召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

第二章靑蘭の軍師 梨艶③

 ―――――随分見晴らし良くなったよ。どうせすぐ生えるね。さあて、お仕事、お仕事。

 梨艶の投げた点心が足元に落ちてきた。ガン!と薙刀を立て、愛琳は腕を軽く回して戻るところだった。その園琳の前で気だるげに寄りかかったままの梨艶の姿が視界に飛び込んで来た。落ちた点心は無残にも砂まみれ。なんだ。謝ろうと言うのだろうか。ようやく気が晴れたところだったのに。

愛琳はまだ涙目の双眸を梨艶に向けた。

「梨艶の顔、見たくない」
「今夜は星祭りだそうだな…蓬莱の」

 一瞬愛琳の笑顔が凍りつく。だが愛琳は頬を少し膨らませて、目線を外した。

「そうね。平和を祈るお祭りだよ。戦い好きの軍師には無縁のね」
「行ってもいいぞ」

 梨艶がぶっきらぼうに告げる言葉を疑いの耳で聞く

「行ってもいいぞと言ったのだ。富貴后には許可を得た。俺と一緒に歩くのは嫌か?」

 梨艶といると、どこまでも眼がでかくなる気がする。
 梨艶は柵に寄りかかり口元を片手で覆った。

「おまえと出かけるのも悪くないだろう。もしかすると今後は靑蘭の争いに巻き込まれる可能性もある。その前の翅休めも必要だ。軍師は常に最善の状態で作戦を練るものだ」

「梨艶…」

 ―――どうしよう。梨艶が私を気遣ってくれた。

…転がった点心のことなど頭から吹っ飛んだ。
薙刀を振り回して、意気揚々と顔を上げた。

「私、今からお仕事ね! 日没まで待っててくれる?」
「ああ」

 嬉しそうな大輪の薔薇の笑顔を見送って、梨艶は影で様子を見ていた宦官に振り向かずに横柄に言う。

「そういうわけだ。…馬を一頭手配できるか。日没に出る。護衛などいらん」

「……かしこまりました。では、そのように」

 富貴后の「賓客」となれば、接待は銀龍楼閣の宦官の仕事になる。陸冴は静かに頷き、伸ばした前髪の隙間からその男を睨んだ。愛琳は実は趣味悪いのか…と呟きながら。



 銅鏡に護り剣、紙垂に芳珠。


蓬莱都の一年に一度という星祭りは先の戦いで亡くなった人々の弔いを兼ねている。今も争いを続ける靑蘭には無縁の祭りだったが、蓬莱と芙蓉国では恒例になっていた。

愛琳は梨艶の腕を取ってはあれやこれやの説明をしてくる。ふと顔の擦り傷が気になった。聞けば足を引っかけられ、喧嘩になったのだと言う。

「女官風情が梨艶といるのが気に食わない貴妃たちの仕業ね。そんなもん何でもないよ」

「おまえが貴妃だったら殺し合いだな」
「何を言う。芙蓉国の人間は人を殺さない」

 愛琳は両手を胸に揃えて目を瞑った。ぴくん、と美乳が動くのが梨艶の眼に映る。

 ―――やはり反応なしか…。そんな落胆する前で、愛琳は吹っ切るように言葉を発す。

「貴妃さまたちもきっと分かってくれる。梨艶も安心していいよ。ここなら安全。ゆっくり眠れる。少しでも梨艶が癒されてくれればいい。何すればいい?何でもやるよ」

「おまえは…俺にされた冷たい仕打ちを忘れてるのか。それとも楽天家か」

「それ以上に梨艶が優しいからよ」

愛琳のその言葉は少しずつガンコな梨艶を変えていた。

呆れを通り越す慈悲。無意識に近く、ぼそりととうとう梨艶は話し出した。

「富貴后、母上は俺を捨てたのだ。元は靑蘭の貴妃だったのだからな。俺だけを残して、母は消えたそうだ。俺はその後、蓮花夫人に育てられた。ずっと後宮にいたんだ。雅で邪な闇の後宮にね」

「え? でもあるよ?」

 梨艶が愛琳の手を振り払う。情けない自身の柔らかさに辟易しながら言い返した。

「!か、宦官になどなるか! おまえは何故そうやって普通に俺に触る。触ったところで何も起きやしない。期待には答えられんぞ」

 まだスネているらしい。

そんなに「感じることが出来ない」ことが梨艶曰く「不幸」なのだろうか?

