召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

第六章 さらばだ 我が天女④

そして梨艶と愛琳である。二人は暴風雨の中、ようやく揺れ流れる華仙界に辿りついたところだった。以前とは違う。まるで別世界。蓬莱都に似ている気候に黒い空。目を疑った。
雨は嫌いじゃない。すべてを洗い流してくれるし、梨艶に傘を貸したこともある。でも、この雨は好きじゃない。泣いているような哀しくて、胸が張り裂けそうな雨空だ。
「……不気味な空気だ……愛琳!あれを見ろ」
二人はふと動かない蛙と熊猫に気が付いた。
「紫山茶花!蒼杜鵑!」
梨艶が無我夢中で蛙を抱いた。蛙はぺしゃ、と水たまりに落ちて沈んでゆく。
「蒼杜鵑!―――――死んでる…」
 梨艶の眼に蓬莱のある日が映る。母親を探し、蓬莱まで歩いた梨艶は後宮の暗殺者に狙われていた。居場所はない。逃げるしかない。そんな時に軒下で、ある女性が饅頭を手渡してくれた。その饅頭は甘く、心に浸み込んで……梨艶は一つの言葉を震えながら口にした。
『母上か…?』
 ふっと笑った女性は白い羽衣を翻して、消えた。梨艶は追いかけた。だが、姿は消えてゆく。転んだそこには一匹の蛙がいた。その蛙はケロケロと鳴いていて、小馬鹿な動きで梨艶をからかった。頭に来た梨艶は蛙を叩き切った。初めて、生物に手をかけてしまったのだ。殺生を覚えた日だった。
―――だから蛙は嫌いだ。だが、こんなのは……御免だ。何故?…
「蒼杜鵑…何があった!」
「こっちもね!梨艶!…紫山茶花!しっかり!」
「あ…」
 紫山茶花は血に溢れた眼を愛琳に向けた。紅色の髪が見える。紅月季さま…?とぼんやりと呟く。だがすぐに頭の耳に気が付いた。何より愛琳の髪は茶色だ。紅ではない。
 何故間違えた…と紫山茶花は呟きながら頭を押さえて上半身を起こそうとする。
「蒼杜鵑…は……あっという間…に……何が起こったのか………わかりま…せん。黒蓮華…あれはもう華仙の力ではない……愛琳…」
「喋っちゃだめね!…酷い傷よ」
 紫山茶花は自分の羽衣を引きはがした。今度は愛琳の周りにふわりと羽衣は定着し、ふわふわと雨の中を戦いだ。
「羽衣が貴方を認めた……紅月季さまを……」
「ダメぇ!目を閉じたらだめね!華仙の人は不老不死なはずよ」
「同じ華仙同士はダメージを与えられるのです…黒蓮華は、紅月季を殺せる…のです」
 梨艶の手が剣を掴んだ。
「それであれば、俺が黒蓮華を殺せるということだな。……愛琳、ここにいたければいろ。俺は決着を付けなければならない。長年靑蘭を滅びに向かわせた天女の制裁は俺の仕事だ。それだけではない。あの女は母上まで殺しかけた…容赦する謂われはないな」
 梨艶はプラス、と付け加えた。
「おまえの母親の仇だ。すべて俺がやる。おまえはここで熊猫と蛙と戯れていろ」
「嫌よ。…その前に蛙さんの埋葬はちゃんとする」
「ああ…手伝おう…」
 言っていた梨艶の手が剣を掴んだ。(来る!)と全神経を研ぎ澄ませて、飛び跳ねた蛙を叩き落とした。蛙はムクリと起き上がり、コキ、と肩を動かす仕草をする。
「酷いな。いきなり叩くなんて。誰が埋葬だ。仮死状態って言葉も知らないのかい?」
 びょいんと蛙が今度は愛琳に向かって飛び跳ね、愛琳は悲鳴を上げて梨艶の背中に逃げ込んだ。その目の前で蒼杜鵑は人型に戻り、紫山茶花の手当をテキパキと始めてしまう。
「あーびっくりした。蛙は驚くと、心臓が止まるんだ。それにボクは医者だ…梨艶、あの青いのちゃんと持ってる?それは…」
「おまえ……軍師の俺を騙したな」
 ぶるぶると怒りで震えている梨艶の心を読んだ蛙が「そんなに怒るなよ」と蛙の姿でおどけた。
「怒るだろう!俺は本気で心配…うあぁっ…」
 全身を焼きつくような痛み。蒼杜鵑が掠れ声で蛙のまま梨艶を覗き込む。梨艶の怯えた瞳は今にも泣きそうだ。「トドメをさしそうですが」という紫山茶花に頷いて人型になって、その腕を取った。
 梨艶の瞳が更に怯えた。安心した顔をすると、すぐに痛そうに顔を顰める。
「この感じは華仙だよ。人を愛する事も、大切に思う事もない代わりに、悲しみや苦しみから解放される…。梨艶の状態って華仙に近づいてるって言った方がいいかも」
「…梨艶華仙さまになっちゃうってこと?」
「おそらくは。元々白牡丹の子だから、素質が目覚めたのかも。そのうち愛とか言わなくなるんじゃない?イタイから」
蒼杜鵑が覗き込んだ前で梨艶は吐き出すように力強く吐露した。
「……冗談じゃない。…俺はまだ本懐を遂げていない!今思えばどうして芙蓉国の女と知ったくらいで躊躇したのか!こんな未練を抱えたままは嫌だ。愛琳…おまえの気持ちを返せないなら、抱けないなら死んだ方がいい」
「まだ死ぬ言うね!…なら、早く治して、思う通りにしたらいいよ!」
「思う通りに…だと?」
 梨艶の眼がキラリと輝いた。梨艶は少し頬を赤らめると、ぼそりと「いいのか」と呟いた。その目がどこに向かっているかに気が付いた愛琳がばしんと梨艶を叩く。
「あなた出逢った時から人のどこ見てる!」
「…不服ならおまえの顔を見るとしようか?」
 同じ台詞に不謹慎にも嬉しくなった。が、熊猫の顔が割り込んで愛琳と梨艶は顔を遠ざける。「こんな神聖な華仙界で何をやろうとしてるのかは知りませんが」といつものように紫山茶花がキツイ口調で止めに入った。
(相変わらず頭硬ェよな、紫っ子は)といういつもの幻聴が聴こえない。紅月季さまの天命が尽きる。命の砂の音が聞こえる。
「…すべて終わったらだ……愛琳、ゆこう…」
 ゆらりと梨艶が立ち上がった。後で、二人の華仙を振り返る。
「この世界は終わらせはしない。地上に生きるものとして。黒蓮華だけの責任ではないだろう…愛と憎しみは表裏一体。だが、俺と愛琳なら黒蓮華は止められる」
 梨艶が懐から手記を出した。
 愛されていないと思い込み、憎しみの輪廻から抜け出せなくなった憐れな天女に、真実を伝えないまま逝った李興隆。そして最後の一文。
『私の愛おしい天女へ。いつか紅月季に戻り、愛せる事を誓う』
何故李興隆は紅月季の名前を残しているのか。もしも考えが正しければ…考え込む梨艶の腕を愛琳が手に取った。
「梨艶、ぼろぼろね!」
「きみに効くかわからないけどいる?」と蒼杜鵑は小さな顆粒の入った袋を手渡した。梨艶は首を振って断ってしまう。
「俺は靑蘭の軍師でしかない。そんな高尚な薬は要らない。人参の磨りおろしで充分だ。行くぞ、愛琳」
 タン、と梨艶が飛び上がり、愛琳がもっと高く飛び上がる。その手をしっかり掴んで、梨艶は愛琳を引き寄せた。冷たい梨艶の胸に頬を摺り寄せる。そうすると抱かれた肩の力が強くなる。
 梨艶は、愛情を返す時に腕に力を込めて抱き返す。思えば最初からそうだった。

