召しませ後宮遊戯~軍師と女官・華仙界種子婚姻譚~

簗瀬 美梨架

芙蓉国 愛琳③ 饅頭泥棒との再会


――二日後、蓬莱都。

 愛琳はすっかり晴れた蓬莱都を走り抜けていた。雨が降らない事のが珍しい蓬莱の空はすっきりとした冬の乾季を迎えている。

「おじさん、そこの御饅頭二十個ね!御料紙に包んで、紐は赤ね」

 蓬莱の商店はところせましと並んでいる。その愛琳に老爺が紙に乗せた饅頭を確認のために差し出して来た。つきたての生饅頭は蓬莱饅頭と呼ばれる。不思議な妙薬効果があるという蒸かし饅頭と生饅頭の二種類がある。その数を数えて気が付いた。数が足りない。代金はきちんと支払ったはずだ。

「十九個しかないね!あたし二十個頼んだはずだよ」
「そんなはずありやせん。ちゃんと二十個……あれ?」

 また減っている。あくどいにも程があると愛琳は少し垂れた目を吊り上げた。

「今度は十八個ね!二個減ったね!貴方代金返すね。それとも私強いよ?勝負するか?」

 しらばっくれる老爺に、いっそ薙刀振り回してやろうかと思い、うっかり忘れて来たことに気が付いた。仕方なく、いい加減にしろと言いかけた時、むにゅ、と何かが胸元に張った感触に愛琳が身体を硬直させた。

「きゃあ!」

 ――両の手が収まりきらない肉を捏ねるように動いた。

「……この饅頭にも引けをとらん感触だな」
「おまえ、この間の…!」

 振り返った紅の口から驚きの声が漏れる。不作法にも、饅頭を口に、自分の胸を相も変わらず揉んでいる男はあの雨の日の不届きものだった。胸元に靑蘭の紋章を縫い取った衣装をつけている。だが冠位を示すものは何もない。下級武官かと愛琳は相手を睨んだ。

「今日は薙刀はなしか」
「うっかり置いて来たね!あれば振り回してるよ!饅頭泥棒なんか成敗してやる。二個!返すね!怒られるの私!食べたと言われる。手、どけて!」

 涙声になった愛琳にハイハイと頷いて、残念そうな手が離れた。
 男は老爺から饅頭を買うべく、静かに露店に並んだ。
 打って変わって真面目な横顔に夜空の瞳。何だか気になる様な眼をした―――。




――いち、にい、さん…二十…。揃ったのを確認して愛琳は笑顔に戻った。
「確かに確認したよ。これに懲りて、泥棒やめるね」
「口開けろ」

 愛琳が不思議そうに相手を睨む。相手は微笑んで饅頭を一つ、近づけた。慌てて包みを確認する。盗られたわけではなさそうだ。バカにしている。芙蓉の富貴后さまの女官がここまでコケにされるわけに行かない。文句を言おうとした口に小さな柔らかいものが放り込まれた。

 美味しい…。

 ふんわり甘い匂いと味に頬が緩む。生饅頭の類いだろうか。少し甘酸っぱい…これって。

「老爺が作った試作品だそうだ。中にイチゴが入っているらしい」
「……ちょっと点心ぽいね。美味しい…!」
「それは良かった。詫びだ」

 外に出て、毛氈の上で適度に距離を保って、見つめ合った。愛琳は長椅子の端に座り、据わったような目つきで男を睨んでいる。ぺろりと饅頭を平らげた指の餡をなめとりながら、相手が不服そうな表情になった。

「何故そんなに離れて座る」
「あなた、この間、私に何したね」
「接吻?」
「それだけじゃないね!あなた私の胸をじろじろ~っと見た!そしてまた何を見てるね!靑蘭の男はこれだから嫌いね!」

「靑蘭?ああ、知っていたか、俺の事…」

 相手の目が鋭くなった。細い眼には男性特有の深い彫りがある。紅を指している愛琳と同じくらいに唇は綺麗に磨かれている。肌の色は普通。武官焼けしてる程じゃない。指先には剣を扱う時の指ダコがない…多分学者…にしてはガタイが良すぎるが、武官としては華奢な方だ。

 靑蘭の男宮妓ってあたりかな。それとなくオシャレしてるし。好色だし。
 一方男は思考しては愛琳の胸に阻まれ、また考えては胸に戻ると言う悪循環の中で相手を看破しようとしていた。

 素性を読み取ろうにも、年にしては豊満な胸がチラチラと邪魔をする。もしも男を分かってやっているなら見事としか言いようがない。…と目がそれに止まった。

「腰に何を持っている。貧乏な壺だが…」
「失礼にも程があるね。関係ないでしょ」

 いや、と男がにじり寄った。つい、と唇を奪うと、目を瞬かせる。

「関係はある。ほら、こうすると、俺の恥骨に当たって痛い。要らないものなら外せ。やりにくい」
「な、何勝手な事言ってるね!…これは母の形見の壺。寝るときも、お風呂も一緒」
「なら角度を変えるしかないな」

 変える?!愛琳はこの言葉に過剰反応を返したが、やがて「変える」であって「蛙」ではないことにほっと胸を撫で下ろし、それどころではない状況に気が付いた。

 ――ほほ、少年なんて皆、やりたい盛りよ。そなたの唇はいささか艶めかしい。

 富貴后さまの冗談がホホホと脳裏に過る。
 ややして。男は愛琳を解放して帯剣に手を置くと、日差しの中で振り返った。

「お前は俺の女だ。教えてやる。俺の名前は…秀梨艶。次に逢った時はお前を貰う。それまで女を磨け」
「あたしは愛琳ね!おまえも男を磨くね!」

 反射的に言い返して、愛琳は唇を噛みしめた。梨艶は真摯な眼で返答して来た。

「いいだろう。約束したぞ。俺はおまえに逢うまで男を磨くとしよう」

 呆然。手からお土産の饅頭が包みから顔を出し、蓬莱の地に転がってゆく。

 そう捨て台詞を残して、梨艶とやらはスタスタと街の喧噪に消えてゆき、愛琳は熱を持った頬を風に晒しながら、また今度は自腹で饅頭を買い求めるハメになった。

 秀梨艶?…すぐにそんな名前忘れてやる。饅頭泥棒。

 頬が熱い。振り返ると、柔らかな風が吹いた。冬の蓬莱都に少しずつ春の雪解けが訪れるそんな季節。
 王愛琳、十三の冬。頬が何故こんなに熱を持つのか。その理由すら理解できない新芽の年頃。

淡い気持ちは春の訪れを示す蕗の薹を揺らす冬風と一緒に駆け抜けて行った。

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