終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第六章15 死んだ街と群がる骸
「…………」
航大たち一行は南方地域の草原を南下していた。
罪もない人々を恐怖のどん底へと陥れる炎髪を持った少女の凶行を止めるため、一行は南の果てに存在する『王城』を目指していた。
ライガは手綱を握り繋がれている地竜を操舵し、その隣には航大が座っている。
地竜が引くのは客車であり、その中にはリエル、シルヴィア、ユイの三人が乗っている。もうじき夜の帳が下りようとする時間ではあるのだが、航大たちは休むこともなく南方へと急いでいる。
「…………」
一行たちの間には重苦しい空気が充満していた。
全員が沈痛な表情を浮かべ、誰もが無言を貫いている。
決して疲れている訳ではない。目にする全ての光景が想像を絶するほどに絶望的であり、南へ進む度にその絶望は新たな姿を見せてくる。
航大は俯き、悔しげに唇を噛みしめ、強く拳を握りしめている。
これまでも絶望的な光景は何度か目の当たりにしてきた。自分の無力さが起因として守れるものを守れなかったこともあった。こことは別の世界で生きていたら決して体験することのできない戦いを経て、航大は自分が少しでも強くなったと勘違いしていたのだ。
『死』という概念への慣れ。
異世界にやってきて、航大は人間が当たり前に持つべきである『死』というものへの恐怖だったり、畏怖の念が薄れてしまっていた。軽視している訳ではない。ただ単純に見慣れてしまっていたのだ。
「…………」
しかし、今回の旅路で航大たちの眼前に飛び込んでくる『死』というものは、これまでに経験したことのないほどに悲惨で凄惨で救いのないものだった。
女神の手によって壊滅した田舎街・レントを旅立ってから、南へ進むにつれていくつかの街を見つけることができたのだが、全ては既に炎髪を持つ少女の手によって壊滅していたのだ。
どれも例外なく業炎によって全てを焼き尽くされており、そこには綺麗な街並みが広がっていたはずの場所が、放たれた業炎によって跡形もなく焼失しているのだ。
そこにあったであろう綺麗な街並みも、美しい青葉を生やした木々も、街中を流れる清流も、そして街で生活をしていた人々も……業炎はそれら全てを無慈悲にも全て飲み込んでいった。
痕に残るのは街であった残滓と、かつて何かを形成していた黒い物体だけである。
数多の死と焦げ腐った匂いを残して、抗いようのない『絶望』がそこには広がっていた。
いくつもの絶望を目の当たりにし、航大たちの気分はどん底にまで落ちていた。
「はぁ……王城とかいう場所に着くまでに、あとどれくらいの街があるんだろうな……」
「分かんないな」
ライガがぽつりと声音を漏らす。
誰かの声が鼓膜を震わすという当たり前のことが、今の航大にとってはとても久しく感じられた。藍色に染まりつつある空を見ながら、航大は気の抜けた声音を返すのが精一杯だった。
「航大、俺たちはどうすればいいんだ?」
「…………」
「これから先の戦いに女神の力が必要だってのは分かる。だけどよ、その女神が無実の人を襲ってるなら……俺たちは戦わなくちゃならねぇ。それがどんな理由であったとしてもだ」
ライガの声音が一段と強くなる。
数多の死を見てきて怒りを感じているのは航大だけではない。
航大の隣に座るライガも、客車の中で静寂を保っているリエルたちもまた、為す術のない暴虐に怒りを感じているのだ。相手が女神だろうが何だろうが関係ない。航大たちはこの世界を守るために戦っているのだ。その平和を壊すような存在を認める訳にはいかない。
『……私はやはり信じることができません』
「シュナ?」
一瞬の静寂が訪れた後、そんな言葉が航大の脳裏に響いた。
それは航大の中に存在する女神の一人、氷獄の女神との呼称を持つシュナであった。
ライガが放った言葉に何かを感じたのか、シュナは重苦しい声音と共にかつて共に戦った仲間を庇った。
