終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章31 その先に待つ少女

 遠くから剣戟の激しい音が響いてくる。

 それは帝国騎士が召喚したアンデッドと戦っている証であり、その音が響いている限りはライガは生きていると確信を持つことが出来た。

 しかし、相手はアンデッドとはいえ、ハイラント王国に名を轟かす伝説の英雄である。その猛威を眼前で見ているからこそ、航大は急ぎ目標を達成しなくてはならない。

「はぁっ、はぁッ……ごほっ……こほッ……」

「主よ、大丈夫か?」

「はぁ、はあぁっ……いや、結構やばい……」

「言わんこっちゃない。感情が昂るのはしょうがないが、しっかりと忠告したじゃろ」

 リエルの言う通りだった。
 人間は違えど三度目の邂逅となった帝国ガリア騎士との対峙において、未熟な航大は内から溢れる感情を制御することができなかった。

 その結果、航大は深層に眠る力を強引に目覚めさせ行使する。氷山での戦いから短い間隔で呼び出された力をコントロールすることすらできなかった。

「身体が癒えるまで、決してその力を使ってはならぬ。主よ、二度はないぞ?」

「……あぁ」

 隣を走るリエルの真剣な声音が鼓膜を震わせる。

 氷山を出た際に彼女から忠告された通り、航大の身体は異形の力を行使した影響が色濃く残っていた。今回の憑依は一瞬だったので、氷山の時ほど身体は重くならないが、それでも全身を包み込む倦怠感は消えることなく、息を切らして走る航大に苦悶の表情を浮かべさせる。

「主ッ、こっちの部屋も見てみるのじゃ」

「……分かったッ!」

 教会の内部は予想よりも広く、部屋の数が多かった。
 見える扉を開けては中を確認し、ユイの姿が無いかを確認する。

 遠くから聞こえてくる剣戟の音以外に教会内部で物音は一切しない。この場所には多くの避難者が居るという話ではあったが、それらしい人影すら見えることはない。

「全員、やられちまったのかよ……」

「……確かに、生き残った殆どの市民が避難しているにしては、あまりにも静かすぎるの……」

 航大の脳裏に嫌な予感が過り、それを代弁するかのようにリエルが苦々しく呟いた。
 ユイは本当に無事なのか……そんな最悪な考えすら浮かんできてしまう。

「くそッ……どこにいるんだッ……」

 走っても走ってもユイは見当たらない。まだ剣戟の音は断続的に続いているが、それもいつまで保つか……刻一刻と過ぎていく時間に、航大の焦燥感は嫌でも煽られていく。

「くッ……はぁっ……身体が、重い……」

「このままでは、悪戯に時間が過ぎていくだけじゃな……」

 立ち止まり、呼吸を落ち着かせようとする航大。
 身体が異様に重く、こんな時に限って言うことを聞かない自分の身体に航大は苦悶の表情を隠せない。ユイが近くにいることは間違いない。しかし、ピンポイントで彼女が寝ているであろう場所を見つけ出すことができない。

「……全部回ってたらキリがないぞ」

 唇を噛み締め、探し人すら見つけ出すことが出来ない自分に苛立ちを隠せない。
 まだ航大たちが見ていない部屋は数多く残されている。その全てを見て回ることは現実的ではない。

「……とりあえず、走るしかない」

 こうして立ち止まっている時間すらも惜しい。
 航大が両足に喝を入れて再び走り出そうとした瞬間だった。

「……なんだッ?」

「それは……」

 懐にしまっていたグリモワールが淡い光を帯びていることに航大は気付く。
 それはとても弱々しいものであったが、胸の中で鼓動するかのように点滅を繰り返す光に航大は足を止めた。

「なんで本が光って――ッ!?」

 懐から本を取り出すと、漆黒の装丁をした本から一筋の光が教会の内部を走り抜けていく。それは航大を導くかのように伸びていき、遙か先に見える小さな部屋の中へと続いていく。

「もしかして、誘導してるのか……?」

「その可能性は高そうじゃ。行くぞッ!」

 グリモワールが航大たちを導こうとしている。
 何ら手掛かりもない状況で、航大たちはグリモワールが発する光の道標に全てを賭ける。
 航大とリエルの視線が交錯し、小さく頷くのと同時に走り出すのであった。

