終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~
第五章89 倒れゆく仲間
砂塵を抜けた先には、魔力を帯びる不思議な塔が存在していた。
試練を突破した者たちは、吸い寄せられるようにその場へ集まり、そこで世界を守護する女神と対峙することとなる。集う試練者たちには共通の目的があり、それを果たすために女神と戦う道を選ぶ。
しかし、相対するのは魔竜を倒して世界に安寧をもたらす絶対的な力を持った女神の一人である。風の魔力を司る暴風の女神・カガリは、無尽蔵な魔力から繰り出す多彩な攻撃によって試練者たちの前に立ち塞がる。
「どうするんだよ、リエル……」
「今、それを考えておるのじゃ」
この場に存在するのは、砂塵の試練を抜けてきたライガ、リエル、シルヴィア、そしてユイの四人である。ユイを除いてライガたちは試練によって飛躍的な成長を遂げることに成功し、その力は女神を相手にしても通用するものだと誰もが信じていた。
しかし、そんな淡い期待は現実の前に脆くも瓦解し、気付けば白銀の甲冑ドレスに身を纏った剣姫・シルヴィアと、異界の英霊をその身に宿す少女・ユイは自らが流す鮮血の中に沈むこととなった。
剣姫と異界の英霊。
試練者たちの中でも最大戦力である二人を失い、残されたライガとリエルは絶体絶命のピンチを迎えようとしていた。
「ふぅ……久しぶりに目を覚ましたかと思えば……すごいことになってるな……」
凄まじい戦いで塔は完全に崩壊を遂げ、野ざらしとなった舞台にそんな声音が響き渡る。その声は試練者たちにとっては酷く聞き慣れたものであり、その声が鼓膜を震わせてライガ、リエルの二人はその目を見開くこととなる。
「もう少し寝ててもよかったんだけど?」
「まぁ、そういう訳にもいかないだろうよ」
「うーん、これは君の試練じゃないんだけどねー」
「ライガたちが試練を受けるなら、俺も試練を受ける。それが仲間ってもんだ」
リエルと軽い様子で言葉を交わすのは、異界から訪れし少年・神谷 航大だった。彼は帝国ガリアでの一件において暴走したユイと戦い、そして腹部に受けた傷によって重傷を負っていたはずだった。
彼の傷は普通の治癒魔法では癒やすことができず、北方の女神・シュナの力によって一命を取り留め、永い眠りにつくことを余儀なくされていたはずだった。航大を救い出すため、ライガたちはこの場へ足を踏み入れたのだが、助けようとしていた本人が今、彼らの目の前に姿を現したのだ。驚くなというのが難しい話である。
「こ、航大……?」
「主様……どうして……?」
元気な様子の航大を見て、ライガとリエルが震える声音を漏らす。
「それは僕が治癒してあげたからさ」
ライガとリエルの問いかけに答えたのは、暴風の女神・カガリだった。
彼女は得意げな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「彼がこの場所に来た時、かなり危ない状況だったからね。とりあえずそのままにするのは危ないから、先に治療だけはしておいたんだよ」
「…………」
「でも、すぐに起きちゃうと君たちの試練にならないからね。だから、ちょっと眠っててもらったんだけど……予想よりも早く目を覚ましちゃったって訳」
「まぁ、そういうことだな」
「まぁいいか。航大くんは起きちゃったけど……試練はまだ続いてるんだ」
ライガたちが安堵しそうになった瞬間、再びカガリの周囲に膨大な魔力が集中し始める。
彼女の周囲に産卵する瓦礫が音を立てて瓦解し、女神がまだ継戦しようとしていることを伝えている。
「こんなところで倒れちゃうようならば……先に進む資格はないよ」
肌がヒリヒリと痛む感覚が襲う中で、航大は軽い身のこなしでライガたちの傍までやってくる。
「ライガ、リエル……いけるな?」
チラッと二人の様子を確認して、まだ戦えるかを問いかける。
ライガとリエルにとって、また再び彼と共に戦えるという事実に胸が高鳴る。
「まだ頭が混乱してるけど、またお前と戦うことができて嬉しいぜ」
「儂は主様と共に戦うのみ。いつでもいけるぞ」
航大の問いかけに対して、ライガとリエルはそれぞれ笑みを浮かべて目の前の戦いに集中する。
「ユイとシルヴィアを助ける。力を貸してくれ」
「「おうッ!」」
ライガとリエルの声音がシンクロして、これで戦いの準備は整った。
「女神・シュナ。俺に力を貸してくれ、英霊憑依――絶氷神」
航大の声音の呼応するように、彼の体内から膨大な魔力が溢れ出す。
この力は過去に帝国ガリアにて、ユイの暴走を止めるために使役した力であり、永久凍土の女神・シュナが与える力である。
『まさかこんなに早く実戦を迎えるとは予想外でしたが……航大さん、いけますね?』
「あぁ……シュナがしてくれた鍛錬のおかげか、身体の調子はいいぜ」
『氷神の力、前よりもかなり使えるようになっているとは思いますが、油断はしないでくださいね』
「……分かってる」
『相手は女神。私と同等か、それ以上の力を持っています。気を抜かないでください』
