召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ⑤ー②

紅月殿の回廊だけではない。後宮すべてを同じ作りにした始皇帝に恨み言を言いたくなる。せめて色を変えよう。何処にいるのか分からなくなる…などと光蘭帝はようやく紅月殿に差し掛かり、ゆっくりと回廊を進んでいた。約束の蓮の池の前で足を止め、小さく名前を呼ぶ。

「明琳」

 蓮の池で凍った蓮を見つめていた羊の頭が揺れる。明琳は笑顔で振り返る。

「遅くなった。すまぬ」
「わたしも今来たばかりですよ」
「何を見ている」
「氷が張っているのです。この下で眠っている蛙たちは寒くないのかなと思いました。でも、みんな冬眠中ですよね。見て、月の光に当てられた氷はまるで宝石です。…氷雪祭りを思い出します」

「氷の彫像だったか…」

「ハイ。……あ、皇帝さま、お足元に・・・」

 ん?と皇帝が足を上げ、小さな蕗の薹の芽に気が付いた。雪の中、頑丈な茎を伸ばし、可憐な花をぽつんと咲かせている。それでも、迫力があるのは、一人ぽっちで元気に咲いているからだろう。緑色の葉とも花びらとも取れる蕗の薹の芽は小さくとも、しっかりと芽ばえている。

「これ、お汁に入れると美味しいんです」

 明琳が嬉しそうに小さな蕗を見つめている。一人でもぴんしゃんと頑張る蕗の薹・・・隣で光蘭帝は一つの言葉を浮かべた。

(明琳)

 白亜に輝き、氷で凍てついた花を光蘭帝の手がそれを優しく摘み取る。手で雪を払い落し、花びらを丁寧に指で擦ってから、明琳の頭に挿してやった。

「汁物の具より、こちらの方が…ん、動くな…そなたの髪は柔らかいのだな…よし」

 ちょこんと蕗を頭に裂かせた明琳が嬉しそうに笑い、光蘭帝も僅かに微笑んで見せた。

 ―――――あれ?・・・光蘭帝さま、笑った?

 明琳は何度も目を擦る。その前で、光蘭帝は長裙をたぐり寄せ、しゃがみ込んだ。

「これが出て来ると、冬も終わる気がするな……いや、そなたが現れたところで、既に冬は雪解けだったのかも知れぬ」

「何を言ってるのかわからないです。……でも、早く春の御庭を見たいですね。きっと美しいと思います。こんなに綺麗なお庭だもの。…有難うございます……」

 くす、と光蘭帝が笑いを潜めた。

「そなたの反応はいちいちゆっくりで、羊の歩みだな。羊は群れたがるものだが、そなたは一人で後宮で戦っている。孤独であろうに。敬意を示すのは必然と思わないか」

 よ、と光蘭帝は立ち上がると、両腕を夜空に伸ばし、腕を頭上で組んで見せた。

「そなたといると、気分が晴れる。私の中に巣食った魔も大人しいものだ」
「魔物がいるんですか?身体の中に?」

 光蘭帝はそれには答えず、頭を緩く振って誤魔化すと、さっき挿した蕗の芽が明琳の上で揺れているのを微笑ましそうに見つめた。やはり口角が僅かに上がっている。明琳がもじ…と肩を竦めて上目使いになった。

「あの…そんな優しい目で見ないで欲しいんですが…あ!私、御饅頭を作れるようになったんですよ。お皿を洗ってあげてたら、料理場のおじさんが、コンロを一つ専用にくれたんです。まだお持ちするほどじゃないですが……蒸かしたあったかぁい饅頭なんか食べたら、ぽかぽかで幸せになっちゃいますから!」

 流し目をして見せた光蘭帝の目元が三日月になる。

「それは楽しみだ。ここのところ不機嫌になる事が多くてね」
「ちゃんと寝ないからです。あ、皇帝さま、植物を苛めてはだめです」

 ん?と光蘭帝は知らずむしっていた草に目を止めた。

「ああ…途端に眠気が来て、こんな事はなかったのだが。腹もすく。…そうだな…そなたの饅頭を口にしてから…」

 ぐらりと光蘭帝がまたいつかのように肩にのしかかって来た。そしてすーすー…と寝息。

(もう!重いんですってば!)

