召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

第五章 蛙の華仙人

「もっとしっかり捕まれ、愛琳…あまり見るなよ」

 羽衣をしぶしぶ纏った梨艶が愛琳を抱きしめて華仙界を飛んでいる。嫌だと言いたくても、自分が纏わなければ移動も間々ならない。それに朝食だと出された膳は霞らしく、人間の食べられるものなど存在しないと言い切られた。

 であれば、時間は限られてくる。

『…詳しくは沼地の仙人、蒼杜鵑に聞けば良かろう。悪いが多忙でね。あとは好きにすればいい』

 紅月季はそう言い、姿を消してしまった。

「しかし沼なんて…嫌な予感がする」
「あ、梨艶、あれ違うか?」

 二人が目を覚ますと、華仙界は桜の匂いも麗しい春の静観に変わっていた。その青々とした木々を目に映しながら、梨艶と愛琳は沼地に住む華仙の蒼杜鵑という男を探している。

「美しい湖ね」
「…実際はどうだかわからないがな。…降りるぞ。暴れるなよ」
「梨艶が私のおしりに触らなければ暴れないよ。撫でまわすの止めるね」

「だから、俺には感じる事がないんだと何度言えばわかる。おまえの感触が甦らないかと思ってこっちは努力している最中だ。文句ばかり言うな。む…」

 とんだ迷惑である。だが、「芙蓉国の女など」と言われ拒絶されるよりはずっといい。

 二人の足が湖畔についた。ふわりと羽衣が梨艶の身体から外れてゆき、また糸のような形状になる。

「どういう仕組みなんだか…」と不可思議で仕方がないように呟いている梨艶の前で、愛琳が声を上げた。

「芙蓉国の泉を思い出すね。お日様の光浴びて、きらきらに光って…大きな蓮の葉の上に」
「……あんなのもいたりするのか?」
「うんそう、色鮮やかな…」

「蛙だが」

―――――蛙?!

 梨艶が指を指したまま、動かなくなった。愛琳は蓮の上に乗った大きな両生類を見るなり叫んだ。

「あ、あたし蛙苦手!鳴く時に喉が膨らむね!気持ち悪っ!」
「それは奇遇だな、俺もだ」

 さっさと蒼杜鵑を探しておさらばしたいところである。と、蛙の眼がぎょろんと愛琳に向いた。ぎゃああああと女官らしからぬ悲鳴を上げて、愛琳が涙目になる。

「こ、こっち見た!…り、梨艶、追い払って」

 梨艶がせせら笑った。

「生憎だが、俺も身体が動かない。…どうにもこうにもあの生物だけは勘弁だ」
「貴方軍師でしょ!」

「だから俺は国境の近くには絶対遠征せん。水辺作戦を推奨はしたが、作戦を立てるのが仕事だ。ついでにいうと、睦月の蓬莱都にも絶対に足を踏み入れたくはないな」

 蓮の葉が軽く揺れた。と思うと、その蛙はゴムのような手足を使ってびょん、と跳ねて地上に着地した。ちょうど愛琳の目の前だ。背中がざわざわした。

「嫌ぁ―っ!り、梨艶、あれ、どっかやって!」
「………早く蒼杜鵑を探すに越したことはないな。こんなものに構ってる暇はな…」
「あ」

 蛙がもっと近くに跳んだ。初めて蛙の大きさの異常が分かる。手のひらどころか、大きさは足首まである漬物石ほどの化け蛙だ。碧色の蛙はびょん、と梨艶の前に跳ねて、ぽすんと頭に乗っかってしまった。

ぎょろりと梨艶は端正な顔が台無しになる位、瞳を流転させ上を向き――――――

ばたん。

倒れた。軍師はこれだからひ弱…などと言っていられない。愛琳は蛙に向かって薙刀を振り回した。


「梨艶―っ…おまえ、な、何するね!」


「名前呼んだから一番近くに行ってやっただけだけど?……ああ、この姿が苦手?可愛いと思うけどな…」

 愛琳の眼が点になった。でかい上に喋った!よっ、そんな声をした蛙は宙返りをすると、ボワンと音を立てて―――優雅にお辞儀をして見せる。蒼髪を綺麗なリボンで束ね、優しそうな眼を愛琳に向けると、彼はにっこりと笑った。


「初めまして。ボクが華仙の蒼杜鵑だ。あれ?固まっちゃってる?もしもし?」


***


「ははは、紅月季さまに何も聞かなかったんだ。あの人も悪戯好きだよね。ボクが百合科の杜鵑の華仙だよ。蛙の形態を持つんだ」

 蒼杜鵑と呼ばれた青年は青髪を上に束ね直しながらかんらかんらと笑った。まだ伸びてしまったままの梨艶を気の毒そうに見つめながら、愛琳が気丈にも言い返す。

「何で蛙になるね!嫌がらせか!」

「あれ?紫山茶花は熊猫にならなかった?ボクと紫山茶花は変容型の華仙なんだ」

 ぴくんと梨艶が起き上がる。小さな東屋の一角はとても靑蘭の蓮花夫人が気に入っていた園に似ていた。

「華仙にも色々な種類がある。ボクはその医者みたいなものかな…黒蓮華の香に充てられたんだって?…フフフ」
「何が可笑しい」
「よりにもよって『双の香』とはね。あのつがいの香は知ってるよ。紅月季さまがどうしても妻に贈りたいからと。何百年前かな…」
「妻?…あ」

 愛琳が何かを思い出したように口元を覆った。昨晩の夢…確かに紅月季と黒蓮華は夫婦だった気が…。

「二人は元夫婦ね?」

 蒼杜鵑がおや、というように目を愛琳に向けて見せる。

「良く分かるねえ…まあ、世界を揺るがすような大喧嘩の末に、何故か黒蓮華は地上に落されて一千年の罰を食らったんだけど。でももうその位経つのに、紅月季さまは黒蓮華を許してないみたいだよ。まあねえ、罰を与えた場所で恋愛されちゃあねえ…」

