召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

第一章芙蓉国の女官⑧ 梨艶の心を取り戻すまで残り三日

「まあ、軍師が?また女性に手を出して、仕方のない方ね」

 柔らかく言うと、蓮花夫人は愛琳に手を差し伸べる。

「それで、あなたは放置されたわけね。無理もないわ。軍師は先の国境での戦いでお得意の水辺作戦だったにも関わらず、部下を数十人犠牲にして負けたのですもの。皇帝さまの激怒も酷くて、厳罰は免れたものの、哀れな程でしたのよ。ほほ、しばらくはずっと後宮に籠ってしまいがちになりましたの」

 私がやります! という女官をやんわり追い払った蓮花が自ら入れてくれたお茶はふんわりと茶器に花が咲いていた。「花茶と言いますの」と蓮花は嬉しそうに言う。

 久々に穏やかな時間が流れてゆく中で、武官の足音が響いた。

「――蓮花夫人」
「まあ、噂をすれば軍師。うふふ、可愛い恋人が待っていましてよ。芙蓉の方、お気を付け遊ばせ。秀梨艶軍師は宮殿でも一の女遊びの過ぎる方でしてよ」

「夫人、皇帝がお呼びですよ」

 テイよく夫人を追い払った梨艶を愛琳は睨んだ。梨艶は視線を外してばかりだ。胸すら視線を投げようとしない。嫌われたのだ芙蓉国と言うだけで。梨艶はそれに会話に応じようとしてくれない。
 愛琳は力なく呟いた。

「書状返して……」
「芙蓉国のお手紙なら、ここにあるが?」

 がばっと愛琳が飛びかかるようにしてようやく書状を奪ったが、すぐに慌てて開いて首を項垂れさせた。白紙だ。またやられたと再び食いかかるように聞いた。

「どうせあなたは私を嫌いになった。蜜月なんて無理でしょ。私ばっかりどきどきで嫌だ。酷いよ。そんなに簡単に手の平返されたら哀しくてどうにもならなくなる……」
「交渉破棄という事か」

 梨艶の手が書状をつまみ出した。その手が両手で書状を掴む。

「破くのだめ! それは芙蓉国の願いが詰まった書状! 富貴后さまが悩んで託した大切なもの。貴方が読んだくらいじゃ終わらない」

 梨艶は声すら発さず、顔を逸らせた。

「こっち見るね」
「……………」
「こっち見て。胸、じいっと好きなだけ見ていいからさ」
「…………っ………――――…」

 一瞬動揺を見せた軍師がまた平静に戻る。

「何だったら脱」
「なに? そんな手に乗ると思うか」

 熊猫の手が慰めるかのように愛琳の胸を圧してくる。言葉が言えるならさしずめ「やめなよ、そんな男」という辺りだろう。

「俺は芙蓉の女と泣く女が嫌いだ。どっちかにしろ」

 つまり「泣かれると困る」という事らしい。愛琳は唇を噛んで、涙を呑みこんだ。

「確かに私、素性言わなかった。謝るよ。でも、言えなかった。でも私、あなたに愛琳て呼ばれたら幸せ。私だって逢いたかった! 芙蓉の女官にとってキスは求愛。だから私の旦那さまはあなたに決まりね」

 梨艶の目が僅かに動揺した。その目で愛琳は確信を持ってしまう。梨艶は本当に私が嫌いなわけじゃない。背中に感じたあの昂りは本当で、きっと「ずっと思い描いていた」のも本当なのだろう。芙蓉国という言葉と秘密にしていた事実が、その夢を打ち砕いたのだ。

「芙蓉の女にフラれたか」

 図星らしい。愛琳はきっぱりと言った。

「でも私は裏切らないね。芙蓉の女は優しいと信じさせてあげる。梨艶、約束通り、十日頂戴! 私絶対また、梨艶が「奪いたい」って思える存在になる」

「無理だ。俺がお前を許す事はない」

「やってみなきゃわかんないね!芙蓉の女官には色々なテクある。堅物軍師くらいワケないよ」

 二人は平行線で睨みあった。結局根負けした梨艶がその場を去る結果になり。愛琳は十日のチャンスを手に入れたわけである。



 ――とは言ったものの。

 梨艶の頑固さと言ったら、伝説のゴーレムを上回るのではないかと思う。倉庫の掃除は命じて来るわ、食事は蹴飛ばされるわ、しかも何かに躓いて膝を擦りむいた愛琳に「芙蓉の女官も知れたものだ」などと侮蔑を投げつけ転がった香炉の心配をして出て行った。

 不思議な形の香炉。だがそんなことはもうどうでもいい。梨艶はニコリともしない。それが都度、愛琳の希望を砕いてしまう。しかも他の女には笑顔を見せる辺りが悔しい。分かってやっているのだ。相手は軍師だ。

「愛琳」

 夜の蓮の池の前の東屋で協力者の蓮花が顔をのぞかせる。愛琳は慌てて立ち上がった。

「ふふ、蓮が好きなんて珍しい子ね。ところで今日倉庫のお掃除していたのはあなた?」

「梨艶に言われて…でも「全部綺麗にしたら俺の機嫌も良くなるかもな」なんて嘘ばかり。躓いて転ぶし、もう散々」
「まあ」

 愛琳は綺麗な衣装を捲って見せた。擦り傷に打ち身のオンパレードに泣きたくなる。それにもうすぐ十日が来る。あの冷徹な軍師は自分を放り出すのだろう。

 ――このままおめおめとは帰れない。書状は間違いなく梨艶が持っているのだ。せめて取り返したい。あれは富貴后さまの想いと悩みの結晶だ。懐なんかに入れておいた自分がいけないが、ついてそうそうあんな事になるなどと想像出来ただろうか。

 首筋がまだ、ムズムズする。

 あと残り三日で梨艶の心を取り戻すなんて。さすがの楽天家の愛琳もメゲそうになる。

「あと三日ね」

 心を読むように蓮花が口にする。どうしよう、どうしたらいい。愛琳が明らかに動揺した。膝に置いた両手の震えを蓮花は感じとると、見えない眼で愛琳の手をそっと掴む。ぽたりと冷たい滴が手の甲に落ちる。

「――ひとつだけ、軍師を言いなりにする方法がありますわ」

 蓮花はふふっと笑って続けた。

「この靑蘭の後宮にはいくつもの天女伝説がある。昔この靑蘭には天女がいたそうなの。その天女が作ったとされるお香がある。好きなものほど遠ざける男のひねた部分を逆に素直にしてしまうのよ。地上の男を思い通りにするために大昔に天女が使ったらしいわ。でも、私たちは近づけないの」

 思い通りに出来る香。あのガンコな梨艶がまた自分に恋心を抱いてくれる。願ったりかなったりだ。だけど愛琳は首を振った。

「そんなの要らないね。そう言えば武器」
「武器?」
「宮殿に入る時に梨艶が取り上げたものね。ずっとずっと愛用してるの」

「武器なら玄関の横に武器庫がある。でもおいそれと近づけないわ。軍人が夜を徹して見張っているのだもの。軍師の事だから、多分そこに放り込んだのではないかしら」

「行って見るね。最悪、梨艶オドしてでも、皇太子さまに面会するね。その時、それは必要だから」

 愛琳は蓮花に頭を下げると、夜の揺籃を走り出した。かがり火が増えた夜の宮殿には蓮花の言う通り、武官の配置が増えている。だが灯篭の数は思ったよりも少なく、少し薄暗いのは有り難い。

 闇を塗ってゆけそうだ。

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