終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第二章7 戦場に舞い降りた天使・フローレンス・ナイチンゲール

第二章7 戦場に舞い降りた天使・フローレンス・ナイチンゲール

 魔獣たちの襲撃に遭い、戦火に巻き込まれる北方の大都市・ミノルア。
 バルベット大陸の首都であるハイライト王国の城下町にも匹敵する巨大さと人口を誇るミノルアだったが、今では街の至る所から黒煙を上げ、遠くの方で絶え間なく人々の悲鳴が木霊する地獄と化していた。

 そんな街の中、航大はクリミア戦争の英雄、フローレンス・ナイチンゲールを召喚する。
 ナイチンゲールと共に街の中を疾走していた航大は、一人の少女と出会う。ナイチンゲールは少女を治療すると言って、その右手に持った片刃の剣を少女の小さな胸に突き立てるのであった。

「お前ッ……何してんだよッ!?」

 少女の身体を貫く片刃剣に、思わず航大は声を荒げる。
 慌てた様子で駆け寄ってくる航大を、面倒くさそうな表情を浮かべてナイチンゲールは手のひらを見せてその動きを制止してくる。

「慌てるんじゃない。よく見ろ」

 やれやれといった様子でナイチンゲールはため息を漏らすと、少女の胸を貫いていた片刃の剣をゆっくりと引き抜いていく。ずりゅっと生々しい音が響き、少女の胸から鮮血の花が咲くと思われたが、少女の外見に大きな変化は現れない。

「何がどうなって……」

「これが私の能力。この剣で傷つけたあらゆる物を癒やすことができる。フィレンツェは万物を切る刃物と化すこともあれば、万物を癒す絶対の治癒力を得ることもある。生と死の狭間にてその行く末を選択するのがこの剣……フィレンツェだ」

 ふん、と鼻息を漏らしたナイチンゲールはそう言って片刃の剣を再び光の粒へと変換させて虚空へと消失させる。

 そして地面に眠るようにして倒れ伏した少女の身体を優しく抱き上げる。
 少女の身体は泥にこそ汚れているが、あちこちに見られた擦り傷といった負傷に関しては綺麗に全てが消えていた。それはナイチンゲールの力によるもので間違いなく、安定した呼吸で眠りにつく少女を見て、航大は安堵の溜息を漏らす。

「なんだぁ……そういうことなら、早めに言ってくれよ……」

「ふん、これくらいの情報は召喚主として基本的な情報であろう」

「基本情報って……知らんがな……」

「無駄話はこれくらいにしておくぞ。私たちにはまだ、助けなければならない人々が居る」

「そうだな……でも、この女の子は……」

「それなら、あそこにる兵士に渡しておけば問題ないだろう」

 そうナイチンゲールが視線を向ける先、そこにはこちらへ駆けてくるハイライト王国騎士の姿があった。

「頼む、この女の子を安全な場所に連れて行ってくれ」

「承知しました。こちらのお子さんは我々の方でしっかりと……」

「頼んだぞ」

 ナイチンゲールは少女を騎士に手渡すと、立ち止まっている暇はないと再び戦火の街を駆け出していくのであった。

◆◆◆◆◆

「はああああぁッ!」

 ナイチンゲールの怒号が響き渡り、両手に持った片刃剣『フィレンツェ』が雪の舞うミノルアの街を切り裂いていく。
 あちこちで猛威を振るう魔獣の姿を見ては、その剣を振るい、一瞬にして魔獣を絶命させる。かたや、傷つき涙を流す人が居れば魔獣と同じようにその刃で切り裂いていく。

「いや、確かに傷が消えてるんだけど……見てるこっちからすると、かなり心臓に悪いというか……」

「次はあっちだッ!」

「ちょっと待てってッ!」

 膝に手をついて呼吸を整える暇すらない。
 ナイチンゲールは人々に切りかかり、その傷が癒えていくのを確認するなり、すぐさま視線を四方八方に巡らせていく。そして、新たな負傷者を見つければ、そちらへ急行してやはり同じように声をかけることなく突然切りつけていく。

 その様子は傍から見ればただの通り魔なのだが、彼女が走った後には涙はもちろん、どんな怪我でさえもその姿を消しているのだ。
 これがクリミア戦争で医療の分野において、世界的な功績を残したフローレンス・ナイチンゲールの力なのだ。その圧倒的な治癒に関する能力を、人々を救いたいというその一心で振るう。少々、性格に難があるようにも思えるが、彼女以上に人々の安心と安全を考えている人物は居ないのだろうと確信できる。

