召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

第一章芙蓉国の女官⑦ 青蘭の秀梨艶

「野生熊猫がいっぱいいる!」

 道の端っこで丸まって遊んでいる熊猫。少し行くと、必ず一匹は転がっている。歩きながら、愛琳が聞き返した。馬を引いていた梨艶はさらりと答えてくれる。梨艶の声は綺麗に響いて、少しだけ掠れ声だ。

「いつからか、靑蘭には野生熊猫が棲みつくようになった。そこかしこに居る。だが大抵は大人になれば狩られるか、殺されるかだ。熊猫の毛皮は上質な布団になるからな」

 黒い髪はあの頃より伸びている。愛琳の胸もあの頃より膨らんでいる。相変わらず愛琳の胸元にいきがちな視線を軌道修正しながら、梨艶は足を止めた。赤い漆で塗り分けられた大路の中央。ちょうど芙蓉国では銀龍楼閣天壇に当たる場所だが、大路は長く奥まで伸びている。夕暮れの二人の影もまた伸びて、斜陽を感じさせる。

 二人で並んで、雄大な街を見下ろした。

「ここが靑蘭首都揺籃の朱雀大路。その道を中心として、「王の都市」「商人の都市」に分けられている。靑蘭では王と商人以外は下層と見做され、ほとんどが兵役に駆り出される」

 赤い色で染められた大きな大路を進むと、橋にぶつかった。諾々とした太い河が水音を響かせ、その濁流を流している。

「この河は箔珀河。この山東部の山脈の向こうから流れる我が国の水源だ。蓬莱都を渡る河だよ。この橋を渡れば皇族のおわす都市『萬世』に差し掛かる。その再奥に宮殿はあるが、高台に建築された謂わば砦と言ったところか…歴史上、宮殿が動いた事はない」

 丁寧に国を説明する梨艶は少しだけ格調高く見えた。

「おまえの探す宮殿はこっちだが、簡単に逢えるかどうかは運次第だぞ」

 天壇のようなものだろうかと愛琳は梨艶の後について階段を上がってゆく。敵国だと言うのに、梨艶と並んでいると、桃源郷のように足元が弾む。

 梨艶は良く似合う黒色の着物に赤い帯を締めている。その上に無造作に羽織った上着がマントのように山風に翻った。

 靑蘭の真横には横道山脈がある。少し乾いた空気は蓬莱都と酷似していた。ゆっくりと岩場の階段を上がると、さらに碁盤のように区画割された街の全形が良く見えた。

「見晴らしいいね! 梨艶、あっちは何」

 黒い樹がたくさん生えている一角を愛琳が指して見せる。ああ、と梨艶が目を細めた。

「未開の地だ。たまに罪人を打ち捨てたり、吊るしたりしているな。興味がないなら入らないことを勧める」

 ――ぞっ……

 不穏な空気を醸し出している北央に目をやらないようにして、愛琳は再び会話に興じた。

「皇太子さまどこにいるの?」
「皇太子? 李劉剥さまの事か?」

 うん、と愛琳は頷いた。ここ、揺籃で梨艶に出会えたことは、幸運だ。どうやら梨艶も自分と同じような武官なのだと思うと、繋がりが出来たようでまた嬉しくなった。

 梨艶は慣れた足取りで宮殿の本堂を歩いてゆく。金の砦ともいえるような五段の大きな建物が宮殿の中枢らしい。

 その周りにはぐるりと蓮の池が張り巡らされ、陽を浴びて輝いていた。ひしめき合って肉厚の葉を重ねている蓮。小さく花が咲いてはいるが、冬の寒さのために少しだけ水面には氷が張っている。それが陽の光を反射させ、鏡のように煌めいては融けた氷が割れて水に溶けてゆく。その真下から蓮の葉が灯篭のように浮かび上がっているのだ。

