沈黙の籠城犯

山本正純

沈黙の籠城犯の正体 後編

川上は倉庫の前に設置された爆弾のテンキーを押す。1576と入力すると、倉庫のドアが自動で開いた。だが、爆弾のタイマーは停まらない。
沈黙する川上は、携帯電話の画面で暗闇を照らし始めた。すると、犯人を追いかけた2人の刑事が周囲を見渡しながら歩み寄る。
「ここが開かずの間。1576という数字は暗号ではなく、開かずの間のパスワードだったということですね?」
木原からの問いかけに川上は首を縦に動かす。
「そう。1カ月ぶりに入ったけれど、やっぱり懐かしい。7年前からいなくなった父の匂いを感じるからでしょうか」
川上早紀は倉庫の壁に立てかけてあった1枚の肖像画を刑事達に見せる。最近になって埃が振り払われたと思われる、太い眉毛と額が広い中年男性の肖像画から稲葉へ視線を移した川上は答えを告げた。
「稲葉さん。これは父の肖像画。有名な画家に書かせたって父が自慢していた時のことは、今でも覚えている。この肖像画の前だったら真実を語れそうです。私が加藤さんを殺した理由や復讐を誓ったわけ」


7年前の後悔を川上早紀は忘れない。父親からの不在着信があったことを彼女が知ったのは、着信から3時間後のことだった。丁度大学の講義が始まり、電話に出られなかったのだ。
ただの電話であるならば、彼女は後悔しない。しかし、その電話には2つの違和感が隠されていた。
1つは時間。午後1時30分に掛かってきたのだが、その時間は働いている時間のはず。父は仕事中に私用の電話をしない。
もう1つはメッセージが残されていたこと。電話が繋がらなかった場合、後でかけ直すと相手に伝えるためにメッセージを残すことは一般的だが、父はそんなことをしない。
何かがおかしいと思った早紀は、携帯電話を耳に当て、残されたメッセージを聞く。
『しばらく帰れそうにない。椎名と辻は関係ないからな』
父親の声は何かに脅えているように震えていたことを彼女は忘れない。その後、詳しいことが聞きたい早紀は、何度も父親に電話した。だが、何度やっても電話は繋がらない。
川上早紀は悔しさと後悔を抱えて、涙を流しながら、帰り道を歩いた。


その日、津島永徳は失踪した。警察や探偵に父の行方を追うよう頼んだが、中々行方は分からない。唯一分かったことは、川上早紀に電話をした直後から、目撃証言が途絶えたことのみ。
行方が分からないまま、4年が過ぎ、川上早紀は株式会社センタースペードに入社する。この会社は父が起ち上げた会社。もしかしたらここに父が失踪した理由が隠されているのではないかと彼女は思ったのだ。
だが、椎名社長と警備員の辻と父が幼馴染という関係という予備知識以上の事実は中々入手できなかった。
椎名社長が会社を乗っ取るために父を殺したのではないかと考えたこともあるが、証拠がない。
父の失踪の真相を調べるという当初の目的を断念しようかと思い始めたのは、彼女が入社してから3年が経過した頃だった。丁度その時、警備中の辻と佐野の会話を彼女は聞いてしまったのだ。
「やりたくもない警備の仕事なんてつまらないだろう。津島社長に可愛がられていた優秀な社員が、警備員になるなんてなぁ」
辻のちょっかいに佐野は苦笑いする。
「島流しだよ。津島社長がいたら専務になっていたかもしれないのに」
「そういえば、今度のプロジェクト。7年前お前が考えた奴とほぼ同じらしいぜ。稲葉専務がプレゼンしたら、椎名社長がゴーサインを出したそうだ。悔しかったら、開かずの間でも探してみろ。あそこには椎名社長を失脚させるような不正の証拠が隠されているらしいからな」
女子トイレの出入り口の前で息を殺し、警備員の会話を聞いていた川上早紀の中で疑問が生まれる。もしかしたら、椎名社長は何かの不正をしていて、それを知った父は口封じで殺され、どこかの山の中に遺体を埋めたのではないか。