「次ッ! 次ッ! 次いいいいぃッ!」

 悲しみと怒りに包まれたミノルアの街に、少なからず驚きの輪が広がりつつあった。
 雪にも負けない純白の白髪を振り乱し、鈍色に輝く片刃剣であらゆるものを切り伏せていく少女の姿に、人々は声を失い、共に戦う騎士でさえもその獅子奮迅の活躍に立ち尽くす。
 傍で見ている航大ですら、彼女の活躍には驚きを隠せない。

「まだあちらからも声がするッ……」

「ひぃ、はぁ、ぜぇ……そりゃ、まだ居るわな……」

「休んでいる暇はないぞ、次だッ!」

「ひぃ……」

 英霊たる所以なのか、無尽蔵の体力をいかんなく発揮するナイチンゲール。
 その瞳は常に前を見ていて、自らの力を必要としている人々を探す。

「邪魔だあああぁッ!」

 道行く先に邪魔をする魔獣が存在するのなら、容赦なくその刃で切り伏せていく。
 さすがの魔獣たちも怒号を上げて接近してくるナイチンゲールの姿に一瞬は足が竦み、それでも勇敢に牙を向こうとする獣たちも、次の瞬間には命を失った肉塊へと姿を変えていく。
 狼の姿をした小型の魔獣には、ナイチンゲールの相手はあまりにも荷が重く、ここまでの間で何匹の魔獣がこの世を去ったのか、それは行動を共にする航大でさえも分からない。

「ナイチンゲールッ! 上だッ!」

「――ッ!?」

 彼女の少し後ろを走っていた航大だからこそ見つけることが出来た。
 その影は土で出来た街の間を縫うようにして跳躍し、目にも止まらない速さで民家から民家へと飛ぶその姿は、音もなくナイチンゲールの頭上からその命を刈り取ろうと刃を振るう。

「ちぃッ!」

 航大の声にいち早く反応したナイチンゲールは、すぐさま顔を上げ、接近してくる影の存在を認識すると、舌打ちを漏らしながらその片刃剣を思い切り振り上げる。

「――ッ!」

 頭上から飛翔してきた影は、その右手に持った棍棒のような物を振り下ろそうとするが、それはナイチンゲールが振り上げた片刃剣とぶつかり合い、甲高い音を立てるだけ。

「闇討ちとはッ……卑怯なッ!」

「――ッ!」

 右手に持った片刃剣で飛翔する何者かの攻撃を防いだナイチンゲールは、声を上げて振り下ろされた棍棒を振り払う。
 魔獣と思わしき咆哮を上げる何者かは、人の形をしていた。
 人間には理解不能な言葉を漏らし、その影は航大たちの前に立ち塞がった。

「……こいつは」

「ふむ、今までとはタイプが違うようだ。そして、中々の強者と見た」

「いや、こいつは……どうしてこんな場所に……?」

 航大たちの前に立ち塞がった魔獣。
 ずしんと音を立てて一歩前に出る魔獣は、街の街灯に照らされてその姿を露わにする。
 身長は航大やユイよりも一回りは大きく、青白い身体をしていて、その四肢には脈動する筋肉。衣服は腰に巻いたボロボロな布しかなく、二本足でしっかりと大地を踏みしめる魔獣は紛れもない人間の姿をしていた。

 ただ、人間の姿をしているだけなら良かった。
 航大が驚愕しているのは、眼前に立つ魔獣が人間の姿をしていて、かつその目が一つしか存在していなかったからである。

「これって……サイクロプス……?」

「マスター、知ってるのか?」

「いや、さすがにそんな詳しい訳じゃないけど……それでも、故郷でこんな感じの怪物の話があったような……」

 そう。航大たちの眼前に立つ魔獣の姿、それは現実世界の神話に登場する一つ目の怪獣……サイクロプスにとても酷似していた。
 現実世界の記憶を完全に無くした状態でこの魔獣と相まみえたなら、こういう怪物も居ると素直に納得できたかもしれない。しかし、あまりにも現実世界で語り継がれる怪物に、この魔獣は似すぎていることが、どうにも航大の脳裏で引っかかるのであった。

「マスター、無駄話をしている暇はないようだ」

「……え?」

「向こうはこちらと戦う気満々のようだ……気を抜くな」

「――ッ!」

 魔獣が鼻息荒く咆哮を上げる。右手に持った棍棒を握り直し、体勢を低くしていつでも飛び込めるように準備を整えている。
 全身の肌を突き刺すようなピリピリとした空気が両者の間に漂い、明らかに今までの魔獣とはレベルの違う相手に対して、航大の足は一歩後ずさってしまう。