「綺麗ね」

「……年々増えるんだ。お蔭で蓮酒が有名になったがな…。知っているか? 蓮の中に酒を通して香りを移すんだ。皇太子さまだったな。こっちだ」

 言いながら、梨艶は静かな廊下を歩き、部屋の前で足を止めた。黒塗りの壁に赤い格子。やはり紋章の鳳凰と龍が睨みあう大きな壁画に天女の絵姿。

 靑蘭にも天女伝説があるのかと、見入っていた愛琳は梨艶に聞く。

「皇太子さま、ここにいるの?」
「ああ。と、その前に、胸のものを出せ。皇太子さまは熊猫がお嫌いだ」
「……でも」
「心配はない。子供熊猫は後宮の女たちの人気だ。殺されることはないだろう」
「本当ね。りえん、ちょっと待ってるね」

 愛琳はしぶしぶと温かい熊猫を廊下に置いた。ころころと丸まって遊んでいる熊猫に梨艶は「ほら」としゃがみ込んで袖から笹を出してやり、驚いている愛琳に「熊猫が多くて困るよな」とぼやいた。

 立派な彫刻を金で塗り固めたような大きな鉄の扉。梨艶は「入れ」とばかりに愛琳の背中を押して、静かにその扉を閉めた。目の前には見事な天蓋のついた寝椅子と少々の酒と瓢箪と火鉢が置いてある。

「ここに皇太子さまいるの?」

乱雑に散らかった数多くの書籍を梨艶は足で避けると、聞き返した愛琳にニィっと雄の表情でゆっくりと言った。



「ここは俺の私室だ。蓬莱都で言ったな。次に逢う時にはお前を貰う――と」


「騙したね!最低ね!」

「その最低の男を信じて着いて来たのは誰だ。こうも首尾よく行くとは。武官として、獲物を逃がすわけには行くまい。さっさと奪ってやるから安心していい。俺はこっちにかけても軍師だ。奪うは慣れている」

「武官が聞いて呆れる! こっちも軍師って何!」

 ああ、そう。さあな?

   梨艶の腕が愛琳の腰に後ろから回る。むに、と感触を確かめた後に、くくっと笑いながら首筋に顔を埋めて来た。

 う、奪うって! 奪うって!!

『見てごらん、愛琳。浅ましい男女の姿だ。俺たちには無縁のね』

などと宦官が盗み見しながらエラそうに言っていたあの場面。後宮に忍び込んで見た男女の絡み合うアレの図が何故か浮かぶ。

 つい、と背中に何かが当たった。耳元で梨艶が唸るように言う。苦しそうな声音だ。

「俺は約束を護ったぞ。お前に再会することを願って、女断ちを続けた。これも鳳凰神のお導きだ。いつ死ぬかわからん身だ。もし出逢えれば即使えるようにありとあらゆる鍛錬を積んで」

「私の上から退いて!」

「冗談云うな。押しこめてこそ、獲物を駆る醍醐味が味わえると言うものだ」

 ふみゃ。何を言っても聞かない梨艶に愛琳が泣き声を上げる。とは言っても女官だ。泣くわけがないから呻いただけだが。

「ひゃ…り、梨艶…っ」

 肩越しの唇と吐息が首筋にかかって愛琳は肩を震わせた。

「言っただろう。お前に逢うまで俺は禁欲の日々。容赦は出来ないかもしれないが」

 まるで話を聞いていない。しかも華奢なワリには腕力は男のそれだ。愛琳の手首を握りしめた指の骨がごつごつと浮かび上がっている。後ろから肩に顎を乗せたまま、手で太ももを愛撫しながら梨艶は低い声音で囁いた。

「桃源郷を知っているか?」

 梨艶の指が伸びて素肌を滑ってゆくのを呆然と目に映していた愛琳だが、それに気が付いて再び肩を震わせた。梨艶の手が両足を開かせようと更に伸びて来たからだ。

「動くな。初めてか。そうか、フフ」などと愉しんでいた口調の梨艶の手が止まった。ずり降ろされた上着を慌てて引き上げた愛琳がきょとんと首を傾げている。

「どうかした?」

 梨艶が凝視めている先には書状があった。

(大切な書状が!)

