召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ④ー①



後宮暮らしが始まって、早くも一週間が過ぎた。まだ冬の最中の後宮は少し肌寒いので、准麗に用意して貰った温石を膝に乗せて、文を綴っている。


『おばあちゃんへ。こんにちは、明琳です。わたし、何故か後宮で暮らしています。おばあちゃんがあんなにも望んだ後宮にだよ?そして、光蘭帝さまの貴妃になりましたが、お声がかからず、毎日何も出来ずに日々を過ごしています。


 ねえ、おばあちゃん。こうして見るとね、日々の生活って不満だらけだったけど、何かと幸せでした。明琳は今になって、御饅頭作りがしたくてたまりません。
 光蘭帝さまが褒めてくれました。美味しかったって。でも、あれからわたしは後宮を怖くて歩くことが出来ません。白龍公主芙君という怖い人に危険な目に遭わされてから……』


 ぐしゃりと紙を握りつぶした。いくら天国に書くとしても、こんな愚痴をおばあちゃんは読まないだろう。もう一度筆を握って、文を認める。

 温石が温くなって来て、急に寒さを感じた。真冬の紅鷹国は過酷だ。後宮の作りはしっかりとしているから、崩れることはないにしても、回廊を歩いていると、積雪が突然屋根から落ちて来て、人が生き埋めになってしまったりする。

 まだこの紅月殿はいい方だと言う。遥媛公主の力が火に属するため、雪を溶かしてしまうのだと。


「明琳、いるかい」


 光蘭帝からは「幽玄」扱いされ続ける明琳に、遥媛公主は物珍しいお菓子や本を差し入れに来ては、可愛がってくれていた。その為明琳は大人しくはしていても、遥媛公主に懐いている。

 欲を言えば、光蘭帝に逢いたかった。だが、相手は皇帝で、蝶華妃という天宮の美姫が控える以上、貴妃として出来ることは何もなく。

 それでも明琳は明るさを忘れずに笑顔で居続けることにした。家には帰りたい。それでも、心配する遥媛公主や准麗、星翅と…光蘭帝さまにいつ出会っても最高の笑顔を見せたい…後宮に閉じ込められた明琳はそれだけを心の支えに生きている。

「は、はい…公主さま」

 あたふたと手紙を押し込めて、筆を仕舞う。

「今から光蘭帝と准麗が武道をやるそうなんだが、出られないかな?」

「え、でも…」

 明琳の顔が曇った。あの白龍公主に襲われて、明琳は遥媛公主から女性の危険さを聞いている。遥媛公主は笑顔で明琳の手を掴んで「さあ、ゆくぞ」とばかりに空に飛び上がってしまった。喝采が聞こえる上をふわりと飛び越して、黄鶯殿の天守閣に近づいてゆく。金の龍の上に積もったままの雪を指で払うと、明琳をすとんと置いて、自分はふわりと浮かんで見せた。

「高いところは大丈夫か?どうも地上に足をつけているのが苦手で……足の裏から何やら伝わって気分が悪い。白龍公主なら、光蘭帝にしこたま怒られて、幽閉されていると聞く。もう君を襲わせるような事はしないから、安心していい。たまには外に出ないと、気分が悪いよ」

「遥媛公主さま…お、お気遣い頂いたのですね…!」

 母親のような笑顔。だが、肌はひんやりと冷たい。その冷たさから白龍公主を思い出して、明琳はそそっと逃げて、また小さく頭を下げた。遥媛公主は白龍公主のような卑怯ものではないと分かっているのに。

 今は華仙人が怖いのは仕方が無いこと。遥媛公主はただ微笑んで、目下を閉じた芭蕉扇で指した。


「そら、始まるぞ」

 屋根の上で遥媛公主が芭蕉扇をゆっくりと振る。大きく整備された武道場には、濃紺に黒い龍を背負った宮廷衣装の准麗と、白銀の上衣と下裳に帯紐を巻きつけた光蘭帝の凛々しい姿が見える。その中央には小さな銅鑼を持った宮殿の武官たちが並び、二人はそれぞれの武器を構えて、睨みあっている。

「ほう…光蘭帝は珍しく青龍偃月刀を使うか」

 遥媛公主の呟きに、明琳も身を乗り出させた。光蘭帝はそのしなやかな体躯に合わせるかのように、柄の長い薙刀のような刀を握っている。一振りするごとに、刃につけられた宝玉が陽の耀を返し、煌めいた。武術というよりは、魔法のように見える。

 准麗は二つの剣をそれぞれの手に握りしめている。見たことがある。あの剣は武道というより、馬の手綱を斬るのに使用する双鈎――――…

「あれで勝負になるんですか?」

 光蘭帝の持つ剣は、どう見ても殺傷用だ。対する准麗の剣は諸生活で使うようなもので…どう見ても光蘭帝の方が有利だし、強そうに見える。

「だから面白いんだ」

 明琳が屋根の上でまた身を乗り出させる。銅鑼を持っている武官が撥を高く掲げ、二人は両足を開いて、しっかりと地面を踏みしめた。光蘭帝の長い髪がふわりと舞う。

 銅鑼の音を待つ中で、光蘭帝がまず気に入らないと言い返した。


「心技が未熟だと言うならば、その目でしかと確かめよ、大師」

 ちら、と准麗が屋根の上の遥媛公主の姿を見つける。

「遥媛公主の浮かんだところに、明琳がおりますね」

「そんな馬鹿な」

 光蘭帝が振り返った時、銅鑼が鳴った。(しまった!)と光蘭帝は慌てて振り向き直る。その隙を逃さず、准麗が長い双鈎を振りかざし、二つの双鈎が光蘭帝の青龍偃月刀を震動させる。光蘭帝の顔面の前で三つの剣の刃先が擦れ合った。