 梨艶は感情がなくなった素振りをしているだけではないか。だってほら、何気に頬を緩めて優しそうに微笑んで来たりする。それに、香をかけられた後の梨艶の方が優しさに溢れている気がする。何て事は何となく言わないでおく方がいいだろうと言葉を胸に秘めた。

 喧噪を離れると、厳かな雰囲気だ。特設された荷台の上には灯篭が所せましと置かれていた。気が付いた梨艶の瞳が僅かに動く。灯された小さな色取り取りの灯篭…。

 ふと愛琳が二つの灯篭を手にしているのに気が付く。手のひらに乗る程の小さな赤い灯篭と蒼い灯篭だ。

(そういえば星祭りは死者を弔う祭りだったか)と梨艶の眼が荷台に向けられる。無料らしい灯篭は何という優しい耀なのだろう。忘れていた優しさが心の底から込み上げてくるような…。そうだ、自分も…と手を伸ばした瞬間、激しい眩暈に襲われた。

(う…っ)

 突然息苦しくなって、梨艶は喉元を押さえ、手の中に少し吐いた。指が震えていた。その手を押さえて冷や汗で愛琳を見やる。悟られるわけには行かない。あの女官はまた自分を責めてしまう。愛琳は灯篭を見つめて水辺に近づいているところだった。見ていない。
 感情を抑えつけられている―――――優しさを感じると、死にそうに苦しくなる。日に日に酷くなる。だがこれは自業自得なのだ。そう思えば耐えられるはずだろう。

 純粋な願いを踏みつけた、俺への罰なのだ。敗北など秀梨艶はしないだろう。

 黒蓮華の香の恐ろしさはこんなものではないはずだ。愛琳は心を掴まれた。その恐怖に比べれば…梨艶は唇を噛み、汚れた手を水に突っ込み洗浄した後で愛琳の傍に戻った。

「たくさんの命の灯だ」
「うん…」

 ――お父さん、お母さん、この人が今の私の大好きな人だよ。

 そんな呟きと共に、愛琳はそっと灯篭を手放して見せた。梨艶も一つ、蒼い灯篭を流して手を合わせた。追いかけっこをするように三つの灯篭が流れていくのを見送る。

「梨艶誰か亡くしている?」

「母違いの双子の弟と妹だ。靑蘭では珍しいことでもない。それに双子は占星では鬼門。弔う気持ちなど忘れていたが…芳純、素襖と言ったかな…」

「じゃあ私ももっと流すね!」

「ついでに母上の分も流してやろうか。白い灯篭はないか」

「何てこと言うね。それは私が許さないよ。…持ってくるね」

「…俺が行こう。女の手では持ちきれないだろう」

 戻って来た梨艶の手には更に灯篭が二つ増えていた。何も言わない梨艶に愛琳は涙を浮かべてしまう。

しゃがんで一つ一つを丁寧に梨艶の大きな手が水面に浮かべてゆく。流れてゆく灯篭は、本当に途中で消えてゆくようで、もしかすると天に届けられるのかもなどと愛琳は涙ながらに思う。

 父と母の元には、今年は二つの灯篭が届く。驚く二人を想像すると、胸が暖かくなった。

「靑蘭流だが構わないか」と梨艶は両手を拳にして合わせて目を閉じる。愛琳も真似をしようとして梨艶に止められた。

「冠婚葬祭を一緒にやるのは夫婦だけだ。おまえはまだ芙蓉国方式にした方がいい」

 どういう意味かと愛琳が首を傾げる。だが梨艶が真剣に言うので、両手を合わせ、直立で軽く頭を下げた。時間は信じられない程、緩やかに過ぎてゆく。


「梨艶、こっちね」 


二人で夜風の中、たくさんの灯篭を見送った後、突然愛琳が灯篭の列を少し離れた場所に立って動かなくなった。ふわふわの髪がゆっくりとそよいでいる。


「ここ。あたし、この辺りの杭に引っかかっていたのを、富貴后さまが見つけてくれたんだ。星祭りの夜だったね」


 梨艶が静かに愛琳を見つめる。

 ――あたしも捨てられたんだ。そう愛琳は確か…そう、地下洞で一度だけ口にしていた。

「だからこの星祭りを覚えている気がするよ。私はこのたくさんの灯篭を見てた。不思議な世界ってこういうのをいうんじゃないのかって。綺麗であたし泣いてたんだと思うね。こんな綺麗なものだけで出来てる世界。そんな世界があるのなら…」

「よく助かったな…流れが早ければ流されただろうに」

 蓬莱の河は流れが速い。あの桜霞大水法の勢いをそのまま流しているなら、赤子などひとたまりもないはず。

 運がいいのか…だが、引っかかってた?…赤子が?

