アライアンス!

松脂松明

地盤を得るために③

 男は今までの人生で常に幸福だった。
 男は貧しい家の生まれだったが、常に現状に満足していた…というよりは先のことを考えたことがなかった。それは無学なためでもあったし、生来の性格でもあった。
 空腹で倒れそうなときでも、領主に連れられて戦に行ったときでも、初めて人を殺めたときもそうだった。良く分からないまま追われる身となったときも、そしてこの古びた砦に来たときでもそれは変わらない。ただただ、言われるままに過ごしてきた。
 夜の帳が下りると、男はいそいそと砦の外に向かった。勝手に砦の外に出ることは禁じられていたが、誰も男にそう直接言わなかったため、男はそんなことは知らなかった。あるいは知っていても気にしなかったかもしれない。
 ボロボロの城壁には裂け目があり、そこから外に出られることを知っているのは男だけだった。誰も彼に聞かなかったからだ。
 そこには夜の度に痩せこけたキツネが毎日やってくる。そのキツネに残飯をくれてやるのが男の日課だ。配給の食事はとても少なく、自分で食べたくなるほどだったけれど、自分に懐いてくれる存在が珍しくて男は毎日外に出ていた。
 少し早く来すぎたようでキツネはまだ来ていない。きょろきょろとあたりを見渡しながら男は少しだけ周囲をうろつくことにした。
 四角く作られた壁の曲がり角に差し掛かったその時、煌めく光が目に飛び込んで来た。綺麗だ、そう思うと同時に首に冷たい感触を感じた。男は幸せなまま一生を終えた。

 後ろから静かに駆け寄ってきたアルレットから鎧の入った袋を受け取る。音を立てないよう綿入りの鎧下のみで行動したのだ。
 先程まで隠れていた岩に向かって合図を送る。隠れている必要はもう無い。
 金属音を立てながら、小柄な体躯の人影が近付いてくる。腹の突き出たドワーフ…ケイの仲間であるタルタルだ。
「どうでしたか団長?」
 無意識にか、小さめの声でタルタルが問う。もはや攻め込むことに決めたので、バレても問題は無いのだが。
「思ったより何も感じな…、ではなく問題なさそうです。少なくとも兵士は強く無いでしょう」
 この世界ではかつてゲームであった頃のパラメータが肉体に反映されている。最初に行った実験では石が切れるぐらいの力の入れ方でもケイの肉体に傷はつかなかった。
 今首を切り飛ばした兵士の死体を眺める。斬ったときの手応えはほとんど無かった。つまり防御力に関係するステータスはあまり高くないと言えるだろう。高レベルの人間であれば、たとえ戦闘に向かない適正を選んでもそれなりの防御力になるはずだった。

 首の無い人間というのはかなりグロテスクだし、血溜まりもできている。しかし、あるべき場所にあるべきものが無いという違和感を覚える以外にはケイは何も感じなかった。
 これが平穏なかつての生活で隠されていた自分の本性なのか。あるいは新しい肉体による影響なのか。やはり判断はつくことは無かった。
 死体から視線を外して仲間たちを見やる。感じ方はそれぞれ異なるだろうが、臆した者は誰もいなかった。
 ならば戦いを始めなければならない。
「打ち合わせ通りに行きます。私とアルレットが外で暴れますので、タルタルさんは墳墓の中に。依頼達成の証拠になる棺に被せられた旗を確保してから合流を」
 依頼主であるリンピーノは悪人には見えなかったが、“証拠が無いから達成を認めない”などとゴネられても困る。どさくさに紛れて旗が燃えたり、失われたりする可能性は否定できなかった。
「逆の方が良いのでは?墓の中に好き好んでいるやつなんていないでしょうし、外のほうが危険です。危険な役は団員の約目でしょう」
 咎めるようなタルタルの発言に苦笑いで返す。
「そうかもしれませんが、アルレットが離れないと言うので。逃げる場合を考えると外の方が都合が良いんですよ」
 砂色の髪の少女に目を移す。短い髪に鉄と革で誂えた鎧に細身の身体を包んだ彼女は凛々しかった。言動が幼いので子供扱いしがちだが、顔立ちも大人っぽいため、こうした場で見ればいわゆる“できる女”にも見える。
「はいはい、ごちそうさまです。ではどうやって入りますかね?この辺りの壁は古そうですし壊しますか?」
「いや止めときましょう。依頼主からの心象悪くなりそうですしね…それほど高くないので超えて行きましょう。…おっと気付かれだしたようですね」