それはただの疑惑に過ぎない。証拠があるとすれば開かずの間。色々と調べた結果、開かずの間疑惑が強いのは、警備室の倉庫らしいことを彼女は知った。だが、どうやって入ればいいのかが分からない。
証拠が近くにあるのかもしれないのにという、もどかしい思いで自宅へ戻ると、郵便受けに黒色の封筒が入っていることに、早紀は気が付いた。
『TA』と名乗る差出人から届けられた謎の手紙。封には、純白の羽を纏った天使のシールが貼ってあった。
新手の勧誘ではないかと疑いながらシールを剥がし、中身を確認すると、そこには1枚のカードとオブラートに包まれた白色の錠剤が1粒、ワープロで打たれた手紙が入っていた。
『川上早紀様。あなたが津島永徳失踪の真相を追っていることは分かっています。そこで私はあなたにアドバイスします。警備員の辻雅夫は女に弱いので、誘惑すれば警備室に入れてもらえます。同封した睡眠薬を彼が飲む缶コーヒーに混入して、眠らせてください。その後で警備室の倉庫前に行き、同封したカードに記したパスワードを入力してみせください。そうすれば真実の扉が開かれることでしょう』
睡眠薬は嘘くさいと思った彼女は、錠剤を握り潰し、同封されたカードを見る。そこには1576という見覚えのある数字が記されていた。それは父がよくパスワードに入力する4桁の数字。
半信半疑だが、謎の手紙を信じてみようと思った早紀は、翌日手紙の指示に従ってみる。
昼休みに、辻という警備員を誘惑して警備室に入ることに成功した早紀は、上手くいき過ぎていると思いながら、辻の目を盗み倉庫の方へ歩き始めた。そしてカードに記されたパスワードを入力してみる。
すると閉じられていたドアが開き、埃臭い空間が現れた。咳こみながら携帯電話のライトで辺りを照らすと、埃塗れの額縁を彼女は見つけた。その埃を振り払うと、津島永徳の肖像画が浮かび上がる。


なぜこんな埃塗れな空間に父の肖像画が隠されていたのか。次第に椎名社長に対する疑惑が強まる中、彼女の携帯電話に非通知の電話が掛かってきた。怪しいと思いながら電話に出ると、変声器の不気味な声が聞こえる。
『真相に辿り着きましたか? あなたの前には埃塗れの津島永徳の肖像画があるはず。どうしてここにあるのか分かりますか? 椎名社長が津島永徳を快く思っていなかった証拠ですよ。昔の好で捨てられず、埃を被った状態で保管したといったところでしょう』
「もしかしてあなたは、津島永徳失踪事件の真相を知っているのではありませんか?」
『聞かなくてもいいよね? あなたは既に真相に辿り着いているのだから。あなたが今思っていること。それが事件の真相です。もしもあなたが復讐を望むのなら、今週日曜日の午後7時、渋谷にある居酒屋ホワイトルークにきてください』
電話と共に良心の糸も切れ、川上早紀の中で復讐心が生まれた。

「私は電話の相手の指定した居酒屋に行って、私の抱く復讐心を相手に伝えたんです。恨んでいる人物も一緒にね。椎名社長は父を会社から追い出し、津島永徳の肖像画を暗い埃塗れな空間に隠した。辻雅夫も倉庫という場所を提供したから同罪。加藤一成は私の復讐を止めようとしたから、予備の毒入り缶コーヒーを飲ませて殺したんです。産業スパイの濡れ衣を着せられて、椎名社長を恨んでいると思ったから計画に誘ったのに、最後になって止めようとするなんて、腰抜けよ」
身勝手で逆恨みな犯行動機を聞かされ、大野の怒りが爆発する。
「腰抜けではありません。加藤さんは復讐を止めてほしかったのでしょう。だから意味のない復讐を止めようとしたんです」
川上早紀は分かっていた。いくら復讐しても、7年前から行方の分からない津島永徳は帰ってこない。この事件がなければ疑惑の真相が正しいのかさえ分からない。
沈黙の籠城犯は、震える声を出し、刑事に尋ねた。
「私はどうすれば良かったのでしょうか? 警察や探偵に頼っても、自分の力で調べても、真実は闇の中。誰かに真実へ繋がる手がかりを教えてもらって、私は嬉しかったんですよ。真実の追及を諦めていたら、私は犯罪に手を染めることはなかった」
「その犯罪計画を提案した人物の指示に従わず、椎名社長に真実を確かめる。それが答えです」
大野の答えを聞き、川上は納得を示す。
「それができたら、こんなことにはならなかったのに。残念です」
川上早紀は未送信のメールを誰かに送った。その後で、彼女は携帯電話を閉じながら、刑事に説明する。
「この会社のセキュリティーシステムを乗っ取ったハッカーに、人質を解放するようメールしました」
川上の宣言通り、セキュリティーシステムは通常通りに復元された。
数分後、爆発物処理班が現場に到着し、爆弾が無事に解体された。
そして、彼女は2人の刑事に警察署へ連行され、籠城事件は静かに幕を閉じた。

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