終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章45 王女のお願い。新たなる旅路。

 ユイ、リエルの二人と共に過ごした束の間の休日。
 人で混雑する城下町は真っ直ぐ歩くことすら困難な状況ではあったが、両手に握った二人の手が持つ感触というものは、夜も更けようというこの時間になっても航大の手のひらから消えることはなかった。

 街では離れないようにと無我夢中で掴んだ手だったが、指を絡み合うようにして握られた少女たちの手は、航大が思っているよりもずっと小さくて、細かった。
 少しでも力を入れれば折れてしまいそうな手をしていた少女に、航大は守られてきたのだ。

「…………」

 初めて異世界にやってきた時も、ハイラントの城下町での事件も、そして氷都市・ミノルアでの絶望でも、航大はずっと誰かに守られてきた。

「…………」

 雲間から差し込んでくる月明かりのみが支配するハイラント城の廊下。
 どこか懐かしい豪華な内装を施したハイラント城を、航大は一人で歩き、そして静かに握り拳を作っていく。

 少年の表情にはどこか決意めいたものが浮かんでいた。自分の中で確かに息づき脈動する異形の力。それは日が経つごとに強くなっているのを嫌でも感じていた。その力は航大の身体の中で成長を繰り返し、いつか主である少年の身体を乗っ取ろうと企んでいる。

「…………」

 その力は破滅を招く。
 深層の世界で対峙したもう一人の自分と、大地を守護する女神。

 彼らの言葉は航大の脳裏に確かな実感として残り続けており、あれが夢ではないことを如実に物語っていた。いつか、異形の力によって航大という少年の存在は崩壊するのかもしれない。

 しかしそれでも、航大は自分の内に眠る力を利用することを決意する。

 守りたいものを守る。
 大切なものが守ることができるのなら、航大はどんな茨の道も歩いて行くことができるだろう。

「……さて、こうして呼び出されたのは二回目だな」

 静寂が支配する城内を歩くこと数分。
 うろ覚えではあるが、航大の足はしっかりとハイラント王国の王女・シャーリーの自室へと向かっていた。

 城下町の散策から城へと帰還を果たした航大は、眼帯とポニーテールが印象的なハイラント王国のメイド長である、ルズナから一枚の手紙を手渡された。

 それは王女からの手紙だとルズナから教えてもらった航大ではあるが、手紙はやはり異世界独特の文字が並んでおり、その内容を把握することができなかったがメイド長であるルズナが手紙の内容を教えてくれた。

「――大事なお話があるそうです。夜、お部屋でお待ちしてるとのことです」

 ルズナが気を利かせてくれたおかげで、ユイとリエルにバレることなく手紙の内容を知ることが出来たのだ。

「さて、着いたぞ……」

 そんな紆余曲折を経て航大はようやく本日最後のイベントであるシャーリーの部屋までやってきていた。
 相変わらず、他の部屋とは違う豪華な装飾が施された扉の前で立ち尽くす。

 何度かノックをしてみる。
 しかし、中から反応はない。

「……さすがに寝ちゃったかな?」

 静寂に包まれること数分。あまりにも反応がないので部屋に戻ろうかと考えた矢先、航大は何気なくドアノブに手を掛ける。開くはずはないだろうと高をくくっていた航大の期待を裏切るかのように、ドアはいとも簡単に開かれていく。

「……マジかよ」

 驚きの声を上げながら、開いてしまったドアの行方を見守る。
 部屋の中は月明かりの光のみで照らされており、窓際に備え付けられた簡易的なテーブルとイス。そこに王女・シャーリーは静かな寝息を立てて存在していたのであった。

「おーい、シャーリー……?」

「……んっ、むにゃ……すぅ……」

「……イスに座って寝てる」

 女の子の、しかも一国の王女が使う部屋へ無断で入るのは気が引けたのだが、このまま帰る訳にもいかないと航大はシャーリーに近づいていく。

 彼女はずっと航大を待っていて疲れてしまったのか、以前にも見た白く薄いレースで出来たワンピースに身を包んだ無防備な状態で寝息を立てていた。

「おーい、シャーリー?」

「んっ……ふぁ……航大……?」

「えっと、遅れてごめん……」

「ホントですよ……ふぁ……遅すぎ、ですぅ……」

 まだ寝呆けているのか、シャーリーは焦点の定まらない瞳をうっすらと開けると、航大の顔をじっと見つめてくる。

 王女としての彼女が見せる大人びた印象とは打って変わり、年相応の幼さを滲ませた無防備な表情に、航大の心臓は無意識の内に早鐘を打ってしまう。

「はれ? ここ、どこ……?」

「ここはシャーリーの部屋だぞ?」

「うにゃ……うにゅ……そうだ、私……航大を待ってて……」

「本当に遅れてごめん……」

「……航、大? 本当に?」

「えっ? う、うん……俺だけど?」

「……もっとよく顔見せて?」

「――はいッ!?」

 シャーリーの顔を覗き込むようにして前屈みになっていた航大の両頬に細く白い手が触れる。シャーリーは寝ぼけ眼のまま、航大の顔を引っ張るようにすると、その顔を極限にまで接近させていく。

「ちょ、ちょちょちょッ!?」

「……本当に航大だ」

 お互いの鼻と鼻が優しく触れ合う距離。
 航大とシャーリーの視界には、それぞれの顔しか映ってはいない。

「えっと、あの……シャーリー? ちゃんと起きてるか?」

「んんっ、ふぁ……私は起きてます――よッ!?」

 視界を埋め尽くすシャーリーの顔が徐々に驚きに変わっていく。
 目が覚めてきたのか眼前に存在する航大の顔をしっかりと認識すると、目を見開いて驚きを全身で表現してくる。