『確かに、アスカは女神の中でも好戦的ではありました。その強すぎる力を制御できずに迷惑を掛けたこともあった……それでも、彼女は誰よりも女神たろうとしていたのは間違いありません』
航大もライガもシルヴィアも知らない彼女たちの物語がある。
世界を救うために戦った確かな過去がある。
魔竜という脅威が去った後も、この世界が変わらぬ姿で在り続けているのは、シュナやカガリを始めとした『女神』たちの存在があるのだ。彼女たちが世界の均衡を保ち、大地に絶え間なく魔力を注ぎ込んでくれるからこそ、世界は今の形を保ち続けることができるのだ。
燻る火種がありつつも、世界はまだ均衡と平穏を維持している。
それは四人の女神が健在であることの何よりも強い証拠なのであった。
「…………」
炎獄の女神・アスカ。
田舎街・レントを襲った人物がアスカに酷似していたのは間違いない。その存在が消えぬ業炎を操っていたのも確かである。しかしそれでも、シュナは信じたくはなかったのである。
女神の中では誰よりも後輩である彼女は、誰よりも先輩の女神たちを慕っているのだ。
『レントを襲ったのは、間違いなくアスカだった。あの魔法も、あの姿も、久しぶりに会ったけど、僕の記憶にある彼女の姿と一致したよ』
シュナに続くのは暴風の女神・カガリだった。
普段はおちゃらけた雰囲気を纏っている彼女も、状況が状況なだけに呟く声音には真剣そのものであった。
『最近は全く会うこともなくなったけど、付き合いは長いからね。僕もシュナちゃんと同じで何かの間違いだって信じたいよ』
「全ては王城とかいう場所で分かるんだな?」
『彼女がどうして自分の根城を指定したのかは分からないけど、きっとそこに何かがあるんだろうね』
田舎街・レントを舞台にした激戦。
その戦いで航大たちは改めて女神という存在が持つ力の強大さを目の当たりにした。
しかし、この戦いを生き抜くことができないのならば、きっとこの先に待ち受ける壮絶な戦いに勝つことはできないのだと航大も理解している。
明確な敗戦を経験したのは航大だけではない。
ライガも、シルヴィアも、リエルも、ユイも……それぞれが胸中に複雑な想いを抱いている。敗北が『死』に直結する場面が確実に増えていく中で、航大たちは戦いの全てに勝つことが義務付けられているのだ。
「……航大」
「どうした、ライガ?」
声には出さない女神たちとの会話を終えると、ライガが航大を呼んだ。
彼は険しい顔つきで前方を見つめていて、ライガが纏う強張った雰囲気を察して航大も気を引き締める。
「また街が見えてきた」
「街、か……」
このやり取りも何度目だろうか?
レントを出発してから航大たちはいくつかの街を通過してきた。
その全てが街と呼ぶにはあまりにも悲惨な姿をしており、非情な破壊の痕は航大たちの心に深い傷を残している。
「また、やられてるのか?」
「あぁ……だけどな、今回のは今までと違うぞ」
「今までと違う?」
航大たちの前方には、まだハッキリとした姿は見えて来ないが確かに街らしきものが見えている。その街もやはりこれまでと同じように女神による破壊の被害を受けており、藍色に染まる空へと黒煙が上がっている。
変えようのない現実にため息が漏れそうになるが、航大は隣に座るライガの様子がおかしいことに気付く。
「航大、シルヴィアたちに戦う準備を整えろって伝えてくれ」
「なんだよ、それ」
ライガが放つ言葉の真意が分からず、航大は努めて冷静に状況を把握しようと質問を重ねる。
「――来るぞッ!」
そんな声音が周囲に響き渡るのと同時に、突如として航大たちが進む道の先に『黒い人影』が無数に姿を現した。
それは確かに人であることに間違いはないのだが、とにかく全身を漆黒の闇に包んでいた。唯一、ニヤリと嗤う口元だけが異様な赤に染まっていて、その姿は見るだけで不快な印象を相手に植え付けるものであった。
このままでは衝突する。
そんな心配が航大の脳裏を過ぎった次の瞬間だった、黒い影たちはただ嗤いながら跳躍すると、一直線に航大たちへと襲い掛かってくるのであった。
