終末の異世界と大罪のグリモワール ~英霊は異世界で斯く戦えり~

桜葉

第一章3 英霊召喚

第一章3英霊召喚

「俺がこいつの相手してっから、お前らはその間に逃げろ」

「はっ?」

 眼前には三つ首の魔獣。
 そしてこちらは戦闘員が一人と、非戦闘員が二人。
 状況は最悪だった。逃げることもできない、戦っても勝機は薄いときている。
 しかし、それでも若い兵士は自分を盾に、航大たちを助けようとしていた。

「お前、死ぬ気かっ! どうして俺たちを助けようと……」

「俺はハイラント王国、近衛騎士隊の隊員だ。国民を守るために戦うのは、あたり前の話だ」

「一緒に逃げればいいだろう!」

「へっ……逃げられねぇよ。直感で分かる」

「そんな……」

「俺の名前はライガ・ガーランド。生き延びたら、王国にこの英雄の名前を轟かせてくれよな」

 ライガはそう言うと、航大の身体を押しのけ背負っていた大剣を引き抜く。兵士が持つ大剣は刀身の全てが錆び付いていた。
 刃こぼれと錆が目立つ大剣は、巨大な魔獣を前にしてはあまりにも頼りがない。

「うおおおおおおぉぉーーーーッ!」

 ライガの咆哮が轟くのと同時に、大剣を握って飛翔する。
 動き出したこちら側に合わせるようにして、魔獣も咆哮を上げ攻撃を開始する。
 人間大サイズの腕を振り上げ、ライガを叩き落とそうと目にも止まらない速さで振るう。

「ぐぅっ!」

 巨大な腕が横に薙ぎ払われ、ライガはそれを大剣を使って受け止める。魔獣の力は絶大であり、人間の身体をいともたやすく吹き飛ばす。

「ライガッ!」

「まだまだあああぁっ!」

 粉塵を巻き上げ地面に墜落したライガは、その顔にいくつかの切り傷を生みながらも、臆することなく再び飛翔する。猪突猛進に突き進むライガを再び滅しようと、魔獣は動き出す。
 再び魔獣の腕が振るわれるが、ライガはそれを大剣で叩き潰す。

「――ッ!」

 魔獣の声にならない咆哮が上がる。
 ライガの大剣は刃こぼれが酷く、その様子は切り伏せて戦うというよりかは、対象を叩き潰すように攻撃を繰り返していく。

「ダメだ。全く、効いてない……」

 続けざまに攻撃を仕掛ける。しかし、錆び付いた剣では魔獣の身体に傷一つ与えることは出来ない。

「……航大、逃げないの?」

「逃げられる訳ないだろッ! 俺たちを助けるために戦ってる奴を見捨てるなんて……」

 少女の問いかけに考えるよりも先に感情が動いた。
 彼女が言うように、このままこの場所に残っていたとしても航大には魔獣に抗う力はない。この場に留まることで、ライガの戦いを邪魔する可能性だってある。

 頭の冷静な部分が逃げろと警告する。しかし、感情に支配された身体は動かない。

「うらああぁっ!」

「――ッ!」

    魔獣との戦いは時間が経つごとに不利な状況へと陥っていく。

    致命的な傷こそ負ってはいないが、全身のあらゆる箇所に小さな裂傷が刻まれていく。
    さらに巨大な大剣を振り回すことで体力が奪われ、徐々に身体の動きが鈍っていく。

 このままではライガは負ける。

 それは間違いない事実として、そう遠くない未来に実現してしまうだろう。

「何とかならないのか……」

「……航大」

 漆黒の装丁をした本をこれでもかと強く握りしめる。
 そんな俺の様子を見て、少女がきゅっと制服の袖を握りしめてくる。

「……私が、戦う」

「はっ?」

「……私が、貴方の代わりに戦う」

 少女は表情を引き締め、航大の一歩前に出る。

「戦う!? やめておけって、どう見てもそんな力はないだろ!?」

「……今の私にはない。力は航大がくれるから」

「俺が力を……?」

 少女のそんな言葉に呼応するように、右手に持った漆黒の本が光を帯び始める。

「……本を開いて。私に戦う力をちょうだい」

「本を開く……」

 握られた漆黒の本は、早く自分を開けと歓喜に震えているようだった。その本から発せられる輝きには暖かさも冷たさもなく、航大自身を飲み込もうとするかのように、その輝きを増していくばかり。

「……航大、早く」

「わ、分かってるよ。開けばいいんだな、この本を……」

 何が起こるのかわからない。
 しかし、この本を開くことで目の前の人間が助けられるなら――と、自分を納得させ航大は本の表紙に指をかける。そして、ゆっくりと表紙をめくっていく。