「……分かってるって」
女神・シュナとシンクロを果たした航大は、その姿を大きく変えていた。
短く切り揃えられた髪が青く変色し、絶対零度の魔力をその身に宿した彼は青白い光を灯すローブマントに身を包んでいる。これが女神と融合した彼の姿であり、その身に宿す魔力は対峙するカガリに負けてはいない。
「最後の戦い……楽しもうじゃないかッ!」
自分と同等の魔力を発する少年を前にして、カガリは戦いの本能に笑みを浮かべる。久しぶりに本気を出して戦うことができる存在が現れ、彼女は心の底から命を賭けた戦いを楽しむことができるようになったのだ。
姿勢を低くし、カガリは地面を蹴って跳躍する。
その速度はこれまでの戦いで見せたものと比較にならないほど、速い。
「ライガ、足止め行けるかッ!」
「あったりまえよッ!」
航大の声音が響き、それに呼応するようにして少年の前に飛び出す存在があった。
ハイラント王国で英雄と謳われた男の息子であり、今では親子揃って王国の騎士となった青年。かつての父を越えることはできなかった。しかし、青年は最も尊敬する父に敗北を喫することで、自らを見つめ直し、そして新たなる力を手に入れた。
「神速、その速さは神の次元へ――神速神鬼ッ!」
航大とカガリの間に立ち塞がるハイラント王国の騎士・ライガ。
彼は女神にも負けない『スピード』を手に入れることができた。
「――邪魔しないでもらいたいなッ!」
「こっちだってな、そう簡単にやられる訳にはいかないんだよッ!」
突進してくるカガリに対して、ライガもまた地面を強く蹴って迎撃の姿勢を見せていく。周囲に散乱している瓦礫を吹き飛ばしながら、恐れることなく暴風の女神に真っ向からぶつかっていく。
「「――――ッ!」」
完全に姿を消した塔の中心部で二つの一閃が衝突する。
次の瞬間、周囲の広範囲に渡って凄まじい衝撃と暴風が駆け抜けていき、常人であるならば立っていることすら困難な状況へと場が変わっていく。
「――――ッ!」
一撃、また一撃と、姿を追うことすら難しい神速の世界で、ライガとカガリは一瞬の気も抜くことなく刃を振るい続ける。自分の背丈ほどもある神剣・ボルカニカを操るライガに対して、カガリもまた自らの魔力で生成した風の剣を振るっていく。
触れれば即座に命を落とす極限状態の中で、両者は一步も退くことはない。
「僕の動きについて来るなんて……さっきまでとは別人みたいじゃないか」
「ダチの前で無様な姿を見せる訳には――いかないんでねッ!」
すぐ後ろで自分の戦いを航大が見ている。
ただその事実だけがライガをまた一段と成長させた。
最も親しい友人であり、そして最も近しいライバル。
決して口に出すことはないが、ライガは日々成長する航大を近くで見ていて、焦りのようなものを感じていた。邂逅を果たした際、航大は自ら戦うことができない無力な少年だった。
少女に力を与え、自分は何もできずに後方で立ち尽くすばかり。
ライガはそんな少年の助けになれれば、それでよかった。自分の力は誰かの役に立っている。航大と共にいるライガはそんな気持ちを確かに抱いていたのだ。
甘い気持ちはライガの成長を鈍化させた。
日々、航大と共に同じ時間を共有し、彼が自らの無力に絶望する度に強くなっていく様を見て、いつしかライガも力を渇望するようになった。
自分が守るべき対象に守られる。
それだけは認める訳にはいかなかった。
「神剣・ボルカニカ、お前が持つ力を、解き放て――烈風風牙ッ!」
「甘いッ!」
剣戟の最中、ライガは自らが持つ少ない選択肢を活用していく。
しかし、暴風の女神・カガリはそんなライガの攻撃に対しても完璧に対応をしてみせる。
「風の刃よ、廻り切り裂け――風刃円舞ッ!」
これまでの戦いでも見せてきた高速回転する円状の風刃。
それは攻撃だけではなく、防御にも活用することができた。
「――――ッ!」
それは刹那の瞬間であるのだが、ライガが至近距離で放った風の刃はカガリが生み出す風刃円舞に受け止められてしまう。
「全ての風よ、我の元へ集え――風神煉獄ッ!」
「な、なにッ!?」
それはライガが生み出す新たなる技。
神剣・ボルカニカが持つポテンシャルを最大限に引き出した結果に生まれたものであり、その効果は風の魔力を無力化するというものだった。
「くッ……まだ、そんな技が……」
「もらったあああぁぁぁッ!」
カガリが風の魔力によって生成した風刃が瓦解し、風の魔力へと姿を変えてしまう。霧散していく風刃はライガが持つ神剣・ボルカニカへと吸収され、集まる力をライガは『力』に変えていく。
「もう一度だ――烈風風牙ッ!」
一時的にとはいえ、自らの許容量を越えた魔力が体内を駆け巡っていく。
『風刃煉獄』
ライガと同じ風の魔力を持つ者に対して圧倒的な優位性を取ることができる。しかし、それはライガにとって諸刃の剣でもあった。魔力の許容量が絶対的に少ないライガがその身に大量の魔力を宿すのは危険であり、しかも今回はその相手が暴風の女神・カガリである。
「僕の魔力が……君、死ぬよ?」