航大たち一行は南方地域の草原を南下していた。
罪もない人々を恐怖のどん底へと陥れる炎髪を持った少女の凶行を止めるため、一行は南の果てに存在する『王城』を目指していた。
ライガは手綱を握り繋がれている地竜を操舵し、その隣には航大が座っている。
地竜が引くのは客車であり、その中にはリエル、シルヴィア、ユイの三人が乗っている。もうじき夜の帳が下りようとする時間ではあるのだが、航大たちは休むこともなく南方へと急いでいる。
「…………」
一行たちの間には重苦しい空気が充満していた。
全員が沈痛な表情を浮かべ、誰もが無言を貫いている。
決して疲れている訳ではない。目にする全ての光景が想像を絶するほどに絶望的であり、南へ進む度にその絶望は新たな姿を見せてくる。
航大は俯き、悔しげに唇を噛みしめ、強く拳を握りしめている。
これまでも絶望的な光景は何度か目の当たりにしてきた。自分の無力さが起因として守れるものを守れなかったこともあった。こことは別の世界で生きていたら決して体験することのできない戦いを経て、航大は自分が少しでも強くなったと勘違いしていたのだ。
『死』という概念への慣れ。
異世界にやってきて、航大は人間が当たり前に持つべきである『死』というものへの恐怖だったり、畏怖の念が薄れてしまっていた。軽視している訳ではない。ただ単純に見慣れてしまっていたのだ。
「…………」
しかし、今回の旅路で航大たちの眼前に飛び込んでくる『死』というものは、これまでに経験したことのないほどに悲惨で凄惨で救いのないものだった。
女神の手によって壊滅した田舎街・レントを旅立ってから、南へ進むにつれていくつかの街を見つけることができたのだが、全ては既に炎髪を持つ少女の手によって壊滅していたのだ。
どれも例外なく業炎によって全てを焼き尽くされており、そこには綺麗な街並みが広がっていたはずの場所が、放たれた業炎によって跡形もなく焼失しているのだ。
そこにあったであろう綺麗な街並みも、美しい青葉を生やした木々も、街中を流れる清流も、そして街で生活をしていた人々も……業炎はそれら全てを無慈悲にも全て飲み込んでいった。
痕に残るのは街であった残滓と、かつて何かを形成していた黒い物体だけである。
数多の死と焦げ腐った匂いを残して、抗いようのない『絶望』がそこには広がっていた。
いくつもの絶望を目の当たりにし、航大たちの気分はどん底にまで落ちていた。
「はぁ……王城とかいう場所に着くまでに、あとどれくらいの街があるんだろうな……」
「分かんないな」
ライガがぽつりと声音を漏らす。
誰かの声が鼓膜を震わすという当たり前のことが、今の航大にとってはとても久しく感じられた。藍色に染まりつつある空を見ながら、航大は気の抜けた声音を返すのが精一杯だった。
「航大、俺たちはどうすればいいんだ?」
「…………」
「これから先の戦いに女神の力が必要だってのは分かる。だけどよ、その女神が無実の人を襲ってるなら……俺たちは戦わなくちゃならねぇ。それがどんな理由であったとしてもだ」
ライガの声音が一段と強くなる。
数多の死を見てきて怒りを感じているのは航大だけではない。
航大の隣に座るライガも、客車の中で静寂を保っているリエルたちもまた、為す術のない暴虐に怒りを感じているのだ。相手が女神だろうが何だろうが関係ない。航大たちはこの世界を守るために戦っているのだ。その平和を壊すような存在を認める訳にはいかない。
『……私はやはり信じることができません』
「シュナ?」
一瞬の静寂が訪れた後、そんな言葉が航大の脳裏に響いた。
それは航大の中に存在する女神の一人、氷獄の女神との呼称を持つシュナであった。
ライガが放った言葉に何かを感じたのか、シュナは重苦しい声音と共にかつて共に戦った仲間を庇った。
『確かに、アスカは女神の中でも好戦的ではありました。その強すぎる力を制御できずに迷惑を掛けたこともあった……それでも、彼女は誰よりも女神たろうとしていたのは間違いありません』
