召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ②ー④初夜④


 膝からずりおちた小羊の気配に一時の安穏から目を覚ます。明琳はバランスを崩してずりおちても、目を開けず、疲労の顔で眠ったままだ。
 相当神経をすり減らしているのだろうな…。こんな小柄な身体だ。
 よくよく考えればこんな小柄な羊相手にどう夜の遊戯を行えばいいのか困る。
 明琳を抱き上げ、寝椅子に座らせ、自分の上着をかけたところで、光蘭帝は目を光らせた。
「覗きか、遥媛公主」
「見るつもりはなかったんだ」
 赤髪の仙人が一人、遥媛公主山君が芭蕉扇を優雅にはためかせる。上唇が陰唇に見えて、光蘭帝は僅かに目を反らせた。
「良くない気を追っていたら、貴方の宮殿に踏み入っていた。はは、可愛いこと。貴方の苦労が目に見えるような小柄さだ」
「ああ、私は大柄な女の方が相手にしやすい。膝に乗せてようやく格好ついたと思ったら」
 やれやれと母親のような仕草で、遥媛公主が寝入ってしまった小羊を抱き上げた。
「その子は既に幽玄だ。遊戯には関与せんよ、ムダだ、遥媛公主」
「ならば僕が貰ってもいいでしょう? 光蘭帝」
 ――名前、呼んでくれたと明琳は嬉しがったが、名を呼ばれるという事は、運命を握りつぶされるに等しい。
「お前の好きにしたらいい」
「戻られたら困るんだよ」と遥媛公主は聖母の顔で呟く。
「何のために光蘭帝からすべてを取り上げるのか。さて、困った小羊ちゃんの扱いはどうしようか」

