アライアンス!

松脂松明

運命の終わり

 ボウヌ連合の支配地域から遥か西…魔軍がかつて強勢を誇っていた一帯。不毛の大地の地下に復興を遂げつつある魔軍の拠点はあった。神殿とも城とも見紛う内装だが、使われている色にはおよそ明るさというものが存在せず、まさに魔軍の根城に相応しい禍々しさだ。
 その中を一人の女が歩いている。艶やかな黒髪に豊満な肉体…艶然とした人間の美女にも見えるが、黒い虹彩に赤い瞳が彼女を人ではないと思わせる。足取りは淑やかでありながら、堂々と。様々な姿の衛兵たちも彼女を黙って通す。彼女こそは魔軍を率いる将の一人。彼女が足を止めるに足る存在などこの地には数えるほどしか居ない。

「戻ったかルムヒルト、何よりだ。南の戦闘はどうであった?」

 そんな彼女が野太い声に初めて足を止めた。人の基準に照らせば小柄ではないルムヒルトが見上げなければならないほど背が高い。赤い鱗を持つ竜頭の戦士がそこにはいた。親愛を込めてルムヒルトは同僚に微笑んだ。

「ええ、ただいまギスヴィン。会えて嬉しいわ。でもその質問はどうなのかしら?私が戦わないのは知っているでしょう?あなたのような屈強な殿方ではなく、か弱い乙女なのよ?」

 ギスヴィンと呼ばれた竜人型の魔族は鼻で笑った。確かにルムヒルトは戦闘能力においてギスヴィンよりは弱い。だが充分に強者と呼ばれるだけの実力を備えているのだ。ギスヴィンとて本気でルムヒルトと戦った場合、彼女の奇妙な魔法の前では確実に勝てるとは言えない。ルムヒルトが直接的な戦いに出ないのは、単なる彼女の趣味でしかない。一番ギスヴィンにとってわからないのは、ルムヒルトがこの性格で、彼女の言葉通りに生娘であることだったが。

「あなたの方は北でご堪能だったそうじゃない?人間たちの一部にももう噂が飛び交っていたわ。彼らが備えを始めるのはまだ随分と先のことになりそうだけど」

 ギスヴィンは魔軍の宿敵である善の三勢力…その一角であるウガレト部族を半壊させたのだ。遠からず、この大陸には混沌が訪れるに違いなかった。もっとも、愛しい人間たちはその事実を中々信じようとはしないだろうが。そこがまた素晴らしい、とルムヒルトは笑みを深くする。


 歓喜を静かに味わうルムヒルトとは対照的に、ギスヴィンは不服そうだった。誇るべき戦果を打ち立てたと言うのに、腕を組み苛立たしげに尻尾を揺らしている。

「なにが堪能か。白けるにも程がある戦であったわ。わずか10年であれほど堕落しているなど!あのような惰弱な連中にかつて敗れたなどと…特に星界人どもだ!」

 あまりに脆弱化した敵に怒りを覚えているのがルムヒルトにはよく分かった。彼女は東と南で多くの人間に関わってきて、三勢力が衰えていくのを肌で感じていたのだ。ボウヌ連合で起きた暴動や“銀狼”の暗躍も目にしてきたため、星界人達が星の加護を失ったことも知っている。
 可愛い同僚を励ましてあげなければ、そう思い主君以外には伏せておこうと思っていた情報を開示することにした。

「それなら南で可愛い子達を見つけたわ。トワゾス騎士団…だったかしら?あの“ギルド”だとかいう集団の1つなのだけれど、私がけしかけた人間たちを蹴散らしていたわ」

 ギスヴィンの尻尾がピタリと止まった。何とも分かりやすい仕草にルムヒルトはつい笑みが溢れてしまう。

「…強者か?」
「ええ。私から見ても中々だった。特に指揮官の男の子はあなたと気が合いそう」

 ギスヴィンの尻尾が回転を始め、床に叩きつけれられる。不運な石畳は大きくひび割れてしまった。

「よし…よし。次は南へ向かうとしよう。礼を言うぞルムヒルト」
「どういたしまして。でもちゃぁんと王の許可を得てからにするのよ?」

 ギスヴィンは子供に言い聞かすような口調にも言い返さず、足早に歩き去ってしまった。愛すべき同僚を見送ってから、ルムヒルトは再び奥に向かって歩き始めた。彼女好みに見えた騎士の青年と同胞の、どちらを応援するか決めあぐねながら。


