召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

最終章 軍師と女官・華仙界種子婚姻譚①


―――――紅月季…逝ったのね…。
 その時後ろに寝かされていた蓮華の姿もゆっくりと薄くなり始めた事に気が付いた愛琳が髪を振り乱す。
「あ…あぁ……梨艶、こんなの嫌だ!こんなの嫌だ!!みんな消える!皆いなくなるの!耐えられない!」
 母親の仇だった黒蓮華。それでも…愛琳は黒蓮華を憎むことは出来なかっただろう。
 桃色になった髪のせいか、蓮華は微笑んでいるように見えた。その蓮華がうっすらと目を開けたのだ。その双眸は涙で光っていた。天女は綺麗…だけどこの蓮華ほど美しい天女はいないと思う。我慢していた梨艶の肩も震えた。
「蓮花夫人!」
「その名前はふふ………………梨艶………受け取って…貰えるかしら?」
 同じく姿は砂のように崩れ始め、大気に溶けてゆく。
「私、貴方が好きでしたの。……いずれ興隆のように皇帝になるのを楽しみに…受け取って…わたしの、最後の…いのち…」
「受け取れって……あ」
 口元を押さえたまま見つめる愛琳の前で、黒蓮華も姿を消した。空中に宝石のような煌めきの欠片がはじき出される。
「種…だ…」
 ふと見ると、蓮華の園は少しずつ息を吹き返しているように見えた。その中央に、桃色の蓮華の小さな華がゆっくりと風に吹かれている。黒蓮華の最期の姿だった。
「蓮花夫人………」
 一輪の蓮華は心もとなく揺れている。蓮華の華は空を見上げた。
『蓮華…約束通り、迎えに来た』
 呟いた梨艶の眼に、蓮華の傍に薄れた紅月季がしゃがみこむのが見えた。
「あ…」
涙を浮かべて梨艶と愛琳はそれを息を潜めて見送るしか出来ない。紅月季は何も言わず、そっとその一輪を抓み、ふわりと浮かび上がった。―――――もう離れない。最期くらい、一緒に逝くか?蓮華…我が天女。
 天女から貴妃へ。天帝から興隆へ。時間を戻した二人は、ゆっくりと空を登ってゆく。その消えた空から紅月季と蓮華の花びらがいくつもいくつも降り注いだ。紅月季の声が空に響く。

「華仙は種を残すのが仕事…愛するものに託してまた散る。死しても咲かせて貰えるように。森羅万象…自然とともにあるが、我らが失くしたものを梨艶、愛琳に託す――」

 梨艶の手に紅色の種が、愛琳の手に蓮華の種が零れ落ちた。宝石のようなそれは艶めいて、ただ、愛を讃えているように見え。
「種だ…愛琳…」
華仙界は黒蓮華の呪力で揺れ動いていた。無の空間に飲み込まれ、この世界は終わるのだろう。だが、そうはさせない。
出来る事はただひとつ。…自分たちの愛を持って…。
「愛琳、口を開けろ」
 自分の舌に紅月季の種を乗せた梨艶が愛琳の顔をぐいと自分の方に向ける。
「俺はもう躊躇しないぞ?……約束を果たせ」
 文句を言おうとした泣きはらす愛琳の口元に蓮華の種を宛がったまま、梨艶は愛琳を強く引き寄せた。堰を切る様な深い接吻の後、丹念に舌を絡めあう。口腔で二つの種がこすれ合って、体内に流れて行った。
 紅月季の種は愛琳の中に、蓮華の種は梨艶の中に滑り落ちてゆく。
 愛琳の大きな目が涙を零すまいと堪えて震えている。何度も何度も唇を合わせる度に、種が超新星の如く、ゆっくりと光りを蓄えてゆく。光は愛だ。どんなに暗い世界でも、一瞬で照らしてくれる愛だ。
「梨艶」
「愛琳。伝えたいことがある。こんな時だが…」
 崩れる世界の中心で、梨艶はやがて言った。
 苦しめた、辛い想いをたくさんした愛しい女へ。心を解き放てるようになるまで待っていた。我慢していた。
―――――愛とは受け取り、返すものだから。一方的に奪うものではないことを知った。華仙界が長すぎる時の中でいつしか喪ったもの。大切な、言葉を。
「二度しか言わない。愛琳」

