召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ⑥ー②


「お茶ですわ!」

 がたがたと震える明琳に蝶華が冷水をがん! と置く音が響く。しかもご丁寧に氷入り。極寒の冬に出される飲み物ではない。それでも明琳は黙ってそれを流し込んで、寒さに震えた。

(光蘭帝さまよりはずっとあったかい)

 ああ、思い出したくないと目を瞑った。白龍公主に光蘭帝は斬りかかり、明琳を睨み、腕を引いた。それでも蝶華に用があった明琳はその腕を振り払ってしまい……。

「馬鹿な子羊ね。皇帝怒らせてどうするのよ」
「全くです……。あんな冷たい眼、初めて見ました」

「男は女が絡むとあんな顔をするもんよ。良かったわね、光蘭帝さまがいわなければ、あたしがあんたを刺していたわよ!」

 ―――皇帝の貴妃でありながら、早速浮気か。

(浮気?!)と焦った明琳の前で、皇帝は少ししょんぼりとして、去ったのだ。その後蝶華に追い回されて、息も絶え絶えに蝶華に逢いに来たと伝えた明琳である。

 蝶華は唇を噛み、「ついていらっしゃい!貴妃のあたしへの訪問であるなら、無碍には出来ませんわ!」と明琳の頭を掴んで、自分の局に押しこめたのだった。

***

「それで?出ていくの?荷物はまとめておいてやるわよ。何度も皇帝さまの手を叩く貴妃なんて地球上どこ探してもあんただけよ。お子様ね」

「だ、だって怖かったから…っ」
「あんた白龍公主さまに対しては平気じゃない」

 蝶華はしれっと言い、吐息をついた。

「あたしと逆って事ね。勘違いするんじゃないよ?白龍公主さまが「明琳に手を出すな」って言うからさ、だから引っ込めただけで、あんたへの恨みはちゃんとあるから」
「わ、わたしは白龍公主さまとは」
「キスしたわよね」

 蝶華の手がわなわなと震えているのを見て、明琳は項垂れてしまった。今度はしょぼくれた明琳にため息が振り、蝶華はぽつりと言った。

「どうせ白龍公主さまは女性の生気で生きている方だものね。あんたのぷりっぷりの生気が欲しかったのはわかるけど! ちょっと失礼。肌が痛むので、温石を取りに行って来るわ」

 そう言って蝶華は庭に出て言ってしまった。変だ。冬の外に温石など有るわけがない。

「来ないで! 来たら舌を噛んで死んでやるから」

 凍りついた蓮の前で、蝶華は叫んだ。涙交じりの声に、明琳が消え、すぐに蝶華の目の前に現れた。しゃがむと更に小さくなる。蝶華の眼が僅かに緩んだ。
「ほんと、ちっちゃいわね」

「白龍公主さまがお好きなんですか?」

 ぐす…と鼻を啜った蝶華は、頬を赤くして、目を瞑って頷いた。

「わたしはあの人キライですよ?意地悪するんですよ。趣味悪い」

 わるかったわね…と口にして、答えをもぎ取った小羊の嬉しそうな笑みに、蝶華は頬をさらに赤らめた。

「あんたは貴妃より人をすぐに騙す宮廷灸点師の方が向いていてよ。意地悪でも!悪魔でも! 好きなのは、どうしようもないのよ」

 蝶華妃の本音だった。

 真っ赤になった顔を押さえ、蝶華は涙目で明琳を見る。美しい化粧は涙で流れ落ち、頬の涙すらも凍りそうな冬風だ。白い色すら見える風は二人の貴妃を冷やしてゆく。

「なのに、どうしてお子が授からないの?」

 蝶華の手が明琳を強く掴んで揺さぶった。

「あ、あたしが子供を産まなきゃ! ……どうして邪魔をするの? あんたが呪いかなんかをかけているんでしょう! そうに決まっているわ! は、白龍公主さまも、光蘭帝もあんたは全部奪ってゆくのよねぇぇぇぇっ!」

 がっくんがっくんと揺すられ、明琳がふら~と更に揺れた。ぽす、と蝶華の上げた胸に顔を押し付けて動かなくなった。

「違います~~~~~……あー目が回った…」

 こき、と首を動かした明琳の縛った髪がほつれてゆく。適当に巻き上げただけの髪型は持たなかったらしい。ため息をついた蝶華が丁寧に髪を掴み、「こうしてやるわ!」とぐちゃぐちゃにした。

「あたしは皇帝の子を産むの! 何よ、変な髪型!」

 ぼさぼさになった頭に更に苛立ちを隠せない蝶華の前で、明琳は目を瞬かせる。

「本当にそう思ってますか? 子供を産むって大変な事ですよ? あたし、弟が生まれた時の母を見てました。泣いて、苦しんで、死ぬほど力を込めて、愛する人とのシルシを生むんですよね」
「何が言いたいの?」

「遥媛公主から教えて貰ったので、知ってます。気持ちいい事の後、身体の中で、卵と種が出逢うんだそうです。物凄い確率で、出逢うんですって。華仙人さんには、その流れがないそうですが…」