 目指していた部屋の前に奇妙に捻れた顔の魔族が立っている。魔族の中でも特に異様な容姿を見ると、我が家に帰ってきた、という実感が湧いてきた。捻れた顔をルムヒルトに向けると、閉まりきっていない口から息が音を立てて漏れた。それが笑い声だということをルムヒルトは知っている。

「戻って来てくれたか、ルムヒルト。全く待ちわびたぞ…報告は後で聞く。王がお待ちだ、中に入るが良い」

 あら、と声をあげてルムヒルトが驚く。次代の王と目される目の前の魔族…ジークシスは戦士としての技量も高いが、技術者や研究者じみた性質の方が表に出るのが常だった。彼のような識者にありがちなことに、研究対象に対する熱意と反比例して他者に対しての興味は希薄だ。そんな彼がルムヒルトに期待しているということは…。

「あなたが私の帰還を歓迎するなんて…何かあったのかしら?」

 今度は高い音がジークシスの口から漏れた。口笛のようなその音は彼が苛立っている証拠だった。

「分かっていて聞くな。王だ。王が日増しに手に負えなくなってきているのだよ。我は話し相手には向かん。あの能力の高さは素晴らしいの一言だが、享楽的に過ぎる。少しは落ち着きを持ってはいただけぬものか」

 まるで教育係のような口ぶりだ。いや彼はまさに守役といえるだろう。他者に無関心なジークシスも魔軍の主に対してだけは敬意を払っている。ギスヴィンが親衛隊隊長、ジークシスが守役ならば…

「私はさしずめメイドかしら?」
「何の話だ。あと貴様にそれは向かんと思うぞ。あのヒラヒラした服は貴様には似合うまい」

 そんなことはない…と反論したいところだが、ルムヒルト自身にも自分が可愛らしいと言われるような容姿からは遠いことは自覚していた。

「…まぁいいわ。ギスヴィンとはもう会ったけれど、ルベルセルは?」

 かつてはプリンスと呼ばれていた銀髪の貴公子のことを頭に思い浮かべる。一月程前には話もできない状態だったが…。

「相変わらず引き篭もっておる。いつまでも過去の栄光に縋り付いていて、王とは別の意味で手に負えん。あれではまるで人間だ。…無駄話はそこまでにしてさっさと入れ。貴様とて王に会いたくないわけでもなかろう」

 仕事仲間との友好関係は大事だとルムヒルトは思っているのだが、ジークシスはにべもない。半ば叩き込まれるように部屋に押し込まれてしまった。仕返しにギスヴィンが行動を始めたことは黙っていてやろうと心に決めつつ…

「おかえりルムヒルト!ああ!さぁさぁ早くお話しようじゃないか!南では、東ではどんなことがあったんだい!?」

 胸に飛び込んできた少女を受け止めた。彼女こそはルムヒルトを初めとした魔将の主。魔軍の王その人なのだった。


 一通り話し終え、王が手ずから淹れてくれた茶を口に含む。ほんのりと甘く、ルムヒルトの好みに合わせた茶葉であるようであった。一体どこで身につけたのか、魔軍の王は家事に至るまで優れていた
 当の王は自らで作った焼き菓子を頬張りながら、菓子と同時にルムヒルトの話を咀嚼していた。

「うーん、やっぱり“彼ら”は有望株だね!でも“銀狼”の方は…それで適応してるって言えるのかな?折角準備してあげたのになぁ…。それに、そのマリユーグって人間!そんなに馬鹿なら、会ってみたいなぁ」

