召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ②ー②初夜①

「遅過ぎる」皇帝が10度目の唸り声を上げる。その横に控えていた書官がゆっくりと窘めるが、光蘭帝の不機嫌さは徐々に酷くなりつつあった。

 そもそも貴妃の教育を施されていない小羊だが、時間を守るは常識以前の話。

 無人の牀榻を見て、光蘭帝はまず、言葉を失った。

「私が先に寝所にいてどうする! 遥媛公主山君は何を教えているのだ。見張りはいい。私は独りで今宵の妻を待つこととしよう」

 明かりを落した闇の中、書官が分からないように笑いを滲ませたが聞こえる。

「よほど気に入ったのですね。結構な事です。蝶華を早く解放してやれますから」

「そうだな。だが何故に蝶華は私の子を宿さない?」

「兄の私が答えられるとお思いですか」

 それもそうだと夜空を見上げるが、この瞳にいくら月を映したとしても、輝きは見られない。ああ、すべての美しいものが苛つかせる。

 光蘭帝は止まない頭痛を堪え、空っぽの寝所を睨んだ。

 今夜の貴妃はどうやらいつもとは違う様子だ。通常、皇帝が訪れる前に、貴妃は座って命令を待つもので。

 ――それが、遅刻だと? ああ、苛々する。

 その時、僅かに月が陰った。トタトタの足音と共に、小さな人影が廟を遮った。


「すみません。お支度で遅くなっちゃいました」

光蘭帝自ら名付けた貴妃名華羊妃。緩やかな髪はいつものちんちくりんな真横ではなく、妃賓らしく、頭上で金糸を飾られて、縛り上げられている。

 大嫌いな色―――緑――――の着物にすら気づかず、ただ、見つめた。明琳の愛らしさに囚われて。
 そう、愛らしい。小さくて、抱き締めたらきっとふわふわに違いない。


***


 ――ええと、何するんでした?

明琳は必至に考え込んでみたが、いつもより髪を縛る位置が高いせいか、どうも調子が出せない。
蝶華の言葉を引っ張り出した。

『いい?まずはこうよ。今宵は御招き預かり、拝謁至極に存じます』

 はいえつしごく。明琳は無言で光蘭帝を見つめた。豪華な上着を脱ぎ、座椅子に寄りかかる姿は人気の絵姿にも負けていない。長い襦袢から見え隠れする足は男のそれよりずっと綺麗で、明琳は頬を赤くして顔を背けた。

「そなたが挨拶しなければ始まらないだろうが」
「光蘭帝晚上好(こんばんは光蘭帝。ご機嫌いかが?いい夜ね)」

 光蘭帝は硬直したまま、更に不愉快そうに顔を顰め、その眉をくっと下げた。

「斬新な挨拶だな」
「だって後宮のあいさつなんて知りませんから!……わ」
「つべこべうるさい。そなたに聞きたい事がある。あの饅頭……」

 体重の軽い貴妃を赤子のように転がしながら、光蘭帝はその両の眼を明琳に向けた。その瞳の鋭さと驚きで、みるみる涙が溢れてゆく。

(何を言われるのかわからなくてこわい)

 相手は家族を処刑した皇帝一族。――恐怖がないはずがない。
 明琳は小さく丸まって震えて見せた。撫でようとした手が止まる。

「怯えるな。そうまでして私を怯える理由は何なんだ。あの饅頭を作ったのは誰だ」
「わたしです。祖父が倒れて、数合わせに……本当は饅頭なんか作りたくなかったのに」
「勿体ない話だ、あんなに美味なのに」

 起き上がると、光蘭帝は口元を片手で覆い、上目使いになった。

「私はあまりに美味しくて、失神したのだというのに。恐ろしいほどに快感を感じた。亡き母が饅頭を好んでいたから、私も相伴預かったものだ。そんな事は忘れていた。懐かしい味だった。心の凝りを解すような」

 きょとんとなる明琳の頭を光蘭帝の大きな手が撫でる。

「済まぬな。あまりに美味で、ついつい「あの娘が気に入った」などと言ったせいで、とんでもないことに巻き込んでしまった」
「光蘭帝さま?」

 皇帝は困惑したように肩を竦めた。

「飛翔でいい。蝶華も准麗も知らぬ、私の正真正銘の真名だ」
「よ、呼べませんっ」

「なぜ? 褥だけでいい。名前で呼ぶが良いだろう。わたしもおまえを「明琳」と呼ぶ」

(はわわわわ)明琳が狼狽する前で、皇帝はククといとも楽しそうに笑いを洩らした。

「おいで」と腕を広げられて、広い胸板にすっぽりと収まる。トクトクトク。鼓動で頬を揺らしながら、嬉しさで問うた。

「皇帝さまは、わたしの御饅頭を気に入って下さったのですね」
「ああ、美味であったと言ったはず」
「ではわたしは御饅頭を作らなきゃいけないという事ですよね」

 光蘭帝の柳眉が下がる。

「この後宮では一切の食物を作る事を禁じている。毒殺や服毒死を防ぐためだ。そなた、処刑される寸前だったのだぞ? 全く白龍は目を離すとすぐに貴妃を消そうとする」

「消す?」


 皇帝の声音が落ち着いたオトナの男のモノに変わる。視線が絡むのを待ち、光蘭帝はゆっくりと明琳に告げた。


「つまりは殺すという事だ」

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