【書籍化】マジックイーター 〜ゴブリンデッキから始まる異世界冒険〜
125 - 「後家蜘蛛抗争10」
数多の紫電が樹木状に走り、その中でも一際太い閃光が、大鎌を構え走る黒崖の心臓を捉えた。
電気ショックを受けた患者のように、黒崖の身体がビクッと硬直しながら後ろに仰け反る。
目を見開き、身体を貫いた閃光に驚く黒崖。
だが、次の瞬間には、マサトを見てニヤリと微笑んだ。
(お、おいおいおい! ショックボルト効かないのかよ!?)
再び駆け出そうと一歩を踏み出した黒崖に、すかさずもう一発、ショックボルトを撃ち込む。
「ぐっ…… ハハハッ! 何度やっても無駄だ!!」
(マジで!? どうなってんだよ!?)
ショックボルトが効かないことに焦る。
一瞬の足止めにしかならなかった。
すると、立ち止まった黒崖を追い越すようにして、背赤とその部下達が左右から迫った。
「くそっ! 大鎌に鞭に物騒過ぎんだろ!!」
焦りながらも、応戦するために両手に武器を作り出す。
「《 灼熱の火鞭 》!!」
両手に勢いよく紅色の粒子が舞い上がり、極太の火鞭が、火花を撒き散らしながら具現化する。
その二本の火鞭を振るい、迫る背赤達を追い払う。
火鞭に巻き込まれた何人かが、その身を炎で焼かれ、声を上げずにのたうちまわる。
だが、全てを迎撃するには、マサトのPSが足りなかった。
上手く火鞭を躱した二人が、マサトへと肉薄する。
だが――
「躱されると思ってたよ!!」
マサトは、自身の技量を理解した上で、次の一手を考えていた。
接近してきた敵へ、素早い動きで背を向ける。
そして――
「喰らぇえええ!!」
ボボボと轟音が轟き、紅色の二つの火柱が、マサトへ迫った二人を火達磨にしながら押し飛ばした。
(やったか!?)
そう思って炎の中を見たマサトの視界に、火柱の中を突き進む黒い何かが映った。
「なっ!? 無茶苦茶だろ!?」
急いで正面へと向き直ると、大鎌を振りかぶった黒崖がすぐ目の前まで迫ってきていた。
「ハハハッ! その程度か!?」
真紅に輝く大鎌が、紅い剣線を帯びながら振り下ろされる。
「ぐっ!? 危ねぇ!?」
迫る大鎌。
それを、すかさず二本の火鞭をクロスさせて受け止める。
大鎌の刃と、火鞭の熱線が交わり、その接点から大量の火花が噴き出した。
二人の周囲には、二人を中心とした円を描くように炎が走り、そのまま竜巻状に舞い上がった。
「どうした? さっきまでの勢いは!?」
「や、やべっ!?」
炎の竜巻の中心で、鍔迫り合いを繰り広げる二人。
火鞭から舞い上がる火花は止まるどころか、より激しさを増していく。
それは、まるで鎌に火鞭が削り取られていくような光景だった。
「ハハハッ! 私の魂刈りの大鎌に斬れぬものはない!!」
「く、くそっ!!」
黒崖が鎌を押し込もうと体重をかける。
鍔迫り合いの継続に危険を感じたマサトは、火鞭を爆発させる形で自ら掻き消すと、爆発の反動で黒崖を少し後退させた。
「おらぁっ!」
「何っ!?」
その隙に上半身を素早く屈め、黒崖の腰へとタックルをかけた。
炎の竜巻を突き破るようにして、地面へと押し倒される黒崖。
「ぐは!?」
今度は黒崖が驚く番だった。
馬乗りにされた黒崖が目を見開く。
マサトはタックルの勢いのまま、地面に押し倒した黒崖へ、グラウンドポジションから殴打を繰り出した。
「よせ、やめ――」
「――シッ!」
マサトの拳が黒崖を襲う。
一発目で鼻が潰れ。
二発目で歯が飛び。
三発目の拳を繰り出す前に、黒崖は堪らず手を伸ばした。
マサトは、その腕を取り、流れるような動きで腕挫十字固へ体勢を移す。
「ぐぶっ…… き、きざ……ま……」
そのまま腕をへし折る。
「ぐあっ!?」
ボギッと鈍い音が響き、黒崖が短い悲鳴をあげた。
黒崖を助けようと、背赤達が再び動き出す。
(……これ以上は危険だ)
黒崖を解放して後退する。
背赤達は、地面に倒された黒崖を庇うように陣形を組み、こちらの様子を窺っていた。
(打撃が効くならやりようは…… っておいおい…… 何で……)
目の前の光景に驚く。
背赤に庇われた黒崖が、何事もなかったかのように立ち上がったのだ。
その顔に傷はなく、折ったはずの右腕も元通りになっていた。
「乙女の顔を躊躇なく殴るなんて酷い男だ。おまけに腕を折るなんて」
「嘘だろ…… なんで……」
黒崖の鼻を殴り潰した手応えはあった。
腕をへし折ったときの感触も残っている。
なのに、黒崖は無傷だった。
いや、傷が無くなっていた。
(なんで傷が…… まさか……)
すると、鋼鉄虫の下から呻き声が聞こえた。
嫌な予感に冷や汗が流れる。
「なぁベル、酷いとは思わないかい?」
「なんで…… ベル!?」
鋼鉄虫がベルの上から退くと、そこには痛々しい姿をしたベルがいた。
「ベル!!」
ベルの鼻は潰れ、右腕はあり得ない方向に曲がっている。
マサトの動揺を見て笑う黒崖。
「可哀相に。綺麗な顔が台無しだ」
(黒崖に与えた傷がベルに…… くそ…… マジかよ…… 最悪な展開だ……)
状況を把握したマサトへ、黒崖が取り引きを持ちかけた。
「その娘を解放する代わりに、お前が人質になれ。そうすれば、その娘は見逃してやる」
(なんだよそれ…… ふざけんな。そんなの信用できるわけがねえ。ど、どうする? 一か八か神の激怒で…… い、いやいや、ベルが近くにいる状況での試し撃ちは危険過ぎる。火の玉も駄目だ。後は…… 後は…… 解呪で相手の能力を、いや、ここはベルにかけられた能力を消すのが正解か? あ、あれ? あいつどこに……)
考え事によって注意が散漫としていた隙をつかれ、いつの間にか黒崖を見失ってしまう。
その直後、突如現れた大鎌に、マサトの反応が僅かに遅れた。
(し、しまった!)