「いくぞッ――ッ!」

「――ッ!!」

 ナイチンゲールの言葉を合図に、両者が地面を蹴って低い体勢のまま飛翔する。
 お互いが声を上げ減速することなく激突する。
 甲高い剣戟の音が静寂を切り裂き、鼓膜を震わせる音の大きさに、激突の激しさが少し離れた位置にいる航大にもビリビリと伝わってきた。
 大きな激突は最初だけで、それから先はお互いの瞬発力を活かしたスピード勝負へと移り変わっていた。

「はぁっ、くっ、うらああああああああぁッ!」

「――ッ!」

 ナイチンゲールが両手に持った剣を生かして、休む暇なく魔獣相手に剣を振るっていく。
 対する魔獣は見た目によらずスピードはあるのだが、手に持つ武器が一つであることも災いしてナイチンゲールの連撃に対して、後手を踏むことを強いられる。
 しかし、ナイチンゲールの攻撃をしっかりと全て捌いていて、虎視眈々と反撃のチャンスを伺っている。

「こいつッ!」

「――ッ!」

 一瞬。ナイチンゲールが体勢を崩したのを見逃さず、魔獣が咆哮を上げて棍棒を振るう。

「ちッ!」

 風を切って眼前まで迫ってくる棍棒を、ナイチンゲールは舌打ちを漏らしながらも左手に持った剣で打ち払う。
 そして今度は逆にナイチンゲールが右手に持った剣で反撃に出る。棍棒を払われ、体勢を崩した魔獣は正面からもろにナイチンゲールの斬撃を受ける結果となる。

「――ッ!」

 魔獣の咆哮が街に響き渡り、胸から腰にかけて走った斬撃によって、大量の鮮血が噴き出す。
 しかし、魔獣に驚くのはこの後だった。
 斬撃が浅かったのか、魔獣は悲痛な咆哮を上げたものの、その身体を倒すことはなくすぐさま反撃へと転じた。

「なにッ!?」

 さすがにここまで予測はできなかったのか、ナイチンゲールは驚きの表情を浮かべると、至近距離で魔獣の棍棒をその腹に受けてしまう。

「ぐうぅッ!」

 魔獣の棍棒を受け、苦悶の声を漏らしながら後退するナイチンゲール。
 血が噴き出すなどの目立った外傷は無いようだが、それでも無視できないダメージが全身に響き渡り、ナイチンゲールは片膝をついてしまう。

「大丈夫かッ!?」

「ふっ、これくらい……ちょっと油断しただけだ……」

 小さなユイの身体には、魔獣の攻撃は見た目以上に効果的だったようだ。
 体内の骨にも影響があるかもしれない、額に脂汗を浮かべながらナイチンゲールはそれでも笑みを崩さない。

「どうする、一旦引いたほうが……」

「その心配はいらん」

 たった一発で形勢を逆転され、航大は援軍を呼ぶべきかと逡巡する。
 しかし、そんな航大の心配をよそにナイチンゲールは笑みを崩さずゆっくりと立ち上がる。

「心配はいらないって……そんなんで戦えるのかよ?」

「私を誰だと思っている、フローレンス・ナイチンゲールだぞ?」

「いや、それでも……」

「これくらいの怪我……何とでもないッ!」

「えッ!?」

 ナイチンゲールは立ち上がり、その手に持った剣で自らの腹を切り裂く。
 裂かれた脇腹から鮮血が噴き出すが、それも一瞬だった。

「一瞬で死ぬような攻撃でなければ、私はそうそうやられることはない」

「その力、自分にも有効なのか……」

 ユイの身体が傷ついて焦る航大だったが、すぐさま治癒される様子を見て次の瞬間には安堵の声が漏れる。
 両手に持つフィレンツェの能力で魔獣から受けたダメージを完全に癒やすと、ナイチンゲールは再び魔獣を睨みつける。

「さぁ、まだまだいくぞ?」

「――ッ!」

 ナイチンゲールの見下したような視線に苛立ったのか、魔獣は先ほどよりも大きな咆哮を上げて、再び飛翔する。その目は怒りに充血していて、ナイチンゲールを殺そうと躍起になっている。
 怒りに身を任せて棍棒を振るう魔獣を相手に、ナイチンゲールは先ほどよりも楽な様子で攻撃をいなしていく。眼球ギリギリを通過していく棍棒に恐れることなく、軽やかな身のこなしで棍棒を全て躱す。
 そして致命傷とまでは行かないが、チクチクと刺すよぅに両手に持った剣で魔獣の身体に切り傷を与えていく。