 ぱっと両手を離すと、光蘭帝は明琳の膝に頭を落し、その長身と長髪を惜しげもなく雪の上に横たえた。震えが来るような雪の冷たさすら、どうでもいいらしい。


 ―――――私の中に巣食った魔も大人しいものだ――――…


 魔。
 ふと光蘭帝が眠らないのはその魔のせいではないかと思い立った。

「ひしょうさま…」

 また遠くでパシンと物音がする。庭園で光蘭帝の髪を指で掬って、綺麗な頬に手を置いた。この紅月殿でなら、光蘭帝さまはハメを外せるのだろうか……遥媛公主さまは優しいから、見て見ぬ振りをしてくれるし、准麗さまも光蘭帝さまの味方だ。

 とても幸せになった。うん、今日は不幸でも、明日はわからない。明琳は暫く光蘭帝の頭を撫で続けた。



―――――どうしてそうやって邪魔をするの…?

 屈辱で抱かれながら、言われた通りに魔を刺し込んでも、光蘭帝の頬に明琳の指を当てられれば、その魔は消えてしまう。

―――光蘭帝に魔を住まわせ、天人への誘導を行う。そのために傀儡がいる…ただし、お前自身が光蘭帝の子を孕めば、魔はおまえを蝕むことはない。俺が好きか、蝶華―――。


(どうしてよ…)


 蝶華は静かに紅月殿を立ち去った。先刻の光蘭帝の熱さは身も心も引き裂いて、蝶華の魔を苦しめる。光蘭帝を天人にすれば、このゲームは終わるのだ。

 それも、蝶華が子を孕めば、白龍公主の勝ち。光蘭帝は種を受け取り、天帝の傀儡として華仙界へ向かうのだろう。

 だが、蝶華以外の貴妃が子を産めば…遥媛公主の勝ちだ。

 時間を惜しむ事も忘却に追いやった仙人たちは、人間たちを使ってヒマつぶしを始めたのだ。後宮という大きなフィールドで、人の命と愛を弄ぶ後宮遊戯を。

 蝶華はきゅっと赤い紅を指した上唇を噛みしめ、ゆっくりと姿を現した。


「お久ね。小羊貴妃」
「蝶華さま……光蘭帝が眠ってしまわれました…」

「まあ。子どもみたいね。…うふふ、では誰かを呼びましょうか。あたし、貴方にお話しがあるの」

 蝶華は怒りに震えながら、明琳に笑いかけた。

「お話…ですか?……あ、幽霊のわたしがうろうろしてるのがおかしいのですね…」

「それは皇帝さまが撤回なさったわ。なのにどうして黄鶯殿に来ないのかしら。あなたはもう幽玄じゃないはずよ。朝の拝謁にも参加する義務がある」

「わたしはこれで、いいんです。…この惨めな蕗の薹を、光蘭帝さまは可愛いと言ってくれましたから。ようやく芽がでた蕗を…」

 蝶華の瞳がかっと怒りの態を呈する。やがて武官が来て、光蘭帝は気が付き、ゆっくりと宮殿に向かってゆき。二人だけになった。

「あなた、あたしが言った事、覚えているわよね」

 夜風の中で蝶華が着物をはためかせて、紅月殿を歩き出す。明琳も焦って一緒に並ぼうとしても追いつかない。蝶華の足は速すぎる。蝶華はため息をつくと、静かに靑蘭殿への道を行き、明琳は躊躇った。その足が止まったのに、蝶華が気が付く。黄鶯殿の丁度中央。あそこには食料庫がある。……蝶華の眼が回りの武官に注がれた。

「どうしたの?」
「白龍公主さまに会いたくない」

「まあ、じゃあここでいいわ。ちょうどいい場所があるのよ…」


 明琳は大人しくついて来た。この娘は阿呆なのか。以前に蝶華は明琳を連れ出し、裏で突き飛ばしているし、光蘭帝が自分に当てた文を利用して、白龍公主に襲われかけたのに。どうして信用できるのだろう……蝶華は倉庫の前で足を止めた。

「聞きたいコトがあるの」

 胸に灼熱が宿る。蝶華は言った。

「あんた、白龍公主さまに何をされたのか―――――公主さまは笑っているだけで教えてはくれない。そして、どうしてみんなを奪ってしまうの?…あんたが来なければ…そう…」