大鎌がマサトの足を刈り取ろうと迫る。
「ハハハッ!!」
「くっ!?」
紅い剣線が曲線を描き――
(躱せな……)
次の刹那、目の前で無色透明の何かが弾けた。
途端に視界から姿を消した黒崖。
(な、なんだ!?)
急いで周囲を見回すと、左へと吹き飛んでいく黒崖を捉えることができた。
そう――、吹き飛ばされたのはマサトの足ではなく、黒崖自身だった。
地面を転がりつつ、体勢をすぐさま立て直してこちらを睨み付ける黒崖。
その視線の先には、白い服に身を包んだ男が立っていた。
「……どういうつもりだ、パークス」
「マサトの加勢に来ました」
「加勢する相手が間違っているようだが?」
「間違ってはいません。今回はあなたではなく、マサトへの加勢です。私は後家蜘蛛から手を引きます」
「手を引くだと? それを許すとでも思っているのか?」
「あなたが許さなくとも、彼が勝てば結果的にそうなるでしょう」
「私が負ける? 正気か?」
「はい。あなたは負けます。彼には勝てません」
「ハハハ、どうやらまだ洗脳されているらしい」
「そうかもしれませんね」
黒崖と会話をしながら、パークスがこちらへ向かって歩いてくる。
そして、隣までやってくると、視線は黒崖へ向けたまま話し掛けてきた。
「黒崖は、傷を他の者に移すことができます。ただし、予め印を仕込んだ相手限定ですが」
「傷を移す…… 印……」
「後家蜘蛛の構成員は、黒崖の傘下に入る際、全員がその印を身体に焼き付けます」
「ま、待て待て、そうなると、攻撃はベル含めてここにいる構成員全て殺さないと効かないってことになるよな!?」
「ええ。その上、黒崖はどういう原理か、魔法も効きません」
「じゃ、弱点は」
「黒崖の身代わり含め、全員殺すことですが…… この空間の中では、それすらも困難でしょう。彼女は自身が創り出した異空間の中に、大量の身代わりを用意しています。勿論、この空間も彼女の能力で創り出された巨大な異空間です」
「そんな……」
「ですが、あなたなら、それらを全て無視して決着をつけることが可能なはず。神の力を持つあなたなら」
「お、おいおい、ベルを含めて皆殺しにしろと!?」
「最悪の事態になれば、その覚悟も必要でしょう。ですが、黒崖が力を使う隙すら与えず、一瞬で消滅させることが出来れば、あるいは可能かもしれません」
「一瞬……」
「これを渡しておきます。灰色から取り返しておきました」
パークスから心繋の宝剣を受け取る。
「これは……」
「では私はこれで」
「お、おい」
「これで借りは返しました」
「借り?」
「ティー公爵のこの街を救ってくれたことには、感謝しています。では」
「あ、ま、待て!」
マサトの言葉を聞かず、目の前からすうっと消えるパークス。
(この世界の人間は、簡単に姿消せ過ぎだろう! どうやってんの!?)
「パークスめ…… 恩を仇で返すとは…… で、貴様の答えは決まったか?」
(ど、どうする!? 物理も魔法も効かない相手への対処…… MEだと何がある? 何が……)
物理攻撃無効や魔法攻撃無効の強力な能力は、優秀なモンスターにはよくある能力だ。
その場合の対処は、直接ダメージではなく、付与魔法による無力化や除去魔法が一般的になる。
手持ちのデッキに弱体化のカードはない。
だが――
(和平の心がまだ残ってる! これで奴を無力化すれば!)
それには近付く必要がある。
魔法には “弾速” という概念があり、状態異常系の付与魔法ほど、弾速が遅くなるという設定を知っていたからだ。
和平の心は残り一枚。
失敗はできない。
確実に当てるには、対象と接触した状態で行使するしかないだろう。
だが、あの鞭や大鎌を受けるわけにもいかなかった。
(鞭も危険だが、あの大鎌…… あれも怖いな…… 見るからに厄介そうな能力をもっていそうなデザインだし……)
先ほどから、黒崖の持つ大鎌が、死体から浮き出る光を吸収し続けている。
(あれマナだよな…… 死んだ者のマナを吸収して強化される系の武器か? 全力の灼熱の火鞭も切断されそうになったし、食らったら致命傷になる危険もあるかもしれないな……)
この隙にとステータスを確認する。
<ステータス>
紋章Lv25
ライフ 25/44
攻撃力 99
防御力 5
マナ : (虹×7)(赤×3086)(緑×99)
加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護
 炎の翼
 火の加護
装備 : 心繋の宝剣 +99/+0
補正:自身の初期ライフ2倍
+2/+2の修整
召喚マナ限界突破11
火魔法攻撃Lv2
飛行
*猛毒カウンター1 → 5
*神経毒カウンター1
ライフがごっそり減り、猛毒カウンターも5まで増えている。
恐らく背赤の鞭を受けたときだろう。
視界が赤くなったのも、猛毒が5溜まった影響かもしれない。
(思い出した…… 猛毒カウンターは、5の倍数で蓄積した際に、それぞれカウンター蓄積分の追加ダメージを受けるんだ! ってことは、次、10まで溜まったらライフが10減る…… 心臓の紋章じゃなきゃその前に死んでたな…… 紋章に感謝だ……)
虹マナが残り7。
ギリギリだが、やるしかないだろう。
「その顔は、まだ諦めていないということか。ならばこれで目を覚ましてやる」
黒崖が自身の左腕を伸ばすと、隣にいた背赤がそれを斬り落とした。
「なっ!?」
だが、次の瞬間には、落とされたはずの左腕が復活していた。
「きゃぁあああ」
足元からあがる悲鳴。
ベルを見ると、左腕が切り離され、真っ赤な血飛沫をあげていた。
「ベル!? や、やめろ!!」
「その娘の両腕は使い物にならなくなってしまったな。これも貴様が早く決断しないせいだ」
「何だと……」
「何だ? まだ理解できないのか? それとも、仲間の娘が傷付くのを見て、実は楽しんでいるのか?」
「……ふざけんな」
「次はどこを斬り落とそうか。鼻は既に潰れているから…… そうだな。耳か、足か、それとも、乳房とかでも面白いかもしれないな」
「……いい加減にしろよ」
黒崖を睨みつける。
こいつは許せない。
「本当に頭の悪い男だ。まだ自分の置かれた立場が理解できないのか」
黒崖が、鎌の先を耳に差し込む。
すると、ベルが更に甲高い悲鳴をあげてのたうち回った。
「やめろぉお!!」
「ハハハハハッ!!」
「ちぃっ!《 天への捧げ物 》!!」
[C] 天への捧げ物 (白×2)
[遺物除去回復Lv1]
対象の魔導具を除去し、その対象の召喚コストであるマナ分だけ、自身のライフを回復できる簡易魔法だ。
この魔法の弾速については賭けだったが、どうやら賭けには勝ったようだった。
詠唱直後、白い粒子の線が高速で黒崖の持っていた大鎌へと走り――その光が大鎌に届くや否や、まるでシャボン玉が割れるかのように、パァンッと光の粒子となって霧散した。
身体の芯が温かくなり、痛みが和らいでいく。
恐らく、天への捧げ物の効果でライフが回復したのだろう。
「何っ!? 貴様! 何をした!?」
黒崖が突然消えた大鎌に驚く。
勝負は一瞬。
黒崖が自分の手で命を絶つ前に、この世から消し去るのみ。
宝剣をしまい、背中へ意識を集中。
腰を屈め、右手を床につき、前方にいる黒崖を見据える。
アメフトで身に付けた、敵へ突っ込む為だけに集中できる最適な構え――スリーポイントスタンスだ。
準備は整った。
(……よし)
適度に息を吸い込み、止め、腹に力を込める。
後は全力で突っ込むのみ――
(いけぇええええええ!!)
