終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第六章23 月下の戦いⅤ

「貴方、今日はいい天気ですね?」

「あぁ、いい天気だ……」

 これは名も知らぬ街が崩壊する直前の物語。
 数多の人が記した最後の瞬間を垣間見る物語である。

「今日のご予定は?」

「ふむ、街の長としての立場は昨日息子に譲ったばかり……今日くらいはゆっくりとしたいものですね」

「それも良いかと思いますよ。それならば、私からお願いしてもいいでしょうか?」

「リールのお願い……結婚してからどれほどの時が流れたか……君からのお願いなんて初めてですね」

「……はい。私は貴方の邪魔にはなりたくありませんでしたから」

「…………それで、お願いとは?」

「街の中心部、そこに綺麗な花畑が出来たらしいんです。どうでしょう、一緒に行ってはみませんか?」

「そんなことでいいのですか?」

「ふふ、そんなことがお願い出来る……この瞬間を、私はずっとお待ちしておりました」

 彼女はいつも笑ってくれる。

 今では初老となってしまった男・クロウは、若くして隣に立つ『リール』という名の女性と結婚した。しかし、クロウは王国に仕える騎士として若き日を送り、その後は生まれ故郷であるこの街の長としての時間を過ごしてきた。

 常に戦いと仕事に追われる日々であり、妻であるリールと、そして息子であるオリバーと共に時間を過ごすことはなかった。

 しかし、街の長である立場を息子のオリバーに譲ったことで、クロウはようやく何物にも縛られない真の意味で自由の時間を得ることが出来たのだ。

「……それでは、行くとしましょう。花の鑑賞など、久しく楽しんではいませんでしたからね」

 リールが持ってきた紳士服を受け取る。
 鏡の前で白髪が目立ってきた頭髪を整え、そして右手は近くに置いてあった『刀剣』へと伸びそうになる。

「…………そうか、もうこれは必要ありませんね」

 騎士として王国に仕えた際に、ある人から受け取った名もなき刀剣。

 剣士として決して越えられぬ力量を宿したその人は、どんな時にも笑みを浮かべて希望と平和の為に戦ったのだ。そんな彼女に憧れて、クロウは血の滲むような鍛錬を続けてきた。

 あの人が姿を消し、新たなる英霊が頭角を現し、自分が彼女の後釜にすらなることが出来ない。それを知った時、クロウにとっての騎士としての生活が終わりを迎えたのだ。

「平和な世の中を築く……私は世界を舞台に戦うことが出来ませんでした。しかし、この小さな街を守ることくらいは出来たと、今では自信を持ってそう言うことが出来ます」

 今ではもう役目を終えた刀剣を見つめながら、クロウは過去を懐かしむ。

「……貴方、ご準備はどうでしょう?」

「あぁ、行きましょう」

 妻であるリールの手を握り、二つの人影は外へと足を踏み出していく。

 頭上に広がるのは雲一つない快晴の空である。
 眩い光が降り注ぐ街並みは、新たな生活を送るクロウとリールを祝福しているかのようだった。

◆◆◆◆◆

「どうして?」

 燃える。潰える。

「何故、こんなことに……?」

 業炎が支配する地獄の中で、紳士服に身を包んだ男性・クロウはただ一人、呆然と立ち尽くすことしかできない。見渡す限り火の海が広がっており、あちこちから人々の悲鳴が木霊している。

 それは唐突な出来事だった。

 妻であるリールと共に街の中心部に設けられた花畑を鑑賞していた。
 今までの日々が嘘のような平穏な時間が流れる中で、その悪魔は突如として姿を現した。

 快晴の空にぽつんと姿を現すのは、炎髪を風に靡かせた少女だった。少女は右手を高く天に突き上げると巨大な炎球を生成した。そして一切の表情を変えることなく、炎球を街に落とし、そして平和な時間を過ごしていた街を一瞬にして地獄へと姿を変えた。

「貴方……」

「リールッ、喋るんじゃないッ……」

 業炎が包む中、クロウはリールを背負って自宅を目指して歩を進めていた。

 背中にじわりとした液体の感触が広がる。

 それは背負う彼女の身体から溢れる鮮血であることに間違いはなく、一秒、また一秒と時間が経過する度に彼女の命は潰えようとしている。

 炎球が落ちた直後、街は跡形もなく破壊の限りを尽くされた。

 あらゆるものが吹き飛ぶ中、リールの身体には無情にもどこからか飛翔してきた木々が突き刺さることとなった。クロウもまた全身に重傷を負っており、彼もまた急いで治癒をしなければ命を落としてしまう。

