あるバーのマスターの話

ノベルバユーザー173744

『卒業写真』

今日のマスターは本気で困っていた。
普段はマスターが曲を選ぶのだが、不定期にやって来る宣子のりこが、珍しく、

「マスター‼今日はこのCDをかけて‼」

と出してきたのである。

「え?えっと……」
「お願いします‼新年だし、暗いのは解っているけど……お願い‼」

差し出してきたのは荒井由実さんこと、現在、松任谷由実さんのCDである。

「……仕方ありませんね……と言うよりも、私も好きな曲が多いので、ありがとうございます。かけさせていただきますね」

いそいそとデッキに向かう。
曲が流れ始める。

「ねぇ……マスター?葛葉くずのはに会う?」
「葛葉さん……ですか?」
「あぁ、しのよ?苗字が篠田しのだ。葛葉」
「あぁ……いえ、お会いしませんね……」

そう言えば、あの日以来会っていない。

「フフフ、聞いちゃってごめんなさいね。あのね、篠。会社を辞めて、留学したのよ。婚約者だった信一しんいちは篠の後輩と結婚してね?でも、信一の家族と篠の家族は本当に近所で幼馴染みだったから、篠の従兄の保名やすなが特に怒ってたわ。信一、篠と共同で貯めてたお金を使い込んだりしてたから、信一のご両親が必死に頭を下げているわ」
「……お元気ですか?」
「篠?元気そうよ。前は信一のことばかり心配して、尽くして尽くして……で浮気でしょ?もう、参ってて……今は、好きな事が出来るって語学学校に通っているみたい」

ふふっ

嬉しそうに微笑む。
そしてポケットの中から一通の封筒を出すと、

「マスター。ごめんなさい。灰皿良いかしら?」
「宣子さんは、煙草をお吸いになられましたか?」
「いいえ……あ、そうだったわ。ライターを貸してくださいな」

曲は『卒業写真』に変わっていた。

マスターは思い出したようにライターと、作っていたコーヒーを差し出すと、ロワイヤルスプーンを渡した上に角砂糖を置きブランデーを染み込ませる。
その横で灰皿にビリビリと破った紙を広げている上にブランデーを少したらし、ライターで二つに灯をともした。
薄暗いバーに淡く青い炎が宣子とマスターを照らす。
なめるように炎は次々と紙を呑みこみ、少し焦げた臭いが広がる。

そしてしばらくして、

「……信一が、篠の行方を教えてくれって言うのよ……。自分が捨てておいて……笑えるわ」
「……良いのですか?手紙だけじゃなく……」
「あぁ、私と篠と保名と信一の写真よ……もう幼馴染みなんて卒業。あいつがどうなろうと、私も関係ないわ。それに保名もようやく動くみたいだし……」
「保名さん……ですか?」
「篠の従兄妹よ」

炎が消えるのを待って、コーヒーカップを見る。

「これは?アイリッシュ・コーヒー?」
「いえ、カフェ・ロワイヤル(cafe royal)ですよ。この専用のロワイヤルスプーンに角砂糖を、そしてブランデーをたらして灯をつけて……砂糖が溶けたら混ぜるのです。ハッキリとはわかりませんが、ナポレオンが愛飲したとか……」
「まぁ……じゃぁ、コーヒーカップだけれど……『篠と保名が幸せになりますように……』」

宣子は、スプーンでよく混ぜ、微笑み口に含んだのだった。

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