「へッ、これくらいで死ぬなら……俺もそこまでだったってことさ」
神剣・ボルカニカが眩い光を放つ。
女神が持つ無尽蔵な魔力を吸い上げ、それを力に変換していく。
「喰らえええええええええええぇぇぇぇぇーーーーッ!」
全身に裂傷が刻まれる。
身の丈に合わない風の魔力が風刃として身体から溢れ出す。
零れた風刃は術者であるライガの身体をも傷つけていく。
「――――」
咆哮と共に放たれる再びの風刃。
周囲の大地を傷つけながら凶刃が暴風の女神・カガリに襲いかかる。
「世界を包む風よ、我は全てを拒絶する――風絶連花ッ!」
ライガの攻撃が直撃する瞬間、彼の鼓膜を震わせたのはそんな声音だった。
「マジ、かよ……ッ!?」
間一髪のタイミングだった。
諸刃の剣となるライガの攻撃がカガリに直撃しようとしたその瞬間、彼女の周囲を風の守護結界が姿を現した。これは試練の開始当初にカガリが展開していた結界と似ているものであった。
「ぐッ……この魔法を持ってしても……無傷って訳にはいかなかったね……」
強力な守護魔法を展開したカガリであったが、その凄まじい一撃を至近距離で受けては無事では済まなかった。風刃が直撃した結界は瞬く間の内に瓦解を始め、防ぎきれなかった刃がカガリの身体に傷をつける。
「でも、倒しきれなかったのは残念だね……風牙剛拳ッ!」
自らを襲う風刃をなんとかやり過ごしたカガリはその顔に笑みを浮かべ、そして無防備となったライガへ反撃を行う。彼女が使うのは、自らの腕に暴風を纏わせる武装魔法。
「――――ッ!」
魔法が完成するのと同時に、カガリは暴風を纏いし右拳を思い切りライガへと叩きつけていく。
次の瞬間、ライガの身体は紙くずのように地面を転がり、そのまま彼は意識を失ってしまう。
「ふぅ、これで一人…………あれ?」
「――次は儂の番じゃな」
暴風の女神・カガリを前にして、ライガはついに力尽きてしまった。
しかし、航大たちにはその事実を悲しんでいる暇はない。
カガリが次に視線を向ける先。そこには短く切り揃えた瑠璃色の髪を風に靡かせる少女・リエルの姿があった。静かに女神を見据えるリエルは、ライガの様子を心配することなく自分が成すべきことに全神経を注いでいる。
「氷の結界……さっきも使ってたけど、この短時間で完成度が増したね?」
「ふん、それくらいの結界……なんとでもないじゃろ?」
「いやいや……普通の人間であるならば、この瞬間に凍結して終わりだったろうね」
ゆっくりと一步を踏み出す女神・カガリ。
気付けば砂で覆われた大地の上を薄氷が覆っていた。
これはリエルが使う氷魔法・氷雪結界によるものであり、膨大な魔力が生む氷の結界が静かに発動している証拠なのであった。
「…………」
カガリが言うように、リエルが唱える氷雪結界は、広範囲に渡ってドーム状の結界を生成するものであり、その内部に存在するあらゆるものを凍結させるものだった。しかし、暴風の女神たる名を持つカガリには、リエルが使役する結界は効果を果たさない。
「次はリエルちゃんか……君は何を見せてくれるのかな?」
「ライガがあれだけやったんじゃ……儂も良いところを見せないとな――ッ」
そんな声音と共にリエルの姿が消える。
凄まじい速さで移動したのではない。文字通り、最初からその場に居なかったかのように気配と共にその姿を消失させる。
「――――」
カガリが瞬きをした次の瞬間、彼女の背後に瑠璃色の髪を持つ少女・リエルの姿はあった。
「なるほど。一切の魔力も探知できない移動……これは厄介だね」
「固く、凍てつく、氷の拳、破壊の一撃を見せよ――氷拳剛打ッ!」
背後へと回り込んだリエルはその両腕に巨大な氷を武装する。
先程、カガリが見せた『風牙剛拳』と同じような武装魔法が見せるのは、強烈な打撃攻撃。
「貫き、壊せ、風の一閃――風閃一柱ッ!」
気配を漏らすことなく接近したリエルに対して、カガリもまた新たな風魔法で応戦していく。突き出される右手に魔力が集中し、詠唱が終わるのと同時に風の魔力で作られし一閃が走り抜ける。
凝縮された魔力により射出される一閃は、回避不可能な速度で突進し、リエルの身体を貫いていく。
「…………」
咄嗟の行動にリエルは氷が覆う自らの武装魔法で防御を試みるのだが、しかしカガリが放つ魔法はあらゆるものを貫通する一閃なのであった。
「……外れ、か」
「次はこっちじゃッ!」
「鬱陶しいねぇ……」
再びカガリの背後に回り込むリエル。
ライガが時間を稼いでいる間、リエルは与えられた時間で氷雪結界に手を入れていた。
『氷雪結界』と『氷槍連花』の組み合わせによってフィールドの掌握が可能である。結界内に散乱する氷の花がある限り、リエルは自らの身体を瞬間的に移動させることができ、更に結界内の相手に幻覚を見せることが可能となる。
「その攻撃は前に見たことあるからね……対処するのだとしたら、こうすればいい」
「――――ッ!?」
リエルが見せる結界魔法と瞬間的な移動攻撃。
凶悪な波状攻撃に対して、カガリは対処方法を心得ていた。
