究極の食を追い求めたら最強になってた
究極の食を追い求めたら最強になってた
熱を帯びた砂風が頬を打つ。
少年は岩陰に小指の先ほどの甲殻虫を見つけた。
さっと口に運び、噛み砕く。
「身がスカスカ……全然足りない」
飢えた狼のような目で、少年はさっと周囲を探る。
静かに舌打ちをし、再び荒野に足を進めた。
少年の名はクラウド。年は5才。
名門貴族オイシーク公爵家の長男である。
間違っても、このような草木もほとんど生えぬ荒野で、虫で空腹を紛らすような身分ではない。
「喉乾いた……」
極限状態の朦朧とした意識の中、彼の足を動かすのは純粋な生への渇望だった。
彼は不運であった。
父の公爵は外務大臣であるため、長男である彼は生まれながらにして人質としての価値を持っている――少なくとも、隣接する帝国はそう判断したらしい。
外出中、護衛を殺され、拐われた。
道中の食事は日に一度、量も最低限。
誘拐犯の男たちの機嫌次第ではそれすら与えられぬこともあった。
一方で、彼は幸運でもあった。
荒野の猛毒をもった魔物により、彼を誘拐した男たちが全滅したのだ。
隙をみて逃げ出し、馬車の轍を頼りに荒野を逆走する。持ち出した水袋と携帯食料が彼の持つ全てであった。
何日も何日も歩き続けた。
虫と雑草で飢えを凌ぎながら、暗くなると岩陰で眠り、日が出ると歩く。
虫の食感に抵抗すら覚えなくなる頃には、己の運命を呪う気力すら失せていた。
「死んで……たまるか……」
幸運と不運の間を行ったり来たりしながら、最終的に彼を動かし続けた生存欲求こそが、天秤を幸運側に傾けた。
力尽き倒れた彼を見つけたのは、魔物ではなく、神殿に勤める神官であったのだ。
「クラウドはまた鍛練か」
公爵は庭で木剣を振る息子を眺め、ため息を吐いた。
クラウドが保護され、公爵家に帰ってきてから3年。
甘やかされて育ったかつての少年はもういなかった。
走り込みによる体力作りに、体術、剣術、魔術の訓練。学問にも手を抜かず、朝から晩まで自分を追い込んだ。
食べるものも変わった。
普段は粗食を心掛け、貴族らしい豪華な食事は週に一度程度。
目に涙を浮かべ、ゆっくりゆっくりと咀嚼する彼を見ながら、家族や使用人はみな胸を痛めていた。
「鍛練は、決して悪いことではないのだがな」
誘拐前とは別人のように日々を過ごす息子。
おそらくは、もう二度と同じ目に合わぬため、自分自身をストイックに鍛え上げているのだろう。
だが、あれからもう3年も経つのだ、と公爵は両手を握りしめる。
「警備体制は完璧なほど見直した。そろそろ息子を、あの忌まわしき事件から解放せねばなるまい……」
公爵は木剣を手に取り、息子のもとへと向かった。
もともと彼には剣の才能があったのかもしれない。
ただ、その才能が大きく花開くことになったのは、やはり日々の鍛練をコツコツ積み重ねてきたことが大きな要因であろう。
公爵自身、まさか8才の息子に負けるとは思ってもみなかった。
「強くなったなクラウド……だが、もういいのだよ」
公爵は砕けた木剣を投げ捨て、クラウドを抱き寄せた。
突然の出来事に、クラウドは驚いて固まった。
「護衛の体制も大幅に変えた。まして、それだけの強さがあれば、これ以上自分を追い込む必要などありはしない」
「……えーっと」
「あのような事件は二度と起きぬ。私が起きさせぬ。だから、すべて忘れて元の生活に戻ってよいのだよ……」
「父上?」
「陛下も本腰を入れた。帝国であろうとも、今は下手なことは出来ぬ。だから安心して――」
「父上、何か誤解していませんか?」
目に涙を浮かべながら息子に語りかける公爵だったが、当のクラウドはポカーンとした顔のまま立っている。
公爵は首をかしげた。
「えーっと……あの日、神殿に保護された日、僕は知ったんです」
少し遠い目をしながら、クラウドは恥ずかしそうに頬をかく。
「極限まで我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して――そして食べた薄味の野菜スープは、まぎれもなく究極の食でした」
クラウドは説明した。
保護された神殿で食べた野菜スープの、涙が出るほどの美味しさ、その感動と感謝。
体調が戻った後の食事の物足りなさ。
「せめて鍛練して腹を空かせて、粗食で我慢して欲求を深くしてからでないと、最近満足できなくて」
「そ、そうか」
