寵愛の精霊術師
第49話 永劫魅了
エーデルワイスのその宣言は、オレの心を揺さぶるのに十分すぎる威力を持っていた。
「大罪……『色欲』!?」
それはつまり、目の前にいるこの女が、あのカミーユの本体とほぼ同等の力を持った魔術師であるということ。
つまり、奴はおそらく精霊級以上の力を有している。
その危険度は計り知れない。
周りを見ると、一部の兵士たちの顔色も青ざめているのがわかった。
彼らはおそらく、『憤怒』によってもたらされた被害をよく知っている者たちなのだろう。
フレイズすら、顔を驚愕の色に染めて硬直している。
だが、ちょうどいい。
こいつはオレの獲物だ。
「っ! 待てラル! 早まるな!」
オレが何か行動を起こすことを察知したらしいフレイズが声を上げるが、オレは行動を止めるつもりはなかった。
オレは亜空間から短剣を抜き、七精霊を刃に纏わせる。
「あら?」
エーデルワイスがオレの行動に気付いたようだが、あまりにも遅い。
その動きは、とても精霊級以上の力を持つ魔術師のものとは思えない。
「……クルトさんの仇だ」
七精霊を纏った刃を、エーデルワイスの胸に突き刺した。
脂肪と肉を切り裂く嫌な感触と共に、刃の先端が心臓に到達したことを確信する。
オレは短剣をエーデルワイスの身体に刺したまま、思い切り下へと切り降ろした。
その扇情的な衣装を切り裂き、肋骨を切断し、肺を潰す。
エーデルワイスは、突然の蛮行に少しだけ驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに表情を崩した。
「あらあら。ずいぶんなご挨拶だこと」
「っ!!」
それはまるで、悪いことをした子供を咎めるような、そんな口調だ。
そしてそんなエーデルワイスの姿に、オレは身体の震えがおさまらなかった。
確信があった。
こいつは、この程度では死なないと。
そしてやはり、オレの予想は当たった。
「な!? 傷が……!」
いつの間にかエーデルワイスは、元の傷ひとつない身体に戻っていた。
そして、オレの手に握られていたはずの短剣の刃が、不自然に欠けている。
それを見て、エーデルワイスが何をしたのかを悟った。
「『リロード』……っ!」
「あら? あなた、『リロード』を知っているのね。珍しい」
皮肉にも、オレが刃を突き入れた時よりも驚いた表情を浮かべているエーデルワイス。
そんな彼女を見据えながら、オレはかつてないほどの焦燥感を感じていた。
――『リロード』。
それは自分の身体に、強制的に過去の自分の身体の状態を上書きする能力だ。
つまりエーデルワイスは、傷ついた今の自分の身体に、過去の傷ついていなかった自分の身体を上書きしたのだ。
空間に物体を上書きする能力であるため、不純物が混じっていた場合、その物質は消滅する。
つまり、エーデルワイスの身体に刺さっていた短剣の刃の部分は、エーデルワイスに不純物として認識されたために消失したのだ。
この『リロード』を応用すれば、死にかけていようが死んでいようが、それをなかったことにすることができる。
即死であっても、自身の身体を正常な状態に戻す『オートリロード』が発動するので、不意打ちを受けても死ぬことがない。
ゆえに『リロード』が使用可能である限り、オレはこいつを殺すことができない。
『リロード』を持つ敵を殺す方法は、端的にはキアラから教えてもらっている。
だがそれは、攻略と言うにはあまりにもお粗末なものだ。
――ただひたすら、相手にリロードを使わせること。
それだけだ。
他に方法はないのだ。
『リロード』の残り回数がゼロになるまで、殺し尽くすしか、ない。
だが、殺すことを諦めればいくつかの方法がある。
その一つが拘束だ。
いくら死なないとはいえ、その四肢を縛り、口を封じてしまえば基本的には何もできなくなるはずだ。
とはいえ、そこまでやっても安心出来ないのが目の前にいるエーデルワイスという女なのだが……。
「そういえば、ロード・オールノートはここにはいないのかしら?」
「は? ロード?」
どうしてこいつの口から、ロードの名前が出てくるのだろうか。
「いえ、やっぱりいいわ。あなたに聞かなくても、すぐにわかることだから」
エーデルワイスはため息をつき、その純白の翼を広げた。
そして次の瞬間、エーデルワイスは空高く飛び上がった。
「なっ……!」
天族の王族のシンボルとも言える純白の翼だが、あれは飛行には使えないはずだ。
そんなオレの戸惑いをよそに、エーデルワイスの身体はどんどん高度を増していく。
そして、彼女の身体はエノレコートの王城と同じくらいの高さにまで達したところで、その高度を上げるのをやめた。
「さぁ。終わりを始めましょうか」
いかなる魔術を使っているのか、エーデルワイスの声は地上まで届いている。
……エーデルワイスが、ディムール軍の上にいる。
その光景に、うすら寒いものを感じずにはいられなかった。
「クソっ!!」
風精霊をかき集め、オレは地面を蹴った。
強烈な浮遊感と共に、オレの身体が空中へと投げ出される。
風精霊に指示を出し続けながら、エーデルワイスがいるところへ向かって進んでいく。
「――色欲は唄う」
その声を聞いて。
ぞわり、と。
全身を悪寒が走り抜けた。
「偽りの愛を語るものたちに、真実の愛を」
聞いたことのない詠唱。
だが、嫌な予感しかしない。
「憐れな子羊たちに、永久の安らぎを」
何かをするつもりなのだ。
オレなどには想像もつかない、何かを。
「はぁぁぁぁぁああっ!!」
ようやくエーデルワイスがいる高度まで達したオレは、亜空間から取り出した剣で彼女へと切りかかる。
だが、エーデルワイスが少し身体をずらしただけで、オレの斬撃は虚空を切った。
「――我が唄の届きしとき、汝らを我が許へ誘わん」
攻撃するオレには目もくれず、エーデルワイスは詠唱を続けている。
その視線は、遥か下にいる地上のディムール軍へと向いていた。
どうすればいい?