カガリは両手を広げると、周囲に暴風を発生させる。
「リエルちゃんが瞬間移動することができる理由。それは、氷の破片が存在しているからだね」
「…………」
「それならば僕は、その破片全てを吹き飛ばす」
暴風を発生させたカガリは周囲をたゆたう氷の破片全てを吹き飛ばしていく。
魔力を帯びた破片が存在しているからこそ姿を隠し、幻覚を見せていたリエルは、カガリの行動によって結界内での優位性を失ってしまう。
「そう簡単に終わる訳はないの……それならば、こっちも賭けに出るしかない……」
「まだ奥の手が残ってるのかな?」
リエルの声音に笑みを浮かべ、カガリは立ち塞がる者としての行動を開始する。ライガを倒しても息一つ切らさないカガリは、立ち尽くすリエルの身体を引き裂こうと跳躍する。
「姉様……儂に、力を……」
刹那の静寂が支配する中でリエルが呟く。
魔力を集中させて、脳裏に魔法をイメージしていく。
「神をも凍てつかせる氷輪よ、我に力を与え、全てを穿て――氷輪魔神ッ」
それはかつて魔竜を打ち倒し、世界を救った北方の女神が使った究極の武装魔法。
小柄なリエルの身体を青く透き通る氷の鎧が包み、そして小さな彼女の背中には巨大な氷の翼が姿を現す。
「へぇ……さすがにコレは……驚いたな……まさか、君がその魔法を使うなんて」
「はぁ、はあぁ……時間は短いがの……」
「それはシュナが最も得意とした武装魔法……女神と同等の力を持たないと使うことはできないはず。今、相当な負担が掛かってるんじゃないかな?」
「……それも、主様のためならば惜しくはない」
今、リエルの身体には想像を絶する負担が襲っている。
一秒と時間が経過する度に、彼女の身体は膨大な魔力に汚染されていく。
「短時間で決める……」
「できるかな?」
この瞬間にも気を失いそうになる中で、リエルは血が滲むほどに歯を強く食いしばると、その魔力を再び極限にまで高めていく。リエルを中心に集まる魔力を敏感に察したカガリの表情もまた、険しく歪む。
「大地を裂き、空気を凍てつかせる、氷輪の刃よ、全てを破壊し、勝利を我が手に――氷獄氷刃ッ!」
両手を天高く突き上げるリエルが唱えるのは、シュナが見せた究極の氷魔法。
生まれし氷の刃は大地を両断する凶刃となる。
「おもしろい――――ッ!」
リエルの魔法を前にしても、カガリは直進するだけ。
凄まじい氷の嵐が吹き荒れる中、彼女が呟くのは魔法の詠唱。
「――――ッ!」
次の瞬間、リエルとカガリの影が交錯する。
そしてこの日一番の衝撃が周囲に広がっていく。
「…………」
粉塵が砂漠を包み、何度目か分からない静寂が場を支配する。
土煙が姿を消す時、そこに立つのは一つの人影だった。
「さて、最後は君だね?」
「…………」
大地にしっかりと足をつき、女神とシンクロした航大と対峙するのは、暴風の女神・カガリ。彼女はユイ、シルヴィア、ライガを打ち破るだけではなく、女神と同等の力を持ったリエルすらも退けることに成功した。
「シルヴィア、ライガ、リエル……」
最後に残されたのは、異界の少年ただ一人。
ここまで様々な戦いを共にした仲間たちは、たった一人の女神を前に全員が倒れ伏すこととなった。その様子を、航大は黙って見ていることしかできなかったのだ。
「ちゃんと約束を守ったのはいいことだよ。君の行動が、この子たちを一段と成長させただろうね」
「…………」
「君には酷な約束をさせちゃったね。大切な仲間が倒れていく様を、見ていることしかできなかったんだから」
カガリが一步を踏み出す。
静かに拳を握り、唇を噛みしめる航大を見ながら、相変わらず彼女の顔は楽しげに歪んでいる。
「君を助ける。しかし、試練の邪魔はしない……それが君と僕が交わした約束だ」
「…………」
「本当はこの子たちの試練が全部終わってから、最後に君が目覚めるはずだったんだけど……予定が狂っちゃってね。本当はこんな仕打ちをするつもりはなかったんだよ」
航大が深層の世界でシュナと鍛錬を続けていた最中、突如として暴風の女神は姿を現した。航大の世界に土足で足を踏み入れた彼女は、彼を助けるための条件を提示してきた。
それが、ライガたちの試練を邪魔しないというもの。
もし、航大が助けるような真似をすれば、ライガたちの命を保証しないという、半ば脅迫に近い『約束』を交わしたが故に、航大は眼前で倒れ伏すライガたちを見ても助けることができなかったのだ。
「でも、これで約束は果たしたことになるんだな?」
「……うん、そうだね。これで君は自由だ」
「……それなら、俺も試練ってやつを受けさせてもらうぞ」
「…………」
「じゃないと、俺を助けるために傷を負ったライガたちに顔向けができねぇ……」
航大の声音は怒りに震えている。
暴風の女神に対する怒りもそうだが、それ以上に自分に対する怒りが強かった。
自分の力が及ばなかったばかりに、ライガ、シルヴィア、リエル、そしてユイに辛い思いをさせてしまった。
「俺は二度と負けねぇ。そして、全部を守ってやる」
「その言葉……ハッタリじゃないか、確かめさせてもらうよ」