航大もライガもシルヴィアも知らない彼女たちの物語がある。
世界を救うために戦った確かな過去がある。
魔竜という脅威が去った後も、この世界が変わらぬ姿で在り続けているのは、シュナやカガリを始めとした『女神』たちの存在があるのだ。彼女たちが世界の均衡を保ち、大地に絶え間なく魔力を注ぎ込んでくれるからこそ、世界は今の形を保ち続けることができるのだ。
燻る火種がありつつも、世界はまだ均衡と平穏を維持している。
それは四人の女神が健在であることの何よりも強い証拠なのであった。
「…………」
炎獄の女神・アスカ。
田舎街・レントを襲った人物がアスカに酷似していたのは間違いない。その存在が消えぬ業炎を操っていたのも確かである。しかしそれでも、シュナは信じたくはなかったのである。
女神の中では誰よりも後輩である彼女は、誰よりも先輩の女神たちを慕っているのだ。
『レントを襲ったのは、間違いなくアスカだった。あの魔法も、あの姿も、久しぶりに会ったけど、僕の記憶にある彼女の姿と一致したよ』
シュナに続くのは暴風の女神・カガリだった。
普段はおちゃらけた雰囲気を纏っている彼女も、状況が状況なだけに呟く声音には真剣そのものであった。
『最近は全く会うこともなくなったけど、付き合いは長いからね。僕もシュナちゃんと同じで何かの間違いだって信じたいよ』
「全ては王城とかいう場所で分かるんだな?」
『彼女がどうして自分の根城を指定したのかは分からないけど、きっとそこに何かがあるんだろうね』
田舎街・レントを舞台にした激戦。
その戦いで航大たちは改めて女神という存在が持つ力の強大さを目の当たりにした。
しかし、この戦いを生き抜くことができないのならば、きっとこの先に待ち受ける壮絶な戦いに勝つことはできないのだと航大も理解している。
明確な敗戦を経験したのは航大だけではない。
ライガも、シルヴィアも、リエルも、ユイも……それぞれが胸中に複雑な想いを抱いている。敗北が『死』に直結する場面が確実に増えていく中で、航大たちは戦いの全てに勝つことが義務付けられているのだ。
「……航大」
「どうした、ライガ?」
声には出さない女神たちとの会話を終えると、ライガが航大を呼んだ。
彼は険しい顔つきで前方を見つめていて、ライガが纏う強張った雰囲気を察して航大も気を引き締める。
「また街が見えてきた」
「街、か……」
このやり取りも何度目だろうか?
レントを出発してから航大たちはいくつかの街を通過してきた。
その全てが街と呼ぶにはあまりにも悲惨な姿をしており、非情な破壊の痕は航大たちの心に深い傷を残している。
「また、やられてるのか?」
「あぁ……だけどな、今回のは今までと違うぞ」
「今までと違う?」
航大たちの前方には、まだハッキリとした姿は見えて来ないが確かに街らしきものが見えている。その街もやはりこれまでと同じように女神による破壊の被害を受けており、藍色に染まる空へと黒煙が上がっている。
変えようのない現実にため息が漏れそうになるが、航大は隣に座るライガの様子がおかしいことに気付く。
「航大、シルヴィアたちに戦う準備を整えろって伝えてくれ」
「なんだよ、それ」
ライガが放つ言葉の真意が分からず、航大は努めて冷静に状況を把握しようと質問を重ねる。
「――来るぞッ!」
そんな声音が周囲に響き渡るのと同時に、突如として航大たちが進む道の先に『黒い人影』が無数に姿を現した。
それは確かに人であることに間違いはないのだが、とにかく全身を漆黒の闇に包んでいた。唯一、ニヤリと嗤う口元だけが異様な赤に染まっていて、その姿は見るだけで不快な印象を相手に植え付けるものであった。
このままでは衝突する。
そんな心配が航大の脳裏を過ぎった次の瞬間だった、黒い影たちはただ嗤いながら跳躍すると、一直線に航大たちへと襲い掛かってくるのであった。
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