――キィィィイイイイイイインンンン
永遠の蜃気楼の大咆哮が、その空間全ての空気を震わせた。
空気振動により光の屈折率が変わり、視界に映る世界が歪む。
その大咆哮を合図に、マサトの背中から、まるで戦闘機のジェットエンジンかのような火柱が噴き出した。
青白い火柱と轟音を轟かせたのは、マサトが自身に付与した付与魔法――炎の翼だ。
その推進力をバネに、黒崖目掛けて超加速で突っ込んでいく。
マサトの頬が、超加速による空圧で何本もの皺を作る。
一方で、黒崖は大咆哮による硬直状態から瞬時に抜け出せないでいた。
黒崖との距離が、みるみるうちに詰まっていく。
黒崖の顔が近付くにつれ、その瞳が驚きで徐々に見開かれていくのが見える。
時間としては本の数秒。
もしかしたら、十分の一秒の世界だったかもしれない。
その一瞬をスローモーションに感じながら、マサトは顔を少し左へ倒し、両腕を広げた。
右肩で黒崖を受けるために。
それは日頃アメフト練習で身に付けた、自然な動作だった。
黒崖と背赤は、大咆哮の硬直からまだ復帰出来ていない。
そこへ、背中から大量の火柱を噴射させたマサトが、猛スピードで突っ込む。
マサトの肩が黒崖の腹に食い込み、黒崖の身体がくの字に折れ曲がる。
黒崖の口から、「ぐぅっ」という呻きが微かに溢れた。
黒崖との距離はゼロ。
この距離なら、魔法の回避は不可能。
「これで大人しくしてろ!《 和平の心 》!!」
瞬時にマサトと黒崖が光の粒子に包まれ――
そして――
霧散した。
目の前に浮かぶシステムメッセージ。
『和平の心は、[幻術耐性:大] の効果によって抵抗されました』
『この判定により、[幻術耐性:大] は消失します』
「えっ!?」
まさかの抵抗。
耐性という概念はMEで聞いたことはなかったし、抵抗されるとも思っていなかった。
動揺するマサトと、自身の異変に気付き、危機感を抱く黒崖。
(ま、まずい、ぶつかる!)
このまま部屋の端に激突させると、黒崖の身体が破裂しかねない。
そうなれば、ベルが死ぬ恐れがある。
それだけは避けなければいけない。
炎の翼を大きく広げ減速しつつ、急上昇して激突を回避する。
永遠の蜃気楼の大咆哮と、過度の重量から解放された黒崖が、その隙をついて暴れ始めた。
「貴様何をした!?」
「馬鹿暴れんな!」
「貴様ぁあ! 死ねぇっ!!」
背中に刺すような痛みが走る。
「痛ぇえ!?」
思わず上空で黒崖を離してしまう。
「ハハハハハ!!」
緑色の鱗粉が舞い散る血の付いた短剣を手に持ち、笑いながら落ちていく黒崖。
受け身を取ろうとする気配は感じられない。
「くそっ! あの野郎わざと!!」
高所からの落下は、即ベルの死へと繋がる。
今度は真下へ向けて急加速するマサト。
「くそっくそっくそっ! 間に合えっ!!」
近付く黒崖と地面。
黒崖は追ってくるマサトを見て、その顔に狂気の笑顔を浮かべた。
手には先ほどとは違う青色の短剣――刀身が海月の触手のように無数に連なった剣を持ち、追ってくるマサトを待ち構えている。
「何度でも刺しやがれぇっ! 全部受けてやんぞおらぁっ!!」
大声で啖呵を切ることで、自身の恐怖を心の底へ押し込む。
刃物を持ち、狂気的な笑みを浮かべ、身体を滅多刺しにしてくる女へ向かっていくのだ。
怖くないわけがない。
「うぉおおおおおお!!」
「アハハハハハハハ!!」
狂気的な笑みを浮かべた黒崖へ迫る。
自身へと迫ってくるマサトへ向けて、黒崖も手に持った短剣を突き出そうと動く。
だが、マサトの手から放たれたそれが、黒崖の動きを止めさせた。
「《 ショックボルト 》!!」
「ぐっ!?」
一瞬の硬直。
だが、今のマサトにはそれで十分だった。
すかさず黒崖に組みつき――
そのまま急減速。
過度のGが身体を襲う。
すると、ショックボルトの硬直から復帰した黒崖が、「死ね死ね死ねぇええ!」と叫びながら再びマサトの背中を滅多刺しし始めた。
「い、痛ぇええ!!」
殺そうにも殺せない。
だが、このままでは殺される。
(どうすれば!? どうすればいい!?)
