召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

◆召しませ後宮遊戯2~小羊女官と皇帝陛下・華仙界への種は遙か~ ①ー⑤

 とぼとぼ歩いていると、寄り添い合った男女の姿が四阿らしき中にあった。

(みない、みない)しかし、黒く長い髪には覚えがある。

(確か…蝶華さまと一緒に居た男の人……。遥媛公主さまと火花を散らし合ってた)

「だれだ、俺の宮にヒツジを連れ込んだ阿呆な女官は」「ああ、あれ、羊でしたの……」

「俺はおまえ以外に女には見えないな。あれは羊だ。さあ、俺にすべてを寄越せ、貴妃美戚よ」「白龍公主さまあ」

 明琳は顔を上げ、ささっと歩み寄ると、震えあがった公主の足にしがみ付いた。誰でもいい。見知った存在が嬉しかった。

「こ、ここから帰らせてくださいっ。迷っちゃった…」
「あのな。俺は今お楽しみ中なの。分かるか?」

 邪魔と言わんばかりの目の前で、明琳は泣きじゃくった。

「俺の足に鼻水をつけるな。小羊」

 ぐす…と明琳は鼻を擦ると、項垂れてしゃくり上げ始める。

「女の泣き声ほど嫌いなものはないんだよ」と白龍公主は呟き、逢瀬は台無しになった。


 ***


「俺の宮は迷宮だからな」


 しぶしぶ白龍公主が口を開く。(まるで迷宮だ)と思った瞬間に答えを聞かされたことに、明琳は驚いた。試しに違うことを考えてみる。

 散らばってる女の人が気になります、

遥媛公主さまと仲が悪いのかな、

ここまでは蝶華さまが…、

華仙人って偉い人?

「ああ? 散らばっている女官らは俺が吸い上げたからだ。え? ああ、遥媛公主は俺の敵だ。蝶華が連れて来た?あの悪戯好きの悪女貴妃。あとでお仕置きしてやる。そうだ、後宮からは逃げられぬ。華仙人の俺すらも。華仙人とは何か? 何故知らぬ! 愚問に答える慈悲はないぞ」

 面白い。心で一つ考え事をする度、白龍公主は応えてくれる。喋らないでも伝わる。なんて楽ちんなんて言っている場合ではない。明琳はじっと隣の男を見上げた。

 悪いことすると、仙人に食われるよ――。

 おばあちゃんの口癖を思い出す。そう言えば、御饅頭を作っていたのはおばあちゃんだった。


「仙人さん?」
「いかにも。俺が麗しき白龍公主芙君だが?」

 だるそうな声。ああ、皇帝さまと白龍公主さまはとても良く似ている。ようやく止まった涙を指で擦って、明琳は双眸を白龍公主に向けた。

「この紅鷹国の遥か上空の異次元に、我らの国がある。それを桃源郷と呼ぶのではなかったか。俺と遥媛公主は供に華仙界から召還されて、こうして地上にいる」

 ひょい、と明琳を抱きかかえると、地面を一蹴り。ふわりと身体が浮いた。ナナメに明琳を抱きかかえた白龍公主は靑蘭殿の門に辿りつくと、明琳を降ろし、お礼を言おうとしたが、素早く消えた。その時に大きな布を振りかぶるので、その衝撃で明琳はころんと転がってしまう。また門衛がじろりと睨んで自分の頭をつんつんと叩いて笑った。

 ――もう!この髪型やめよ。

 転がった拍子に髪がほつれたのに気がついて、惨めさで、明琳はまた泣いた。

(分からない事だらけだ。そもそも貴妃とは何。偉いの、どうなの。どうしてわたしが貴妃なんかにならなければいけないの。お饅頭をちゃんと作るから、帰りたい)

 かさりと音がした。幾人かを連れ歩いていた皇帝だ。ここは皇帝の宮殿だった? 地理感のない明琳はもう一度周りを見回す。金の龍の灯籠で、ようやくあの庭園だと分かった。

 ――最初に出会った場所だ、ここ……!

