勇者なんて怖くない!!~暗殺者が勇者になった場合~

初柴シュリ

第五十一話





  フィリスは床に零れ落ちていたインクを撫で、指をさらりと滑らせる。湿った感覚が彼女の指に伝わり、手の平を返すと指の先に黒々としたインクが付着していた。

  これはつまり、インクを零したのがつい先程であるという事を意味する。そして、似た様な跡が点々と窓の外へと。

「……ここまであからさまだと、まるで探して欲しいと言っているかのようだな。自身の意志ではなく、何らかの要因に攫われた、という事か?」

「なんと……!  ならば早く司祭様を助けなければ!  アメリアさん、私は先に行かせてもらいます。軍への報告は任せましたよ!」

「ちょ、おい!  早速単独の行動とは……」

  慌ててフィリスは呼び止めるも、既にドローレンは走り出した後。彼女は止まることも顧みる事も無く、窓を飛び出して路地を駆け出していく。

「あ、ドローレンさん!?」

「やめておけミズキ。こうなったら奴はもう止まらん。行くところまで行かせればそのうち頭も冷えて帰ってくるだろう」

  驚いて引きとめようとした水樹だが、それはフィリスに止められた。だが、流石にいきなり飛び出した人間を放っておく気分にはなれず、フィリスに対して追いかけるよう説得を試みる。

「そんな、いくらあの人が強くても放っては置けませんよ!  追いかけないとはぐれちゃいます!」

「……ふむ、ならばこうしよう。奴を追う組、軍へ報告する組。二手に分かれて行動するんだ。君達だけでは場所が分からないだろうから、軍へと報告する方には私が同行する。とはいえ、こちら側にそこまでの人員は必要ない。私ともう一人、付いてきてくれないか」

 水樹の意見を取り入れ、妥協案として二手に分かれることを提案するフィリス。彼女の言葉に反応したのは、それまで静観を決め込んでいたディーネだ。

「なら僕が付いていきますよ。今回やることには、残念ながら僕の力は役に立たなさそうだし」

「え、薫はそっちに行くのかい?」

 ディーネの台詞に驚くような声を出したのは、横で腕組みをしていた春斗である。当然付いてくる物と思っていたのか、何時もの端正な顔立ちが間抜けなアホ面と化している。

 目を丸くしているディーネに近付くと、彼はひそひそと耳打ちを始めた。

「(いくら何でも、俺だけじゃ何かあったとき彼女たちを御しきれないぞ。せめて君が着いてきてくれないと……)」

「(え、そんなこと言われても僕だって無理だよ)」

「(少なくとも俺だけの時よりか上手くいくだろ? 頼むよ!)」

「(……頑張って!)」

 何もやることが無ければ彼に付いていくのも吝かでは無かったが、生憎とフィリスと二人で話が出来る良い機会だ。態々彼女が二人きりとなれる状況を作ったというのに、これに乗らないという手は無い。悪いとは思いつつも、彼の申し出をすげなく断る。

 頼みの綱に断られたことでショックを受ける春斗だが、そんな彼を余所に話はどんどん進んでいく。

「あの馬鹿を頼んだぞミズキ。アイツの一人で突っ走る癖は一生治らないだろうから、難しいだろうが上手く奴を御するんだ」

「は、はい! じゃあ皆、早く行こう!」

「……早い。眠い」

「夜遅くまで遊んでるからですよ骸。自業自得です」

 グイグイと半ば強引に骸と奏を引き連れ、水樹は窓から駆けだしていく。着いていかなくていいのか、という意思を込めてディーネが春斗を見ると、彼はやや泣きそうな顔になりながらも彼女らの後を追って駆けだしていった。

「……行ったな」

「行きましたね」

 素の口調に戻ったディーネ達。彼らの言葉の前には、「ようやく」という一言が省略されているというのは自明の理だと言えよう。

「さて、早速軍に報告……と行きたいが、この一件にこれ以上人員を介入させる訳にもいかない。奴らには報告せず、この件は俺達だけで解決することにするぞ」

「諜報員の私たちが探偵紛いの事をする……なんとも言えませんわね」

「言うな。俺だってあのアミュレットが出てこなきゃこんな事したくも無かったさ。大体、ドローレンが俺達に着いてくる事だって想定外なんだぞ?  今は司祭の件に掛り切りになってるから良いものの、このまま着いてこられたら……」

  勘の鋭い彼女の事だ。何らかのボロが出て自身の正体が明かされてしまうという事態になっても可笑しくは無い。ディーネは自身の肩を抱き、怯えた様にぶるりと震えて見せる。

  彼は冗談めかして言っているが、実際過去に一度ドローレンに自身の変装を見破られているのだ。確かにミスを犯したのは彼自身だが、それでも普通の人間であれば気にも留めない様なミスである。ディーネ自身もそう考え、その件を重大には捉えていなかったのだが、見事にドローレンには気付かれてしまっていたのだ。

「……色々と面倒な事になりそうですね。早めに事件を終わらせて、彼女と行動を別にするのが吉かと」

「ああ分かってる。全く魔人の野郎共、国が変わっても相変わらず迷惑ばっか掛けて来やがる」

「この前出会った魔人は女性でしたけどね」

「じゃかしい!  要らんことを思い出させるんじゃ無い!」

  そんな下らないことを言い合いながら、ディーネは自らの変装を解く。下手に薫として動き回っている所を見られるよりは、ディーネとしての外観を見られる方が都合が良い為だ。こういう場面で印象に残り辛い外見というのは役に立つ。

  自身にとっては慣れた、しかし見慣れない金髪を振り乱しながらディーネは歩き出す。フィリスも冒険者アメリアとしての特徴を出来る限り目立たせない為、大剣を亜空間に収納。ディーネの後に付き、静かに歩き出した。

「さて、あいつらとは別ルートで司祭を追うぞ。この事件どうにもキナ臭く感じるからな」

「それは……何か証拠がお有りで?」

「いや?  唯の勘だ」

  あっけらかんと言い放つディーネに対し、フィリスは呆れた様に肩を竦める。

「局長らしくもありませんね。不確かな情報で事を進めるなんて」

「何、そう心配するな」

  地面に点々と続いていたインクを思い浮かべながら、彼は自信有り気にそう言った。

  慌てているにしては、妙に飛び散りの少ない跡。机の上では派手に溢れているのに、比べて明らかに足りていないインク量。その全てが彼に『この事件は明らかにおかしい』と訴えかけている。

「ーー多分当たる」


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