焦るマサト。
その間も、背中に激突が走り続ける。
(まずい!? 身体が……)
全身を激しい痺れが走り、黒崖を掴む腕が緩んでしまう。
「アハハハハハハ!!」
黒崖がマサトの拘束から逃れ、肩に担がれた体勢から、マサトの正面へと上体を戻した。
そして、血走った眼をこぼれ落ちそうになるくらい大きく見開き、刀身が海月の触手のように無数に生えた短剣を、血糊を撒き散らしながら振りかぶる。
左手でマサトの顎を掴み、差し向けた短剣の切っ先は、マサトの額中央――脳天を捉えていた。
黒崖の紅く光る瞳と視線が交差する。
(や、殺られる!?)
「死ねぇえええええええ!!」
黒崖の短剣がマサトへと迫った。
悩んでいる暇はない。
今、黒崖を殺さなければ、自分が殺される。
死への危機感が、マサトを決断させた。
「くそがぁああああ! 《 神の激怒 》!!」
その刹那、世界が消えた。
否、真っ白な閃光とともに、音が消え去った。
無音。
静寂。
一面真っ白で何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
浮いているのか、落ちているのかすらも分からない。
身体全ての感覚が狂っている。
ふと、耳が、微かにキーーーンという音を拾い始めた。
そして、顔や手足に少しずつ感覚が戻り始める。
(ま、間に合ったのか!? あ、お、落ちてる!?)
急速に光が収束し、辺りを暗闇が支配した。
いや、過度な光に照らされた影響で、暗闇に目が慣れていないだけのようだ。
身体に感じる重力だけを頼りに、炎の翼で減速を試みるも、あまり上手くいかない。
身体の感覚が完全に戻りきっていないのか、手足が上手く動かないのだ。
(ま、まずい、このままじゃ……)
上手く減速できず、そのまま落下していくマサト。
だが、そんなマサトを再び白い光――いや、白い靄が包み込んだ。
永遠の蜃気楼だ。
「た、助かった」
そのまま永遠の蜃気楼に包まれたまま、地面へと降り立つ。
だが、上手く立てず、地面に転がってしまう。
「な、なんだ!? どうなってる!? あ、ステータス!!」
急いでステータスを開く。
<ステータス>
紋章Lv25
ライフ 22/44
攻撃力 99
防御力 5
マナ : (赤×3085)(緑×99)
加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護
 炎の翼
 火の加護
装備 : 心繋の宝剣 +99/+0
補正:自身の初期ライフ2倍
+2/+2の修整
召喚マナ限界突破11
火魔法攻撃Lv2
飛行
身体麻痺Lv5 New
*猛毒カウンター5
*神経毒カウンター1 → 9
*腐毒カウンター3 New
ライフが半分のところまで減り、毒カウンターが色々増えていた。
新たに付与された身体麻痺Lv5の補正。
恐らく神経毒カウンターの効果でついたものだろう。
(身体が上手く動かないのはこのせいか! あの女が持ってた気色の悪い短剣、やっぱり毒かよ!)
「そ、それよりもベルは!? ベル!!」
マサトが地面に這い蹲りながら周囲を見渡すと、鋼鉄虫が動き、鋼鉄虫の群の中からベルが姿を現した。
「ベ、ベル!!」
地面を這いながらベルへと近付く。
ベルは光のない灰色の瞳を開けたまま、血溜まりの上でぐったりとしていた。
右腕はあらぬ方向へ折れ曲り、左腕は切断されている。
鼻は潰れ、半開きになった口からは、前歯が折れてなくなっているのが分かった。
血溜まりの上をびちゃびちゃと音を立てながら、構わず這って移動するマサト。
ベルの悲痛な姿に胸が締め付けられ、無意識に「ごめん、ごめん」と声が漏れた。
視界は涙で歪み、俺のせいでという罪悪感が、腹の底をキツく締め上げる。
「こんな辛い思いさせてごめんな…… 今、治してやるから……」
マサトは卯の花色のダイアモンドを二つ取り出すと、迷わず詠唱を開始した。
「《 白妙の秘薬 》」
片方の卯の花色のダイアモンドが、白い光の粒子を大量に溢れさせながら砕け散る。
代わりに現れた純白の秘薬を持ち、ベルをそっと抱き寄せ、秘薬を口へ垂らす。
すると、ベルの身体が純白の光に包まれた。
(頼む! これで全快してくれ!!)
マサトが目を開けると、そこには出会った頃と変わらない――容姿の整ったベルが、愛らしい寝顔をしながら寝息をたてていた。
「よ、良かった…… 腕も鼻も…… よし、歯もちゃんと元に戻ってる……」
ベルがゆっくりと瞳を開ける。
その瞳は、以前の綺麗な空色ではなく、淀んだ灰色のままだった。
目を開けたベルが、再び呻き声とともにマサトへ飛びかかろうとする。
「やっぱり洗脳は解けないか…… なら、これで…… 《 解呪 》」
もう一つの卯の花色のダイアモンドが砕け散ると、白い光の帯がベルを包み込んだ。
その光に体を震わせ、呻くベル。
身体の震えが止まると、ベルは力なく倒れた。
「……ベル、大丈夫?」
再びゆっくりと目を覚ますベル。
「マサト…… マサトぉ!」
空色の瞳に涙を溢れさせ、ベルはマサトへ抱き着いた。
「ごめん、ごめんね…… 全部、全部見てたよ…… でも身体がいうことを聞かなくて…… それで……」
時折、嗚咽を漏らしながら、仕切りに謝り続けるベル。
そんなベルを、マサトは上手く動かない身体を必死に動かしながら、精一杯優しく背中を摩る。
「俺もごめん。酷い目に合わせて」
「うううん、あれはわたしのせいだから…… 自業自得だから…… だから、マサトは謝らないで……」
「でも……」
「お願い…… そうじゃないと…… わたし…… わたし……」
「分かった。じゃあ、お互い様だ。一人で全て背負うのは辛いからね。俺とベルで半分ずつ。それでいい?」
「マサト…… ありがと」
「帰ろう。皆が心配してる」
「うん」
ベルに肩を貸してもらいながら立ち上がると、背赤達が周囲を囲っていた。
「永遠の蜃気楼、ありがとな。守ってくれて」
「キゥィイイイン」
永遠の蜃気楼がマサトの言葉に応えて鳴いた。
「あ、勿論、お前達もな」
「キシキシキシ」
七匹の鋼鉄虫も皆健在だ。
帰りは鋼鉄虫に乗って移動しようかなと考えていると、空中から一つの黒い光がゆらゆらと舞い降り、マサトの胸へと吸い込まれていった。
『黒崖のカードを獲得しました』
マサトがそのシステメッセージに驚愕していると、部屋全体がゴゴゴゴと音を立てながら崩壊し始めたのだった。
電気ショックを受けた患者のように、黒崖の身体がビクッと硬直しながら後ろに仰け反る。
目を見開き、身体を貫いた閃光に驚く黒崖。
だが、次の瞬間には、マサトを見てニヤリと微笑んだ。
(お、おいおいおい! ショックボルト効かないのかよ!?)