***

陽が射している。後宮の窓はすべてが大きい。明琳は特に日当たりのいい南の宮紅月殿にその身を横たえていたから、尚更だ。目を覚まして、慌てて辺りを見回しても、明琳にはここがどこかすら分かるはずがなかった。高級そうな漆塗りの柱に、八角形の天井に大きく描かれた龍と金銀に染められた虎がいるのをぼんやりと見やる。
 ――ここは後宮。…でも、皇帝さまのお部屋じゃない。
「お目覚めですか。華羊妃」
 気が付いた明琳はゆっくりと起き上がった。口に流れていた涎を慌てて拭き取って、耀を見やると、独りの青年が座ってこちらを見ているのに気が付いた。
「どなたですか」
「私は星翅太子。名こそ大層なものですが、光蘭帝の使い走りのようなものです。光蘭帝より、貴方を離れにご案内するように」
 朝の拝謁に出て来ない幽玄として達者に暮らせ。光蘭帝の言葉を思い出して、唇を噛んだ。
「嫌です」
 明琳は目を擦ると、両目を瞑って蝶華を思い出した。悠々と貴妃を務める蝶華さま。何かが変わるかもとその口調を真似てみることにした。
「わたしは離れになど、行きませんわ。朝の…ご、ごあいさつにも出ますし、き、貴妃のわたしに何て物言いをな、なさるのかしら」
 つっかえた。全然恰好がつかない。明琳は笑いを堪えている男を涙目で睨んだ。
「それはもしや蝶華の真似ですか」
 見透かされた恥ずかしさで、明琳は俯いた。
「蝶華は妹ですので。つい気が付いてしまって…ちなみに蝶華はわたし、ではなくあたし、と言いますね。『あたしは離れになど行きませんわ!朝の拝謁には出ますし、貴妃のあたしに何て物言いをなさるの?!白龍公主芙君に言いつけるわよ』です」
(うわあ完璧っ)
 どうです? と星翅は少し照れくさそうに笑い、明琳を見下ろした。その優しそうな目元は蝶華と同じく、少々吊り気味。蝶華より優しく見えるのは、目の色だろう。薄い茶色の瞳は陽だまりを思い出させた。良く似合う金色に紺の縫い取りのある宮廷の衣装は宦官とは違う。皇帝の傍で働く女官と武官はランクが違うのだ。
「妹? 兄妹で光蘭帝に仕えているんですか?」
 そうです、と優しく星翅という男が頷く。ようやく、心から安心できる優しい笑顔に出会えたと、明琳の顔が少し、明るくなったところで星翅が言った。
「荷物はありませんね? あちらにはゆったりできる部屋をご用意しました。生涯暮らせるだけの給金は国から出ますし」
 明琳も笑顔になって言った。
「昨日の大御殿に向かいますね」
 また男はもっと優しい笑顔になった。むむ、と明琳は根性を入れ直してまた笑顔になった前で、再度言われた。
「ですから離れにお引越しと言っています。行きましょうね」
「わたし、行きませんわ」
「我儘を言わないようにね」
「わたしは幽霊になどなりたくない。…なら、お役目、果たさなきゃでしょ」
「あのですね。あ!」
 星翅の眼が疲れたように少し曇る。その好機に小羊がばっと飛びのく。
明琳の腕を引こうとしたところで、逃した。目測よりずっと小さかった貴妃はタタタタと走って庭に飛び出してしまう。
「ごめんなさい!」
「華羊妃さま! また白龍公主芙君などに見つかればっ! お、お待ち下さい! すみません、光蘭帝さま! この星翅、小羊貴妃を逃がしてしまいましたことをお許し下さい…っ…お待ちなさい!」
 ――鬼ごっこは得意中の得意よ?と明琳は後宮の広い道を急ぎ、案の定迷ってとぼとぼと歩き出した。ふと、人気のない道に入ってしまった事に気が付く。
(ええと、こっちは白龍公主芙君さまの御宮の逆だから…西…)
 ――あ!
『西の宮を祥明殿と言い、何年も前の後宮異変の内乱のままの状態だ。誰も足を踏み入れない魔が住む宮だ』
 准麗の言葉を思い出して、明琳は振り返った。誰もいない。宮に気配を感じた。禍々しい気配だ。ぞっとして足を止めた。だが振り返っても、同じような宮と装飾で後宮入り二日目の自分が戻れるはずがなかった。
 ――幽玄になり、達者で暮らせ。
「うっく」
 寂しさの上に、無情の光蘭帝の言葉。明琳は小さくしゃがみ込んで、肩を震わせて丸くなってしまう。冬の風が肌を苛めるかのように吹き、頬に痛みを残してゆく。
(おじいちゃん、あたし、帰りたいよ)
 幽霊扱いなんて。それなら、酷くてもどんなに過酷でも、光蘭帝の傍にいたい。名前を呼んでくれればいい。それだけで、嬉しくなる。
 でも、自分だって光蘭帝の御名を呼べなかったのだ。明琳は目を擦りながら、そっと呟いた。
「ひしょうさま」
 瞬間、誰もいない宮で破裂するような音が響いたが、明琳は辺りを見回し、それは空耳だと判断した。西の宮には誰もいない。そうだ、人がいる方へ行こう。誰かに出逢えればなんとかそう思ったのに。
(誰もいません)
 ――こっちよ。
「誰か呼びましたか?」
 明琳はおそるおそる足を進めて、何かに足の甲に乗られて飛び退いた。
(な、何だ…蜥蜴か…鼠かと思っちゃった)
「こんにちは~…」
 お宮を留守にして、泥棒に入られないのかと心配になるが、ここは安全な後宮だ。自分の住んでいた街とは違う。
 ふとガランと音がした。足下を見た明琳は危うく腰を抜かしそうになる。
 ―――骨だ!
 震えながら見れば、あちらこちらに骸骨が転がっているではないか。
(そうだ!ここは内乱のまま放置されているお宮!)
明琳はふと正面に眼を向け、眼を疑った。女性が一人、立っているが、透けていた。
「ゆ、ゆ、ゆ。幽霊さんだーっ!」
 もうどこにでも走って逃げるしかない。この宮を離れる方向に、走れーっ!
そうして泣きながら来た道を引き返して、心配で探していたらしい星翅に出逢った明琳は泣き顔で腕に飛び込んだ。後で聞いたら、星翅は馬小屋や草叢を必至に探していたらしい。失礼にも程がある。
「幽霊などと…お疲れなんですよ」と微笑まれて、明琳はもう一度だけ西を振り返った。
陽は高くなるころには、幽霊の存在などすっかり忘れてしまったのだが。

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