召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~
第一章芙蓉国の女官③ 愛琳の出立
既に秘密で女官が荷造りをしたために愛琳の部屋はがらんとしていた。
「母様。愛琳、頑張ってみる。見守ってて」
いつもの腰壺をしっかりと括り付け、書状をどうしようか迷った。手に持っているよりはと胸の間に押しこめて見た。今度は胸がいつもより浮き出て来たので、帯紐を三分紐に変更で支度完了。薙刀を掴んで、出陣である。
「愛琳」
「富貴后さま」
着物の裾も香しい、富貴后が僅かな供を連れて、愛琳の局を訪れた。
「さすが私の育てた女官。行動が迅速だな」
「宦官たちが夜に紛れてゆくのは危険だと言うから。もう私、待つのは嫌いだよ」
「逢えると良いな」
不思議そうな表情の愛琳に富貴后は嫣然と微笑んだ。天艶の微笑である。
「そなたの唇を奪った男にだよ。私は国事や争いに興味はあるが、実は愛琳、その話の方に興味がある。だからそなたに決めた。何と美しい事だろう。5年を経て、巡りあえる奇跡とやら。そなたに奇跡を感じて欲しくてな。そやつの名前は?」
鮮やかに愛琳の目の前のあの日の男の姿が甦る。忘れる事ができなかった名前と共に。
――秀梨艶…。
「そんなこと忘れてたよ。――富貴后さま」
愛琳は目を潤ませて富貴后を見つめた。そうしていると心が穏やかになって、本当に必要なことだけが浮かび上がってくるような気さえする。そう、富貴后には不思議な魅力がある。そこに在るだけで、幸福にさせてくれるような、郷愁に似た何か。
「私は唇奪われた。なのに、そのこと考えると狂おしくて胸が痛くなる。だから考えないようにしてた。でも、気が付くと考えてる。そうすると少しだけ幸せになる。そんなの私じゃない。何かに支配されてるみたいで嫌だったの」
「そんな事はない。それを狂おしい程求めると言うのだ、愛琳」
富貴后はゆっくりと告げた。
「恐らくそなたは、あの雨の日からその男、梨艶とやらに恋をしているのだよ」
呆然とした愛おしい熊猫頭を撫でて、富貴后が微笑む度に大柄のウエービーヘアが揺れる。その顔に母の面影が重なって、愛琳は唇を軽く噛んで少し俯いた。
恋、これが。
その言葉はストンと胸に落ちた。花開くように輝いて、愛琳の心に根付いてゆく。どんなに苦しくても、思い出すと幸せになれる。不思議な大切な記憶だ。
「これが恋なら、とっても素敵!景色が変わって見えるよ!なら、私はあの人にもう一度会いたいと言っても変じゃないね!すっごくすっきりしたよ」
「ほほ、そなたらしい答え。明日からの後宮は少し寂しくなるであろうが」
「大丈夫ね。富貴后さまがコロコロ笑ってればいいね。安心して」
ようやく愛琳らしくなったと富貴后が胸を撫で下ろす。恋に気づかず苦しんでいたという理由は本当にこの熊猫娘らしい。あまりに愛らしくてずっと手元に置きたかったが…時期というものかも知れない。
「富貴后さま、あまり長居は無用でしょう。使者が王愛琳だと感づかれてしまいますよ」
廊下に控えていた宦官陵冴が窘め、富貴后は頷いて着物の裾を裁くようにして、愛琳の局を潜り出ることになった。
「乳兄弟の陵冴には明かしたが、それも面妖だな。女官、王愛琳。道中は気をつけてゆくがよい。そなたなら、完遂できると信じているから」
「任せるね。必ず皇太子さまに届けるよ」
愛琳は頷いて女官の嗜みの礼をして見せた。
「母様。愛琳、頑張ってみる。見守ってて」
いつもの腰壺をしっかりと括り付け、書状をどうしようか迷った。手に持っているよりはと胸の間に押しこめて見た。今度は胸がいつもより浮き出て来たので、帯紐を三分紐に変更で支度完了。薙刀を掴んで、出陣である。
「愛琳」
「富貴后さま」
着物の裾も香しい、富貴后が僅かな供を連れて、愛琳の局を訪れた。
「さすが私の育てた女官。行動が迅速だな」
「宦官たちが夜に紛れてゆくのは危険だと言うから。もう私、待つのは嫌いだよ」
「逢えると良いな」
不思議そうな表情の愛琳に富貴后は嫣然と微笑んだ。天艶の微笑である。
「そなたの唇を奪った男にだよ。私は国事や争いに興味はあるが、実は愛琳、その話の方に興味がある。だからそなたに決めた。何と美しい事だろう。5年を経て、巡りあえる奇跡とやら。そなたに奇跡を感じて欲しくてな。そやつの名前は?」
鮮やかに愛琳の目の前のあの日の男の姿が甦る。忘れる事ができなかった名前と共に。
――秀梨艶…。
「そんなこと忘れてたよ。――富貴后さま」
愛琳は目を潤ませて富貴后を見つめた。そうしていると心が穏やかになって、本当に必要なことだけが浮かび上がってくるような気さえする。そう、富貴后には不思議な魅力がある。そこに在るだけで、幸福にさせてくれるような、郷愁に似た何か。
「私は唇奪われた。なのに、そのこと考えると狂おしくて胸が痛くなる。だから考えないようにしてた。でも、気が付くと考えてる。そうすると少しだけ幸せになる。そんなの私じゃない。何かに支配されてるみたいで嫌だったの」
「そんな事はない。それを狂おしい程求めると言うのだ、愛琳」
富貴后はゆっくりと告げた。
「恐らくそなたは、あの雨の日からその男、梨艶とやらに恋をしているのだよ」
呆然とした愛おしい熊猫頭を撫でて、富貴后が微笑む度に大柄のウエービーヘアが揺れる。その顔に母の面影が重なって、愛琳は唇を軽く噛んで少し俯いた。
恋、これが。
その言葉はストンと胸に落ちた。花開くように輝いて、愛琳の心に根付いてゆく。どんなに苦しくても、思い出すと幸せになれる。不思議な大切な記憶だ。
「これが恋なら、とっても素敵!景色が変わって見えるよ!なら、私はあの人にもう一度会いたいと言っても変じゃないね!すっごくすっきりしたよ」
「ほほ、そなたらしい答え。明日からの後宮は少し寂しくなるであろうが」
「大丈夫ね。富貴后さまがコロコロ笑ってればいいね。安心して」
ようやく愛琳らしくなったと富貴后が胸を撫で下ろす。恋に気づかず苦しんでいたという理由は本当にこの熊猫娘らしい。あまりに愛らしくてずっと手元に置きたかったが…時期というものかも知れない。
「富貴后さま、あまり長居は無用でしょう。使者が王愛琳だと感づかれてしまいますよ」
廊下に控えていた宦官陵冴が窘め、富貴后は頷いて着物の裾を裁くようにして、愛琳の局を潜り出ることになった。
「乳兄弟の陵冴には明かしたが、それも面妖だな。女官、王愛琳。道中は気をつけてゆくがよい。そなたなら、完遂できると信じているから」
「任せるね。必ず皇太子さまに届けるよ」
愛琳は頷いて女官の嗜みの礼をして見せた。
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