「貴妃を馬鹿にしているの?知ってるわよ。だからわたしは全部受け止めて…」

「あたし、思うんですよ。本当に望んでないから、きっと蝶華さまの心がイヤイヤしてるんじゃないかって。全部光蘭帝さまの種をしっしっと払ってるんじゃないかって」

「そんなわけないじゃない!」

 蝶華は頬を押さえて、頭を振った。その目の前で、明琳はしっかりと言った。

「わたしのお話、聞いてくれますか?」
「あんたの話?…………勝手に喋ってればいいじゃない」

 明琳はペコと頭を下げると、しゃがんだまま話し出す。

「わたしは御饅頭が嫌いでした。でも、おばあちゃんがせっせと作らせるんです。粉っぽくなったわたしに誰も好きなんて言ってくれない中で、ちょっとだけ恋したんです。お洒落を覚えて、ウキウキでした」

 蝶華が微笑んだ。

「ある日、両親が言いました。「手が足りないから、お前も手伝ってくれ。何としても宮殿に御饅頭を奉納しなければ…宮殿に言ってくれ」と。わたし、頷きました。大嫌いな御饅頭を預かりました」

 蝶華が静かになった。

 不思議だ。
 蝶華妃程、自分を嫌っている相手はいないはずなのに、何故か一番伝えたくなる。明琳は後悔を胸にしたまま、鼻を啜った。

「それで?」


「わたしはその御饅頭を持って、逃げたんです。一つずつ、河に投げ込みました。それで、終わると思ってた…そうして御饅頭を納められなくなった父と母と祖母は……光蘭帝さまの尾父様にあたるのかな?…に処刑されました。これは光蘭帝さまには言えません。悲しむだろうから」

*****

 聞いた瞬間の蝶華の瞳が見開かれる。彼女は動揺していた。
 明琳の父と母を始末した皇帝こそ、先帝の生き残りの蝶華と星翅太子を捕獲し、責め苦を味あわせた男だったからだ。残虐で、唯一可愛がってくれた東后妃さますら、愛さず。
 だが、確かその皇帝は変死を遂げ、祥明殿で東后妃と共に眠っている。やがて光蘭帝さまが幼少即位し、今に至る。
 目の前の羊に奇妙な縁を感じて、自然と涙が浮かんだ。
 同時期に、同じ苦しみを背負っていた…。


「あ、ごめんなさい…どうしましょう、止まらないわ…」
「寒いせいです。中に戻りませんか」

 はらはらと磨かれた頬に涙が毀れては消えてゆく。蝶華は指先でそれを押さえるが、それでも溢れた涙はゆっくりと指から逃げていくかのように、滴を落す。明琳がゆっくりと庭から移動したので、蝶華の足も、元の後宮に向いた。

 お気に入りの長椅子に自分の温石と厚手の衣をかけながら、蝶華は明琳を座らせる。

「大丈夫、落ち着いたわ…ねえ、気になっていたんだけれど…あなたの胸、片方だけ大きくない?」
「ああ、そうだった」

 明琳はよいしょ、と胸に手を突っ込むと、白い物体を取り出した。

 貴妃の胸から饅頭が出てきた。蝶華は当然ながら、言葉を喪っている。

「この饅頭を、光蘭帝さまは美味しいって言ってくれたんです。……はい」

 驚いたまま、蝶華は目の前に差し出された歪な物体を見つめた。形などなく、丸めただけだ。それでも、鼻先に近づけると、ふんわりと甘い餡の香りがした。

「まさか…あんなことしたあたしに…」

「明琳の御饅頭食べたら、めっちゃ元気になっちゃいます!…お願いです。わたしの御饅頭に何か特別なものがあるなら、蝶華さまだって元気になっちゃいます」

 震える貴妃の手の平に、少し暖かい饅頭が乗せられた。蝶華は涙顔で笑うと、頬を近づけた。

「温かいわね……うん、戴く」

 千切って、口に放り込む。侍女たちが見たら即効で奪って捨てるだろう。高級菓子には程遠い。それでも、ひとくち、ひとくち、進めていく。

 と、蝶華の手が止んだ。

「す、すみません!おっきいですよね……白龍公主さまはばくりと食べてしまいますけど!蝶華さまのお口には・・・今度はちっちゃいの作って来ますから…」

「白龍公主さまがばくりと……?」

 呟いた蝶華は両目を瞑りーーーーー・・・・・・・・・。

 ばくり。

 顔を突っ込むようにして、蝶華はそれに齧りついた。饅頭の打ち粉が顔に張り付いて、粉雪のように光り、慌てて明琳がそでで頬を拭い始める。当然ながら、蝶華は咳き込み、今度は置いてあった水差しからコップらしきものを手に、蝶華に差し出す。

 んく、んくとノドを鳴らして水を流し込み、人心地ついた蝶華は食べかけの饅頭を机に置いて、そっと遠くを見やった。

 西の祥明殿が見える。決して近づいてはいけない場所だ。黒光する瓦を葺いた建物はかつての豪華さを謳う様な黄金。それも錆びてしまっている。

「蝶華さま…あの建物…」

「…光蘭帝さまが皇帝になると同時に現れた華仙人さまたちは、まず皇帝一族を殺した。東后妃さまは、光蘭帝さまの父親である夫と、その祖父を大層恨んでいたそうなの。その皇帝一族が住んでいたのが祥明殿。多分華仙人たちが消したのだわ。そして、光蘭帝さまは即位して、まず、あの宮を封鎖した。


今では誰も近づけないわ」

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