「光蘭帝さま」
「そなたは饅頭の羊」

 確かに合っている。だが省略し過ぎている。明琳は眉を上げてしまった。

「みんなで羊、ヒツジって! わたしは少明琳と言うんです!」

「明琳? また何という奇妙な、いや、愛らしい響きの名を。そうそう。そなたの饅頭、すべて平らげたぞ。美味であった」

「あれ、食べたんですか!二個落として」

 口が滑った。また『落としたお饅頭を食べさせるなんて!』と蝶華の怒る姿を眼に浮かべて、首を振った。

「そうか? ああ、でも、最初のものが一番美味だった」
「それ、わたしが作ったやつだ」

 光蘭帝の眼がおや? と大きくなり、ふっと優しさを帯びた。

「そうか、そなたが作ったからか」

 謝らなきゃいけない。落としたお饅頭を渡したこと。急に頭が冴えてきた。それなのに。

「御饅頭、美味しかったですか?」
 考えもしない言葉が口を次いで出た。光蘭帝が「そういえば」と首を傾げて見せる。さすが皇帝。人の話を聞いてくれない。


***


「私はあの饅頭を口に入れた時、魂が揺さぶられるような強烈な眠気に襲われ、初めて眠りを知ったところだ。そうか、安らぐとはああいうことを言うのだなと。ん? 何か質疑して来たか? そなた」

 ――初めて眠りを知った? 何を小羊に。

 自問自答の前で、明琳は踵を返した。だが、その腕をがっしりと掴んで引き寄せてやる。小さい。突き飛ばせば球になって転がりそうだ。

「どこへ行く。確か私はそなたを貴妃にと言ったはずだが?」
「お断りします」

 にっこりと笑って、明琳は続けた。

「あたしは笑顔がすき。いっつもそんな不機嫌な顔した皇帝さま見てると悲しいもの。どうやって楽しく過ごすんですか?」

「こうやってだ」

 くい、と顎を抓まむと明琳は眼を更に大きくした。

「どうだ? 楽しいだろう?」
「アゴをつまむのが楽しいのですか」

 更にきょとん、としたヒツジの眼に嫌な予感を感じる。

(まさかとおもうが、この、あどけなさは……)

「あー、……そなたいくつだ」
「もうじき15歳です」
「盧の字(口付けのこと)を知らぬのか。有り得ないだろうに」

 光蘭帝は冷たい手で明琳の双眸を隠し、唇に唇を寄せた。ちゅ、と音を立てた唇と片手が同時に離れた時、明琳はまだ呆然と目を開けており、皇帝は呆気なく脱力した。元々光蘭帝の声音は男にしては細い。端々に含有された優は隠すつもりもない。明琳の足がそそそと動いた。

「……何故下がる」

 怪訝さを滲ませた声で、光蘭帝が一歩進むと、明琳は二歩下がる。いっそ壁際まで追い詰めてやりたい衝動に駆られながら、皇帝は吐息をついた。

 口元を押さえたまま、明琳は一歩二歩と視線を光蘭帝に注いだまま、下がるのだ。

 しかし、間もなく行き止まり。

「丁度良いところに来たな。准麗」

 笑いを堪えている准麗の姿があった。准麗は袖に腕を通し、一礼して膝をついて見せる。

「光蘭帝さま、臣下より恐れながら申し上げますが、貴妃苛めなど心技体の心に反する行いではないかと存じます」
「そこまでいう事はなかろうよ」
「いえ、武勲の剛の者としては、見逃せません。まだまだ心が甘いようですね?」

 説教を感じ取った。光蘭帝はひらひらと手を振った。

「もういい。私は何もしていない。この羊がチョコマカと逃げるのだ。こうまで逃げられては何もしないわけにいくまい」

 我ながら変な理屈。

「その小羊を正式に貴妃とする。従って朝の拝謁には馳せ参じるよう、遥媛に伝えよ」

「御意」

 皇帝は言うと、襦袢を引きずり、金の髪を揺らして颯爽と廊下に消えて行った。


***


 ――盧の字を知らぬのか。


(聞いたことは在りますと言えば良かったかな)明琳は何度も自分の唇を触っては、俯いた。まだ、ここに皇帝がいるような気がして、落ち着かない。

「そういうわけだ。これから貴方はこの後宮の貴妃として暮らす事になる。現在の貴妃は蝶華を入れると二人。つまり、貴方と蝶華妃しかいない。徳妃、賢妃を抜きんでる存在だ。遥媛公主さまがきっといい貴妃名をつけてくれるだろう」

 何度も瞬きを繰り返す羊に、准麗は言った。

「何としても、光蘭帝の子を身ごもってもらうぞ」


 ――子? こども?!

「あ、あたしがコドモを生むんですかーっ」
「それが貴妃の仕事だ」

 後宮から出るな、貴妃として暮らせ、子供を身ごもれ?

(もうわたし、パンクしそうです…っ)


「さすれば、すべての悲願は叶うだろう――。この遊戯も勝ちで終わる」


 深夜、庭の蓮の葉が揺れた。

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