再び駆け出そうと一歩を踏み出した黒崖に、すかさずもう一発、ショックボルトを撃ち込む。
「ぐっ…… ハハハッ! 何度やっても無駄だ!!」
(マジで!? どうなってんだよ!?)
ショックボルトが効かないことに焦る。
一瞬の足止めにしかならなかった。
すると、立ち止まった黒崖を追い越すようにして、背赤とその部下達が左右から迫った。
「くそっ! 大鎌に鞭に物騒過ぎんだろ!!」
焦りながらも、応戦するために両手に武器を作り出す。
「《 灼熱の火鞭 》!!」
両手に勢いよく紅色の粒子が舞い上がり、極太の火鞭が、火花を撒き散らしながら具現化する。
その二本の火鞭を振るい、迫る背赤達を追い払う。
火鞭に巻き込まれた何人かが、その身を炎で焼かれ、声を上げずにのたうちまわる。
だが、全てを迎撃するには、マサトのPSが足りなかった。
上手く火鞭を躱した二人が、マサトへと肉薄する。
だが――
「躱されると思ってたよ!!」
マサトは、自身の技量を理解した上で、次の一手を考えていた。
接近してきた敵へ、素早い動きで背を向ける。
そして――
「喰らぇえええ!!」
ボボボと轟音が轟き、紅色の二つの火柱が、マサトへ迫った二人を火達磨にしながら押し飛ばした。
(やったか!?)
そう思って炎の中を見たマサトの視界に、火柱の中を突き進む黒い何かが映った。
「なっ!? 無茶苦茶だろ!?」
急いで正面へと向き直ると、大鎌を振りかぶった黒崖がすぐ目の前まで迫ってきていた。
「ハハハッ! その程度か!?」
真紅に輝く大鎌が、紅い剣線を帯びながら振り下ろされる。
「ぐっ!? 危ねぇ!?」
迫る大鎌。
それを、すかさず二本の火鞭をクロスさせて受け止める。
大鎌の刃と、火鞭の熱線が交わり、その接点から大量の火花が噴き出した。
二人の周囲には、二人を中心とした円を描くように炎が走り、そのまま竜巻状に舞い上がった。
「どうした? さっきまでの勢いは!?」
「や、やべっ!?」
炎の竜巻の中心で、鍔迫り合いを繰り広げる二人。
火鞭から舞い上がる火花は止まるどころか、より激しさを増していく。
それは、まるで鎌に火鞭が削り取られていくような光景だった。
「ハハハッ! 私の魂刈りの大鎌に斬れぬものはない!!」
「く、くそっ!!」
黒崖が鎌を押し込もうと体重をかける。
鍔迫り合いの継続に危険を感じたマサトは、火鞭を爆発させる形で自ら掻き消すと、爆発の反動で黒崖を少し後退させた。
「おらぁっ!」
「何っ!?」
その隙に上半身を素早く屈め、黒崖の腰へとタックルをかけた。
炎の竜巻を突き破るようにして、地面へと押し倒される黒崖。
「ぐは!?」
今度は黒崖が驚く番だった。
馬乗りにされた黒崖が目を見開く。
マサトはタックルの勢いのまま、地面に押し倒した黒崖へ、グラウンドポジションから殴打を繰り出した。
「よせ、やめ――」
「――シッ!」
マサトの拳が黒崖を襲う。
一発目で鼻が潰れ。
二発目で歯が飛び。
三発目の拳を繰り出す前に、黒崖は堪らず手を伸ばした。
マサトは、その腕を取り、流れるような動きで腕挫十字固へ体勢を移す。
「ぐぶっ…… き、きざ……ま……」
そのまま腕をへし折る。
「ぐあっ!?」
ボギッと鈍い音が響き、黒崖が短い悲鳴をあげた。
黒崖を助けようと、背赤達が再び動き出す。
(……これ以上は危険だ)
黒崖を解放して後退する。
背赤達は、地面に倒された黒崖を庇うように陣形を組み、こちらの様子を窺っていた。
(打撃が効くならやりようは…… っておいおい…… 何で……)
目の前の光景に驚く。
背赤に庇われた黒崖が、何事もなかったかのように立ち上がったのだ。
その顔に傷はなく、折ったはずの右腕も元通りになっていた。
「乙女の顔を躊躇なく殴るなんて酷い男だ。おまけに腕を折るなんて」
「嘘だろ…… なんで……」
黒崖の鼻を殴り潰した手応えはあった。
腕をへし折ったときの感触も残っている。
なのに、黒崖は無傷だった。
いや、傷が無くなっていた。
(なんで傷が…… まさか……)
すると、鋼鉄虫の下から呻き声が聞こえた。
嫌な予感に冷や汗が流れる。
「なぁベル、酷いとは思わないかい?」
「なんで…… ベル!?」
鋼鉄虫がベルの上から退くと、そこには痛々しい姿をしたベルがいた。
「ベル!!」
ベルの鼻は潰れ、右腕はあり得ない方向に曲がっている。
マサトの動揺を見て笑う黒崖。
「可哀相に。綺麗な顔が台無しだ」
(黒崖に与えた傷がベルに…… くそ…… マジかよ…… 最悪な展開だ……)
状況を把握したマサトへ、黒崖が取り引きを持ちかけた。
「その娘を解放する代わりに、お前が人質になれ。そうすれば、その娘は見逃してやる」
(なんだよそれ…… ふざけんな。そんなの信用できるわけがねえ。ど、どうする? 一か八か神の激怒で…… い、いやいや、ベルが近くにいる状況での試し撃ちは危険過ぎる。火の玉も駄目だ。後は…… 後は…… 解呪で相手の能力を、いや、ここはベルにかけられた能力を消すのが正解か? あ、あれ? あいつどこに……)
考え事によって注意が散漫としていた隙をつかれ、いつの間にか黒崖を見失ってしまう。
その直後、突如現れた大鎌に、マサトの反応が僅かに遅れた。
(し、しまった!)
