終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第五章43 砂塵の試練ⅩⅩⅩⅡ:木霊するは魔竜の咆哮

「泣かないで、リエル。貴方だけでも……逃げて……助かって……」

 魔獣の襲撃によって壊滅的な打撃を受けた氷都市・ミノルア。

 ミノルアで生まれ、そして育ってきた姉妹シュナとリエルもまた魔獣の襲撃に巻き込まれてしまう。混迷を極めしミノルアにおいて、二人はアルジェンテ氷山へ避難しようと決めて走り出した。しかし、そんな二人の前に立ち塞がったのは、屈強な身体をもった魔獣だった。

 リエルを先に逃し、シュナはただ一人で魔獣と戦った。 

 生まれながらにもった天性の才能を生かし、氷魔法を自在に駆使することで魔獣を退けることに成功したシュナだった。しかし、悲劇はその後に唐突な形で訪れる。

「お姉ちゃん……私……どうしよう……」

「くっ……はぁ……うっ……早く、逃げて……リエル……」

「で、でも……お姉ちゃんを……置いてなんて……」

「なに言ってるのッ……早く、逃げないと……また、魔獣が……」

 魔獣を撃退したかに思えたシュナだったが、その直後にリエルが姿を現し、それを狙って魔獣が最後の攻撃を仕掛けてきたのだった。死力を尽くしての攻撃を前に、シュナは身を挺して妹であるリエルを守った。

 しかしその代償は大きく、シュナの小さな身体を魔獣の爪が貫き、純白のワンピースに鮮血の華を咲かせることとなってしまった。

 力なく倒れ込むシュナの身体を支えるリエル。

 彼女の瞳にはいっぱいの涙が浮かんでいて、眼前の光景を受け入れることができずにおろおろと行動することができない。

「やだッ……お姉ちゃんが残るなら……私も残るッ……」

「…………」

「ひとりだけなんて……絶対にやだ……」

 しかし、そんなリエルが姉に見せたのは強い感情だった。

 姉を置いて逃げるという選択肢など、幼いリエルの中には存在してはおらず、無力なりに何かを成し遂げて姉・シュナを救おうと努力する

 脱力するシュナの身体をしっかりと抱きしめ、そしてリエルは一歩、また一歩と歩き出す。氷都市・ミノルアは未だに魔獣の襲撃を受けている。このまま街に残れば新たな魔獣たちに襲われるのは時間の問題である。

 だからこそシュナはリエルに早く逃げるようにお願いをしたのだが、彼女の妹であるリエルはそれを良しとはしなかった。

「私は……もう……」

「諦めるなんてダメだよ……お姉ちゃん……氷山には街の人も避難してる……もしかしたら、助かるかもしれない……」

「…………」

 シュナが見るリエルの姿は、これまでのものとは違っていた。
 いつもおどおどしていて、姉の背中に隠れることしかできなかった守るべき妹。

 それが姉が持つ妹の印象であった。自らの意思を強く押し出すことのなかった、弱い妹が目の前で成長しようとしていた。それはシュナにとって最も喜ぶべきことであり、だからこそ姉のシュナは可愛い妹をここで死なせる訳にはいかなかった。

「そうだね……一緒に逃げよう、リエル……」

「……うんッ!」

 自らの力で歩き出したシュナに肩を貸し、リエルは生きようとする姉の姿に笑みを浮かべる。
 二人の眼前に聳え立つのは、闇夜に沈もうとするアルジェンテ氷山。

 ミノルアのすぐ隣に位置する氷山には、いざという時のために避難所が存在している。そこへ逃げ切ることができたのならば、食料も傷を処置するための道具だって揃っているはずである。

「早く……行かなくちゃ……」

 シュナと共に歩く少女の瞳に迷いはなかった。
 姉と共に歩む未来のため、自分を変えるため、弱々しかった少女は一秒ごとに成長して歩を進める。

 その先に、抗いようのない現実が待っていたとしても――。

◆◆◆◆

「はぁ、はあぁ……」
「…………」

 魔獣を撃退し、氷都市・ミノルアを脱出してからしばらくの時間が経過した。

 瑠璃色の髪が印象的な姉妹・シュナとリエルは戦禍の飲まれる氷都市・ミノルアを脱出して、アルジェンテ氷山へと逃げ切ることができた。後ろを振り返れば、空は暗く染まっているのに対して、ミノルアの街は赤く光り輝いていた。

「お姉ちゃん……もうちょっとで……安全なところに着くから……」

「……うん」

 後ろを向いたのも一瞬、リエルは再び視線を前に向けるとしっかりとした足取りで一歩を踏み出していく。リエルに支えられる形で歩き続けるシュナも、口数が少なく、足取りもおぼつかないがそれでも氷山にある避難所を目指して歩き続けている。

「はぁっ、はぁっ……くっ……はあぁ……もうちょっと……もうちょっとで……」

 リエルの息が乱れる。
 ミノルアに住まう人間ならば、誰もが知っている避難所まではもう少しである。
 それだけを希望にリエルは最後の気力を振り絞っていく。

 しかし、彼女は気付いていなかった。

 必死に前へ進むことだけを考えていたから、ここまで歩いてきた道程に点在する鮮血の跡に気付くことができなかった。

「お姉ちゃんッ、見えたよッ……あそこに……あそこまで行け……ば……?」

「…………」

 確かに見えた希望。

 もう少し、あと少しで手が届くといった瞬間だった、リエルが支えるシュナの身体が力なく倒れ込んでしまう。

「お姉ちゃんッ!?」

「はぁ、はぁ……うっ……こほっ、けほっ……ごめんね、リエル……」

「そんなッ……もう少しなのに……お姉ちゃん――ッ!?」

 倒れ伏したシュナの身体から零れる鮮血。それを見てリエルは目を見開く。

「そんな……ここに来て……魔獣……?」

 更にリエルとシュナが呆然と座り込む周囲に現れたのは、シュナがその魔力を存分に使って倒したのと同一の魔獣だった。一体、二体、三体……その数は増えていくばかりであり、魔獣たちの威嚇する息遣いが無情にもリエルの鼓膜を振るわせる。

「――――ッ!」
「こ、今度はなにッ……!?」

 絶望的な状況に追い打ちをかけるように、突如として頭上から響く巨大な咆哮。
 その咆哮に顔を上げてみれば、そこには夜空を覆い尽くす竜の姿が存在していた。

「あれが……魔竜……?」

 リエルが見上げる夜空に存在するのは、世界を混沌に落とす元凶である魔竜であった。

 紅く光る魔竜の瞳が瑠璃色の髪をした少女を捉えて咆哮を上げる。それに呼応するように、周囲から無数の魔獣たちが姿を現す。

 真なる絶望をもたらす魔竜と魔獣たちを前にして、リエルは絶句することを禁じ得ない。
 絶望が支配する古の時代。果たしてそこに希望はあるのか――。

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