バルベット大陸の西方。
そこを舞台にした壮絶なる試練は今、最終局面を迎えようとしていた。
試練を突破した者たちは、吸い寄せられるようにその場へ集まり、そこで世界を守護する女神と対峙することとなる。集う試練者たちには共通の目的があり、それを果たすために女神と戦う道を選ぶ。
しかし、相対するのは魔竜を倒して世界に安寧をもたらす絶対的な力を持った女神の一人である。風の魔力を司る暴風の女神・カガリは、無尽蔵な魔力から繰り出す多彩な攻撃によって試練者たちの前に立ち塞がる。
「どうするんだよ、リエル……」
「今、それを考えておるのじゃ」
この場に存在するのは、砂塵の試練を抜けてきたライガ、リエル、シルヴィア、そしてユイの四人である。ユイを除いてライガたちは試練によって飛躍的な成長を遂げることに成功し、その力は女神を相手にしても通用するものだと誰もが信じていた。
しかし、そんな淡い期待は現実の前に脆くも瓦解し、気付けば白銀の甲冑ドレスに身を纏った剣姫・シルヴィアと、異界の英霊をその身に宿す少女・ユイは自らが流す鮮血の中に沈むこととなった。
剣姫と異界の英霊。
試練者たちの中でも最大戦力である二人を失い、残されたライガとリエルは絶体絶命のピンチを迎えようとしていた。
「ふぅ……久しぶりに目を覚ましたかと思えば……すごいことになってるな……」
凄まじい戦いで塔は完全に崩壊を遂げ、野ざらしとなった舞台にそんな声音が響き渡る。その声は試練者たちにとっては酷く聞き慣れたものであり、その声が鼓膜を震わせてライガ、リエルの二人はその目を見開くこととなる。
「もう少し寝ててもよかったんだけど?」
「まぁ、そういう訳にもいかないだろうよ」
「うーん、これは君の試練じゃないんだけどねー」
「ライガたちが試練を受けるなら、俺も試練を受ける。それが仲間ってもんだ」
リエルと軽い様子で言葉を交わすのは、異界から訪れし少年・神谷 航大だった。彼は帝国ガリアでの一件において暴走したユイと戦い、そして腹部に受けた傷によって重傷を負っていたはずだった。
彼の傷は普通の治癒魔法では癒やすことができず、北方の女神・シュナの力によって一命を取り留め、永い眠りにつくことを余儀なくされていたはずだった。航大を救い出すため、ライガたちはこの場へ足を踏み入れたのだが、助けようとしていた本人が今、彼らの目の前に姿を現したのだ。驚くなというのが難しい話である。
「こ、航大……?」
「主様……どうして……?」
元気な様子の航大を見て、ライガとリエルが震える声音を漏らす。
「それは僕が治癒してあげたからさ」
ライガとリエルの問いかけに答えたのは、暴風の女神・カガリだった。
彼女は得意げな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「彼がこの場所に来た時、かなり危ない状況だったからね。とりあえずそのままにするのは危ないから、先に治療だけはしておいたんだよ」
「…………」
「でも、すぐに起きちゃうと君たちの試練にならないからね。だから、ちょっと眠っててもらったんだけど……予想よりも早く目を覚ましちゃったって訳」
「まぁ、そういうことだな」
「まぁいいか。航大くんは起きちゃったけど……試練はまだ続いてるんだ」
ライガたちが安堵しそうになった瞬間、再びカガリの周囲に膨大な魔力が集中し始める。
彼女の周囲に産卵する瓦礫が音を立てて瓦解し、女神がまだ継戦しようとしていることを伝えている。
「こんなところで倒れちゃうようならば……先に進む資格はないよ」
肌がヒリヒリと痛む感覚が襲う中で、航大は軽い身のこなしでライガたちの傍までやってくる。
「ライガ、リエル……いけるな?」
チラッと二人の様子を確認して、まだ戦えるかを問いかける。
ライガとリエルにとって、また再び彼と共に戦えるという事実に胸が高鳴る。
「まだ頭が混乱してるけど、またお前と戦うことができて嬉しいぜ」
「儂は主様と共に戦うのみ。いつでもいけるぞ」
航大の問いかけに対して、ライガとリエルはそれぞれ笑みを浮かべて目の前の戦いに集中する。
「ユイとシルヴィアを助ける。力を貸してくれ」
「「おうッ!」」
ライガとリエルの声音がシンクロして、これで戦いの準備は整った。
「女神・シュナ。俺に力を貸してくれ、英霊憑依――絶氷神」
航大の声音の呼応するように、彼の体内から膨大な魔力が溢れ出す。
この力は過去に帝国ガリアにて、ユイの暴走を止めるために使役した力であり、永久凍土の女神・シュナが与える力である。
『まさかこんなに早く実戦を迎えるとは予想外でしたが……航大さん、いけますね?』
「あぁ……シュナがしてくれた鍛錬のおかげか、身体の調子はいいぜ」
『氷神の力、前よりもかなり使えるようになっているとは思いますが、油断はしないでくださいね』
「……分かってる」
『相手は女神。私と同等か、それ以上の力を持っています。気を抜かないでください』
「……分かってるって」
女神・シュナとシンクロを果たした航大は、その姿を大きく変えていた。