「それでも、あの神官様の野菜スープには勝てないですけれど」
公爵は突然の息子の告白に驚いていた。
てっきり誘拐されたトラウマとか将来の不安とかで鍛えていると思っていたのに、まさか食事のためだったとは。
でも、食べるためだけに普通ここまで鍛える? 被虐的過ぎない? なんだか別の意味で息子のことが心配になってきた……と、公爵は心の中で呟いた。
「ご心配をお掛けしてすみませんが、今後も僕は究極の食を追い求めようと思います」
「あ、うん」
その後も彼は鍛練を重ね勉学に励んだ。
それだけでなく、彼に感化された兄弟や母親もまた、いつの間にか共に究極の食を追い求める求道者となっていった。
公爵は何かを諦めた。
10歳で入学した王立学院では、取り巻きの貴族を中心に美食倶楽部を立ち上げる。
もちろんただ食べるだけではなく、鍛練・勉学・粗食といった基本方針を守りつつ、未知の食材や調理法についても研究した。
この活動の中で作られたのが、かの有名な『タベテミータ・ラウマカッタ』――世界初のレシピ本であり、現代料理の基礎となった名著である。
彼が卒業してからも、美食倶楽部は代々引き継がれて規模を大きくしていき、彼の美食メソッドは貴族・平民に依らず、国中で半ば常識として定着していった。
時は流れ、クラウドは25歳になっていた。
「王国軍の進行、止まりません!!!」
侵略を仕掛けた帝国は返り討ちにあった。
貴族が浪費をしなくなった結果、充実した軍備。
よく鍛え、よく学び、少ない兵糧に耐える兵達。
さらに彼らは皆、道中の食べられる野草やその調理法を熟知している。
「帰ったら、みんなで上手いもの食うぞぉぉぉ!!」
「おぉぉぉぉぉぉ!!!」
王国軍の先頭には、後の歴史に語られる最強の男、クラウド・オイシーク。この戦いで彼は獅子奮迅の活躍をした後、国王に評価され末の姫様との婚姻が決まる。
彼の原動力が「究極の食」であったことはあまりにも有名だが、天寿を全うした彼はそこにたどり着いたのだろうか。
それとも、件の野菜スープを超える食にはついぞ出会えなかったのだろうか。
現在いくつかの仮説はあるが、実際のところは未だ明らかになっていない。
少年は岩陰に小指の先ほどの甲殻虫を見つけた。
さっと口に運び、噛み砕く。
「身がスカスカ……全然足りない」
飢えた狼のような目で、少年はさっと周囲を探る。
静かに舌打ちをし、再び荒野に足を進めた。
少年の名はクラウド。年は5才。
名門貴族オイシーク公爵家の長男である。
間違っても、このような草木もほとんど生えぬ荒野で、虫で空腹を紛らすような身分ではない。
「喉乾いた……」
極限状態の朦朧とした意識の中、彼の足を動かすのは純粋な生への渇望だった。
彼は不運であった。
父の公爵は外務大臣であるため、長男である彼は生まれながらにして人質としての価値を持っている――少なくとも、隣接する帝国はそう判断したらしい。
外出中、護衛を殺され、拐われた。
道中の食事は日に一度、量も最低限。
誘拐犯の男たちの機嫌次第ではそれすら与えられぬこともあった。
一方で、彼は幸運でもあった。
荒野の猛毒をもった魔物により、彼を誘拐した男たちが全滅したのだ。
隙をみて逃げ出し、馬車の轍を頼りに荒野を逆走する。持ち出した水袋と携帯食料が彼の持つ全てであった。
何日も何日も歩き続けた。
虫と雑草で飢えを凌ぎながら、暗くなると岩陰で眠り、日が出ると歩く。
虫の食感に抵抗すら覚えなくなる頃には、己の運命を呪う気力すら失せていた。
「死んで……たまるか……」
幸運と不運の間を行ったり来たりしながら、最終的に彼を動かし続けた生存欲求こそが、天秤を幸運側に傾けた。
力尽き倒れた彼を見つけたのは、魔物ではなく、神殿に勤める神官であったのだ。
「クラウドはまた鍛練か」
公爵は庭で木剣を振る息子を眺め、ため息を吐いた。
クラウドが保護され、公爵家に帰ってきてから3年。
甘やかされて育ったかつての少年はもういなかった。
走り込みによる体力作りに、体術、剣術、魔術の訓練。学問にも手を抜かず、朝から晩まで自分を追い込んだ。
食べるものも変わった。
普段は粗食を心掛け、貴族らしい豪華な食事は週に一度程度。
目に涙を浮かべ、ゆっくりゆっくりと咀嚼する彼を見ながら、家族や使用人はみな胸を痛めていた。
「鍛練は、決して悪いことではないのだがな」