◆◆◆◆◆

「はぁ、はあぁ……」

 そこは小さな部屋だった。
 小さな小物入れと年季が入った木の机。そして、部屋の隅に存在するベッド以外には何もない空間だった。

 外の喧騒からは完全に切り離されており、この部屋だけ別の次元に存在しているのではないか……そんな錯覚すら覚えてしまうほど、この部屋は静寂に包まれていた。

「この娘が、主の探していた人間なのか?」

「…………あぁ」

 部屋に備え付けられていたベッドの上。そこには一人の少女が眠りについていた。
 その身体の大半を覆う白いシーツと同じくらいに輝く白髪。透き通るように白く、一切の穢もない肌。そして呼吸しているのかも分からなくなるような、静かで規則性のある寝息。

 ――ずっと、ずっと会いたいと願った少女の姿がそこにはあった。
 ――彼女は生きている。

 アンデッドとしてその身体を闇に落とすことなく、航大と離れている間に襲われることもなく、彼女は外で起きている惨状とは無縁だと言わんばかりに、深い眠眠りについており目覚める気配すら見せない。

「ふむ、少し見てみるかの……」

 喜び、驚き、安堵……様々な表情をその顔に浮かべ立ち尽くす航大を見て、小さく鼻息を漏らすとリエルはベッドで横になるユイに近づいていく。
 そしてその身体に両手を差し出すと、淡い光でユイの身体を包み込んでいく。

「とても安定しておる。しかし、確かに身体の中に残る異分子を感じるの……」

「それが毒だ。治すことはできるか?」

「当たり前じゃ。これくらいの毒であるならば、儂の力でも十分……」

 航大の言葉にリエルは小さく頷くと、静かに魔法の詠唱を始めた。
 それは今まで聞いたことのないタイプの魔法が詠唱される。すると、ユイの身体を包んでいた光が強くなっていき、やがて眩い光が部屋全体を包み込んでいく。

「…………んっ?」

 どこか暖かい光が部屋を包んでどれくらいの時間が経っただろうか?
 それは一瞬のようにも思えたし、何分、何時間といった長い時間が経ったようにも感じられた。
 どこか呆けてしまう航大の意識を覚醒させる、少女の小さな声が部屋に漏れた。

「……ユイッ!?」

「ふぁ、航大……?」

 ベッドで寝るユイの瞼がゆっくりと開かれていく。
 どこまでも澄んでいて、そして純粋な瞳がまず最初に捉えたのは、航大の顔だった。

 完全に覚醒していないまどろみの中、ユイの瞳は確かに航大を捉えていて、そして蚊が鳴くような小さな声を漏らす。

 ユイとしての人格と言葉を交わすのは、とても久しぶりなように感じられた。
 実際は何日も経過している訳ではないのだが、それでも航大にはとても懐かしく感じられた。
 布団の中に隠れていたユイの手を強く握りしめ、航大は溢れそうになる涙を堪えながら彼女の無事を喜んだ。

「……よかった。本当によかった」

「……航大、泣いてる?」

 喜びを噛みしめる航大を見て、ユイは小さく首を傾げて問いかけてくる。
 投げかけられるその言葉に涙が溢れてしまいそうだった。だから、航大はユイの手を強く握り返すことで、それを返答とした。

「……よかった。航大、無事だった」

「うおッ……ユイ……ッ!?」

「……私も、すっごく心配した」

 ユイは治療後にも関わらずその上半身をベッドから起こすと、眼前にあった航大の頭を大事そうに胸に抱え込んだ。

 突如、顔面を覆う暖かくて、柔らかな感触に航大は動揺を隠せない。

 顔面で感じるユイの身体が想像以上に暖かくて、柔らかな胸の奥では確かに心臓が鼓動を刻んでいるのが確認できた。

「……もう勝手なことしちゃダメ。私、もっと強くなる。だから、航大が無理をしなくてもいい」

「…………」

「……私を心配させないで。お願い」

 ユイの声が鼓膜を震わせる。
 その声に喜びを爆発させようとする航大だが、そんな彼に戦わなくていいというユイの言葉を、航大は肯定しかねていた。

「…………コホンッ!」

 永遠にも似た静寂が包む中、それを壊したのは永久凍土の賢者・リエルだった。

「……いい雰囲気の中で申し訳ないんじゃが、儂らは急いでいる」

「………………航大、この女の子は誰?」

「……えっ、いたたたああぁッ!?」

 ムスッとしたユイの声が珍しく、航大が呆気にとられていると後頭部に回された彼女の手に込められる力が増した。
 より強い力で胸に顔が押し付けられ、呼吸すらままならない状況に航大はもがき苦しむ。