 すると、先ほどとは比べ物にならない輝きが本の中から溢れ出してくる。

「おいおい、まだそんなとこに居たのかよ。逃げろって――しまったッ!?」

 強い輝きはその辺り一帯を覆い尽くし、異変に気付いたライガがこちらを振り返る。

「魔獣がッ……逃げろッ!」

 ライガの悲痛な声が木霊する。
 その声に顔を上げれば、巨体を揺らした魔獣が航大目掛けて突進している最中だった。
 輝く光に何か危険を感じたのか、魔獣は周囲を慄かせる咆哮を上げてその歩を進める。

「これは……ニーベルンゲンの歌……?」

 開かれた本には、いつの間にか文字が記されていた。
 それは異世界に来る前に読もうとしていた偉人が記された本の内容であり、真っ白なページが続いていた本に何故、この物語が記されているのか、航大には理解することができなかった。

「……航大、英霊の名を」

「英霊の名……?」

「……その物語に記された、英雄の名を私にちょうだい」

 迫りくる魔獣を気にもしていないのか、少女は後ろに立つ航大を振り返り、凛々しい表情で頷いてみせる。

 少女の顔を見つめていると、不思議と内から湧き出てくる力を感じる。その力は全身を支配していた恐怖という感情を吹き飛ばし、勇気と希望を与えてくれる。

「英霊召喚。ジークフリートッ!」

 その名を叫んだ瞬間、世界が眩い光に包まれた。
 光は広がり、そして一人の少女へと収束していく。

「英霊ジークフリート……憑依ッ!」

 光を切り裂くようにして、粉塵を巻き上げながら少女が飛翔する。

「――ッ!?」

 瞬間、魔獣の眼前に到達した少女は、その両手に持った剣を振り下ろす。

「――――ッ!!」

 魔獣の犬の形をした首が吹き飛んだ。少女が放った斬撃によって魔獣の首は両断された。
 犬の頭は咆哮を上げることなく絶命し、切断面から鮮血を噴き出しながら宙を舞う。

「すげぇぞ、あの嬢ちゃん!」

 漆黒の鎧を身に纏い、マントを靡かせながら地面に着地する姿を見て、ライガが興奮気味に声を漏らす。

 少女は先ほどの軽装とは違い、今はその全身を漆黒の鎧で覆っている。

 片手に持った剣は太陽の光を浴びて鈍色に輝き、魔獣の鮮血が刀身を伝って地面に垂れ落ちている。

 ボロボロのマントで全身を覆っているせいか、少女の全身は陽炎に包まれているようにおぼろげだった。それはかの偉人、ジークフリートが登場する物語で描かれた姿に酷似していた。
   その姿を見て、航太は理解した。今ここに異世界へジークフリートは召喚されたのだと。

「……来るッ!」

 自分の首を落とされ、魔獣はより強い咆哮を上げる。怒りを露わにした魔獣は、少女にだけ狙いを定めると無我夢中に攻撃を繰り出してきた。
 中央に鎮座する蛇の頭が伸びて、少女の身体を噛み砕こうとしてくる。

「伸びた、だと……!?」

 犬、蛇、竜の頭をした三つ首の魔獣はそれぞれの特性を持っていた。蛇は頭は伸ばして攻撃を繰り出し、竜の頭は万物を焼き尽くすかのように、大きく口を開けて炎を吐き出す。

「……ちッ!」

 蛇と竜の同時攻撃に受け、少女が小さく舌打ちを漏らす。
 記された物語の通りなのだとしたら、その片手に持つ剣は名剣バルムンク。それを横に振り払い、噛み砕こうとしてくる蛇の頭を振り払う。

「――ッ!」

 蛇の頭が咆哮を上げる。少女はその頭を踏み台にして竜の火炎をやり過ごそうとするが、そんな少女の足を蛇の舌が巻き付き行動を制限してくる。

「やべぇぞっ!?」

「あっ――ッ!」

 少女の小さな身体が竜の火炎を正面から浴びることで航大とライガの視界から消えた。
 航大は咄嗟に名前を叫ぼうとした。しかし、彼女に名前を聞いていなかったことを、今この瞬間に思い出したのだ。その一瞬が命取りとなり、少女の身体は無情にも火炎に飲み込まれてしまった。

「おいおい、やられたりしてないよな……?」

「いや、あそこだ!」

 ライガの戦慄く声を遮るようにして、航大は叫んだ。炎が燃え盛る中、それを切り裂くようにして飛翔する影があった。竜の火炎によって認識阻害の効果を与えていたマントは焼け落ちていたが、少女は健在だった。
 その視線は竜の首へと迫っていき、音もなく剣を振るう。