大鎌がマサトの足を刈り取ろうと迫る。
「ハハハッ!!」
「くっ!?」
紅い剣線が曲線を描き――
(躱せな……)
次の刹那、目の前で無色透明の何かが弾けた。
途端に視界から姿を消した黒崖。
(な、なんだ!?)
急いで周囲を見回すと、左へと吹き飛んでいく黒崖を捉えることができた。
そう――、吹き飛ばされたのはマサトの足ではなく、黒崖自身だった。
地面を転がりつつ、体勢をすぐさま立て直してこちらを睨み付ける黒崖。
その視線の先には、白い服に身を包んだ男が立っていた。
「……どういうつもりだ、パークス」
「マサトの加勢に来ました」
「加勢する相手が間違っているようだが?」
「間違ってはいません。今回はあなたではなく、マサトへの加勢です。私は後家蜘蛛から手を引きます」
「手を引くだと? それを許すとでも思っているのか?」
「あなたが許さなくとも、彼が勝てば結果的にそうなるでしょう」
「私が負ける? 正気か?」
「はい。あなたは負けます。彼には勝てません」
「ハハハ、どうやらまだ洗脳されているらしい」
「そうかもしれませんね」
黒崖と会話をしながら、パークスがこちらへ向かって歩いてくる。
そして、隣までやってくると、視線は黒崖へ向けたまま話し掛けてきた。
「黒崖は、傷を他の者に移すことができます。ただし、予め印を仕込んだ相手限定ですが」
「傷を移す…… 印……」
「後家蜘蛛の構成員は、黒崖の傘下に入る際、全員がその印を身体に焼き付けます」
「ま、待て待て、そうなると、攻撃はベル含めてここにいる構成員全て殺さないと効かないってことになるよな!?」
「ええ。その上、黒崖はどういう原理か、魔法も効きません」
「じゃ、弱点は」
「黒崖の身代わり含め、全員殺すことですが…… この空間の中では、それすらも困難でしょう。彼女は自身が創り出した異空間の中に、大量の身代わりを用意しています。勿論、この空間も彼女の能力で創り出された巨大な異空間です」
「そんな……」
「ですが、あなたなら、それらを全て無視して決着をつけることが可能なはず。神の力を持つあなたなら」
「お、おいおい、ベルを含めて皆殺しにしろと!?」
「最悪の事態になれば、その覚悟も必要でしょう。ですが、黒崖が力を使う隙すら与えず、一瞬で消滅させることが出来れば、あるいは可能かもしれません」
「一瞬……」
「これを渡しておきます。灰色から取り返しておきました」
パークスから心繋の宝剣を受け取る。
「これは……」
「では私はこれで」
「お、おい」
「これで借りは返しました」
「借り?」
「ティー公爵のこの街を救ってくれたことには、感謝しています。では」
「あ、ま、待て!」
マサトの言葉を聞かず、目の前からすうっと消えるパークス。
(この世界の人間は、簡単に姿消せ過ぎだろう! どうやってんの!?)
「パークスめ…… 恩を仇で返すとは…… で、貴様の答えは決まったか?」
(ど、どうする!? 物理も魔法も効かない相手への対処…… MEだと何がある? 何が……)
物理攻撃無効や魔法攻撃無効の強力な能力は、優秀なモンスターにはよくある能力だ。
その場合の対処は、直接ダメージではなく、付与魔法による無力化や除去魔法が一般的になる。
手持ちのデッキに弱体化のカードはない。
だが――
(和平の心がまだ残ってる! これで奴を無力化すれば!)
それには近付く必要がある。
魔法には “弾速” という概念があり、状態異常系の付与魔法ほど、弾速が遅くなるという設定を知っていたからだ。
和平の心は残り一枚。
失敗はできない。
確実に当てるには、対象と接触した状態で行使するしかないだろう。
だが、あの鞭や大鎌を受けるわけにもいかなかった。
(鞭も危険だが、あの大鎌…… あれも怖いな…… 見るからに厄介そうな能力をもっていそうなデザインだし……)
先ほどから、黒崖の持つ大鎌が、死体から浮き出る光を吸収し続けている。
(あれマナだよな…… 死んだ者のマナを吸収して強化される系の武器か? 全力の灼熱の火鞭も切断されそうになったし、食らったら致命傷になる危険もあるかもしれないな……)
この隙にとステータスを確認する。
<ステータス>
紋章Lv25
ライフ 25/44
攻撃力 99
防御力 5
マナ : (虹×7)(赤×3086)(緑×99)
加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護
 炎の翼
 火の加護
装備 : 心繋の宝剣 +99/+0
補正:自身の初期ライフ2倍
+2/+2の修整
召喚マナ限界突破11
火魔法攻撃Lv2
飛行
*猛毒カウンター1 → 5
*神経毒カウンター1
ライフがごっそり減り、猛毒カウンターも5まで増えている。
恐らく背赤の鞭を受けたときだろう。
視界が赤くなったのも、猛毒が5溜まった影響かもしれない。
(思い出した…… 猛毒カウンターは、5の倍数で蓄積した際に、それぞれカウンター蓄積分の追加ダメージを受けるんだ! ってことは、次、10まで溜まったらライフが10減る…… 心臓の紋章じゃなきゃその前に死んでたな…… 紋章に感謝だ……)
虹マナが残り7。
ギリギリだが、やるしかないだろう。
「その顔は、まだ諦めていないということか。ならばこれで目を覚ましてやる」
黒崖が自身の左腕を伸ばすと、隣にいた背赤がそれを斬り落とした。
「なっ!?」
だが、次の瞬間には、落とされたはずの左腕が復活していた。
「きゃぁあああ」
足元からあがる悲鳴。
ベルを見ると、左腕が切り離され、真っ赤な血飛沫をあげていた。
「ベル!? や、やめろ!!」
「その娘の両腕は使い物にならなくなってしまったな。これも貴様が早く決断しないせいだ」
「何だと……」
「何だ? まだ理解できないのか? それとも、仲間の娘が傷付くのを見て、実は楽しんでいるのか?」
「……ふざけんな」
「次はどこを斬り落とそうか。鼻は既に潰れているから…… そうだな。耳か、足か、それとも、乳房とかでも面白いかもしれないな」
「……いい加減にしろよ」
黒崖を睨みつける。
こいつは許せない。
「本当に頭の悪い男だ。まだ自分の置かれた立場が理解できないのか」
黒崖が、鎌の先を耳に差し込む。
すると、ベルが更に甲高い悲鳴をあげてのたうち回った。
「やめろぉお!!」
「ハハハハハッ!!」
「ちぃっ!《 天への捧げ物 》!!」
[C] 天への捧げ物 (白×2)
[遺物除去回復Lv1]
対象の魔導具を除去し、その対象の召喚コストであるマナ分だけ、自身のライフを回復できる簡易魔法だ。
この魔法の弾速については賭けだったが、どうやら賭けには勝ったようだった。
詠唱直後、白い粒子の線が高速で黒崖の持っていた大鎌へと走り――その光が大鎌に届くや否や、まるでシャボン玉が割れるかのように、パァンッと光の粒子となって霧散した。
身体の芯が温かくなり、痛みが和らいでいく。
恐らく、天への捧げ物の効果でライフが回復したのだろう。
「何っ!? 貴様! 何をした!?」
黒崖が突然消えた大鎌に驚く。
勝負は一瞬。
黒崖が自分の手で命を絶つ前に、この世から消し去るのみ。
宝剣をしまい、背中へ意識を集中。
腰を屈め、右手を床につき、前方にいる黒崖を見据える。
アメフトで身に付けた、敵へ突っ込む為だけに集中できる最適な構え――スリーポイントスタンスだ。
準備は整った。
(……よし)
適度に息を吸い込み、止め、腹に力を込める。
後は全力で突っ込むのみ――
(いけぇええええええ!!)