脱がされかけた瞬間に落したのだ。慌てて愛琳がそれを拾おうとするのと、梨艶がそれを足で蹴りどかすのは同時だった。

「何するね!人のものを蹴るな!」

 怒りのあまり声が震えて、愛琳はばたばたとそれを取りに走るが、梨艶のスライドの方が早く、梨艶はひょいとそれを持ち上げた。「密書?」と言いつつ指で紐を解いて読み進めてしまった。読んでいる艶の顔からは笑みが消えて行った。

「読んだら駄目!皇太子さまに渡すものよ」

「書状?熊猫娘…おまえはどこから来た…そもそも名前を聞いていなかった。俺は靑蘭の軍師、秀梨艶だ。普段は宮殿内部の警護を兼ねている身分だ」

 鋭い梨艶の瞳。軍師の策略的な瞳に女官の勝気な瞳が上等とばかりにぶつかりあった。

「私は富貴后さまの使者ね。王愛琳。皇太子さまに逢いに来た」
「富貴后……芙蓉国の女官か」

 コクンと頷いた愛琳の前で、梨艶は笑みをすっかり潜めてしまう。

「ならば通すわけに行かないな」

 愛琳の目が大きく見開かれた。梨艶はすいっと帯剣していた太極の剣を抜いて愛琳に突き付けた。その目は赤く、人を憎むような目に変化している。

「り、えん?」

 あまりの豹変ぶりについて行けない。だってさっきまで――。

 剣を突き付けた梨艶は愛琳が身動きできないのを悟ると、静かに剣を鞘に納めた。

「そうか。芙蓉国の女か」

 呟いて、切なげに瞳を愛琳に向けた。

「そうだよ」
「ハ。残念だ。至極好みなのに。ひと時の桃源郷を見せてやろうと、ずっと思い描いていた俺の夢を二秒で壊したお前の罪は重いぞ」
「何言ってるか分からない! 書状返すね!」

 ふん、と梨艶は窓からそれを投げ捨ててしまった。ぼちゃんと音がする。愛琳は窓に駆け寄ってがっくりと膝をついた。

 ――富貴后さまや芙蓉国の願いが記された書状は蓮の合間で濡れて沈んでいた。

「何てこと……私、国に戻れない」

 がっくりと肩を落す前で、ピラ、と梨艶は本物の書状を指で挟んで見せた。

「あ!」

「この書状はしばし預かる。軍師だぞ、俺は。摩り替え用の偽書状の準備など造作もないな」
「お願い、返して…返してください」

 ニヤリと淫乱軍師の目が細くなった。

「また俺とお前の蜜月を復活させられるなら、返してもいい。俺は裏切った女を抱けるほど、強靭ではないが」
「いつ私が裏切ったよ!」

 梨艶は嘆息すると、顔を背けて書状を懐に仕舞ってしまった。

「芙蓉国の女だと、あの時に言わなかっただろうが。……そうであれば、こんな血迷った恋慕など持たずに済んだ。俺は何より芙蓉の女が嫌いなんだよ」

「芙蓉国の女というだけで裏切った言うか」

「ハ、芙蓉国。その言葉は俺にとっては不幸の象徴以外何物でもない」

 ふ、不幸の象徴?芙蓉国という言葉が?

――な、何でここまで言われなければならないのだろう。自分は確かに不遇な生まれだと思う。母を殺され、天涯孤独の身で、富貴后さまが見つけてくれなかったらと思うとぞっとする。それでも、幸せだった愛琳にこれほどの心を抉る言葉は過去を思い返しても皆無だ。

 ――芙蓉国の女官だと、あの時言わなかったから、裏切りだ。

「何でそこまで芙蓉国嫌う」

「何故嫌いな芙蓉国の女にそこまで俺が話すと思うんだ。いいな、十日だけやる。後宮にお前の居場所も作ってやろう。また俺が捨てたなどと兵士に言われるのもうんざりだ。後宮を取り仕切る蓮花夫人に言っておいてやる。それが出来なければこの書状は廃棄し、お前を蓬莱に放り出す。まあ、後宮に放り込まれれば二日で泣いて出ていくだろうがな」