「酷いな…」
「うん」
 もはや靑蘭と芙蓉国と華仙界に違いはなかった。離れている世界が同じ色に染められてゆく。灰色に、闇の色に。二人は寄り添って空を舞いながら、世界を見下ろした。
「何としても、紅月季を救うぞ。それがおまえのためにもなるだろう」
「私のため?」
 まだ上手く羽衣を操れない。梨艶に抱きしめられて、大気を突っ切ってゆくと、黒い岩の塊が見えて来た。あの霊峰だ。
「梨艶!あそこ!黒蓮華と紅月季がいるね」
「どこだ」
「天壇…あれ?天壇?…まあいいや、天壇の屋根の上と、そのすぐ下」
 この豪雨の中何故見えたのだろう?愛琳が指を指した先には確かに紅の髪と黒の髪がそよいでいた。
「でも、興隆さんが本当に愛してたって伝えたら、紅月季さまが悲しむね」
「その心配はない」
 梨艶は短く言うと、改めて紅月季という男の恐ろしさを顧みた。と、同時に華仙の男の超越した愛し方と、その犠牲の仕方も。
 李興隆は紅月季だったのだ。多分あの男は、黒蓮華という天女を追いかけ、地上に一緒に降りていた。そうして迎えにゆくフリをして、蓮華を見守り続けた。
 その先は憶測だ。だが、人の人生など瞬きのような華仙界の統治者ならば、そのくらいの遊びは出来たはず。紅月季は言っていた。『俺も含めて汚れた…』と。
 永きにわたり、人間界にいた華仙たちは、人より穢れるのも早く、その圧倒的な負に対抗できない。それは蓮花夫人で分かる。弱いのだ。人などより、ずっと弱い。愛を囁ければ支えることも、伝えることも出来るだろう。あるいは…。華仙たちは愛情を知らない。
(ただ、解せないのは何故母上だけはあんなにしたたかに強いのだということなんだが)
「梨艶、いっつも梨艶のいう事わかんない。けど、梨艶を信じて私はここまで来たね」
 愛琳は梨艶の手を握った。
「だから今回も梨艶信じる。梨艶は私信じる。それでおあいこね」
 雨風を腕で避けながら、梨艶が頷いた。 

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