――キィィィイイイイイイインンンン
永遠の蜃気楼の大咆哮が、その空間全ての空気を震わせた。
空気振動により光の屈折率が変わり、視界に映る世界が歪む。
その大咆哮を合図に、マサトの背中から、まるで戦闘機のジェットエンジンかのような火柱が噴き出した。
青白い火柱と轟音を轟かせたのは、マサトが自身に付与した付与魔法――炎の翼だ。
その推進力をバネに、黒崖目掛けて超加速で突っ込んでいく。
マサトの頬が、超加速による空圧で何本もの皺を作る。
一方で、黒崖は大咆哮による硬直状態から瞬時に抜け出せないでいた。
黒崖との距離が、みるみるうちに詰まっていく。
黒崖の顔が近付くにつれ、その瞳が驚きで徐々に見開かれていくのが見える。
時間としては本の数秒。
もしかしたら、十分の一秒の世界だったかもしれない。
その一瞬をスローモーションに感じながら、マサトは顔を少し左へ倒し、両腕を広げた。
右肩で黒崖を受けるために。
それは日頃アメフト練習で身に付けた、自然な動作だった。
黒崖と背赤は、大咆哮の硬直からまだ復帰出来ていない。
そこへ、背中から大量の火柱を噴射させたマサトが、猛スピードで突っ込む。
マサトの肩が黒崖の腹に食い込み、黒崖の身体がくの字に折れ曲がる。
黒崖の口から、「ぐぅっ」という呻きが微かに溢れた。
黒崖との距離はゼロ。
この距離なら、魔法の回避は不可能。
「これで大人しくしてろ!《 和平の心 》!!」
瞬時にマサトと黒崖が光の粒子に包まれ――
そして――
霧散した。
目の前に浮かぶシステムメッセージ。
『和平の心は、[幻術耐性:大] の効果によって抵抗されました』
『この判定により、[幻術耐性:大] は消失します』
「えっ!?」
まさかの抵抗。
耐性という概念はMEで聞いたことはなかったし、抵抗されるとも思っていなかった。
動揺するマサトと、自身の異変に気付き、危機感を抱く黒崖。
(ま、まずい、ぶつかる!)
このまま部屋の端に激突させると、黒崖の身体が破裂しかねない。
そうなれば、ベルが死ぬ恐れがある。
それだけは避けなければいけない。
炎の翼を大きく広げ減速しつつ、急上昇して激突を回避する。
永遠の蜃気楼の大咆哮と、過度の重量から解放された黒崖が、その隙をついて暴れ始めた。
「貴様何をした!?」
「馬鹿暴れんな!」
「貴様ぁあ! 死ねぇっ!!」
背中に刺すような痛みが走る。
「痛ぇえ!?」
思わず上空で黒崖を離してしまう。
「ハハハハハ!!」
緑色の鱗粉が舞い散る血の付いた短剣を手に持ち、笑いながら落ちていく黒崖。
受け身を取ろうとする気配は感じられない。
「くそっ! あの野郎わざと!!」
高所からの落下は、即ベルの死へと繋がる。
今度は真下へ向けて急加速するマサト。
「くそっくそっくそっ! 間に合えっ!!」
近付く黒崖と地面。
黒崖は追ってくるマサトを見て、その顔に狂気の笑顔を浮かべた。
手には先ほどとは違う青色の短剣――刀身が海月の触手のように無数に連なった剣を持ち、追ってくるマサトを待ち構えている。
「何度でも刺しやがれぇっ! 全部受けてやんぞおらぁっ!!」
大声で啖呵を切ることで、自身の恐怖を心の底へ押し込む。
刃物を持ち、狂気的な笑みを浮かべ、身体を滅多刺しにしてくる女へ向かっていくのだ。
怖くないわけがない。
「うぉおおおおおお!!」
「アハハハハハハハ!!」
狂気的な笑みを浮かべた黒崖へ迫る。
自身へと迫ってくるマサトへ向けて、黒崖も手に持った短剣を突き出そうと動く。
だが、マサトの手から放たれたそれが、黒崖の動きを止めさせた。
「《 ショックボルト 》!!」
「ぐっ!?」
一瞬の硬直。
だが、今のマサトにはそれで十分だった。
すかさず黒崖に組みつき――
そのまま急減速。
過度のGが身体を襲う。
すると、ショックボルトの硬直から復帰した黒崖が、「死ね死ね死ねぇええ!」と叫びながら再びマサトの背中を滅多刺しし始めた。
「い、痛ぇええ!!」
殺そうにも殺せない。
だが、このままでは殺される。
(どうすれば!? どうすればいい!?)
焦るマサト。
その間も、背中に激突が走り続ける。
(まずい!? 身体が……)
全身を激しい痺れが走り、黒崖を掴む腕が緩んでしまう。
「アハハハハハハ!!」
黒崖がマサトの拘束から逃れ、肩に担がれた体勢から、マサトの正面へと上体を戻した。
そして、血走った眼をこぼれ落ちそうになるくらい大きく見開き、刀身が海月の触手のように無数に生えた短剣を、血糊を撒き散らしながら振りかぶる。
左手でマサトの顎を掴み、差し向けた短剣の切っ先は、マサトの額中央――脳天を捉えていた。
黒崖の紅く光る瞳と視線が交差する。
(や、殺られる!?)