短く切り揃えられた髪が青く変色し、絶対零度の魔力をその身に宿した彼は青白い光を灯すローブマントに身を包んでいる。これが女神と融合した彼の姿であり、その身に宿す魔力は対峙するカガリに負けてはいない。
「最後の戦い……楽しもうじゃないかッ!」
自分と同等の魔力を発する少年を前にして、カガリは戦いの本能に笑みを浮かべる。久しぶりに本気を出して戦うことができる存在が現れ、彼女は心の底から命を賭けた戦いを楽しむことができるようになったのだ。
姿勢を低くし、カガリは地面を蹴って跳躍する。
その速度はこれまでの戦いで見せたものと比較にならないほど、速い。
「ライガ、足止め行けるかッ!」
「あったりまえよッ!」
航大の声音が響き、それに呼応するようにして少年の前に飛び出す存在があった。
ハイラント王国で英雄と謳われた男の息子であり、今では親子揃って王国の騎士となった青年。かつての父を越えることはできなかった。しかし、青年は最も尊敬する父に敗北を喫することで、自らを見つめ直し、そして新たなる力を手に入れた。
「神速、その速さは神の次元へ――神速神鬼ッ!」
航大とカガリの間に立ち塞がるハイラント王国の騎士・ライガ。
彼は女神にも負けない『スピード』を手に入れることができた。
「――邪魔しないでもらいたいなッ!」
「こっちだってな、そう簡単にやられる訳にはいかないんだよッ!」
突進してくるカガリに対して、ライガもまた地面を強く蹴って迎撃の姿勢を見せていく。周囲に散乱している瓦礫を吹き飛ばしながら、恐れることなく暴風の女神に真っ向からぶつかっていく。
「「――――ッ!」」
完全に姿を消した塔の中心部で二つの一閃が衝突する。
次の瞬間、周囲の広範囲に渡って凄まじい衝撃と暴風が駆け抜けていき、常人であるならば立っていることすら困難な状況へと場が変わっていく。
「――――ッ!」
一撃、また一撃と、姿を追うことすら難しい神速の世界で、ライガとカガリは一瞬の気も抜くことなく刃を振るい続ける。自分の背丈ほどもある神剣・ボルカニカを操るライガに対して、カガリもまた自らの魔力で生成した風の剣を振るっていく。
触れれば即座に命を落とす極限状態の中で、両者は一步も退くことはない。
「僕の動きについて来るなんて……さっきまでとは別人みたいじゃないか」
「ダチの前で無様な姿を見せる訳には――いかないんでねッ!」
すぐ後ろで自分の戦いを航大が見ている。
ただその事実だけがライガをまた一段と成長させた。
最も親しい友人であり、そして最も近しいライバル。
決して口に出すことはないが、ライガは日々成長する航大を近くで見ていて、焦りのようなものを感じていた。邂逅を果たした際、航大は自ら戦うことができない無力な少年だった。
少女に力を与え、自分は何もできずに後方で立ち尽くすばかり。
ライガはそんな少年の助けになれれば、それでよかった。自分の力は誰かの役に立っている。航大と共にいるライガはそんな気持ちを確かに抱いていたのだ。
甘い気持ちはライガの成長を鈍化させた。
日々、航大と共に同じ時間を共有し、彼が自らの無力に絶望する度に強くなっていく様を見て、いつしかライガも力を渇望するようになった。
自分が守るべき対象に守られる。
それだけは認める訳にはいかなかった。
「神剣・ボルカニカ、お前が持つ力を、解き放て――烈風風牙ッ!」
「甘いッ!」
剣戟の最中、ライガは自らが持つ少ない選択肢を活用していく。
しかし、暴風の女神・カガリはそんなライガの攻撃に対しても完璧に対応をしてみせる。
「風の刃よ、廻り切り裂け――風刃円舞ッ!」
これまでの戦いでも見せてきた高速回転する円状の風刃。
それは攻撃だけではなく、防御にも活用することができた。
「――――ッ!」
それは刹那の瞬間であるのだが、ライガが至近距離で放った風の刃はカガリが生み出す風刃円舞に受け止められてしまう。
「全ての風よ、我の元へ集え――風神煉獄ッ!」
「な、なにッ!?」
それはライガが生み出す新たなる技。
神剣・ボルカニカが持つポテンシャルを最大限に引き出した結果に生まれたものであり、その効果は風の魔力を無力化するというものだった。
「くッ……まだ、そんな技が……」
「もらったあああぁぁぁッ!」
カガリが風の魔力によって生成した風刃が瓦解し、風の魔力へと姿を変えてしまう。霧散していく風刃はライガが持つ神剣・ボルカニカへと吸収され、集まる力をライガは『力』に変えていく。
「もう一度だ――烈風風牙ッ!」
一時的にとはいえ、自らの許容量を越えた魔力が体内を駆け巡っていく。
『風刃煉獄』
ライガと同じ風の魔力を持つ者に対して圧倒的な優位性を取ることができる。しかし、それはライガにとって諸刃の剣でもあった。魔力の許容量が絶対的に少ないライガがその身に大量の魔力を宿すのは危険であり、しかも今回はその相手が暴風の女神・カガリである。
「僕の魔力が……君、死ぬよ?」
「へッ、これくらいで死ぬなら……俺もそこまでだったってことさ」
神剣・ボルカニカが眩い光を放つ。