我愛你――――――――…

 驚いた愛琳の瞳が煌めいて、髪が舞い上がる。封じられていた紅月季の力が種を得て、芽吹いてゆく。眩暈のするような幸せの濁流は愛琳の中では納まらず、その光は輝度を増して広がってゆく。それを抱きとめる梨艶の嬉しさも手伝って、蓮華の園は光に包まれた。まるで海を走る波のように愛が広がってゆく。
 世界がどんなに怒りや哀しみに満ちても負けない。大切な想いに代えてゆけるなら大丈夫だと。それを言って欲しかった。それを伝えたかった―――――声なき声が二人に囁く。眩い光の中で、愛琳が梨艶の胸に頭を預けた。
 嬉しさは物凄い力になる。そう、世界を塗り替え、悲しみの華仙界を救えるくらい。
 やがて光の中で、愛琳が頬を赤らめて梨艶を見上げ、ぽそと言う。
「もう一度、言うね」
「二度しか言わないと言っただろう。もう駄目だ」
「あと一度ある!」
「……お楽しみがなくなるが?…これではだめか?」
 頭を撫でる手に、愛琳がそれでもいいよと梨艶の肩に頭を擦り付けて目を閉じた。
梨艶の鼓動も早い。それが嬉しくて微笑を止められない。その時、愛琳の腰壺が落ち、粉が舞い散った。それはゆっくりとまず枯れてしまった蓮華の園から息を吹き返させてゆく。紅月季が来る日も来る日も蓮華を想って祈り続けた蓮華の園。それから霊峰の大気、崩れた大局殿に割れた水鏡…すべてが時を巻き戻した―――――

「これは…」
「新しい華仙の統治者の誕生だよ」
 光溢れる中で、二人の華仙人が呆然と立ち尽くしている。
 すべてが元通りとは行かないまでも。それでも、世界の崩壊の速度は緩やかなものとなってゆく。滅ぶことはいずれあろうとも、靑蘭も、芙蓉国も、華仙界から立ち直る。
「では紅月季さまは亡くなったか…蓮華も一緒かな」
「だといいよね。ボクのあげた種は要らなかったようだな」
「種だったのか?…あのブヨブヨした球体」
「賭けだったんだ。愛琳ちゃんの得体の知れない仙人の力を起こすつもりだった」
「じゃあ統治者を迎えなきゃね」
 熊猫を抱いた仙人が一人、大気を飛んでゆく。その途中で、蒼杜鵑と紫山茶花は奇跡を目の当たりにすることになった。
空気が変わってゆく中で、何百年ぶりかの青空が姿を現したのだ。その神々しい光は地上の空にも届き、芙蓉国で、富貴后は目を細めていた。
「華仙界がようやっと本来の役目に戻うたか。全く、華仙の統治者と妻が地上に毒されるなど。あの二人を迎えに行かねばならないな…」
 恐らくこれが最後の変化だ。やがて一匹の白騰蛇がその美しい光をまき散らし、空に蛇行しながら消えゆくのを銀龍楼閣の者たちは目にすることになり、合掌して見送った。
 ようやくすべての負を浄化された靑蘭は新たな皇帝の元、今度こそ、健やかな良い国になる。それこそが、華仙界の望んだ事であり、それは永久に続くだろう。
 その龍の眼に二人の仙人の姿が浮かび上がった。
「紅月季、黒蓮華…いや、桃蓮華…一緒に逝くのか」
 空気に透けた二人が笑顔で大気に溶けてゆく。望んだものは、きっと梨艶と愛琳が叶えるだろう。その呟きを独り残った仙人は涙交じりで聞くことになった。

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