓から中の様子を窺う。人はいない。それどころか明かりすらついていない。予告状を送ったはずなのにこれでは不自然だ。
 罠だろう。
 そしてノーフェイスが罠だと気づくことも計算されている。どういうトラップが仕掛けられているのかわからない以上、侵入は慎重にならねばならない。

 

 ノーフェイスはその場から素早く飛び退り――直後、今まで密着していた壁に大きな爪痕が刻まれた。 
「にゃ? 外した」
 白石の壁を柔らかい粘土かなにかのように楽々と抉ったのは、猫耳と二股の尻尾を生やした銀髪の少女だった。
 夜闇の中で妖しく光る金色の瞳がノーフェイスを捉える。暗闇に紛れているはずのノーフェイスの位置は正確に把握されているようだ。
「そこ」
 ピコピコと猫耳を動かして飛び上がる。傍に生えていた高い木の枝に登っていたノーフェイスは咄嗟に飛び降りるが、少女の鋭い爪がスーツの太腿を掠めた。防刃性能も高いスーツが紙切れのようにスパッリ切り裂かれる。
 さらに少女は木を蹴ってノーフェイスに突撃。獣のような直感と俊敏性だが――真っ直ぐ向かってくるのならば撃ち落とすことは容易い。
 ノーフェイスは右手を銃の形にし、人差し指の先端に小さな魔法陣を展開。闇に煌く青い魔法弾を射出した。少女はそれをいとも簡単に弾く。が、彼女の身体能力を考えれば想定内だろう。ノーフェイスは落下しながら少女の腕を掴み、空中で器用に上下を逆転させ――蹴り落した。
「……む。なかなか」
 猫そのものな動きで落下直前に身を捻って着地する少女。先程追ってきた三人もそうだったが、正面から一対一で戦えば恐らくノーフェイスに勝ち目はない。そもそも正々堂々と戦う技術を持ち合わせているなら怪盗などやっていないわけで――本来は番犬を黙らせるものだが、猫にも効果はあるだろう。
 ノーフェイスは取り出した小さな玉を少女に投げつける。玉は弾かれた途端爆裂し、一瞬で魚が腐敗したような強烈な臭気を蔓延させた。
「~~~~~~ッ!?」
 猫の嗅覚は人間の数十万倍。目の前でそれを浴びた少女は声にならない悲鳴を上げて涙目になって飛び退った。あまりの臭さにゴロゴロと自分の身体を地面に擦りつけ始める。
 この隙にノーフェイスは迎賓館の窓を割り、展示ホールへと侵入した。もはや存在はバレているため音を気にすることはない。
 だが――
 クシャリ、と。
 ノーフェイスはプロの怪盗だ。たとえ追われている最中でも物音は最小限に抑える癖がついている。着地時にこのような音を立てることはまずあり得ない。
 なにかを踏みつけた?
 這うような文字が黒墨で書かれた長方形の紙だった。

 刹那、ノーフェイスの周囲が目を灼くような赤い輝きに包まれた。

 炎だ。
 それもただの炎ではない。轟々と燃え盛っているが、決して他のなにかに燃え移ったりしなかった。恐らく魔法によるトラップだ。
「捕えました! 今です!」
 展示ホールの吹き抜けになっている二階部分。そこに術者と思われる白と赤のゆったりとした衣装を纏った少女が立っている。
 だが、彼女に注目していてはまずい。
 ノーフェイスの左右から、炎の壁を突き破って二人の少年が強襲してきたのだ。一人は巨大な戦鎚を握り、好戦的な笑みを浮かべている。もう一人は額から二本の角を生やして青白い火の玉を纏っている。糸のように細い目からは表情はわからない。
 両者とも、速い。
 しかしノーフェイスも魔法はバリエーションこそ少ないが、無詠唱で発動できるほど極めている。少年たちが届く前に青い魔法陣が足下に展開され、逆巻く激流がノーフェイスの身体を高く打ち上げた。
「チッ! 魔法を使って飛び上がりやがった!?」
「……」
 わざわざ彼らの相手をする必要はない。ノーフェイスの狙いはあくまでも青真珠なのだから、それを奪えば勝ちである。
 ノーフェイスは打ち上げた勢いのままシャンデリアに掴まり、振り子の要領で前方に飛んだ。さらに魔法で足下から水流を放って加速。そのまま一気に青真珠へと手を伸ばす。
「させませんのよ!」
「まさかあの包囲を抜けられるなんてね」
 立ち塞がるは二人。フォルティス総合学園の制服を纏った金髪ソバージュの少女と、なぜか男子っぽい格好をしているショートカットの少女。金髪ソバージュの少女は風の精霊を従え、ショートカットの少女は見慣れない端末機と思われる機械を手にしている。
「行きますのよヒカリ様!」
「あまりやり過ぎないようにね」
 金髪ソバージュの少女の指示を受けた精霊が突風を巻き起こす。それに合わせてショートカットの少女が端末を操作し、宙空に出現した魔法陣から氷の飛礫を重ね撃ちした。
 ずいぶんと息の合った魔法の連携だ。横向きに殴りつけるように発生したアイスストームをノーフェイスはまともにくらってしまった。
 勢いよく跳ね飛ばされたが――問題はない。

