終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第五章99 【幕間】束の間の休息<ユイとの時間2>

「寝てなかったのか?」

「…………」

「全く、誰よりもデートって奴を楽しみにしてたじゃないか。それなのに、寝坊するなんて……」

「…………」

「おい、ユイ?」

「……ん?」

「大丈夫か? なんかボーっとしてるけど……寝呆けてるのか?」

「……ううん。なんでもない。ちょっと頭がボーっとしてるだけ」

「そうか? それならいいんだけどさ」

 見覚えのない夢から覚めたユイは、航大と合流するとデートをするために王城を歩いている。どこへ向かっているのかは分からない。この時のために、やりたいこと、したいことをたくさん考えていたはずなのに――

「…………」

 今、ユイのテンションが上がらない理由は、いつもなら目覚めと共に消えてしまう夢の内容が残り続けていることにある。何故、この時に限って夢で見た内容が消失しないのか、彼女にはその理由を知ることができず、ちらつく最後の瞬間がユイの気持ちをどん底へと突き落とす。

「……本当に大丈夫か?」

「……え?」

「やっぱり、いつもの調子じゃないみたいだし……今日はゆっくり休んだ方がいいんじゃ……?」

「……大丈夫。大丈夫だから」

 デートを取りやめようとする航大の言葉に、珍しくユイが感情を露わにして声を荒げる。立ち止まる航大の服を掴み、彼が引き返そうとする動きを止める。航大の服を掴むユイの手は小刻みに振るえている。

「……ほら、行こう」

「おっとっと」

 今のユイに立ち止まっている暇はない。

 鮮明に残る夢の光景を振り払うように、ユイは航大の腕を引っ張ると王城の出口へ向けて歩き出す。様子がおかしいことに気付いていながらも、航大は今にも泣きそうなユイの行動を止めることはできないのであった。

◆◆◆◆◆

「一番街ってのは、夜でも騒がしいな……」

「……うん。人もたくさん」

「今日で三回目だけど、飽きないな……この街は……」

「……航大、疲れてない?」

「ん? あぁ、大丈夫だぜ」

 王城を出た航大とユイは、直結している一番街へと繰り出していた。

 既に陽が沈んでしばらくの時間が経過しているが、最も栄えている一番街は眠ることなく出店が立ち並び、綺羅びやかな光に包まれていた。さすがに昼間と比べれば人通りも少なくなっているとはいえ、夜とは思えない活気が溢れている。

「そこの兄ちゃんと姉ちゃんッ! 何か食っていかないかい?」

「おっ、旨そうなのあるじゃん」

「どうよ? 食っていくかい?」

 出店が立ち並ぶエリアを歩いていると、様々な店の店主が声をかけてくる。

 一番街の特徴として、この街に住まう人々はみんながフレンドリーである。ただ黙って店を出しているだけでは売上が伸びることはなく、自ら声を出して客を呼び寄せ、自慢の料理を振るうという文化が根付いている区画であり、だからこそぶらぶらと歩くだけが目的だったのに、気付けば店主たちの口車に乗せられて買い物をしてしまうことが多々ある。

「ユイ、お腹空いてないか?」

「……ちょっとだけ」

「それじゃ……コレもらえるか?」

 航大が指差すのは、出店で売られていたハンバーガーだった。

 ホカホカのパンに肉汁が滲み出る肉が挟まれ、更にその肉を挟んでいるのがみずみずしい野菜である。ここら辺の食べ物については、航大が過ごしてきた世界と似ており、その点に関しては航大も助かっている部分である。

 航大が生まれ育った世界では馴染み深いハンバーガーを手に取ると、ユイと二人でそれを頬張っていく。

「…………」
「…………」

 大きく口を開けてハンバーガーにかぶりつく。

「美味いッ!」
「……美味しいッ!」

 口の中に入れた瞬間、バンズに挟まれた肉から大量の肉汁が溢れ出す。

 瞬間、航大とユイの二人は声を揃えて味覚を刺激してくる味に感動を表明する。一度食べてしまえば止まることはなく、二口、三口とハンバーガーに食いついていく。

 異世界にやってきてしばらくの時間が経過した航大にとっては懐かしいものであり、油断すると涙すら出てきそうになる。よく学校帰りに友達と寄り道をして食べた味が何度も脳裏に蘇ってくる。

「…………」

 航大の隣に立つユイも、ちびちびと口を開けてハンバーガーの味を噛み締めている。

 彼女にとっても初めて食べるものなのか、その目は驚きが見え隠れしており、しかし空白も相まって食べる手が止まることはない。

「へへ、良い食いっぷりじゃねぇか。ほれ、サービスにもう一個ずつ持っていきな!」

「えっ、いいのかッ!?」

「おうよ。そろそろ店じまいだしな、破棄しちまうくらいなら、兄ちゃんたちに食べてもらいたいって訳よ」

「おぉ……それなら、遠慮なく頂きますッ!」

 航大たちが食べている姿が気に入ったのか、出店の店主である大柄な男はその顔に笑みを浮かべながらハンバーガーをプレゼントしてくれる。

 目の前で美味しそうな匂いを放つ食べ物を前にして、今の航大たちが断ることなど出来ないのであった。

◆◆◆◆◆

「いやぁ……美味しかったな……」

「……うん。とっても」

 一番街で最も賑わう食料店エリアを抜けた航大とユイ。

 二人は満腹感を感じながらも歩みを進め、今は様々なものが売られるエリアを歩いている。食料品のエリアとは違い、航大たちが歩くエリアは武器から雑貨と幅広く色んなものが売られているのが特徴的である。相変わらず、夜になっても人通りは多く、出店も光を放ちながら道歩く人に店をアピールしている。

