あるバーのマスターの話

ノベルバユーザー173744

閑話……『Family Song』

はるかのお腹はかなり大きくなり、遼が落ち着いてから結婚をする宜子のりこ雄洋たけひろも心配そうである。
因みに宜子は結婚してもしばらくは仕事に専念し、後輩に引き継いでから退職するのだという。
ついでに有給休暇は溜め込んでいるので使ってからやめると楽しげである。

雄洋の父で彰一しょういちの悪友の雄堯たけあきは妻の優子ゆうこと共に、ベビーベッドやゲージの準備を手伝ってくれ、臨月に近くなった遼を見守ってくれるようになった。
初産で超高齢出産、ありがたかったのは妊娠中毒症などの病気がなかったこと。
そして、どんな子供でも構わないと検査はあえて受けなかった。
ただ、暇さえあれば遼はお腹に手を当て歌を歌い、時々彰一は絵本や何故か百人一首、俳句を詠む。

「綺麗な言葉を聞かせたい。遼は綺麗な声をしているが、自分は歌えないし……」

と語りかける姿は大きく面白い。
その上笑えるのは、酒臭い姿で近づくと子供に悪いと、仕事が終わるとそそくさと風呂に入り、そうして、

「ただいま。遼、そして私の息子」
「あら、息子か娘かは聞いていないんじゃなかったんですか?」

今日は休日、昨日から宜子が泊まりにきていたので、楽しげに笑うと、

「いや、多分。息子だと思って。いえ、娘だったら遼に似て可愛い娘をと思うのですが……」
「私に似ちゃうと、『わーい、ぬいぐるみちゃんだぁぁ〜!』っていなくなりそうで、私は、彰一さんに似ていて欲しいんです」
「のんきでそそっかしいか、しっかり者か……どっちでしょうね」
「うふふ……でも、私は……あ、いたたっ」

お腹を押さえ、うずくまる。
顔色を変え、彰一は駆け寄る。

「えっと、病院!」
「まだですよ。準備をして、そのあと向かいます」
「でも、車がないんだよ?タクシーを呼ばないと……」
「僕の車出しますよ」

同じく心配して泊まり込んでくれた雄洋は、鍵を示す。
ちなみに彰一は免許を持っているが滅多に運転しないため、駐車場一台付きのマンションを借りているのだが、その駐車場には雄洋が停めている。
二人の家の近くに職場があるのと、誰かが勝手に利用するよりも雄洋が出勤して停めて、飲みに来て、運転されるよりも置いて帰ってもらう方が安心である。
雄洋は駐車場代を払うと言っているのだが、

「代わりにおみせにきてくださいね」

と彰一は微笑む。
遼について、準備をしつつ時間を計っていた宜子が、

「マスター。病院に電話をかけてくださいね。雄洋さん、車をお願いね?」
「あぁ」

彰一は病院に電話をかけて、説明する。
そして、車で向かうことを伝える。

「マスター。遼さんを支えてあげましょう」
「そ、そうだね。抱き上げても良いけど……」
「子ブタさんなので……やめて〜……彰一さんと雄洋さん」

いたたっ……

とお腹を押さえながら呻く。

「歩けるかい?」
「今のうちに歩きます……」

身体を起こし、荷物を持とうとして、

「私が持つわよ。マスター。支えてあげて」

4人は家の鍵を閉め、エレベーターで降りると、雄洋が玄関までつけた車に乗った。
そして、病院に着くと、そのまま分娩室の前の部屋で陣痛時間が短くなるのを待つ。
宜子は、遼の病室に荷物を置き、後からやってきた恋人が持っているものにギョッとする。

「何持って来てるのよ?」
「いやぁ……ほら、カナダの森田くんと祐実ゆみさんや、谷本くん。君の親友の葛葉くずのはさんや保名やすなくんも、それにうちの両親も本当に楽しみにしていると思うんだ。そうそう。高坂さんのご家族や美鶴みつるくんも」
「まぁ、そうよね。皆一度に来ちゃうとびっくりするわ。特に遼が」
「それにうちの父は、同級生とかに言いそうだからさぁ……マスターをからかうからダメなんだよ」

雄洋はため息をつく。

宜子は思い出す。
雄洋の父は、マスターの同級生とは思えないほど、おじさんである……いや、宜子の父もそうだが……。
マスターは年齢未詳であり話題も多く、しかしミステリアスな面もある。
それに、太っていることもなければ痩せすぎでもないそこそこの体格に、顔立ちは今思えば整った男性。
眼鏡もかけておらず、顔を隠してもいないのに、マスターへの印象は薄い。

「元々彰一おじさんは粟井原あいばら姓じゃないんだ。靫原ゆぎはらだよ」
「靫原?ってあのっ?」

有名な大財閥の姓である。

「うーん、詳しくは知らないけど、マスターは父親の本妻の一人息子で、祖父母と父親に可愛がられていたけれど、義母と義母の子供である姉妹に嫌がらせされていて……義母たちが財閥を乗っ取ったんだって。でも、乗っ取るだけ乗っ取って贅沢するだけで、財閥を潰しかけた兄弟が責任をなすりつけて逃げ出したのを、わずか数年で立て直したらしいよ。後は、祖父と父の代からの忠臣一族に全権託して、降りたって」
「……でも、マスターはマスターがいいわ。そんな過去よりも、遼といる今がいいと思うわ」
「そうだね。って、わぁぁ!ねぇ、宜子。新生児の父親以外って入室無理だよね?宜子、マスターに頼めるかなぁ?」
「無理ね。私が行ってくるわ。ここにいて頂戴」

