終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章24 束の間の平穏。刻む鼓動。

第二章24 束の間の平穏。刻む鼓動。

 帝国ガリアの騎士である魔獣使いアワリティア・ネッツと、あらゆる炎を自在に操る薄紫色の髪をした青年の襲撃により、アルジェンテ氷山に建てられし大聖堂は焼失した。

 その事実がこの後の世界においてどれだけの影響をもたらすのかを、今の航大には知る由もなく、強大な力を行使した代償で身体の自由を失った状態で、ライガに抱えられ大聖堂からの脱出に成功した。
 暗闇の中に身体を投げ出し、吹き付ける風と閉ざされる視界の中で、航大は異世界にもしっかりと存在している重力に従って落下を続けていた。

「航大ッ、大丈夫かッ!?」

「あ、あぁ……なんとか……」

「てかこれ、どこまで続くんだッ!?」

「分かんないけど、とりあえず俺たちが無事にいられることを祈るよ」

 全身が酷い倦怠感に包まれており、航大は耳元で鼓膜を震わせてくるライガの声に、生返事を返すのに精一杯だった。全身から力という力が喪失している。

 今の航大は自分の手足を動かすことすら出来ず、こうして目を開けていることすら億劫な状態だった。
 これがあの力を使った代償だとでも言うのだろうか。
 確かにこの状態は代償の一つであることには間違いない。しかし、それだけではないことを、航大は誰よりも理解していた。

「…………」

 自分ではない『何か』が身体の奥底で息づいている感覚を、航大は意識を取り戻してからずっと感じていた。それは航大に力を与えた存在。神谷 航大という存在の深層に広がる海の中で出会った、髪の長い少女であることを理解する。
 それだけならば、航大はここまで表情を歪ませ、吐き気を催すような感覚には苛まれていなかっただろう。
 航大が表情を歪ませる理由となっているのは、あの少女の存在を感じているからではない。もう一つ、『得体の知れない何か』が深層に広がる海の中に存在していることを感じているからだった。

「…………」

 それは闇。
 それは力。
 それは破滅。

 深層に広がる闇は航大という存在が持ち得る負の感情そのものである。
 異世界にやってきて、時が経つに連れてその闇が大きくなってきていることを実感する。一般人である航大が普通なら持ち得ない権能を使う度に、その闇は大きく、そして強くなっているのだ。

「…………」

 今はまだ、身体の奥底にちょっとした違和感を感じるくらいのレベルではあるが、それが大きくなり、最終的にどうなるのか……その答えを今の航大は持ち得ない。だからこそ、今この瞬間だけは、その『闇』から目を背けようと決意する。

「おッ、明かりが見えてきたぞッ!」

「ようやくか……」

「このまま落ちたらやべぇな……航大ッ、衝撃に備えておけよッ!」

「衝撃って、ライガ……何する気――」

「――風牙ッ!」

 地面に衝突する寸前、ライガは背中の大剣を引き抜くと、その刀身から風の刃を解き放つ。かまいたちとなった風の刃が剣から射出され、雪で覆われた地面に衝突し、強烈な粉塵を巻き上げる。

「うわああぁッ!?」

 暴風が航大とライガの身体を包み込み、そのおかげで航大たちは落下の衝撃を最小限に押し留めることに成功する。それでも、そこそこの衝撃が全身を襲うのだが、地面がふわふわの雪に覆われていたことも幸いして、航大たちは怪我なく外に出ることができた。

「ふぅ、一か八かだったけど、何とか上手くいったな」

「はぁ、はあぁ……死ぬかと思った……」

「何言ってんだよ、もっと死にそうな目に遭ったばかりじゃねぇか」

 口を大きく開けて豪快に笑いながら、ライガのゴツゴツとした手が航大の背中を何度も叩く。全身に力の入らない航大はライガに背中を叩かれ、それに抵抗することも出来ずに雪の上に倒れ伏す。

「そうだった、今は歩けないんだっけな」

「もがもが……」

 雪が顔面を覆っていて呼吸ができない。
 ひんやりとした感触に包まれながら、生死の境を彷徨いそうになったところで、ライガがやはり豪快な笑いを漏らしながら抱え上げてくれる。

