終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第六章18 闇夜を駆ける者

「くそッ……どうしてこんなことに……」

 女神による殺戮が繰り広げられた街の中で、航大、ユイ、シルヴィアの三人は息を切らしながら走っていた。陽が落ちた月明かりだけが照らす名も知らぬ街。その街で航大たちは見たこともない地獄と邂逅することとなる。

「私、あんな人たち見たことない」

 航大の隣を走る金髪を揺らし、ハイラント王国の騎士服に身を包んでいる少女・シルヴィアは、同じように息を切らしながら、ついさっきまで見ていた光景を思い返している。

 信じられないものを見た直後のシルヴィアは、その表情は苦々しいものへと変えて必死に頭の中を整理しようとしている。

「あぁ……俺もだ……」

「だってあれ……普通の人だったじゃない……それが、どうしてあんな風に……」

 名も知らぬ街。

 最近までは平穏な日々が流れていただろう中規模の広さを持つ街は、炎獄の女神・アスカの襲撃によって業炎に包まれ、そして壊滅していた。街を構成するあらゆるものが炎に飲まれてその原型を留めてすらいない。

 航大たちにとってこの光景は既に見慣れたものとなってしまった。

 それほどまでに女神が生んだ破壊の痕は広範囲に広がっていることを証明しており、しかし生存者が残されている僅かな可能性を信じて航大たちは街へと乗り込んだ。

「…………」

 結果的には、この街にも生存者は存在しなかった。
 街で暮らしていた全ての人は業炎の中で沈み、その尊い命を落としてしまっているのだ。

 ここまでならば心に深い傷を負いながらも、航大たちは先に進むことが出来たはずである。しかし今、航大たちは新たなる『存在』と邂逅を果たしたことで強い衝撃を受けていた。

「街の人は……死んじゃっても自由を得られないってことなの……?」

「…………」

 シルヴィアの口から語られるのは、この街を襲っているもう一つの悲劇についてだった。

 街の中を創作していた航大たちは月明かり照らす街の中で、『人間』と遭遇した。服はボロボロ、身体はふらついているが自らの足で自立しているその人間はしかし、既に命の灯火を消してしまった存在だった。

 顔が欠損し、全身には凄惨たる火傷の痕が刻まれた人間。

 誰が見てもその人間は死していると判断できる状態でありながら、その人間は街の中を彷徨っているのだ。それは『アンデット』と呼ぶに相応しい姿をしており、アンデットたちは生者である航大たちを見るなり襲い掛かってきたのであった。

「……航大、あっちからも来る」

「くそッ……うじゃうじゃと湧いてくるな……」

 航大、シルヴィアとその少し後ろを走っているユイは、少しでも航大の役に立とうと全神経を張り巡らせて周囲の警戒にあたっていた。その結果、崩壊した街のあちこちから姿を現すアンデットたちを発見しては、航大にその居場所を伝えている。

「どうするの、航大……このまま逃げても……」

「でも、戦う訳にもいかないだろッ……あの人たちに罪はない……」

「…………」

 アンデットたちは生者たちを執拗に狙うのだが、航大たちはアンデットたちに攻撃をすることはなかった。それというのも、望まぬ理不尽な最期を強制された人々を、その手で葬り去るということがどうしても出来なかったからである。

 街を彷徨うアンデットたちの動きは鈍足である。戦おうと思えば負けるような相手ではないと推測される。しかし、アンデットへと姿を変えてしまったとしても、元は同じ人間だったのである。

 ただ、平穏な生活を謳歌していた一般人なのだ。その相手に刃を向けることが航大にはどうしても出来なかった。

「もう少しで出口だ……みんな急ぐぞッ……」

「……あ、ライガたちだ」

 走る航大たちが向かうのは街の入り口だった。
 そこには航大たちが旅路で使ってきた地竜が待っているはずであった。

 ライガとリエルが近くに居るかが心配であったが、ユイの言葉からライガたちも航大と同じように街の入り口へと引き返していることが判明した。

「ライガッ、リエルッ!」

「おぉ、航大……よかったぜ、今から探しに行こうとしてたんだ」

「主様ッ……無事なようで良かった……」

 航大たちと合流したライガとリエル。
 二人も走って戻ってきたのかその息は乱れている。

「その様子だと、ライガたちも見たんだな?」

「あ、あぁ……ってことは、航大たちもか……」

 その言葉だけで全員が何の話をしているのかが共有される。

「早くここを出発しよう、ライガ。アンデットとなった人たちを傷つけたくはない」

「……助けることは出来ないのか?」

 唇を強く噛み締め、苦しげな表情を浮かべるライガは、街のあちこちを彷徨い歩くアンデットたちを見て、何か救いはないかと問いかけてくる。

 アンデットとなった人々はその全員が既に命の灯火を消してしまっていることは事実である。それでも、ライガはそんなアンデットにも救いの手を差し伸ばしたいと考えているのだ。