「く…っ」
「だから心がなっていないと申し上げているのです」
「黙れ、武大師!」

 至近距離で睨みあった光蘭帝と准麗は互いにまた跳び離れ、武器を構えた。光蘭帝は両腕を広げ、下方に構えるのに対して、准麗の動きは上方。まるで八卦掌だ。片腕で剣を構え、片腕を拳法の型を取っている。

「スゴイスゴイ!…准麗さまは剣と武術を両方使うのですね!」
「この紅鷹国の皇族の武術大師だからね。武道は好きかい?」

「ええ、すかっとします。…でも、光蘭帝さまの動きも流氷のようです。どうしてあんなに軽く動けるのでしょう…あ」

 准麗の刃が光蘭帝の青龍偃月刀を叩き落そうと突きの恰好になった。

 ―――――負けちゃう!

「皇帝さまっ…」

 後宮でずっと大人しくしていなければならなかったストレスが爆発した。屋根の上の明琳は大声で応援を始めてしまったのだ。その声に、光蘭帝が僅かに動揺し。視線がふらついた。

「だから心がなっていないと言ったのです!」

 瞬時のところで、手を離した光蘭帝の青龍偃月刀が無残にも落ちた。准麗は双方に構えたままの双鈎で光蘭帝の喉元を狙ったまま静止した。勝負終了の銅鑼が鳴り響き、その中で、光蘭帝は膝をついて、軽く笑った。

「さすがだな。最後の一撃は避けねば腕が切れるところだった…容赦を知らないのか」

「屋根の上の羊に目を奪われてなぞいるからですよ。元々は明琳の処遇についての口論からこうなった事は、伏せておきますが」

 そうしてくれ、と光蘭帝は呟くと、もう一度屋根を見上げたが、やはり何もいない。

 ―――――幻か?

 そうだ。そうに決まっている。

 あの子羊は幽玄として、手放したはずなのだ。白龍公主や遥媛公主の手駒にならぬよう。


「准麗」
「は」

「華羊妃は、幽玄となったはずだったな?…彼女の家族への手厚い処遇を考えなければ。ああ、そうだ、私は幻を見たのだ。白龍公主への怒りがそうさせるのか…」

 光蘭帝は武器を拾い、愛器を一振りして見せた。歴代の皇帝が国を奪取するたびに、増やしてきた紅鷹国の国家秘宝。それをしっかりと握ると、光蘭帝は武道場を降りてゆく。

「光蘭帝」
「きゃああ、こっち、来るわ!皇帝さまあ!」

 群がっていた貴賓たちを手でかき分け、異変を感じた武官が素早く対応する。その内の一人が呟いた。

「光蘭帝さまの願う貴妃は幽玄に入っていませんよ」

 声に振り向くが、その主は見つけられなかった。光蘭帝は錯乱の域かと疑う程、武器を振り回して、紅月殿に突っ込むように走り込んでゆく。…ところでその武器を投げ出した。実は足が速い光蘭帝の姿は瞬く間に消え、准麗のため息だけが残る。


 ―――――遥媛公主さまは何を考えているのやら。


(光蘭帝さま…)

 一方で、対角の柱の陰で見ていた蝶華が小さく呟いた。幽玄になった貴妃を光蘭帝が追い求めているのは明らかだ。白龍公主さまだけではない。あの小羊は何もしなくとも、光蘭帝の寵愛までもを手中にしかけている。それが悔しくて、自分の袖を引きちぎりたい思いに駆られた時、ふわりと雅な香が鼻を掠めた。


「白龍公主さま!」

 女官を片手にしたまま、白龍公主が冷淡な眼を上げて見せる。邪魔だ…と女官を振り払うと、白龍公主は蝶華の頬をゆっくりと撫でた。

「浮かない顔だな…」

「契約は、果たすわ。光蘭帝の子供を宿して見せるから。だからお願いですわ!わ、私を…白龍公主、さ…ま?」

 白龍公主の瞳に自分は映っていない。また、白龍公主も光蘭帝と明琳のみを追い求めているのは明らかだった。


(どうして明琳ばっかり…!)


 何かが狂いそうな。
 そんな生ぬるい風が吹きすさぶ。冬の終わりは嫌いだ。寒いの?暖かいの?…どっちつかずの大気は人を更に恨めしく思わせる。

(許さない・・・許さないわ・・・明琳・・・何としても追い出してやるわ)

「白龍公主さま、御前失礼致します。蝶華にはやるべき事が出来ました」

「蝶華。俺に隠し事は無意味だ。俺が読心術を心得ているのを忘れるな?・・・・・・蝶華、いや、呂后よ」


 ―――――そうか、おまえは呂后美という名か。似合わないな。蝶のように艶やかなおまえは蝶華でいいだろう。・・・その名は俺が預かろう。愛している、蝶華――――


 過去の優しい笑みを思い出し、蝶華は頭を振った。

「何故その名前で呼ぶの?・・・ど、どうして明琳なの・・・」

「おまえの心?・・・あァ知っているさ・・・おまえの心は素通しだから。それが何だ」
「お、お慕いしているって知ってて・・・どうしてあたしだけは抱いてくれないのよ?」

 白龍公主の顔が見る見る間に見て取れるほどに嫌悪の態になる。ガラスのような冷たい瞳は確実に自分を拒絶し始めた色だ。

蝶華は唇を噛みしめ、すり足でその場を離れ、自身を抱きしめた。心に入るどころか、あんな酷い・・・



見たくなかった。あんな顔・・・・・・見たくなかった・・・!

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