「――ッ!」

「ふん、これくらいで根を上げているようでは、私の相手は務まらんぞ?」

 余裕すら見える態度で魔獣の攻撃を躱し、幾度となくその身体に斬撃を見舞っていく。

「ふぅ、さすがに簡単には死んではくれないか」

 少し魔獣と距離を置き、やれやれといった様子で溜息を漏らすナイチンゲール。

「それならば、一瞬にして消えてもらうとしよう」

 両手をだらりと下げ、ナイチンゲールはあまりにも無防備な様子で目を閉じる。

「ナイチンゲール?」

「いいから見ておるんだ」

 目を閉じ、精神を集中させるナイチンゲール。
 その魔獣を相手に舐めていると思われても仕方のない行動に、素早く反応を示したのは対峙している魔獣だった。

「――ッ!」

 怒り狂った様子で今までで一番大きな咆哮を上げると、魔獣は地面が抉れるくらいの跳躍を見せてナイチンゲールへと迫っていく。

「治癒剣――キングス・カレッジ」

 ナイチンゲールは小さく声を漏らすと、その目を閉じたまま寸分違わず魔獣と正面でぶつかるように飛翔した。
 そして空中で両手に持った片刃の剣を重ね合わせると、それらの剣は光を帯びて一体化する。一つになった剣は閉じた状態の鋏のような形に戻り、巨大な大剣へと姿を変える。

 魔獣はすぐそこまで迫っている。
 しかし、ナイチンゲールは目を開けることなく、その剣を振り上げ音もなく振り下ろしていく。

「――ッ!」

 次の瞬間、咆哮を上げてその全身から咆哮を上げて、魔獣の身体は上半身と下半身の二つに分断されていた。早すぎて何が起こったのかを、航大は理解できない。瞬きをした直後に、魔獣の身体は両断されていて、ナイチンゲールは目を閉じたまま何事もなかったかのようにゆっくりと地面に着地する。

「ふぅ、これならさすがに死ぬだろう」

 目を閉じたナイチンゲールは、鋏型の大剣を再び両手持ちの片刃剣に戻して一息つく。
 そして自信満々の笑みを浮かべて航大の方を振り返るのと、魔獣が絶命するのはほぼ同時なのであった。

「や、やったのか……?」

「当たり前だ。私はこの程度の者に負けるはずがない」

 完全に動きを停止した魔獣を見て、航大が恐る恐る声をかける。
 魔獣の身体はピクリとも動かない。そればかりか、その身体は淡い光りに包まれて音もなく消失した。

「やっぱり、今までの魔獣と違う……」

 光になって消えていく魔獣を見て、航大は感じた違和感を言葉に漏らす。
 この世界特有の魔獣は死してなお、その身体をこの場に留めている。しかし、先ほど相手にしたサイクロプスによく似た魔獣は、死んだら光となって、まるでこの世界に存在していなかったように消えてしまった。
 それは明らかに今までと違う出来事であって、航大が考える悪い予想を決定づけるものでもあった。

「誰かが、現実世界の魔獣をこの世界に召喚している……?」

 英霊を召喚する航大と同じような力を持つものが存在する。
 それも、現実世界で名の知れたモンスターを召喚するという能力だ。

「おいおい、そんなの厄介すぎる――だろ?」

 新たに生まれた最悪の可能性に冷や汗を漏らす航大。
 ひとまず、魔獣との戦いに勝った……そんな勝利の余韻に浸ろうとした航大たちの前に『それ』は現れた。

「なんだよ、この音……」

「……さすがに、アレを一人で倒すのは難しいぞ」

 大地を揺らす何かの音。ゆっくりと音は近づいていて、何かがやってくるそんな感覚に航大は生唾を飲む。
ナイチンゲールの視線は少し遠くを見ていた。魔獣と戦った大通りの遙か先、そこに蠢く巨大な生物の姿を発見することができた。

「サイクロプスの次は……ヒュドラってか……?」

 闇夜に紛れるようにして接近してくるその影は海蛇のような格好をしていた。
 その巨体は三階建ての民家と同等か、それ以上の大きさを誇っていて、なによりも印象的なのが九つあるその首だ。

 サイクロプスの次はかの神話の英雄、ヘラクレスが倒したとされる伝説上の怪物。

 九つの首を持ったヒュドラが今、異世界へと顕現したのだった。

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