「そういえば、ユイは何か欲しいものあるか?」

「……欲しいもの?」

「今日はデートだしさ。何かプレゼントできればと思って」

「…………」

 航大の言葉にキョロキョロと周囲を見回るユイ。

「……コレ、欲しい」
「これって……チョーカー?」

 出店が立ち並ぶ中でユイが指差したのは、小物や雑貨を取り揃える店に置かれた黒のチョーカーだった。首に巻くタイプのアクセサリーであるが、数ある商品が立ち並ぶ中でユイがこれを選んだことに航大は驚きを禁じ得なかった。

「えっと……これでいいのか……?」

「……うん。これが欲しい」

「まぁ、ユイが欲しいって言うなら……」

 チョーカーを手にとって、それをじーっと見つめるユイ。彼女が何を考え、何を想ってそれを選んだのかは不明だが、ユイが欲しいというのならそれを断ることはできない。

「おじさん、これもらえますか?」

「おうとも。それにしても、嬢ちゃんはお目が高いねぇ」

「お目が高い?」

「そうさ。このチョーカーは幸運を招くって言われてるんだ。この世界を守ってくれる女神様の加護があるんだぜ」

「…………女神の加護か」

 出店の店主が嘘をついている様子はない。

 異世界ならではの幸運アイテムということであり、しかし女神の加護と言われると航大はなんとも言えない気持ちになる。今、自分の中に二人の女神が存在していることを知ったのなら、店主はどんな顔をするのだろうか。

『あ、ちなみに僕たちは何もしてないからね?』

「…………」

『まぁ、僕たちはココに居るんだから、本当に加護をあげてもいいけど?』

「はぁ……雰囲気がぶち壊しだな……」

 脳裏に響くのは軽い調子の声音が印象的な暴風の女神・カガリだった。

 カガリがやってきてからというものの、こうした何でもない時に声を掛けてくるようになった。もう一人の女神・シュナは寡黙であり、航大が呼びかけないと深層に潜り込んだままなのだが、カガリはこうして航大の意思に関係なく出て来ることが多々ある。

「ほら、ユイ。これで良かったんだよな?」

「……うん、ありがと。航大に付けて欲しい」

「え、俺が……ッ!?」

「……ダメ?」

 上目遣いにユイが甘えた声を漏らす。
 瞬間、航大の心臓が異様な早鐘を打ち始め、まっすぐにユイを見ることができなくなる。

「え、えっと……その……分かったよ。今日はユイのお願いをなんでも聞いてやる日だしな」

「……やった」

 こうなればヤケクソである。

 航大とデートすることをとても楽しみにしていたユイに悲しい顔をさせることはできない。今日の主役は航大ではなく、あくまでユイなのだから。彼女が願うことは、極力叶えてやりたい。

「こ、これを……こうするのか……?」

「……うん。そのまま留め具で固定すれば大丈夫」

 互いの身体が触れ合うか否かという距離にまで接近し、おずおずと慣れない手つきで黒のチョーカーをユイの首に付けていく。首元に手を伸ばし、ユイの後ろ髪に触れながらチョーカーを取り付ける。

「よしっと。苦しくないか?」

「……大丈夫。ちょうどいい感じ」

 ふんわりと漂ってくる甘い香りにドギマギしながら、航大は気恥ずかしさを感じながらユイから一步離れる。

「…………」

 黒のチョーカーを首に付けたユイは、静かに目を閉じてその存在を確かめるように指でなぞる。その表情は僅かに微笑みが浮かんでいて、航大の目にはその笑みがとても尊いものに感じられた。

「えーと、そろそろ帰るか? 夜も遅くなってきたし」

「……ダメ」

「へ? ダメって……」

「……もうちょっとだけ、航大と一緒に居たい」

「一緒にって……身体は大丈夫なのか? 今日もデート前はボーっとしてたし……」

「……あれは寝呆けてただけ。今は全然大丈夫」

「それならいいか……でも、あまり遅くはならないようにするぞ」

「……うん。分かった」

 航大の言葉に安堵したのか、ユイはほっとため息を漏らして歩き出す。

「……いきたいところがあるの」

「行きたいところ?」

「そう。すごくいい所……」

 航大の手を取ってユイは歩き出す。
 唐突に手を握られて再び航大の胸が高鳴る。

 街の喧騒を抜けて歩く二つの人影。少年と少女の頭上には闇夜を照らす満月が存在しているのであった。

◆◆◆◆◆

「って、王城じゃないか」
「……うん」

 一番街の喧騒を抜けて、ユイが向かった場所は意外にもハイラント王国の王城であった。既に王女の客人としての認識が広まっているため、夜中に王城へ入ろうとしても顔パスである。