「――ッ!」

 トドメを差したと油断していた竜の首は、無音で迫ってくる少女に対応することができず、その首を胴体から切断される。
 魔獣の絶叫が轟く。
 それは最後の瞬間まで生に縋り付こうとする叫びにも聞こえた。

「……残りは一つ」

 竜の首から溢れ出す鮮血の雨をその身に受けながらも、少女の顔はどこまでも真っ直ぐに次の標的へと移っていた。最後は蛇の頭だけだった。

    全身に傷を負い、首の切断面から大量の血を流した魔獣の動きは明らかに鈍っていた。

「いけるぞ、これっ……!」

 ライガの喜色に染まった声の通り、魔獣は最後の頭を切り落とされないよう、胴体のあらゆる部位を使ってジークフリートと一体化した少女の斬撃を躱そうと試みる。

 そんな魔獣の行動にも慈悲なく、少女は魔獣の身体を一つ一つ丁寧に切り落としていく。
 航大たちが立っている森の端は、魔獣の鮮血に染まっていて周囲を鼻が曲がりそうになる悪臭が立ち込める。

「……これで、終わりッ」

 魔獣は四本足すらも全て切り落とされたことによって、少女の斬撃を躱す手段を消失した。最後の悪あがきと首を伸ばし、口の中から舌を伸ばすことで一矢報いようとするも、それすらも少女の剣によって斬り伏せられる。

 どこまでも残酷に追い詰めていく少女の戦いには背筋が凍る思いを禁じ得ないのだが、いよいよ迫っている決着を前に心が踊っていた。

「いけええぇッ!」

 少女の背中を押すように、航大は叫んでいた。
 その声に力が篭っているかのように、少女が飛翔する速度が一段と早くなる。

「――ッ!」

 魔獣の最後の咆哮が轟くのと同時に、漆黒の鎧を身に纏った少女は魔獣の首を一刀両断していた。三度目となる鮮血の雨が降り注ぎ、魔獣の動きが完全に停止したことを確認して、今ここに異世界での魔獣決戦が幕を閉じたことを実感させた。

「やったぞ……やりやがった……!」

 ライガが驚いている隣で、航大は安堵に座り込みそうになっていた。
 戦いが終わり、周囲を見渡すことでその凄惨たる現場に尻込みしてしまいそうだった。

「お前らマジですげぇな! 勲章物の功績だぞ!」

 倒れ伏した魔獣の姿を見て、ライガが興奮気味に声を荒らげる。

「痛たたっ……ちょっと、背中叩くなって……」

 身体の中からごっそりと何かが抜け落ちていく感覚を感じながら、航大はゆっくりと歩いて戻ってくる少女を迎えようとしていた。喪失していく『何か』によって、瞼が重くなっていき、立っていることすらやっとの状態だった。

「……これが貴方の力。英霊を召喚し、対象に憑依させる。それは貴方だけが持つ特別な力」

「特別な力って言ってもな……」


 ――何かを忘れている気がする。


「俺自身が戦う訳じゃないしな……」

「でも、お前が居なかったらお嬢ちゃんも戦えなかったんだぜ?」


 ――それはとても大事なことのような気がする。


「とりあえずさ、お前らハイラント王国まで来いよ! 国王にこの功績を報告しなくちゃいけねぇ!」

「お、王国……?」

 身体が重い。
 身体が怠い。
 これが力を使役する代償。

「おい? 大丈夫か、お前?」

「……多分、力を使いすぎて疲れちゃったんだと思う」

「全く、勝利の余韻に浸ることなくおねんねかよ」


 ――このまま眠ってはいけない。そう心の何処かが知らせる。


 周囲を見渡す。この焦燥感はなんだ?
 英霊ジークフリートは最強だった。名剣バルムンクを使い、悪竜を倒し英雄となった。悪竜の血を帯びた身体はいかなる攻撃も通さず、英雄は名実ともに最強の存在として人々に知れ渡ったはずだ。
 それなら、何も心配することはない。ただ一点を除いては――。

「まだだッ!」

「――ッ!?」

 少女の背後で魔獣の首……蛇が動いたのが見えた瞬間に叫んでいた。

 そう。英雄ジークフリートに唯一あった弱点。それは背中だった。

 悪竜の血を浴びた彼はいかなる攻撃も通さない鱗の鎧を得た。しかしそれは、身体に触れた部分のみが有効であった。血を浴びた際、背中には菩提樹の葉が一枚張り付いていた。その葉のせいで、ジークフリートは背中に唯一の弱点を負ってしまったのだ。

「……あっ」

 少女の背中を蛇の舌が貫いた。

 少女の背後から血飛沫が舞っているのが見えた。

 遅かった。

 召喚による代償により薄れ行く意識の中、航大は少女の顔だけを見つめていた。

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