 砦の中から微かに声が聞こえてくる。兵士の数が足りないことに気付いたのか、話し声に気付かれたのか。いずれにせよ戦闘を始めるにはちょうどいい。
 酷薄な笑みがケイの頬に走る。強者はいるだろうか、魔法使いはいるだろうか。そういえばヒーラーとはまだ戦っていない。ああ、楽しみだと笑う。
「先に行きます。即座に戦闘に入るので、後からくれば案外すんなりと中に入れるかもしれません。ではタルタルさん、またあとで」
 頷いたタルタルの表情は仮面を貼り付けたように無表情で、頼りになる。こういう顔をした時のタルタルならば、淡々と目的を達してくれるだろう。そこに疑いはない。
 背負子にアルレットを載せて飛び上がる。人を載せていたためか飛び越えるまではいかずに、落下する前に壁に張り付き登り始める。
 視界に何かの動物が入った気がしたが、戦いへの高揚感ですぐに忘れた。

 砦を占拠した一党は意外にも訓練された兵士のようだった。城壁の上にもしっかりと兵が配置されており、先程の試し切りが気付かれていなかったのが不思議なほどだった。
 すぐ近くに降り立ったケイに対しても驚きはしていたが、剣を抜いて対処しようとしていた。その喉にすかさずアルレットの矢が突き立つ。何かを叫ぼうとしていたようだったが、喉を潰され奇妙な喘ぎ声となって兵士は崩れ落ちた。
「やりますね、アルレット。この調子で行きましょう」
 実際にケイは感心していた。動きやすいようにとの配慮なのか持っているのは即席の小弓。座っているという不自然な体勢で良く狙いが定まるものだった。今度ボウガンのような物を探して贈ろう。彼女は喜んでくれるだろうか。
「…団長。敵も弓を持っているよ。気をつけて」
 アルレットの指摘で未だ痙攣している兵士を見ると、確かに弓矢が近くに転がっている。壁の上に配置されているのだから当然か。ならばこいつらから片付けていくのが良いだろう。
 そう判断したケイは壁の上を走り抜ける。駈けながら進行上にいる兵士の首を刈る。首を斬り飛ばされた兵士は驚愕の表情で自分の胴体を眺めていた。

 流石にここまでくると、砦の兵士たちも敵襲に気付いていた。だが、相手がまさか三人だとは思っても見ないのだろう。その動きはバラバラで幾つかのグループに分かれて固まりつつあった。中には外に向けて警戒をしている集団もある。その間にもケイは動き回っているため、彼らはその首が宙に舞うまで戦況を把握できないままだった。
「アルレット!後方の見張りは任せましたよ!無理に矢を撃たなくていい!」
「…分かったよ団長!任せて!」
 砂色の髪の少女の声は頼もしい。本当に肝が据わっている子だ、と感心続きのケイは今日十個目になる首を獲っていた。
「さて…タルタルさんは上手く入りましたかね?まぁあの人なら問題は無いでしょうが」
 城壁の中の中央、赤茶けた建物を見やる。以前見たタルブ砦と違い四角い作りだが、やはり居住区を兼ねているようだ。ならば墓は恐らく地下。建物の中の兵士全てが外に出たとも思えないが、タルタルの敵となるものはいない。いたとしても彼の容赦のない鉄槌の前にひれ伏すことになるだろう。ケイはそう確信していた。

「団長殿は本当に派手ですね…」
 果たしてタルタルは既に建造物の中への侵入を果たしていた。ケイに自覚は無いのだろうが、砦の内部は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。外から聞こえてくる怒号と叫びは時間が経つほどに大きくなっていく。
 この砦にいたのは百人ほどのように思えたが、ケイと遭遇したならば紙のように切り裂かれるだろう。流石は我らが団長、と恐らくは年下の青年に賛辞の念を贈る。
 かつてはカジュアルプレイヤーであったが、現実化したこの世界における戦闘への適性でケイに勝るものはそれほど多くないはずだ。
 …このあたりはタルタルについても同様のことが言えるのだが、彼にもまた自覚はなかった。
 建物の内部に残っていた僅かな、それでいて哀れな兵士はメイスの一撃で肉塊と化した。はじけ飛んだ頭部はジャガイモのスープのようだった。赤かったが。
 食堂のようなスペースには兵士たちが呑気に座っていた。どんな世界だろうと騒ぎが自分には関わりがないと信じている人間は多いようだった。
 無造作に入ってきたタルタルを見ても兵士たちは怪訝な表情を浮かべただけだ。やにわにメイスを振り上げたタルタルはモグラたたきのように頭を潰して回る。小柄な体躯と重装備に見合わない迅速で淡々とした動きだ。瞬く間に兵士たちは目の前のスープと似たような姿になっていた。それはやはり赤かった。
 かつて人間であったものを一瞥することもなく、タルタルは地下への入り口を探す。儀礼的な建物だというのならソレがある場所は建物の中央か最奥がセオリーだろう。そう判断したタルタルは建物の奥に奥に進んでいった。
 哀れ砦に居残っていた兵士10人は全てがミンチと化した。結局地下への扉は入り口の近くにあったのだった。