 アレは〈分け身〉だ。

 すーっ、と。
 蝋燭の火が消えるようにノーフェイスの体が空気に溶けた。
「なっ!? 幻ですのよ!?」
 金髪ソバージュの少女が目を見開き、
「おいおい、マジか。まるで忍者じゃねえか。ハハッ、面白え」
 戦鎚の少年が感心したよう獰猛な笑みを浮かべた。
〈分け身〉とは幻惑魔法と極東の武術を融合させて生み出された技術である。その分身はただの幻ではなく実態を持ち、一定以上のダメージを負うと消えてしまう。罠だとわかっている場所にノーフェイス本体が先行するなど愚策だろう。
「本体はどこですか?」
 二階から赤白服の少女がキョロキョロと辺りを見回す。
 残念ながら、そこからは死角だ。本体は影に紛れ、既に青真珠が展示されている台の裏側へと回り込んでいた。
「皆さん! 青真珠の展示台です!」
「もうケースを開けられてしまってるだ!?」
 二階。赤白服の少女とは反対側にまた別の少女たちがいた。青みがかった銀髪をツインテールにした大人しそうな少女と、学園の制服が盛り上がるほど筋骨隆々としたごっつい少……女? たぶん少女。
 どちらも白いマントを羽織っているため白魔法科だ。人間に対して直接的な攻撃手段がない彼女たちは大した脅威でもないだろう。
 いや、片方は物理で圧倒されそうだが……それは置いておき、少し発見が遅かった。
 青真珠は既にノーフェイスの手の中である。
 ノーフェイスは煙幕弾を取り出し、床に思いっ切り叩きつけた。爆煙がノーフェイスの姿を隠すまで一瞬。次第にホール全体へと広がっていく。
「小細工が。効かねえよ!」
「……」
「フロリーヌ、吹き飛ばすよ!」
「了解しましたのよ!」
 戦鎚の少年がその場で薙ぎ払い、糸目の少年が腕を振るい、金髪ソバージュの少女とショートカットの少女が風を起こす。
 あっという間に煙幕は晴れてしまった。
 たった一瞬だったが、その間にノーフェイスは最初に割った窓へと走っていた。加速魔法も使っている。いくら彼らが常人離れしていても追いつけはしないだろう。

 バシュッ!

 なにかがノーフェイスの右足を貫いた。激痛には慣れているノーフェイスでも一瞬顔が歪みそうになるほどの痛み。それが展望台からのだと理解した時には既に、第二射がノーフェイスの手から青真珠を弾いていた。
「――ッ」
 手を押さえ、足を引きずって壁を背にする。真夜中、それも相当に離れた展望台から屋内にいる相手を狙撃するなど規格外である。あの威力では石の壁など頼りなさすぎるが、ないよりはマシだろう。
「よっと、こいつは返してもらうぜ」
 床に転がった青真珠を戦鎚の少年が拾った。
「もう、逃げられませんよ」
「怪盗ノーフェイス、大人しく捕まるのよ」
「みんな、一応警戒だけは緩めないようにね」
「……」
 後ろは壁、前方左右は怪物級に強い少年少女たちに取り囲まれている。下手に動けば狙撃される。
 これは久々に絶体絶命だ。
 そう思い、ノーフェイスは仮面の下で静かに嗤った。

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