「何で……そんな意地悪するね」

 梨艶は切なげに瞳を潤ませた。愛琳は何故か胸を締め付けられたように思う。

「妹だろうと、姐だろうと、俺は欲しい女は全部奪う性分だ。だが、お前が芙蓉国の女だと……それだけで俺は手が出せない。いつか憎さで喉笛を引き裂くかもな」

 そう言い残してしょんぼりとして出て行った。しょんぼりするのはむしろこっちだ。バタンと扉が閉まって愛琳は慌てて扉を叩いた。

「ちょ、待つね! こんなところに私を置き去りにするのやめて。梨艶、梨艶っ」

 シンとした部屋に取り残された愛琳の目から涙が毀れそうになった。

 書状を取られた事より、梨艶の豹変ぶりが胸を締め付ける。ああ、――富貴后さま。お許し下さい。私、書状を奪われたことよりも、梨艶に言われたことで泣いてるね。悲しいよ。かなしい。裏切ってなんかない。なのに梨艶裏切ったって言う。


 一筋涙が毀れたのに気が付いて、袖で涙を拭う。いけない、芙蓉国の女官は決して泣いてはいけない。泣くなら唇を震わせても、立ち向かえ。そう教えられているから。そう思えれば、きっと進める。富貴后さまのように。

「そう、泣いてる場合じゃない! 梨艶探すよ」

 自分に発破をかけると、愛琳は扉を押した。重い金の扉はようやく僅かに開いて、愛琳はまず武器を取り返すために歩き回ることにした。薙刀は梨艶が宮殿に上がる時に奪ってしまったのだ。あの武器は大切にしているものだ。手元にないと落ち着かない。

 後宮の妃さまたちはよく集まってくすんくすん泣いている(多分泣きまね。実はそんなに弱くないよ)けれど、女官たちはそれを何千年と護って見守って来た。天女の伝承の元に。武器は継承されてゆく。大切なものだ。

 歩いてゆくと、急に雰囲気が変わったのに気が付く。後宮だ。

「後宮に入った。ふうん。続いてる」

 芙蓉国とは違うらしい。恐らく階層で分かれているのだ。その後宮には護衛一人見当たらない。そんなにここは平和なのだろうかと愛琳は五階から四階への階段に差し掛かった。靑蘭はともかく急斜面が多く、階段ばかり。そんなところまで攻撃的な気がする…と広い蓮の池にぶち当たった。

 青葉を惜しげもなく拓いた大きな葉が所狭しと生い茂っている。その中央に夫人が立っている。目を伏せたままだ。盲目なのかと愛琳が足を進めると夫人はにっこりと笑った。

 ――優しい笑顔。束ねた黒髪もとても綺麗な髪飾りで彩られている。

「新入りさん? 貴方が梨艶の言っていた新しい女官の愛琳?」

か弱い声だ。愛琳は頷こうとして、夫人の抱いている熊猫に気が付いた。

「りえん!」

「ああ、この子? ころころ転がり過ぎて、蓮に飛び込んだので、助けていたのよ。ほほ、蓮の根に絡まったら出てこられないまま沈んでしまうところでしたよ」

「目が」

 夫人はずっと目を瞑ったままだ。それでも身ぎれいで、愛琳が動くと「あら」という感じに察しては微笑む。

 しっとりとした睡蓮のような。ずっと向かい合っていたくなるような夫人は手元で口を覆うと雅な香りを漂わせて言った。

「私は前王妃に疎まれていますのでね。目を瞑って美しい世界だけを見ているのですわ」

 言い方は優しいが、両目を潰されたのだろう。後宮の女性の食い争いは惨めで、醜悪だ。富貴后さまはそういう女性が出ないように厳重に管理しているのを知っている。後宮では当たり前の国妃と貴妃。蓮花夫人もその憂き目に遭ったのかもしれない。

「その前王妃もお亡くなりになり、大層平和に暮らしておりますが」

 ほっそりとした手が愛琳の手の甲を撫でた。

「可愛らしい女官さん、何を悲しんでいるの?宜しければ、この後宮の皇帝李勘鈴の貴妃、朱蓮花がお聞きしましょうか」

 富貴后さまとは対極な、静かな口調で蓮花夫人は告げた。愛琳はりえんを引き取りながら、俯いた。
 誰かにいう事じゃない。

 だけど聞いて欲しかったから。蓮花の香りはとても落ち着いて、打ち明けても大丈夫だと嗅覚に訴えてくる。

書状の事だけを隠して、愛琳は話をすることが出来た。

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