どうすれば、エーデルワイスの初撃を防げる?
だが、オレのそんな思案は、あまりにも遅すぎたのだ。
「――『永劫魅了』」
詠唱が完成した。
エーデルワイスがそう囁いた――が、特に何が起こるということはなかった。
……いや、違う。
目に見えないだけで、何かは起こっているのだ。
「……?」
だが、本当に何も起こらない。
不発だったのか?
「あなたも、真実の愛を知りなさいな」
「は? ――――っ!?」
エーデルワイスが意味不明な発言をしたかと思うと、オレの周りから風精霊が消えた。
いや、違う。
エーデルワイスに、オレの周りにいた風精霊たちを奪われたのだ。
「くっ――!」
慌てて新しく風精霊たちを集めたが、空を飛べるほどの量の風精霊を集めるには至らない。
それどころか、自分の落下速度を緩めるのが精一杯だ。
そんなことをしている間に、どんどん地上が近づいて――、
「がは……っ」
強烈な衝撃と共に、オレの身体は落下地点にあった住居を貫通した。
だが、落下の衝撃は止まらない。
屋根と二階の床をぶち抜き、一階の床にめり込んだところで落下は止まった。
「はあっ……はぁっ……げほげほっ……あー、クソっ!」
盛大に舞い散る埃にむせながら、オレは悪態をつく。
身体中が痛い。
異常なタフネスのおかげでこの程度で済んだが、普通の人間なら死んでいるところだ。
「ラル! 大丈夫か?」
オレの落下地点を確認したらしいフレイズたちが、こちらまでやってきた。
オレの身体は問題ない。
むしろ、オレが気になるのはフレイズたちのほうだった。
「僕は大丈夫です。それより、父様たちは大丈夫ですか? どこか身体に異常があったりは……?」
「ん? いや、大丈夫だ」
フレイズたちは、まるでどうしてそんなことを尋ねられているのかわかっていないような様子だ。
……その光景を見て、オレは強烈な違和感を覚えた。
今のフレイズたちには、明確な緊張感や警戒心といったものが、著しくかけているように思えたのだ。
「父様、気をつけてください。相手が相手なだけに、何が起こるかわかりませんので」
「相手……? 何を言っているんだ、ラル?」
オレのその言葉が、フレイズたちの違和感を明確なものにしてしまったらしい。
だが、それも大したものではないと思ったのか、フレイズは言葉を続ける。
「まあいい。それよりもラル、遊んでないで早く支度するんだ。これからすぐにディムールへ向かう」
……意味が、わからなかった。
「何を、言っているんですか、父様」
「ん? いったいどうしたんだ、ラル? さっきから変だぞ、お前」
「変なのは父様のほうですよ! エノレコートを攻め落とすんでしょう!? まだエーデルワイスも倒していないのに、このままおめおめとディムールに帰るとおっしゃるんですか!?」
フレイズの両肩を掴み、自分の感情を叩きつけるように強く揺さぶる。
許せなかった。
たしかにエーデルワイスは強敵だ。
だが、こちらには一万もの兵がいる。
精霊級であるオレがいる。
全員の力を合わせれば、大罪の『色欲』と言えども、必ず打倒できるはずだ。
「エノレコートを攻め落とす……? 本当に大丈夫かラル。少し疲れてるんじゃないか?」
本当に心配そうな顔で、フレイズがオレの肩を軽く叩く。
それがオレには、たしかに家族を思いやる父親の姿に見えた。
「父様……?」
「それに、エーデルワイス様を呼び捨てにするのは感心しないな。ラルがエーデルワイス様のことを深く愛しているのは理解しているつもりだが、親しい仲にも礼儀というものは存在する。賢いお前ならわかるだろう?」
「――――」
なにを、言っているのだろうか、フレイズは。
「そんなことよりも、すぐにディムールに向かわなければならない。――エーデルワイス様に、ヴァルターの首を献上すること。それが、私たちにできる最大の、エーデルワイス様への愛の証明なのだからな」
当然のことのように、フレイズはそう言った。
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