女神が持つ無尽蔵な魔力を吸い上げ、それを力に変換していく。
「喰らえええええええええええぇぇぇぇぇーーーーッ!」
全身に裂傷が刻まれる。
身の丈に合わない風の魔力が風刃として身体から溢れ出す。
零れた風刃は術者であるライガの身体をも傷つけていく。
「――――」
咆哮と共に放たれる再びの風刃。
周囲の大地を傷つけながら凶刃が暴風の女神・カガリに襲いかかる。
「世界を包む風よ、我は全てを拒絶する――風絶連花ッ!」
ライガの攻撃が直撃する瞬間、彼の鼓膜を震わせたのはそんな声音だった。
「マジ、かよ……ッ!?」
間一髪のタイミングだった。
諸刃の剣となるライガの攻撃がカガリに直撃しようとしたその瞬間、彼女の周囲を風の守護結界が姿を現した。これは試練の開始当初にカガリが展開していた結界と似ているものであった。
「ぐッ……この魔法を持ってしても……無傷って訳にはいかなかったね……」
強力な守護魔法を展開したカガリであったが、その凄まじい一撃を至近距離で受けては無事では済まなかった。風刃が直撃した結界は瞬く間の内に瓦解を始め、防ぎきれなかった刃がカガリの身体に傷をつける。
「でも、倒しきれなかったのは残念だね……風牙剛拳ッ!」
自らを襲う風刃をなんとかやり過ごしたカガリはその顔に笑みを浮かべ、そして無防備となったライガへ反撃を行う。彼女が使うのは、自らの腕に暴風を纏わせる武装魔法。
「――――ッ!」
魔法が完成するのと同時に、カガリは暴風を纏いし右拳を思い切りライガへと叩きつけていく。
次の瞬間、ライガの身体は紙くずのように地面を転がり、そのまま彼は意識を失ってしまう。
「ふぅ、これで一人…………あれ?」
「――次は儂の番じゃな」
暴風の女神・カガリを前にして、ライガはついに力尽きてしまった。
しかし、航大たちにはその事実を悲しんでいる暇はない。
カガリが次に視線を向ける先。そこには短く切り揃えた瑠璃色の髪を風に靡かせる少女・リエルの姿があった。静かに女神を見据えるリエルは、ライガの様子を心配することなく自分が成すべきことに全神経を注いでいる。
「氷の結界……さっきも使ってたけど、この短時間で完成度が増したね?」
「ふん、それくらいの結界……なんとでもないじゃろ?」
「いやいや……普通の人間であるならば、この瞬間に凍結して終わりだったろうね」
ゆっくりと一步を踏み出す女神・カガリ。
気付けば砂で覆われた大地の上を薄氷が覆っていた。
これはリエルが使う氷魔法・氷雪結界によるものであり、膨大な魔力が生む氷の結界が静かに発動している証拠なのであった。
「…………」
カガリが言うように、リエルが唱える氷雪結界は、広範囲に渡ってドーム状の結界を生成するものであり、その内部に存在するあらゆるものを凍結させるものだった。しかし、暴風の女神たる名を持つカガリには、リエルが使役する結界は効果を果たさない。
「次はリエルちゃんか……君は何を見せてくれるのかな?」
「ライガがあれだけやったんじゃ……儂も良いところを見せないとな――ッ」
そんな声音と共にリエルの姿が消える。
凄まじい速さで移動したのではない。文字通り、最初からその場に居なかったかのように気配と共にその姿を消失させる。
「――――」
カガリが瞬きをした次の瞬間、彼女の背後に瑠璃色の髪を持つ少女・リエルの姿はあった。
「なるほど。一切の魔力も探知できない移動……これは厄介だね」
「固く、凍てつく、氷の拳、破壊の一撃を見せよ――氷拳剛打ッ!」
背後へと回り込んだリエルはその両腕に巨大な氷を武装する。
先程、カガリが見せた『風牙剛拳』と同じような武装魔法が見せるのは、強烈な打撃攻撃。
「貫き、壊せ、風の一閃――風閃一柱ッ!」
気配を漏らすことなく接近したリエルに対して、カガリもまた新たな風魔法で応戦していく。突き出される右手に魔力が集中し、詠唱が終わるのと同時に風の魔力で作られし一閃が走り抜ける。
凝縮された魔力により射出される一閃は、回避不可能な速度で突進し、リエルの身体を貫いていく。
「…………」
咄嗟の行動にリエルは氷が覆う自らの武装魔法で防御を試みるのだが、しかしカガリが放つ魔法はあらゆるものを貫通する一閃なのであった。
「……外れ、か」
「次はこっちじゃッ!」
「鬱陶しいねぇ……」
再びカガリの背後に回り込むリエル。
ライガが時間を稼いでいる間、リエルは与えられた時間で氷雪結界に手を入れていた。
『氷雪結界』と『氷槍連花』の組み合わせによってフィールドの掌握が可能である。結界内に散乱する氷の花がある限り、リエルは自らの身体を瞬間的に移動させることができ、更に結界内の相手に幻覚を見せることが可能となる。
「その攻撃は前に見たことあるからね……対処するのだとしたら、こうすればいい」
「――――ッ!?」
リエルが見せる結界魔法と瞬間的な移動攻撃。
凶悪な波状攻撃に対して、カガリは対処方法を心得ていた。
カガリは両手を広げると、周囲に暴風を発生させる。
「リエルちゃんが瞬間移動することができる理由。それは、氷の破片が存在しているからだね」