誘拐前とは別人のように日々を過ごす息子。
おそらくは、もう二度と同じ目に合わぬため、自分自身をストイックに鍛え上げているのだろう。
だが、あれからもう3年も経つのだ、と公爵は両手を握りしめる。
「警備体制は完璧なほど見直した。そろそろ息子を、あの忌まわしき事件から解放せねばなるまい……」
公爵は木剣を手に取り、息子のもとへと向かった。
もともと彼には剣の才能があったのかもしれない。
ただ、その才能が大きく花開くことになったのは、やはり日々の鍛練をコツコツ積み重ねてきたことが大きな要因であろう。
公爵自身、まさか8才の息子に負けるとは思ってもみなかった。
「強くなったなクラウド……だが、もういいのだよ」
公爵は砕けた木剣を投げ捨て、クラウドを抱き寄せた。
突然の出来事に、クラウドは驚いて固まった。
「護衛の体制も大幅に変えた。まして、それだけの強さがあれば、これ以上自分を追い込む必要などありはしない」
「……えーっと」
「あのような事件は二度と起きぬ。私が起きさせぬ。だから、すべて忘れて元の生活に戻ってよいのだよ……」
「父上?」
「陛下も本腰を入れた。帝国であろうとも、今は下手なことは出来ぬ。だから安心して――」
「父上、何か誤解していませんか?」
目に涙を浮かべながら息子に語りかける公爵だったが、当のクラウドはポカーンとした顔のまま立っている。
公爵は首をかしげた。
「えーっと……あの日、神殿に保護された日、僕は知ったんです」
少し遠い目をしながら、クラウドは恥ずかしそうに頬をかく。
「極限まで我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して――そして食べた薄味の野菜スープは、まぎれもなく究極の食でした」
クラウドは説明した。
保護された神殿で食べた野菜スープの、涙が出るほどの美味しさ、その感動と感謝。
体調が戻った後の食事の物足りなさ。
「せめて鍛練して腹を空かせて、粗食で我慢して欲求を深くしてからでないと、最近満足できなくて」
「そ、そうか」
「それでも、あの神官様の野菜スープには勝てないですけれど」
公爵は突然の息子の告白に驚いていた。
てっきり誘拐されたトラウマとか将来の不安とかで鍛えていると思っていたのに、まさか食事のためだったとは。
でも、食べるためだけに普通ここまで鍛える? 被虐的過ぎない? なんだか別の意味で息子のことが心配になってきた……と、公爵は心の中で呟いた。
「ご心配をお掛けしてすみませんが、今後も僕は究極の食を追い求めようと思います」
「あ、うん」
その後も彼は鍛練を重ね勉学に励んだ。
それだけでなく、彼に感化された兄弟や母親もまた、いつの間にか共に究極の食を追い求める求道者となっていった。
公爵は何かを諦めた。
10歳で入学した王立学院では、取り巻きの貴族を中心に美食倶楽部を立ち上げる。
もちろんただ食べるだけではなく、鍛練・勉学・粗食といった基本方針を守りつつ、未知の食材や調理法についても研究した。
この活動の中で作られたのが、かの有名な『タベテミータ・ラウマカッタ』――世界初のレシピ本であり、現代料理の基礎となった名著である。
彼が卒業してからも、美食倶楽部は代々引き継がれて規模を大きくしていき、彼の美食メソッドは貴族・平民に依らず、国中で半ば常識として定着していった。
時は流れ、クラウドは25歳になっていた。
「王国軍の進行、止まりません!!!」
侵略を仕掛けた帝国は返り討ちにあった。
貴族が浪費をしなくなった結果、充実した軍備。
よく鍛え、よく学び、少ない兵糧に耐える兵達。
さらに彼らは皆、道中の食べられる野草やその調理法を熟知している。
「帰ったら、みんなで上手いもの食うぞぉぉぉ!!」
「おぉぉぉぉぉぉ!!!」
王国軍の先頭には、後の歴史に語られる最強の男、クラウド・オイシーク。この戦いで彼は獅子奮迅の活躍をした後、国王に評価され末の姫様との婚姻が決まる。
彼の原動力が「究極の食」であったことはあまりにも有名だが、天寿を全うした彼はそこにたどり着いたのだろうか。
それとも、件の野菜スープを超える食にはついぞ出会えなかったのだろうか。
現在いくつかの仮説はあるが、実際のところは未だ明らかになっていない。
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