「梨艶。梨艶にだけは言うね。私、母親の仇を打つために、芙蓉国で武術覚えた。…母さん、殺されたね」

 誰にも言わなかった事実だ。愛琳は続けた。

「母さんが殺される時、黒い白鳥が母さんの首を締め上げたね。私はそれを見てた。白鳥は私を狙って、赤い鳥が私を攫って飛んで―――――気がついたらこの場所にいた…」

「黒い白鳥…?まさか」

 黒蓮華を思い出す。そんな偶然があるはずがない。

だが愛琳はそのことを言っているようにしか思えない。だが黒蓮華が愛琳を狙う理由はあるのだろうか?
「胸騒ぎするよ。もしも母さんを殺したなら、私が仇を討つね。誰にもさせない」

「だから俺を遠ざけたのか。俺は靑蘭に残っても良かったんだぞ」

 愛琳はゆっくりと首を振った。目が濡れている。それでも、溢すことなく、瞳に涙は帰って行った。


「私はこれ以上大好きなもの、失いたくないね。梨艶いなくなったら、流す灯篭が三つになるよ。芙蓉国が嫌なのは分かる。でも、梨艶、そのまま靑蘭に戻って二度と逢えない。そんな気がしたから…貴妃たちの事も。それでも、私は梨艶に死んで欲しくないね」

 梨艶は揺れる熊猫頭を息を呑んで見つめた。

 ――見透かされている。


愛琳の瞳を改めて梨艶は見る事になった。深い飴色の瞳は闇の色でありながら、透けて、包んでくれるヴェールのように煌めいて、赤味を帯びながら光を返している。美しい、と思った。愛琳の瞳には曇りがない。
母親の仇?そんな事をこれ以上口にするには勿体なさすぎると思うのだ。

「俺も、俺の灯篭など流されるのは御免だな。それにいい加減おまえに欲情して、心身供に幸せに浸りたい。俺は欲深で貪欲なんだ」

 欲情したい…って。それを口に出す辺りが好色…とは愛琳は言えずに笑い返した。

 蓬莱の星の下で、梨艶の手はしっかりと愛琳の手を握る。静かな蓬莱の河の音が何度もさざめいては消えて行った。夜空を映しかえす河の水面が夜風で揺れる。

「点心…すまなかった」
「いいよ、また作る」

 愛琳はいつもの愛琳に戻ったようだった。

「点心は母さんがよく作ってくれた。愛しい人に食べさせるんだって。梨艶、星流れた。見ないでいいよ。蓬莱国では流れ星は不吉の象徴ね。願いなんか叶わない」

 梨艶はそれを目に映す。いくつもいくつも夜空に白い筋が走っては消えてゆく。

「……また天女が降りて来たか? 本当の天女さまに逢いに行くとしようか。約束は果たした。おまえを星祭りに誘う事、それで華仙界の事を話すという条件はこれで」

 ぱしん。
 聞いた瞬間、愛琳の手が離れた。

「愛琳?」
「そうやってまた交換条件で、感情ないがしろにする。だから軍師は」

「…それは口実だ」

「どうだか。梨艶のそういうところ私は理解出来ない」

「だから!俺は一刻も早く、おまえを抱いて幸せを感じ…」

 夜風が頬を冷やしていく。梨艶はパクパクと口を動かし、ばさばさになった髪を更にかきあげた。

「おまえが芙蓉国の女だと知らなければ、本懐を遂げたんだ…あの時俺は絶好調で」とか何とかぶつくさ口の中で呟いていた。

 その梨艶の唇に愛琳の紅が掠る。梨艶の瞳が少し大きくなった。

「ふ、富貴后さまのところに戻ろっ…」

 梨艶は返さずに黙って歩き出す。慌ててかけてくる熊猫娘を眼に映しながら、嘆息した。なんだ、まるで子供ではないか。


―――――何をやっているのだ。俺は。

 蓬莱都をゆっくりと馬で後にして、走るうちに愛琳の頭がコテと寄りかかって来た。それにしても、どうして黒蓮華はずっと靑蘭に居続けたのだろう。



 靑蘭の空は相変わらず不気味な夜の闇に包まれて、目を凝らしても、特徴ある萬世の宮殿はおろか、何も見えやしなかった。

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