 瑞々しい黒髪をかき上げながら王が延々と感想を述べる。外見に関してルムヒルトと並ぶとまるで姉妹のよう、と陰で評されているが、内面においてもルムヒルトは王と大変気が合った。二人の共通点は全ての種族に愛を注いでいるということにある。 
 それでもあのような小者に会いたい、というのはルムヒルトにとっても予想外だ。確かにルムヒルトは人間種の男性にも愛情を持っているが、いくら何でもアレほどの愚かさでは対象外になるギリギリの線だ。
 捕まってしまったマリユーグを攫って来るのは骨が折れそうだが、愛する王のために何とかしてやらねばなるまい。そう心に決めていると、王がボソリと呟いた。


「やっぱり我慢できないなぁ…もう少し待とうと思ってたんだけど…やろうかな?」

 王と特に親しいルムヒルトは何を待てないのか理解していた。

「残されたしすてむの解除…でしたか。別に構わないと思いますわ。」

 かつてその計画だけは聞いていたが、ルムヒルトには全く理解できない話であった。世界の根幹にある法則を取り除いてしまう…らしい。そう聞けば凄まじいことに聞こえるし、実際とてつもないことなのだろう。だがどう影響が出るのか判然としないため、ルムヒルトとしては止める理由も奨める理由も見当たらない。少なくとも魔族にデメリットは無いということだけ覚えていた。

「それに王自身がお決めになった我らが方針は…」
「自由、だね!“彼ら”を始め幾つかの集団はもう適応しているようだし。付いてこれなかった者には申し訳ないけれども!では早速取り掛かってしまおう」

 ルムヒルトは首を傾げる。そうした儀式は特殊な場を拵えて、材料や時間を揃えて行うのが常識だ。だが現在二人が茶を楽しんでいるのは人間たちの文化様式に似た普通の部屋だ。ここが魔軍の王の居室だと言われても、王と親しくなければ誰も信じないような。


 王の目が虚ろになり、放心したような様子になっているのを静かに見守る。翻意を持つ者にとっては絶好の好機になりかねないため、ルムヒルトは周囲への警戒を怠らない。

「…終わったよ。さぁこれで“彼ら”はどう出るかな?スキルはただの技術になり、ステータスももはや数字では無くなった。ギルドだのなんだのと細かい枠組みも全部無しだ!折角この世界に迎え入れたんだ、不滅の生を是非とも楽しんでもらいたいなぁ!」

 ケタケタと笑う王の発言には聞き流せないものが含まれていたが、結局ルムヒルトは後々もその言葉を誰にも明かすことは無かった。彼女にとっては愛する存在が幸福になるのは悪いことではないのだから。

「これで『トライ・アライアンス』は本当に終わりだ。決まった歴史はもう無い」


 アルレットはその日、鹿を追っていた。休暇を兼ねて貰った数日の余暇。いっときだけ、以前の生業に立ち戻ることは奇妙な安らぎをもたらすことをアルレットは発見していた。
 追っている鹿は南にしか生息しない赤い肌を持った種類だ。名前は知らない。重要なのはヒレ肉がとても美味しいらしいという情報だけだった。
 地に伏せてわずか半日ほどで出会えた幸運に感謝する。土と枯れ葉に塗れた姿は見せられたものではないが、獲っていけばきっと団長は喜んでくれるだろう。
 問題はこの鹿がかなり大型だということ。普通に矢を放っても仕留めるのは難しい。“TP”を使わなければならないが、野に生きる動物はそうした気配に敏感だ。迅速に一度きりのチャンス。
 好機が訪れた。鹿が水を飲もうと首を擡げた瞬間に放つ。

「〈パワーショット〉…」

 命中した後、残心を取りながら口にする。鹿には胸の辺りに大穴が空いていた。
 少しやりすぎたかもしれない…そう考えたところで目眩を感じる。ほんの一瞬世界が揺れた気がした。

「…?」

 長い間同じ姿勢を取っていたため調子を悪くしたのかも知れない。そう考えたところで、鹿の肉を前にハタと気付く。
 矢に“力”を流し込み、炸裂させる技。自分はなぜこの技を〈パワーショット〉と呼んでいるのか。誰かから習ったのか?そんな記憶は無いが、父も使っていたためきっとどこかで教わったのだろう。
 些細な疑問は仲間たちの笑顔への期待と、持ち運ぶための解体の苦労で消え去ってしまった。


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