 生きとし生けるもの全てが死を迎えようとしており、クロウとリールもまた同じように命を落とそうとしていた。

「私は幸せな人生でした……」

「どうしてッ……どうしてそんなことが言えるんだッ……」

「だって、どんなに短かったとしても……私にとって、貴方と過ごした時間はかけがえのないものでした」

「私は、君に何もしてこなかった……」

「そんなことありません……」

「頼む、死なないでくれ……リール、頼む……これから、もっと楽しい時間を過ごそう……たくさん自由な時間があるはずなんだ……」

「……すみません、貴方。私はもう、ダメみたいです」

「そんなことを言うな……言わないで、くれ……」

「……願わくば、一秒でも長く貴方には生きていた欲しい。それが私の最後の願いです」

「――――」

 背中に感じる人間の重み。
 それが僅かに軽くなったような気がする。
 どれだけクロウが話しかけようとも、返ってくる言葉はない。

「…………」

 既に息を引き取った彼女を背負うクロウの前に立ち塞がる存在があった。
 それは炎髪を揺らした少女であり、街を一瞬にして地獄へと姿を変えた張本人であった。

「よく、私の前に姿を現すことが出来たものだな」

「…………」

「街をめちゃくちゃにした行い、断じて許すことはできない」

 妻であるリールの亡骸をそっと地面に横たわらせ、紳士服に身を包んだ男は修羅へと姿を変える。これまでの人生において、一度として憎しみの感情から剣を握ったことはなかった。

 しかし、そんな彼の生き様すらも、この光景を前にしては変わり果ててしまう。

「この責任、貴様の命を持って償ってもらうぞ」

 名も知らぬ街が残した最後の物語。
 数多の絶望と共に、今、長き歴史が幕を下ろす。

◆◆◆◆◆

「……本当に素晴らしい」

 時は僅かに進み、業炎も消え去った死した街で今、屍になっても尚、現世に縛り付けられる初老の男性は最後の戦いに挑もうとしていた。

 数多の絶望を背負って、初老の男性・クロウは自らが持つ全ての力を振り絞って剣を振るう。

「まだまだぁッ!」

「次から次へとッ……死を恐れぬ戦いがこれほどまでに厄介とは……」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるッ!」

 紅蓮の瞳を輝かせるクロウが戦うのは、異界の英霊・ブリュンヒルデだった。

 白髪をポニーテールにし、白銀の鎧に身を包む彼女は、自らがもつ権能を使役することで、かつて聖戦の中で命を落とした兵士たちの魂を異世界に顕現させた。戦場で命を落とした兵士たちを導くことが役目だった彼女だからこその力であり、その力を持ってしてブリュンヒルデは形勢を一気に逆転させた。

「ぐッ……はぁ、ぐぅッ……」

 群がる兵士たちをクロウは一人、また一人と切り捨てていく。
 しかし、数で圧倒される彼の身体には時間の経過と共に裂傷が刻まれていく。

「私は……私は、負ける訳には……いかないッ!」

「――――ッ!?」

 鮮血が舞う。

 クロウの瞳が持つ紅蓮の輝きが力を増し、その瞬間に彼を中心とした周囲が突如として爆発に包まれる。

「くッ、自らの血液を爆破する力……厄介だなッ!」

「ふふ、名も知らぬ兵士を召喚する君の力もまた、面倒くさいものだよ……」

「しかし、流す血液が不足してきているようだな」

「…………」

 爆発によってブリュンヒルデが召喚した異界の兵士たちは跡形もなく消失した。
 しかし、その直後にブリュンヒルデが自らが突進し、両手に持つ白銀の槍でクロウを攻める。


「またせたな、ブリュンヒルデ」


 ブリュンヒルデの鼓膜を震わせるのは、そんな声音だった。

「やれやれ、全く……やはり立ち上がって来ましたか……」

 月明かりが差す闇夜の街で、白髪を揺らす少女の隣に立つのは、鮮緑の髪をした少年だった。

「次の一撃で勝負を決めるぞ」

「あぁ、我が全身全霊の力を持って、粉砕するッ!」

 ブリュンヒルデの槍が軽くなったクロウの身体を吹き飛ばす。

「高貴なる皇光の槍よ、悪を滅し、世界に光を灯せ――偉大なる聖光のロイヤル・インフィニティ・ランスッ!」

「貫き、壊せ、風の一閃――風閃一柱ッ!」

 二つの声音がシンクロして、その直後に凄まじい轟音が周囲に響き渡る。
 絶大なる二つの力を前にして、アンデットたる初老の男性・クロウは抵抗をやめた。

 諦めた訳ではない。
 今の彼には迫る力に対抗する術を持たないのだ。

「あぁ、リール……どうやら、私はようやく……君の元へと行けるようだ……」

 眩い輝きを前にして、クロウは全身から力を抜く。

 不死身たるアンデットであろうとも、その身体を跡形もなく消し飛ばしてしまえば復活することは出来ない。全身から血液が喪失し、既に思う動きが出来ない。

「――――」

 彼の悲願は達成された。

 もし、航大たちがこの街を訪れることが無かったのだとしたら、彼はどれほどの時間はこの死した街で過ごすこととなったのだろう。そのことを思えば、今の彼に伝えられるのは感謝の言葉だけである。

 愛する者が待つ場所へ、ようやく向かうことが出来るのだから。

「願わくば、死した後の世界では……安寧がありますように……」

 光りに包まれ、自らの身体を構成するあらゆるものが瓦解していく。
 手足が消え、下半身の感覚が消える。次に上半身が破壊され、そして最後に視界が消える。

 待ちに待った終焉の時。

 彼が残した最後の言葉は初めて漏らす願いの言葉なのであった。

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