 どこへ行くのかドキドキしていた航大は、意外過ぎる場所に辿り着いたことで思わずツッコミを入れてしまう。

「おい、ユイ……どこ行くんだ? 部屋はこっちじゃないぞ?」

「……部屋に戻る訳じゃない。行くのは違うところ」

「えぇ……違うところって、どこだ……?」

 この王城において、航大が部屋以外に知っている場所があるとすれば、謁見の間か王女の自室か……しかし、今この状況でユイが向かう場所としては適切ではないことは承知済みである。だからこそ、ユイがどこへ向かおうとしているのか、航大には皆目見当もつかないのであった。

「……こっち」

「まだ階段を上るのか……」

「……もうちょっとで着く」

 王城の中を歩き出してからしばらくの時間が経過した。

 航大とユイの二人はひたすら続く螺旋階段を上っていた。薄暗い螺旋階段には航大たちと足音だけが響いており、下を見れば暗闇がぽっかりと口を開けており、思わず身体がゾッとしてしまう。

「……着いた」

「着いたって……行き止まりじゃないか?」

「……前に教えてもらった。こうするの」

 螺旋階段の終点。
 そこにはただ白い壁が存在しているだけだった。

 まさか、ここまで時間と体力を使ってやってきたのが水の泡になるのかと、航大は一瞬の絶望を禁じ得なかったが、しかしそれは早とちりだったようである。

 ユイは表情一つ変えることなく壁に手を当てる。すると、何の変哲もない白い壁が淡い光を帯び始める。

「ここは危ないから普段は閉ざされているだけ。こうしてあげれば、誰でも入ることができる」

「…………ここは」

「お城の屋上。すごく景色がいいから、私は好き」

 白い壁が淡く輝くと、突如として壁が無数のブロックに姿を変えて本来の姿を現した。ついさっきまでただの壁だった場所に、気付けば木製の扉が出現し、ユイは迷うことなくその扉を開け放つ。

 すると、心地いい風が疲れた航大の身体を優しく撫でて、彼の視界には輝く満月が飛び込んできた。

「すげぇ……」

 ユイと共に扉から外へ出る。
 そこは王城の中でも最も高い展望台であり、眼下には城下町が広がっていた。

 街全体を一望できる場所であり、一番街を中心に夜でも光り輝く街の様子を観察することができる。薄暗い螺旋階段から一変した光景に、航大は思わず感嘆のため息を漏らす。

「……今日は航大とデートできて嬉しかったから、私のとっておきを見せたくて」

「あぁ、すごいよ……ココは……」

「……航大、喜んでくれた?」

 展望台から街を見下ろす航大。
 そんな航大を横目で見るユイ。

「もちろんさ、こんなに綺麗な景色……中々、見ることはできないな……」

「……良かった」

 航大が漏らすのは心からの言葉であった。
 それが伝わってきたから、ユイの表情が綻ぶ。

「…………」
「…………」

 今、この瞬間に言葉は要らない。

 航大とユイが同じ時間を共有し、同じ光景を見る。ただ、それだけの事実がユイの心をこれ以上にないほど満たしてくれて、願わくばこの時間が永遠に続けばいいのに……優しい風に白髪を靡かせながら、ユイは密かにそんなことを思わずにはいられなかった。


「……航大、お願いがあるの」


 幸せな時間は永遠には続かない。
 この瞬間にだって終わりはくる。
 だからこそ、ユイは心地いい静寂を斬り裂いてでも少年の名を呼ぶ。

「お願い?」

 ユイの声音が鼓膜を震わせて、航大は視線を外からユイへと映す。
 彼の視界を独占する白髪の少女は、今までに見たことがなかった表情を浮かべていた。

 悲しみ。
 切なさ。
 苦しさ。

 色んな感情が渦巻くのを確認して、航大はその表情を正す。


「……お願い、航大」


 少女の瞳から一筋の涙が零れる。
 その涙の意味を、航大はまだ知らない。


「――私に何かあったら、私が悪い子になったら」


 彼女が伝えようとする言葉の先を聞いてはならない。
 出来るならば、今すぐにでも彼女の言葉を遮りたい。

 そんな慟哭が込み上げてくるのだが、彼女が真剣であることが痛いくらいに伝わってくるからこそ、航大はただ待つことしかできなかった。


「――私が貴方を殺そうとしたのなら、お願い……私を殺して」


 何故。

 何故、彼女がそんなことをお願いするのか、それはいくら航大が考えても答えが出て来るものではなかった。帝国ガリアの一件が影響しているのか、はたまたそれ以外の要因からなのか……。

「…………」

 理解することができない。
 どうして目の前にいる少女は、自分を殺してくれという残酷な願いを少年に投げつけるのか。


「――お願い、航大」


 少女の声音が脳裏から消えてなくならない。
 長いデートの一日。 
 その最後は少女の重すぎる願いを持って、終止符を打たれることとなるのであった。

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