「死ねぇえええええええ!!」
黒崖の短剣がマサトへと迫った。
悩んでいる暇はない。
今、黒崖を殺さなければ、自分が殺される。
死への危機感が、マサトを決断させた。
「くそがぁああああ! 《 神の激怒 》!!」
その刹那、世界が消えた。
否、真っ白な閃光とともに、音が消え去った。
無音。
静寂。
一面真っ白で何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
浮いているのか、落ちているのかすらも分からない。
身体全ての感覚が狂っている。
ふと、耳が、微かにキーーーンという音を拾い始めた。
そして、顔や手足に少しずつ感覚が戻り始める。
(ま、間に合ったのか!? あ、お、落ちてる!?)
急速に光が収束し、辺りを暗闇が支配した。
いや、過度な光に照らされた影響で、暗闇に目が慣れていないだけのようだ。
身体に感じる重力だけを頼りに、炎の翼で減速を試みるも、あまり上手くいかない。
身体の感覚が完全に戻りきっていないのか、手足が上手く動かないのだ。
(ま、まずい、このままじゃ……)
上手く減速できず、そのまま落下していくマサト。
だが、そんなマサトを再び白い光――いや、白い靄が包み込んだ。
永遠の蜃気楼だ。
「た、助かった」
そのまま永遠の蜃気楼に包まれたまま、地面へと降り立つ。
だが、上手く立てず、地面に転がってしまう。
「な、なんだ!? どうなってる!? あ、ステータス!!」
急いでステータスを開く。
<ステータス>
紋章Lv25
ライフ 22/44
攻撃力 99
防御力 5
マナ : (赤×3085)(緑×99)
加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護
 炎の翼
 火の加護
装備 : 心繋の宝剣 +99/+0
補正:自身の初期ライフ2倍
+2/+2の修整
召喚マナ限界突破11
火魔法攻撃Lv2
飛行
身体麻痺Lv5 New
*猛毒カウンター5
*神経毒カウンター1 → 9
*腐毒カウンター3 New
ライフが半分のところまで減り、毒カウンターが色々増えていた。
新たに付与された身体麻痺Lv5の補正。
恐らく神経毒カウンターの効果でついたものだろう。
(身体が上手く動かないのはこのせいか! あの女が持ってた気色の悪い短剣、やっぱり毒かよ!)
「そ、それよりもベルは!? ベル!!」
マサトが地面に這い蹲りながら周囲を見渡すと、鋼鉄虫が動き、鋼鉄虫の群の中からベルが姿を現した。
「ベ、ベル!!」
地面を這いながらベルへと近付く。
ベルは光のない灰色の瞳を開けたまま、血溜まりの上でぐったりとしていた。
右腕はあらぬ方向へ折れ曲り、左腕は切断されている。
鼻は潰れ、半開きになった口からは、前歯が折れてなくなっているのが分かった。
血溜まりの上をびちゃびちゃと音を立てながら、構わず這って移動するマサト。
ベルの悲痛な姿に胸が締め付けられ、無意識に「ごめん、ごめん」と声が漏れた。
視界は涙で歪み、俺のせいでという罪悪感が、腹の底をキツく締め上げる。
「こんな辛い思いさせてごめんな…… 今、治してやるから……」
マサトは卯の花色のダイアモンドを二つ取り出すと、迷わず詠唱を開始した。
「《 白妙の秘薬 》」
片方の卯の花色のダイアモンドが、白い光の粒子を大量に溢れさせながら砕け散る。
代わりに現れた純白の秘薬を持ち、ベルをそっと抱き寄せ、秘薬を口へ垂らす。
すると、ベルの身体が純白の光に包まれた。
(頼む! これで全快してくれ!!)
マサトが目を開けると、そこには出会った頃と変わらない――容姿の整ったベルが、愛らしい寝顔をしながら寝息をたてていた。
「よ、良かった…… 腕も鼻も…… よし、歯もちゃんと元に戻ってる……」
ベルがゆっくりと瞳を開ける。
その瞳は、以前の綺麗な空色ではなく、淀んだ灰色のままだった。
目を開けたベルが、再び呻き声とともにマサトへ飛びかかろうとする。
「やっぱり洗脳は解けないか…… なら、これで…… 《 解呪 》」
もう一つの卯の花色のダイアモンドが砕け散ると、白い光の帯がベルを包み込んだ。
その光に体を震わせ、呻くベル。
身体の震えが止まると、ベルは力なく倒れた。
「……ベル、大丈夫?」
再びゆっくりと目を覚ますベル。
「マサト…… マサトぉ!」
空色の瞳に涙を溢れさせ、ベルはマサトへ抱き着いた。
「ごめん、ごめんね…… 全部、全部見てたよ…… でも身体がいうことを聞かなくて…… それで……」
時折、嗚咽を漏らしながら、仕切りに謝り続けるベル。
そんなベルを、マサトは上手く動かない身体を必死に動かしながら、精一杯優しく背中を摩る。
「俺もごめん。酷い目に合わせて」
「うううん、あれはわたしのせいだから…… 自業自得だから…… だから、マサトは謝らないで……」
「でも……」
「お願い…… そうじゃないと…… わたし…… わたし……」
「分かった。じゃあ、お互い様だ。一人で全て背負うのは辛いからね。俺とベルで半分ずつ。それでいい?」
「マサト…… ありがと」
「帰ろう。皆が心配してる」
「うん」
ベルに肩を貸してもらいながら立ち上がると、背赤達が周囲を囲っていた。
「永遠の蜃気楼、ありがとな。守ってくれて」
「キゥィイイイン」
永遠の蜃気楼がマサトの言葉に応えて鳴いた。
「あ、勿論、お前達もな」
「キシキシキシ」
七匹の鋼鉄虫も皆健在だ。
帰りは鋼鉄虫に乗って移動しようかなと考えていると、空中から一つの黒い光がゆらゆらと舞い降り、マサトの胸へと吸い込まれていった。
『黒崖のカードを獲得しました』
マサトがそのシステメッセージに驚愕していると、部屋全体がゴゴゴゴと音を立てながら崩壊し始めたのだった。
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