「儂は永久凍土の賢者・リエルじゃ」

「……航大のお知り合い?」

「……知り合いなどという仲ではないぞ? 儂と航大は永遠の契約を交わしておる。その男は儂の主様じゃ」

 リエルの言葉に部屋の空気が凍りつくのを、呼吸ができない苦しみの中で航大はしっかりと感じることが出来た。

 ユイに説明をしようにも、その身体は彼女の力によって自由を奪われており、ユイとリエルの両者の間で交わる視線の衝突を仲裁することができない。

「もがもがッ……ユ、ユイッ……離して、くれ……」

「……航大が言うなら」

「ぷはぁッ! はぁっ、はあぁっ……マジで死ぬかと思った……」

「……航大、どういうことか説明して?」

「そうじゃ、そこの小娘に儂と主様の仲を説明してやるんじゃ」

「いや、リエル……なんかお前、さっきと様子が違いすぎないか……?」

 何故かユイと張り合う様子のリエルに溜息を漏らしつつ、航大はこの状況をどうすればいいのか頭を悩ませる。
 その時、教会中に響き渡る大きな剣戟音が響いてきて、航大の背筋がピンッと強く反応する。

「とにかく、ユイ……今はお前の力が必要なんだ」

「……うん。近くで感じる、強い力」

「そうじゃそうじゃ。いつまでも寝てないで、儂らの力にならんか」

「……おい、リエル」

「ふんッ……」

 一体、何が彼女をここまで反抗的な態度を取らせるのか。
 それが分からず航大は冷や汗を流すが、ユイはその表情を険しいものに変えると、ベッドから静かに立ち上がる。

「……まだ、私の中に力がある」

「えっ、そうなのか? それじゃ、まだナイチンゲールが居るのか」

 それは航大にとって思いがけない事実であった。
 ミノルアを出てからと言うものの、グリモワールから力を感じることが無かったため、クリミア戦争の英雄・ナイチンゲールとのシンクロは切れているものだと思っていた。しかし、胸に手を当て自分の身体に存在する英霊を確かめるユイを見て、航大は驚きに表情を変える。

「……航大」

「ど、どうした……?」

「……全部終わったら、ちゃんと説明してもらう。分かった?」

「……は、はい」

 どこまでも無表情に、それでいて凍えるような声を漏らすユイに、航大は引き攣った笑みを浮かべることで応える。

「……航大が居れば、大丈夫。私は戦うことができる」

 そういって、ユイは胸に手を当てた状態で静かに目を瞑る。
 すると、彼女の身体が淡い光を帯び始め、内に眠る英霊の魂とシンクロしていく。

「ふむ、とても身体が軽い。これならば、問題なく戦えるだろう」

「ナ、ナイチンゲール……なのか……?」

「マスター、久しぶりに会うような気がするな。そうだ。私はフローレンス・ナイチンゲール。マスターの命に従い、戦場へと赴こう」

 ユイの意識が隠れ、英霊ナイチンゲールの意識が表に出てくるなり、彼女の表情に強い感情が現れる。それはとても凛々しく、どこか美しい。彼女が英霊とシンクロしている時だけ、航大はユイの表情というものを見ることができるのだ。

「……本当に人格が入れ替わっておる。なんとも奇妙な魔法じゃ」

 英霊ナイチンゲールとなったユイを見て、リエルはその表情に驚きを隠せない。

「さぁ行こうッ! 全ての戦いを終わらせるためにッ!」

 その言葉を発するのと同時に、ナイチンゲールは駆け出した。
 英霊の彼女はこの教会で繰り広げられている戦いの気配を察し、それを止めるために動き出す。
 部屋を飛び出していくナイチンゲールに続く形で、航大とリエルも駆け出していく。


 これで役者は揃った。

 絶望渦巻く氷都市・ミノルアの死闘も、最終章へ向けて突き進んでいく。

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