宜子は受け取り、部屋を出て行った。
一回看護師が入って来た時に、関係を聞かれ、新生児の父親の友人の子供とも言いにくかったので、

「あのっ、出産を待ってる遼さんは従姉妹なんです!近所に住んでいるので車で送って来ました。婚約者は遼さんと親友でもあるんですよ」

と答えておく。

「あぁ、そうなのですか。遼さんは今順調に出産を待たれています。ご主人も初めてのお子さんだとオロオロしていますが、素敵なご夫婦ですね」
「はい、遼さんも旦那さんも、私の理想の夫婦です。私も二人のような夫婦になりたいと彼女と話しているのです」
「うふふ……時間は大丈夫ですか?」
「はい。本当はうるさい親族やカナダやイギリスにいる友人まで戻ってくるというので私たちが代わりに。有給も取っているので大丈夫です」

特に父にはまだ来て欲しくない。
雄洋には切実な願いである。
ベッドを整えてもらい、宜子が遼の下着などは収めていたものの、一つ残していた袋を開けると、紙オムツと嬰児の産着が入っている。
男の子か女の子かは聞かなかったそうだが、可愛らしいパステル調の産着に微笑む。

「置いておこうかな……でも、自分の子供じゃないのにここまでワクワクしているってことは、自分の子供だったらどうだろう……」

小さい産着を広げ、想像する。

「あ、そうだ。あのアルバムをあげたいなと思っていたんだ。持って来てるから、枕元に置いておこうかな。もう一曲も遼さんは好きかも」



それから約一日、彰一には永遠に近い時間がかかったものの、3000gに満たないものの、よく泣きじゃくる赤ん坊が誕生した。

「……お父さんによく似た男の子ですね。元気な男の子ですよ。お母さん、お父さん」
「……彰一さん……」
「よく頑張ったね。遼。それにありがとう……」

瞳を潤ませ微笑む。

「彰一さん……良かった……」

処置を終え、タオルにくるまった赤ん坊を抱かせてもらうと、彰一はプリプリというよりもひょろっとした赤ん坊に戸惑う。

「遼に似たらもっと可愛かったかも……目がつり上がっている気が……」
「彰一さん。綺麗な顔でしょう?あ、宜子さん。彰一さんが目がつり上がってるなんて言うのよ?」
「可愛いのに……あぁ〜ん。本当に小さい手、指も細いし、可愛い〜!赤ちゃん。お姉ちゃんですよ〜?あぁ、やっぱりおばさんかしら?」

彰一と遼は顔を見合わせる。

「何を言っているんですか。宜子さんは、うちの子のお姉さんですよ。おじさんはしっかり雄堯がいますからね。高坂さんもですね」
「じゃぁ、待っている兄さん姉さんたちに送るわね。特に祐実ちゃんが喜ぶわ」
「な、名前はやめませんか?」
「あら、祐実ちゃんが一番考えてたのに」

そうなのだ。
森田と即婚約した祐実は、カナダに向かった。
裁判は日本で行われるが、祐実は自分に酷い目にあわせた二人に会うことはドクターストップでとめられ、弁護士の錦に一任した。
そして、落ち着いたら式をすることにしているらしい。
出発前に名前を考えたのが祐実である。

ビデオは編集して、焼いて友人たちに配る予定である。
その代わりにスマホで撮った数枚の写真の方を、友人たちに次々に送信する。
生まれて大泣きしている赤ん坊や、おずおず指を伸ばす彰一に、遼が抱きしめた家族写真を送る。

『たった今、遼一りょういちくん誕生しました^ - ^
お父さん似で凛々しいですよ』

そうすると、次々に返信が返る。

『わぁぁ!おめでとう!宜子さん、マスターに伝えてください!理央りおう、祐実』
『ついに生まれたのか!今日は遠慮するから、明日顔を見に行くって伝えてくれるかな?宜子さん』

谷本である。
そして、電話がかかる。

『生まれたの?宜子!』
「えぇ。3000なかったけれど、なかなか美男子でしょう?お父さんが、『目がつり上がって……私に似てるって……どうしましょう?ですって』」
『ふふふっ。遼一くんね。本当に良い名前』
「葛葉も注意しなさいよ?安定期に入ったと思うけれど」
『はーい、宜子お姉さま。……あぁ、保名』
『宜子。マスターと遼さんにおめでとうを伝えてくれるかな?』

幼馴染の声に微笑む。

「了解。あぁ、二人が移動するわ。それじゃぁね?」

電話を切ると、追いかける。
赤ん坊は一時的に様子を見た後、病室に来るという。
この病院では、夜、ある程度母親が体力が戻るまで新生児室で預かり、昼間などは家族と一緒が多いのだと言う。

「お疲れ様です。遼さん。男の子だったんですよね」
「あ、雄洋さん、ありがとうございます」
「そうでした。勝手に、うろうろしてました」
「あら?」

ベッドで落ち着いた遼は流れる曲に微笑む。

「『Family Song』ですね。素敵。ありがとうございます」

扉が開き、ベビーベッドの中でスヤスヤ眠っている赤ん坊が連れてこられ、雄洋は、スマホで撮影していたのだった。



後日、職場で携帯の待ち受け画面を見られた雄洋は、

「先輩の隠し子ですか?」

と言われ、必死に、

「宜子さんの友人の子供さんだよ!可愛いなぁって撮ったんだ」

と周囲に訴えたのだった。

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