「…………」
「それならば僕は、その破片全てを吹き飛ばす」
暴風を発生させたカガリは周囲をたゆたう氷の破片全てを吹き飛ばしていく。
魔力を帯びた破片が存在しているからこそ姿を隠し、幻覚を見せていたリエルは、カガリの行動によって結界内での優位性を失ってしまう。
「そう簡単に終わる訳はないの……それならば、こっちも賭けに出るしかない……」
「まだ奥の手が残ってるのかな?」
リエルの声音に笑みを浮かべ、カガリは立ち塞がる者としての行動を開始する。ライガを倒しても息一つ切らさないカガリは、立ち尽くすリエルの身体を引き裂こうと跳躍する。
「姉様……儂に、力を……」
刹那の静寂が支配する中でリエルが呟く。
魔力を集中させて、脳裏に魔法をイメージしていく。
「神をも凍てつかせる氷輪よ、我に力を与え、全てを穿て――氷輪魔神ッ」
それはかつて魔竜を打ち倒し、世界を救った北方の女神が使った究極の武装魔法。
小柄なリエルの身体を青く透き通る氷の鎧が包み、そして小さな彼女の背中には巨大な氷の翼が姿を現す。
「へぇ……さすがにコレは……驚いたな……まさか、君がその魔法を使うなんて」
「はぁ、はあぁ……時間は短いがの……」
「それはシュナが最も得意とした武装魔法……女神と同等の力を持たないと使うことはできないはず。今、相当な負担が掛かってるんじゃないかな?」
「……それも、主様のためならば惜しくはない」
今、リエルの身体には想像を絶する負担が襲っている。
一秒と時間が経過する度に、彼女の身体は膨大な魔力に汚染されていく。
「短時間で決める……」
「できるかな?」
この瞬間にも気を失いそうになる中で、リエルは血が滲むほどに歯を強く食いしばると、その魔力を再び極限にまで高めていく。リエルを中心に集まる魔力を敏感に察したカガリの表情もまた、険しく歪む。
「大地を裂き、空気を凍てつかせる、氷輪の刃よ、全てを破壊し、勝利を我が手に――氷獄氷刃ッ!」
両手を天高く突き上げるリエルが唱えるのは、シュナが見せた究極の氷魔法。
生まれし氷の刃は大地を両断する凶刃となる。
「おもしろい――――ッ!」
リエルの魔法を前にしても、カガリは直進するだけ。
凄まじい氷の嵐が吹き荒れる中、彼女が呟くのは魔法の詠唱。
「――――ッ!」
次の瞬間、リエルとカガリの影が交錯する。
そしてこの日一番の衝撃が周囲に広がっていく。
「…………」
粉塵が砂漠を包み、何度目か分からない静寂が場を支配する。
土煙が姿を消す時、そこに立つのは一つの人影だった。
「さて、最後は君だね?」
「…………」
大地にしっかりと足をつき、女神とシンクロした航大と対峙するのは、暴風の女神・カガリ。彼女はユイ、シルヴィア、ライガを打ち破るだけではなく、女神と同等の力を持ったリエルすらも退けることに成功した。
「シルヴィア、ライガ、リエル……」
最後に残されたのは、異界の少年ただ一人。
ここまで様々な戦いを共にした仲間たちは、たった一人の女神を前に全員が倒れ伏すこととなった。その様子を、航大は黙って見ていることしかできなかったのだ。
「ちゃんと約束を守ったのはいいことだよ。君の行動が、この子たちを一段と成長させただろうね」
「…………」
「君には酷な約束をさせちゃったね。大切な仲間が倒れていく様を、見ていることしかできなかったんだから」
カガリが一步を踏み出す。
静かに拳を握り、唇を噛みしめる航大を見ながら、相変わらず彼女の顔は楽しげに歪んでいる。
「君を助ける。しかし、試練の邪魔はしない……それが君と僕が交わした約束だ」
「…………」
「本当はこの子たちの試練が全部終わってから、最後に君が目覚めるはずだったんだけど……予定が狂っちゃってね。本当はこんな仕打ちをするつもりはなかったんだよ」
航大が深層の世界でシュナと鍛錬を続けていた最中、突如として暴風の女神は姿を現した。航大の世界に土足で足を踏み入れた彼女は、彼を助けるための条件を提示してきた。
それが、ライガたちの試練を邪魔しないというもの。
もし、航大が助けるような真似をすれば、ライガたちの命を保証しないという、半ば脅迫に近い『約束』を交わしたが故に、航大は眼前で倒れ伏すライガたちを見ても助けることができなかったのだ。
「でも、これで約束は果たしたことになるんだな?」
「……うん、そうだね。これで君は自由だ」
「……それなら、俺も試練ってやつを受けさせてもらうぞ」
「…………」
「じゃないと、俺を助けるために傷を負ったライガたちに顔向けができねぇ……」
航大の声音は怒りに震えている。
暴風の女神に対する怒りもそうだが、それ以上に自分に対する怒りが強かった。
自分の力が及ばなかったばかりに、ライガ、シルヴィア、リエル、そしてユイに辛い思いをさせてしまった。
「俺は二度と負けねぇ。そして、全部を守ってやる」
「その言葉……ハッタリじゃないか、確かめさせてもらうよ」
バルベット大陸の西方。
そこを舞台にした壮絶なる試練は今、最終局面を迎えようとしていた。
コメント