霞みがかった視界の中に

陽本奏多

霞みがかった視界の中に

俺にとって、陽本ひのもと奏多かなたは唯一無二の親友だった。

出会いは、大学の講義で隣の席だったというだけだが、出会ってからの俺たちの関係は急速に近まっていった。
学校でも基本一緒にいるし、一週間に一回は必ず相手の家に遊びに行った。

そして、今日も俺は彼の家に来ている。彼の家はマンションの一室なのだが、まったく狭さを感じさせない解放感がある部屋だった。

彼は、話し上手であり、聞き上手であり、加えて、笑い上戸でもあった。
俺の下手な滑稽話にだって彼は心の底からおもしろいというように大笑いしてくれる。
俺は、そんな彼の笑い声が好きだった。

しかし、この日俺は陽本と始めて言い争いをした。
何についてかというと、『生と死』なんていうギザっぽい話題についてだ。

「人は死ねば消えてしまうに決まっているだろう!」

「いいや違う! たとえ肉体は滅びようともその心は永久に生き続けるんだ」

思えば、とても馬鹿馬鹿しい、三つ子の喧嘩と大差ない言い争いだったと思う。
だが、これをきっかけに俺と陽本は決別してしまった。


それから、流れるように時は過ぎ、二年がたった。彼の家に行ったり、メールをしたり、様々な方法で連絡を取ろうとしたのだが、どれも実を結ばなかった。

ある日のこと。
もしかしたら彼は実家に帰っているのではなかろうかと思いついた俺は、手紙を書いた。
そして、その一週間後のこと。
間延びたインターフォンの音が俺に来客を報せた。

陽本が会いに来たのかと俺は急いでドアを開けたが、そこにいたのは一人の老人だった。

「突然押しかけて申し訳ありません。私は陽本奏多の父です。手紙を受け取り、そのお返事に参りました」

重々しい声でそう伝える彼を俺は客間に通し、話を伺うことにした。

「わざわざ遠くまで足を運んでくださりありがとうございます」

「いえ、これだけは奏多の友人であるあなたにお伝えしないといけないと思いまして」

陽本の父(この人も陽本さんなのだが)は、先ほどにも増して深刻そうな表情でそう言った。
俺は無言を返し話の先を促す。

「私の息子……奏多は、2年前に死にました。家の近くでトラックに轢かれて……」

「二年、前……」

俺は彼の言葉に思わず息を飲んだ。
それは、彼が死んでいたという事実に対してもだが、あの言い争いをして離れた2年前が彼の亡くなった年だったというのが俺にとっては衝撃だった。

「是非、お参りに言ってやってください。では、そろそろ失礼します」

彼は墓の住所の書かれた紙を置くと、席を立った

「あ、せめてお茶でも……」

「お構いなく。長居しても悪いので」

そうして、陽本の父は去って行った。
部屋の中にぽつりと取り残された俺は、静かに今は亡き彼に会いに行く決心をした。


そして、次の休み。
俺は電車を乗り継ぎ、紙に書かれた墓地へ向かった

「あ、あった」

俺は数多の墓の中から陽本家と刻まれた一つを見つけた。
しかし、その墓の前には一人の男がしゃがみ込み、手を合わせていた。
俺が近づくと、足音で気づいたのかこちらを見上げた。

静かだった墓地が、さらに静まり返った気がした。
いや、もしかしたら時が凍り付いていたのかもしれない。

「陽本……」

そこにいたのは、紛れもない陽本奏多本人だった。

「え! どうしたんだい、こんなところまで……」

「いや、お前こそ……なんで生きてるんだ……?」

「酷いな、そのジョークは笑えないぞ」

陽本はニコッと爽やかな笑顔を俺に向けてきた。

「ん? この墓か?」

陽本が今参っていた墓に目を向けると、彼は少しだけ表情を曇らせて話し出した。

「実は今日、父の命日なんだ。それで、父に顔でも見せようかと思ってね」

俺は正直困惑した。
死んだと思っていた目の前のこいつは生きていて、生きていると思っていた彼の父は死んでいた……。
じゃああの、家に来たあの人は……?

「あ、そうだ」

そんな俺の悩みなど意ぞ知らず、陽本は目を輝かせた。

「とっておきの場所があるんだ。来ないか?」

俺は彼に連れられるまま、雑草の生い茂る道を歩いて行った。

                *   *   *

「綺麗だろ?」

「あぁ」

俺は目の前に広がる絶景に見とれてしまっていた。
陽本に連れられ、山を登ること小一時間。俺たちの前に現れたのはキラキラと光を反射し輝く海と、溜息がでるほど美しい夕焼けだった。

「……前みたいに、また遊びたいな」

思わず、俺の口からそんな言葉がこぼれ出た。

「……無理だよ、そんなの」

「ん?」

「なんでもない。さぁくだろうか!」

「おい! 待てって!」

自分だけ先に下っていく彼の背中を追いかけ、俺も山を駆け下った。

そして、下り切った時にはもう空は闇に包まれていた。

「そういえば、宿はとってるのか?」

そう陽本に言われて気が付いたが、俺は宿のことなんて何も考えていなかった。

俺が横に首を横に振ると、陽本は、だったら、と前おいて「うちに来ないか。夕飯だって母が作ってくれるだろう」と言った。
少し申し訳ない気もしたが、他に選択肢もなく、俺は陽のもとの家におじゃますることにした。

「僕は少し行かなきゃならない場所があるから、先行っててくれ」

彼はそう言って家の住所を紙に記すと、闇の中へ一人かけていった。

その背中に手を伸ばしてみたが、決して陽本に届きはしなかった。


                *   *   *


「すみません」

こんこんとノックをして、俺は一言そう言った。

奥から小さな足音がしてしばし。からりという音と共に戸が開いた。

「……嘘だろ……?」

そこにいたのは、先日俺の家を訪ねてきた、そして、既に死んでいるはずの陽本父だった。

「どうしました? 死んだものを見たような顔をして」

「そ、それが……」

俺は、先ほどまでの出来事をすべて彼に話した。

「なるほど、そんなことが……」

「信じてくれるんですか?」

「えぇ。だって今日は……あいつの命日なんです」

それきり、部屋は沈黙に包まれた。
そして、何分か経った頃。

「帰ります」

俺は唐突に口を開いた。

「もう遅いですし泊まって――」

「いえ、今日はもう帰ります。おじゃましました」

そうして、俺は家を出た。

そして、びゅうびゅうと風が吹き付ける中、俺は駅までの道を辿っていく。
ゆっくり、一歩ずつ……。

だが、それも少しずつ速くなっていく。
ゆっくりだった歩みもどんどん加速していき、俺はついに走り出した。

『待って!』

刹那。
立ち止まった俺の目前をトラックが走り去っていった。
そして、そのトラックの轟音が鳴り終わったとき、俺はゆっくり振り返る。


――微笑みながら手を振る陽本が、だんだん薄れ、やがて消えていった。

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