「マジで死ぬかと思ったぞ……」

「人間そう簡単に死なな――ぐべッ!?」

「おぉ、これはいいところにクッションがあったものじゃの」

 航大の言葉に答えようとした直後、ライガの頭上に飛び降りてくる小さな影があった。
 それは肩の上まで伸ばした水色の髪を風に靡かせ、ライガの脳天に華麗な着地を決めると、くるくる身体を回転させながら、しっかりと地面に着地した。

「い、いてぇ……死ぬかと思ったぞ……」

「ふん、そんなところでボーッとしているのが悪いんじゃ」

 先ほどまで自分が言っていたことすら忘れ、ライガは脳を揺らす衝撃に悶え苦しむ。その様子を見て、さも自分は悪くないといった様子で悲しいほど凹凸がない胸を張るのが、永久凍土の賢者・リエルだった。

 幼い見た目とは反して老人口調な幼女は、焼失した大聖堂の守護者として、永きに渡りこの山に住んでいて、そんな彼女の主で、今は航大の中で眠っている少女のお願いを聞いたことで、数百年ぶりに外へ出たといった有様である。

「ふむ、外に出るのはどれくらい振りじゃろうか……」

「あれ、守護者として生活してた時も、外に出たことはあるって言ってなかったか?」

「確かに、守護者であっても外に一歩も出れない訳ではなかったがの、それでも最後に外へ出たのは数百年ぶりじゃ」

「どんだけ年寄りなんだ――ぐはッ!?」

「それ以上言ったら、痛い目に遭わせるぞ?」

「もう、遭ってるんだが……」

 氷の粒を全身に受け、ライガは悶絶しながらその場に倒れ伏す。
 魔法の詠唱から、氷の粒の生成、そして攻撃開始までの一連の動作を目で追うことすら出来ず、航大は改めて賢者として生きてきたリエルの実力に背筋を凍らすのであった。

「それで、おぬしはいつまで寝てるんじゃ?」

「いや、それが……身体に力が入らなくて……」

「……あの力の影響か」

 航大の言葉に、リエルの表情が険しくなる。
 リエルとライガは航大が見せた変化を、しっかりとその目に焼き尽くしていた。
 あれが航大の身体にどれだけの負担を強いているのか、それが分からないリエルではなかった。

「どれ、少し診てやろう」

「あ、これ治せるのか?」

「……完全に治すことは難しいじゃろうな。しかし、少しくらいなら楽にしてやることはできるやもしれん」

 そう言うと、リエルは航大に聞こえないレベルの小さな声で詠唱を始める。
 すると、彼女の両手が淡い光を帯びて、航大の身体を優しく包み込んでいく。

「おぉ……身体が楽になってきた……」

「……ふぅ、今の儂に出来るのはこれくらいじゃ」

「いや、かなり楽になったよ。歩くことも出来るし」

「そうか。それならよかったのじゃ」

 立ち上がり、元気な様子で笑みを浮かべる航大を見て、リエルはほっと安堵の表情を浮かべる。しかし、その表情の裏に暗い影が潜んでいたことを、航大は気付くことができないのであった。

◆◆◆◆◆

「さて、急いで向かう所があるんじゃろ?」

 慌ただしい空気も落ち着き、一つ息を吐いてリエルが航大を見る。
 そこで、航大は本来の目的を思い出し、焦り始める。

「そ、そうだったッ、早くミノルアへ戻らないと!」

「ミノルア……確か、この山の麓にある街の名前じゃな」

「そうだ。急がないと、みんなが毒でやられちまう」

「ふむ、そういうことなら急がなければならぬな」

 切羽詰まった航大の様子を見て、リエルも表情を真剣なものに変える。

「街の人間を救うのもそうじゃが、その後には早急にこの場所から避難させねばなるまい」

「……避難?」

「…………あれを見てみるのじゃ」

 そう言うリエルは空を指差す。
 その指が差す先、そこに視線を持っていくと、航大はその表情を驚愕に歪ませる。

「なんだよ、あれ……」

「あの帝国騎士が放った炎じゃ。あれには禍々しい魔力が込められておる。その炎がこの氷山の全てを飲み込もうとしているのじゃ」

 アルジェンテ氷山の山頂。そこから黒煙と燃え盛る炎が見えた。
 ヨムドン村を焼き尽くした時もそうだったが、あの青年が放つ炎は、その名の通り消えることが無かった。大聖堂を燃やしただけでは飽き足らず、魔力が込められた炎は、この氷山すらも全て飲み込もうと、その勢いを強くし、こうして外にまで姿を現したのだ。