 地下に一党の長はいた。他の兵士たち同様鎧は古びているが、草をあしらったような装飾が未だに残っている。
 かつて彼は貴族だった。いや本人は未だにそのつもりだ。今彼が着ている鎧のように、その栄光がとうの昔に終わったものであっても。
 彼が不運にも地下に来たのは、かつてこの砦の主だったものに嘲笑を贈るため。ただそれだけだった。

「今頃貴様らの息子は青褪めて震えておろう。蛮族の末路などそのようなものよ…そもそもにして栄えある中央の一族で無いものが貴族を名乗るなどと!滑稽!滑稽!猿は檻に入っておれば良かったのよ!」
 物言わぬ棺に向かって話しかけ、唾を吐きかける。その姿こそが滑稽なものだと彼には思い至らない。
(私のなすことは全て高貴な振る舞いなのだ。私が貴族の生まれだからだ。)
 それが彼にとって全ての根拠だった。
 しばらくすると男は恍惚の表情を浮かべ、妄想に耽る。
(魔軍は蘇った。そしてこの地からこの国をかき回せばかつての栄光も蘇る。それが報酬だ。そして私は新たな王となる。いや魔軍風情がこの私に報酬などと恐れ多い。貢ぐというべきだろう。そしていずれあの女魔族も私の前に跪いて媚を売ることになるのだ)
 いずれ来たり来る未来に思いを馳せる男だったが、女魔族の尻を蹴り上げる想像を物音に遮られ、不機嫌になる。
(この私の思索を邪魔するとは…どこまで愚かな兵どもだ。この地を去る時にはあのような無能どもは処分して新たな軍を作らねばな。おお…私は改革者としても優れている!)
 表情を目まぐるしく変えながら振り返る。彼の視界に入ったのは一人のドワーフだった。

(ドワーフ?何と醜い生き物か…私が世界の王となった暁にはあのような下賤な種族は一掃せねばな。民は私に感謝するだろう)
 再び陶酔に入った彼だったが、違和感によって現実に引き戻される。そう、ドワーフが彼の配下にいるはずはないのだ。
「貴様…誰の許しを得て入った?…ああ、臣従に来たのか。良いぞ。私は寛大にして偉大。這いつくばれば認めてやろう」
 ドワーフの表情は動かない。それは男を苛立たせた。全ての生き物は彼に尊敬の念を抱くべきと男は本当に信じている。
 ドワーフはゆっくりと歩み寄ってくる。そして彼の目の前で立ち止まる。男は舌打ちをした。
(礼儀作法も知らぬとは…まぁ無知な輩では仕方がない。この私が知恵を授けてやるか…私の慈悲深さには我ながら驚くばかりだ)
 次の瞬間男は壁に叩きつけられていた。

「いぎぃぃ!?はびっ?はひぃ!??」
 腕が奇妙な咆哮に捻れている。篭手が食い込み痛みが延々と続く。男の頭にもはや妄想は浮かんでこない。
 男が部下を統率できていたのは優秀な指揮官が彼の下にいたからで、彼自身に戦いに対する経験や心構えなどなかった。初めて味わう激痛に男は意味不明な叫び声を上げるばかりだった。
 さらに近寄ってくるドワーフを恐怖に濁った目で見る男。ドワーフがさらにメイスを振りかぶっているのが見え、男は目を瞑り蹲って現実から逃れようとした。股の下には水たまりができている。
「…?」
 しかし、いつまでも次の痛みは訪れない。恐る恐る目を見開くと、ドワーフは顎に手をあてて考え込んでいた。
(馬鹿め!ようやく私が誰だか気付いたようだな!私をこのような目にあわせるなどと死刑すら生ぬるい)
 再び持ち前の思考が戻ってきた彼にドワーフが口を開く。
「あー、生け捕りにした方が団長が喜びそうですね。リンピーノ男爵の覚えも目出度くなるでしょうし」
「きっ、きぅ、貴様!あの軟弱な小倅の手下か!ド、ドワーフぅを使うなどと!やはり蛮族は蛮族にす、過ぎぬな!」
 堂々たる舌鋒と彼が信じている言葉にもドワーフは肩をすくめただけだ。ドワーフの腕が伸び鎧の襟元を掴まれて男は引きずられていく。
「旗は…これですか。んー、見事なボロボロ具合。普通こういうのって手入れしたりするものじゃないですかねぇ、あボロボロな方が箔がつくのかな?」
 旗を男より余程丁寧に扱って畳むドワーフを見て男に更なる怒りが湧いてくる。
「貴様!この砦には我が兵たちがいるのだ!謝罪をするなら今だぞ!」
 ドワーフは何も答えず男を引きずっていく。まるで彼などいないように振る舞うドワーフに彼はようやく自分の未来に思い至りつつあった。