 話の途中で、机が揺れた。蒼杜鵑がじろりと梨艶を睨む。

「無粋だな。話の途中に机を叩くなんて」

「もういい加減、華仙さまたちののんびりには飽きた。俺はそんな話を茶を飲みながら聞きに来たわけじゃない。作ったなら、俺にかけられた香の効力を消す方法を知っているはずだろう。さっさと言え。さもなくば――…」

 梨艶は短気だ。軍師たる所以か、考えるときは思い切り時間をかけて考えるくせに、いざ行動に移す時にちょっとでもモタつくと苛つくらしい。

 その梨艶に動じず、仙人がのんびり答える。

「うん、知っているよ」

「白牡丹は華仙界にあるもう一つの香で相殺できると言った。その香が欲しい」

「あるよ」

 ちょっと待って…と爽やかな声で言いながら、蒼杜鵑は自分の東屋を出、空気に溶けてゆき、やがて戻って来た。だがその手には愛琳には何もないように見える。

「あの双の香は離れさせてはいけなかった。お互いがお互いを認識できる場所に置かなきゃいけないとあれほど紅月季さまに忠告したのに…生きているから。あの香炉は生きているからこそ、人の感情をダイレクトに取り込んでしまうんだ」

「生きてる?香炉が?」

 蒼杜鵑は頷いた。静かな蒼の瞳が夜の海のように光を過らせる。

「恐らく長年の黒蓮華の悲しみが、その「好きな相手にのみ無感になる」という不思議な香を作ってしまった。それを解く方法はある。元となる黒蓮華の命を絶つことだ」

 ―――――黒蓮華の命?

 聞いた梨艶の手が震えている。だが、彼は腰の剣を手にし、「わかった」と短く呟いた。

「では黒蓮華を殺せばいいのだな」
「そういうことになるね。……ただ、黒蓮華は華仙だよ?人間の…ああ、半分だけ華仙の手で死ねるものかな。ボクらは寿命を待つしかない。天寿の元に種を残して華仙は散る。ちょうど紅月季さまが寿命を迎える。だからボクは華仙の命は一万年ではないかと」

 珍しく梨艶が動揺した。

「冗談云うな。そんなに待てるか」
「―――――そんなに好きなコに感じたいんだ?」

 少し色気のある眼になった蒼杜鵑が梨艶に詰め寄った。

「うっふふ、きみの心、素直だねぇ…そっかそっか。抱きたいんだ、死ぬほど…凄いね」
「いい加減人の思考を読むのを止めろ。好きな女を奪いたい気持ちの何が不思議だ」

(華仙の人たちって、何でこう艶やかなのか…)
愛琳が思った瞬間に「ありがと」と声が帰って来て、愛琳は条件反射でにっこりと笑い返した後で、梨艶を睨んで冷たく言い放った。

「愛?また嫌な言葉を」

 梨艶が即座に眉を硬くした。

「心が読める華仙に愛なんか要らないんだよ。紅月季さまと蓮華はどうして上手く行かなかったのか、ボクはいつか聞いて見たかった。…取り敢えず、わざわざ来てくれたわけだから、これは持って行けばいい」

 言って蒼杜鵑は蒼いガラスのようなものを梨艶に渡した後で、背中を向けた。

「それは黒蓮華の持つ香炉の中の香と対になる。知らないだろうから、教えてあげる。黒蓮華はね、地上に落されて、靑蘭の皇族たちにそれは酷い扱いを受けたんだ。一見大切にしていたようでも、人間の男のエゴは恐ろしいものだ。天女の存在は、もしかすると、人の眠っていた独占欲を肥大させてしまうから。だからこの華仙界は姿を消したのかもね。
 どんなに黒蓮華が叫んでも、それでも紅月季さまは助けなかった。人を見守るべき華仙の蓮華の名前を持つ立場で、人を殺めれば華仙から堕ちる。それが掟だから。地上の男と迎えに行かない紅月季。その恨みを黒蓮華は香に込めた。その呪は香となり、キミにかけられたと言うワケ」

ぼふ。という音と共に蛙が現れた。怯える二人を気にも留めず、その両の眼で見つめ、何故かある耳をピコリと伏せて、蒼杜鵑はペチャッとした手で腕組みをして見せる。

「…不思議だね。二人とも、華仙の力があるのかな。…愛琳ちゃん、君にも」

 ―――――私?

 梨艶が富貴后さまの血を引いているのにも驚いた。愛琳は両手を広げ、熊猫頭を揺らした。蛙が机に飛び乗る。梨艶は卒倒しそうなのを堪えて顔を背けながら会話に応じている。

「俺は白牡丹の息子だからな」

「なるほどね…。あの白おばちゃんの息子ねえ。愛琳ちゃんは何だろうね?…おっと、この姿が嫌いなんだっけ。気を緩むと変容しちゃうんだ。…っと」

 元に戻った蒼杜鵑は椅子に腰を掛けると、片腕を空に伸ばした。

「紅月季さまの寿命は長くない。もうじきこの世界は滅びる。人間の膨れ上がった憎悪はもう誰にも止められない。崩壊を止めるにはただ一つ。紅月季に変わる誰かがこの世界を収め、礎となり、地上からの負を浄化する事。世界の汚濁を浄化する本来の華仙界の姿を取り戻す…そんな事が出来るのは、紅月季さまだけなんだよ」


 だからこの世界ももう崩れ落ちて消える。蒼杜鵑はきっぱりとそう言い、目を伏せた。

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