「あの炎は山を焼き、そして街すらも飲み込むじゃろう。じゃから、その前にここから避難する必要があるのじゃ」

 険しい表情で山頂を見つめるリエル。
 その言葉が正しいのであれば、航大に残された時間は短い。
 呪いを解くのにもどれだけの時間が掛かるのか分からない。さらに、炎が迫っているとなっては、自体は一刻を争うといっても間違いない。

「それじゃ、早速行こう」

「……ふむ。その前に、少しいいじゃろうか?」

「…………え?」

 逸る気持ちを抑えきれず、走り出す勢いの航大を、リエルは真剣な声音で呼び止める。
 その声の変化に驚き、立ち止まり、後ろを振り返る航大。
 航大の一歩後ろで立ち尽くすリエルは、真剣な眼差しで航大を見つめている。

「ど、どうした……?」

「…………」

 航大の言葉に答えず、リエルは真剣な表情のままゆっくりと近づいてくる。
 突然、何も話さなくなったリエルの姿に、航大は怯むがその足はそれ以上動くことはなかった。

「……おぬしを、抱きしめてもいいじゃろうか?」

「……はい?」

「――――」

 言葉の意味を理解する時間すらも与えられず、航大の身体にリエルの小さな身体がすっぽりと収まる。航大の胸に耳を当てるようにして、リエルは目を閉じ、静かに呼吸を繰り返す。
 さらりとした水色の髪が眼前で揺れ、小さな身体から伝わってくる体温と、心臓の鼓動に、航大は動揺を隠せないでいた。

「……この中に、姉様が居るんじゃな」

「あ、姉様……?」

「北方の女神・シュナ。儂が守護してきた人であり、儂のたった一人の家族じゃ」

 その声音は震えていた。
 何年、何十年、何百年という永い時を経て、リエルは自分の家族が刻む鼓動を確かに感じ取っていた。
 今は航大の深層で眠る彼女の存在を、永久凍土の賢者はしっかりと感じ取り、肉体を失っても尚、そこで生き続ける親愛なる家族に、一筋の涙を溢す。

「今日、この日から儂が守護する対象が変わったのじゃ」

「か、変わった……?」

「今日から、儂はおぬしを守護する賢者となろう。いつか、おぬしの身体から姉様が消えるその時まで、責任を持って儂がおぬしを守る」

 家族と触れ合い表情を崩したリエルはもう居ない。 
 その瞳に迷いを浮かべることなく、リエルは航大を守ると宣言する。

「これは契約じゃ。儂におぬしを守らせてはくれぬか?」

 リエルは真剣な表情を浮かべたまま、航大に手を差し伸べてくる。
 その瞳は強い決意が滲んでいて、あの大聖堂のように、二度と同じことは繰り返さないと誓う。
 そんな彼女の誓いや決意を前にして、航大が断る理由などは存在しなかった。

「……分かった。俺を守ってくれるか、リエル?」

「当たり前じゃ。おぬしはただ、守られているがいい」

 その手を取り、航大はリエルに笑いかける。
 航大の手を強く握りしめ、リエルは一つ大きく頷く。

 リエルの手は暖かく、そして力強い。
 異世界に来て、航大はまた一つ新たな力を得ることができた。
 航大の深層で眠る少女は、そんな状況を喜ぶかのように航大の胸を暖かくする。

「それじゃ、行こう……ミノルアにッ!」

 また一つ、苦難を乗り越えて航大は歩き出す。
 その先に希望があると信じて。
 終末へのカウントダウンを着実に進める世界の中、航大は有りもしない希望を信じて歩を進めるのであった。

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