「苦しませてしまいましたか…申し訳なかった。名前を聞かせて貰えなかったのが残念でしたよ」
 ケイは篝火が照らす騎士の死体に見よう見まねで礼を贈る。
 目の前の死体は大声で部隊を鼓舞していた指揮官らしき初老の男だった。ラシアランほどでは無かったが、それでも恐るべき使い手だった。槍が灯りに煌めく度に自身の死が見えたほどだ。装備が完全ではないとはいえ星界人の肉体を持つケイとほぼ同等の強さ。ソレがこのような賊まがいの一党にいるのだから世界の広さをケイに感じさせた。
「アルレット。もう出てきていいですよ」
 物陰から出てきた弓使いの少女は子供のように膨れていた。一騎打ちへの手出しを禁じられてたのを自身の戦闘能力のせいだと感じてしまったのだろう。
「不貞腐れないで下さい。もどきとは言え私たちは騎士らしくしないといけないので、戦わせ無かっただけです。あなたのことは信頼していますよ」
 苦笑しながら頭を撫でるとようやく機嫌を直してくれたようで、口を利いてくれる。
「うん…団長が無事で良かったよ」
 心配させてすみませんでした、と謝るとアルレットは花のような笑顔を見せてくれる。子犬のようだと思ったが口には出さない。

「さて…後はタルタルさんと合流しますか。…お?」
 入ろうとした建物の扉が内側から開き、小柄なドワーフが顔を出した。
「おや団長!只今戻りましたよ…旗もこれこの通り」
 タルタルが掲げたのは奇妙な紋章が入ったボロ布…恐らくはこれがバラボー家の家紋なのだろう。目出度く依頼は達成できそうで安堵の息が漏れる。
「お疲れ様でしたタルタルさん。…それでそちらの方は?」
 タルタルのもう一方の手に掴まれている男に目を向ける。男は回りを見渡すと気を失ってしまった。
「あ、静かになった。いえどうもコレがこの一党の首領だったようで、生け捕りにしたんですよ」
 笑いながら胸を張るタルタル。ドワーフというのは笑顔が似合う種族だなぁと思ってしまうぐらい清々しい笑みだった。
「それはそれは…これは今回のMVPはタルタルさんですかね?私はてっきりこちらの騎士が首領かと思っていましたよ」
 ケイにも強敵と感じられた騎士がいた、と聞いてタルタルは目を丸くする。
「僕が戦っていたらマズかったかもしれないですね…しかしこっちのコレはかなり情けない人でしたが。頭もどうかしてそうでしたし、やはりそちらが首領ですかね?」
 うーんと二人で首を捻るが、生き残っているのはタルタルが連れている一人だけだ。彼に聞くしか無いだろう。
「まぁ続きは男爵のお屋敷に戻ってからにしましょう。我々が先に聞いても仕方ないですしね…では帰りましょうか?グラッシーさんたちが大人しくしていると良いんですが」
 いや、それは無理でしょうとタルタルが苦笑して言う。確かに彼女のことだからきっと居残った町で騒動を起こしているだろう。カイワレと組んでいるとなると、もはや想像すらできない。
 アルレットを載せていた背負子に捕虜となった男を載せて出発する。
「…ねぇ団長。えむぶいぴーってなに?」
「ああ、アルレット。それはですね…」
 依頼をこなした達成感で満たされながら、首が転がる砦を後にする。掃除は依頼には入っていない。

「ふぅん。あれが王が仰っていた星界人、ね。確かにギスヴィンが北で蹴散らした連中とは違うわね。」
 去っていく三人を見送る女が一人、砦の屋上に立っていた。艶やかな黒髪と豊満な肉体、美しい微笑を湛えたその姿はいっそ女神と見紛うばかり。だが彼女こそは魔軍の一翼を統率するべき魔将の一人だった。
 それにしてもあの男は役に立たなかった、と彼女は思う。折角再起の道を示してあげたと言うのにあの体たらく…最もそういう人間で無ければ行動を起こさなかっただろう。
「善の種族は本当に面白い…あの子達もいつかワタクシを驚かせてくれそう」
 彼女が他の魔将と異なるのは、敵…人間やエルフを愛しているところにあるだろう。もっとも愛された側には堪ったものではないが。
 いずれにせよ言葉1つで各勢力の戦力は削がれていくのだ。復活したとて魔軍はかつての勢力には程遠く、彼女が率いるべき軍は消滅したままだ。
 だが、だからこそ楽しめるのだ。そう彼女は思いながら彼女の玩具たちを蹴散らした者達の武運を静かに祈った。

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