 ちらり、と蝶華が頷いた時、二人の武官が明琳の腕を掴み、明琳はその、向こうでうっすらと笑っている蝶華を見つめた。

「蝶華、さ・・・ま?・・・お話は・・・光蘭帝さまとは・・・」

「馬鹿な子……私がお慕いするのは光蘭帝なんかじゃないわ!……いいわ、その倉庫に放り込んでおしまい!これは白龍公主の命令ですわ」

 ―――――さあ、睨め、恨め……恨み言を口にしなさいよ。


 明琳は小羊のように捕まえられ、いつかのように転がされた。

「蝶華さま…」
「お言い!白龍公主に何をしたのか!…場合に寄ってはあたしがあんたを殺してやるわ」

 蝶華は金切声をあげると、武官の間に立ち、月明かりを浴びて明琳を見下ろした。

「おまえのせいで!みんな狂ってゆくのだわ! 扉を閉めて!」

「嫌…っ!」

「一晩経ったら出してやるわよ。食糧ならいくらでもある。飢え死にしない場所を選んだあたしに感謝する事ね!」


 火のように赤く燃える瞳をして、蝶華は武官を促し、その足音はやがて遠ざかってゆき。


 かさかさかさ。
 聞きなれた足音に明琳の肩が震えた。大嫌いな鼠がいるのだ。

「白龍公主さまはどうして……」

 以前に襲われた倉庫と違って、明かり取りの天窓からは優雅な月と、霞んだ雲が見える。そうして考えて、一つの物事に行き当たった時、明琳の眼は希望を見出してしまう。


 ―――――蝶華さまを勘違いしていた……蝶華さまは光蘭帝の事を愛していたんじゃない。白龍公主さまだ!

 だから怒った。

「何もなかったです………」


 そう、何もなかった。あの夜は恐ろしくて思い出したくなくて、心の奥に仕舞いこんでしまった。明琳はそれでも、目を瞑り震えながらその時を思い出す。

 確か、白龍公主は饅頭を口にして―――――――…



「何故だ?女は皆、光蘭帝の種を欲しがるのだろう?…俺も同じだ。光蘭帝には俺の種を受け取らせる。そのためには、お前に光蘭帝の子を宿されると困るのだ。分かるな?命が惜しければ、決して光蘭帝と抱き合うな。―――――でなければ、今度こそ、犯す」
「そんなことはしません」
「どうだか。女は裏切るものだ。信用出来んが」



 わたしが子供を宿すと困る…とすると、白龍公主さまはどうして蝶華さまに光蘭帝の子供を願うのだろう?


 その時、天窓に妖の気配を感じて、明琳は震えあがった。するりん、とそれは闇を縫い、明琳の足元に忍び寄った。暗くて見えない。ふと、声がした。

「お前はよく捕まるな…懲りるということを知った方がいいぞ」

「白龍公主さま!」

 白龍公主は黒い闇の擬態から、すぐに元の人型に戻り、長くしっとりとした髪を盛った頭をぶるると振る。

「お前のせいで、俺は光蘭帝からしこたま怒られた。このままでは、羽衣は手に入らない。蝶華が子を宿す気配もない以上、別の策を練らねば、遥媛のババアに持って行かれる」

 遥媛のババア…その言い方はとても公主ではない。明琳は後ずさりながら、涙目で公主を見上げた。

「貴方たちは…何が目的なんですか…」
「あん?……光蘭帝の身体かな。あの躰は病み付きになる。どんな激しい行為もすんなりと自身の物にしてしまう。ああ、おまえには早かったか」

 白龍公主はさも悪げもなく口にして見せた。

「華仙界の天帝の寿命が尽きる。その前に最高の器を持ち帰った方が天帝――――わかるか?天帝の意味。この世界を思うが儘に出来る、統治者の事だ。光蘭帝はそれに相応しい」

「思うが儘にしたいんですか?」

「したいだろう。俺には生まれた時から欲しかない。そうだな、すべてを手に入れれば何かが分かるのかもな。だから手に入れる。何が望みなのか分からないからな」

 白龍公主は籠に山積みになっていた木イチゴを抓むと、がりっとそれを噛んで見せた。

「お前の饅頭を身体に入れてから、どうにも食物が恋しくなるんだ。…それで?俺が天帝になるのが不服かよ。読む気がしない俺にがんがん聞かせるほど心で絶叫すんな」

 思いっきり頷いてしまった。だが白龍公主は目を丸くし、大声で笑い出したのだ。

「っハハハ!こうもはっきり言われると、素晴らしく爽快だな。お前の度胸は面白い。蝶華でなく、お前の方が子を持ちそうだ」

「子供子供って……どうしてそんなに光蘭帝さまの子を」



「魔を形にし、排出させて光蘭帝を連れ去るためだ」

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