「シャーリーッ、大声はダメだぞ!?」

「はぅッ……そ、そうです……ねッ……」

 ここで大声を出されたら、間違いなく航大の人生が危うい。
 驚きのあまり大声を出そうとする気配を察すると、航大は真剣な表情でそれを押し留めさせる。

「と、とりあえずさ……お互い落ち着こうか?」

「……はい」

 驚きに口をパクパクと開閉させるシャーリーに、航大はそう提案するのであった。

◆◆◆◆◆

「す、すみません……まさか先に寝ちゃうなんて……」

「いや、こっちが遅くなったのが悪いよ……」

 しばらくの小休止を挟み、ようやく航大とシャーリーは落ち着きを取り戻した状態で会話をすることができた。

 月明かりだけが支配する部屋においても、シャーリーの頬が朱に染まっているのが分かる。それくらい、先ほどの一連の出来事は彼女の心に強い衝撃を与えていた。

「そ、それで呼び出したのは何か用があるからなんだろ?」

「はいッ……そうですね、その話をしませんと」

 敬語と崩した言葉が混ざり合い、まだ混乱した様子だったシャーリーだが、何度か深呼吸を繰り返すと真剣な表情で航大の顔を見る。

「ミノルアでのこと、本当にお疲れ様でした。グレオから話を聞き、航大が無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しかった」

「いや、俺は何もしてないよ……」

「そんなことない。グレオから聞いてる……航大とユイさんの力は戦場において、何度も危機を救ってくれたって」

 航大がどれだけ言おうとも、シャーリーたちは認めようとはしてくれない。

 戦場において、戦ったのは航大ではなくユイとリエルだ。
 無力な少年はただ後方で壮絶な戦いを見ていただけ。
 それを張本人である航大が一番良く知っていた。

「……航大、これはグレオにも言った言葉だけど、貴方たちがなんと言おうと救われた命は確かにある。それを忘れないで」

「…………」

 それでも無言を貫く航大を見て、シャーリーはその表情を曇らせる。

「話って言うのはそれだけか?」

「……いえ、本題はまた別。航大、身体の調子はどう?」

「……身体の調子? 今は特に異常はないけど」

「ルズナから聞いたの。航大の身体に流れるマナの動きがおかしいって」

「……マナの動き?」

「ミノルアで何かあった? 強い魔法を使ったとか、敵から攻撃を受けたとか……」

「…………」

 その言葉に航大は思い当たる節があった。
 それは航大の深層世界に眠る女神の力。

 航大はミノルアでの戦いの中で、その力を無理矢理に行使した。よく思い出してみれば女神の力を使ったことで、リエルから注意もされていた。女神の力は航大の身体に強すぎる影響を残すと。

「……その様子だと、なにか心当たりがあるのね」

「うッ……まぁ……」

「人間の身体を流れるマナが乱れる。それは時に命にも関わる事態を招きかねない」

「い、命ッ……!?」

「申し訳ないことに、人間が持つマナを修復する治癒魔法を使える人間は、ハイラント王国には存在しない。並の魔法では人間の身体に存在するマナを修復することができないの……」

 表情を曇らせ、シャーリーは俯いてしまう。
 自分のことじゃない他人のことで心を痛めることができる、それがシャーリーという人間だった。

「でも、バルベット大陸とは海を挟んだ先にはコハナ大陸と呼ばれる場所がある。そこに存在するアステナ王国ならば、航大の身体を治癒することができるかもしれない」

「……アステナ王国?」

「アステナ王国は過去、ハイラント王国と共に戦争を戦った同盟国。きっと良くしてくれる」

「そ、そうなのか……?」

「うん。間違いない」

 やはり王女ともなると、周辺国とは何かしらの親交があるのだろうか。確信を持った様子でシャーリーは何度も頷く。

「航大には身体を治癒するついでに、おつかいをお願いしたいと思ってるの」

「おつかい?」

「帝国ガリアが動き出したことは、私よりも航大の方が詳しいと思うけど、その帝国が本格的に動き出した。それに対する報告と協力関係の再確認ということで、アステナ王国に親書を持っていってもらいたいの」

「……親書を届けるのが俺でいいのか?」

「……航大だからお願いできるの。行ってくれる?」

 シャーリーの顔は真剣そのものである。
 新書といえば、国家の元首が相手国の元首に出す直筆の手紙を指す。
 それを届けるという重大な仕事を、シャーリーは航大にお願いしてきたのだ。

「……お願い」

「……分かった。行ってくるよ」

 真剣な顔つきをしたシャーリーからのお願いを、航大は突っぱねることなど出来るはずがなかった。

 それにアステナ王国へと赴き、そこで目に見えない身体の治癒が上手くいけば、自分の中に眠る異形の力を自由に行使することができるかもしれない。

 そう考えた航大はシャーリーが差し出してきた親書をしっかりと受け取る。

「ありがとう、航大」

 親書を受け取った航大の顔を見て、シャーリーは美しい微笑を浮かべた。
 心からの笑みを浮かべる彼女を見て、航大の心も癒される。


 こうして、少年の物語は新たな動きを見せることとなった。

 再びの旅路。そこで少年を待ち受けるものとは?

 破滅への物語は着実に、そして確実に歩みを進めていく。

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