「…………」

 ライガの問いかけに全員が無言になってしまう。

 ライガ、シルヴィア、リエル、ユイにとってアンデットとなった人間と邂逅を果たすこと事態が初のことである。だからこそ、その対象に対しての知識が全くない。助けたいという気持ちは全員が持っていたとしても、助けるための手段が思いつかないのだ。

「シュナ、カガリ……何か思いつくことはあるか……?」

『ごめんね、航大くん。僕だってなんとかしてあげたいとは思ってる。だけど、あんな姿になった人間を見るのは僕も初めてなんだ』

『私も死者……といって正しいのかは分かりませんが、そうなってしまった人間を治癒する術を知りません』

 航大が一縷の望みを賭けて問いかけるのは、遙かなる昔からこの世界に存在している女神たちであった。彼女たちならば何か対処法を知っているのではと問いかけを投げるが、彼女たちから返ってきた答えは期待を裏切るものであった。

「シュナたちでも分からないか……くそッ、どうしてこんなことに……」

 今でも街中を彷徨うアンデットたちを見ながら、航大たちは苦渋の判断を求められていた。

 見捨てるか、戦うか。

 救うという選択肢が消失した今、航大たちに残された選択は少ない。

「…………」

 あまり同じ場所に留まり続けていると、アンデットたちが航大たちを目掛けて襲い掛かってきてしまう。それよりも先に判断をしなければならない。


「……何か、来る」


 静寂が包むこと数秒。
 街の中心部へと視線を向けながら、ユイが小さくそんな声音を呟いた。

「何か来るって、何が……?」

 じーっと虚空を見つめるユイに対して、航大がそんな問いかけを投げかけた瞬間だった。


「――こんなところに居ましたか」


 満月が輝く夜空を疾走する人影があった。

 それは人間離れした身体能力を生かし、崩壊した街中を縦横無尽に駆け回っている。瓦礫を飛び越え、僅かに形を残した民家の屋根に飛び移る。その直後に再び跳躍したかと思えば、地面に着地して素早く駆ける。

 一瞬でも気を抜けば姿を見失ってしまうような疾走を見せる人影は、あらゆる障害物を越えながら航大たちが立ち尽くす場所を目指して一直線に進み続けている。

「航大、来るぞッ!」

「……みんな、構えろッ!」

 航大の声を皮切りに全員が臨戦態勢を整える。

「まさか、もう帰ろうとされているのでしょうか? それにはまだ些か早い時間であるかと」

 その声音はとても落ち着いたものだった。

 凄まじい跳躍を見せながらも息を切らすことなく、初老の男性といった印象を与える柔らかくも荘厳な声音が航大たちの鼓膜を震わせる。

 闇夜を飛ぶ人影を目にして、街中を徘徊するアンデットたちが群がろうとする。

「アイツ、何をする気だ……?」

 人影が見せる違和感に気付いたのはライガだった。

 細い身体つきをしており、声音から男性であると推測されるその人影は、自分に群がろうとするアンデットの群れへと突進していく。

 ライガの瞳が見開かれる。
 彼の瞳には月明かりを浴びて鈍色に輝く細身の剣が映っていた。

「まさか……」

 そんな声音が漏れた次の瞬間、迫る人影はその手に持った剣を振るうことで、群れをなすアンデットたちを次々に斬り裂いていった。

「おい、やめろッ!」

 闇夜に舞う鮮血。
 首、手、足、腰。

 身体の至る部位を切り裂かれたアンデットの身体から夥しい量の鮮血が噴出する。人影が放つ斬撃には一切の無駄もなければ、一切の容赦もなかった。月明かりを受けて輝く凶刃がアンデットたちを次々に斬り伏せていく。

 女神の襲撃を受け一度は死に、安寧を与えられることなく屍としての状態を余儀なくされた人々が今、航大たちの目の前で二度目の死を迎えようとしている。航大たちが苦渋の決断から実行しなかった行為を、突如として姿を現した人影は一切の躊躇いもなく実行に移していく。

 航大の怒号が響き渡るが、目の前で繰り広げられる惨殺のショーは終わることがない。

 無数に存在していたアンデットたちは苦悶の声音を漏らすことすら許されずに地面に倒れ伏す。屍が歩くだけだった街は、気付けば数多の死体が転がる『地獄』へと姿を変えてしまった。

 影が跳躍する様子を、航大たちはただ見ていることしかできない。

 人影が見せる惨殺劇は、あまりにも美しかった。誰もが凄惨たる光景を前にして言葉を失い、その身体は地面に貼り付けられてしまっている。


「ごきげんよう、旅のお方。この私と一戦交えては貰えませんか? 今宵は血に飢えております故」


 アンデットたちを一人も残すことなく惨殺したその人影は、最後に大きな跳躍を見せると、航大たちの目の前までやってくる。

 そこで初めてその姿を詳細に観察することができた航大たちは、タキシードに身を纏った初老の男性を前にして絶句するばかり。

 皺が目立つ顔立ちに、黒髪と白髪が目立つ頭部。
 その瞳は僅かに開かれており、その奥には妖しく紅蓮に光る瞳が存在しているのであった。

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