紅葉のいろは忍ぶれど

きー子

十二

 ゲンジ・ライコウが倒れた。その現実はナリマサを激しく打ちのめした。絶対の武力とさえいうべき持ち札を失ったうえ、男はさらに人質をも奪われようとしていた。過去から連なる因縁を断ち切るためのよりしろを。

 いったい男はどこであやまったのか。いずれとも考えられたが、最たるは目の前の娘の存在であった。この端女こそがナリマサの目論見を徹底的に狂わせた。鬼をたやすく奪回できると甘く見積もったのが全ての元凶であるといえよう。こうなるとわかっていれば、はじめから諦めて放り出すことも出来たろう。だがもう遅い。ナリマサにとって今の状況は全てが手遅れに過ぎなかった。「おまえたち────」どこか据わった声が、ゆっくりと立ち上がったナリマサの喉から零れた。それで周りの私兵たちがはっとする。ゲンジ・ライコウが討ち取られたという現実に打ちのめされて、まさに茫然自失というありさまを晒していたものである。

 そしてナリマサの双眸が、少女を見た。彼女は男の存在をまるで意に介さず、鬼の拘束をほどくことに気をやっていた。もみじが縛り付けられているのは堂内の中心に居する心柱しんちゅうである。取り囲むのはわけのないことであった。「包囲せよ。今ならば! ライコウ殿との戦を経た、今ならば! 今だからこそ、その女を討ち取れよう!」ナリマサの瞳には渦巻くような狂気が宿っていた。拳をかかげて、肩をいからせ叫ぶ。「仇を! ライコウ殿の仇をうつのだ!」私兵たちは気が進まない様子であったが、しかし包囲網はゆっくりと形成されていった。少女の凶刃がこちらに向かない理由はないように思われたからだった。徐々に殺気立ち、各々が抜刀する。

「ま────て」それを引き止める声があった。それはぼろのように血溜まりに伏しながらも顔をあげる翁の姿であった。ライコウは力を振り絞ってその様子を制する。「理非を……わきまえよ。ここは地之皇つちのすめらぎのお膝元」ライコウが息も絶え絶えにして、うめくように警告したものである。「災いを……招くぞ。かつての……七年前の、再来を」そういって、口腔から赤いものをぶちまけた。もはや助かるべくもない容態と知れた。そしてナリマサがそれを一蹴した。「ライコウ殿は冥途に迷うておられる。皆よ、死出を祈りたまえ」包囲がじりじりと狭められていく。もはや彼らは背後にあるライコウをうかがいもしなかった。

「────もみじ殿、下がっていてくださいませ」拘束をほどかれた鬼は今や少女のかたわらにあった。半日以上も戒められていたものだからその身体はいまだ痺れを残していて、満足に動かすことさえかなうまい。気遣わしげに朱い瞳が少女を見上げている。「おんしはもう、立ち会える身体でなかろうに」「しかれども、そうすべき身でございます」少女の声は決断的であった。もみじは羽織らされていた黒い打掛を少女の腰に巻きつけ、せめてもの止血とした。すでに流れた血の量はおびただしいほどのものであるから、果たしてどれほどの慰めになろうものか。少なくともそれは兵子を止めるにはいたらなかった。

 だから、包囲をつくる兵の脚を止めたのは全く別のことどもであった。はじめはちいさな違和感であったそれがさざめきとともに反響しあい、瞬く間に膨れ上がっていく。「なんだ、これは」「足元が揺れて」「よもや、まことの祟りでは────」口々に囁かれるのは、錯覚やささいな違和感ではすまされぬことである。今やはっきりそれと分かるほどに、大地は激しく揺さぶられていた。否、それは地面どころか五重塔そのものが地の底の基板から横揺れを食らわされているようなさまであった。「ひぃ」包囲をつくっていた兵が程なくして散らばる。後列の兵からなし崩しになって、立っているのも難しくなった彼らはまるで這うように逃げ出す始末であった。「ま、て、貴様たち────ッ」兵を叱咤するナリマサもまた例外でなく、おぼつかない足元をもつれさせて倒れこんでしまう。地震はいまもなお続いている。

「しのぶ、伏せやっ」「動かずに────そこにいてくださいませ」頭を隠すようにして鬼が伏せる。平衡感覚に長ける少女でさえも立っていられないのは例外でないようで、まるでもみじにかぶさるようにしてその身を守る。鬼が息を詰める。程なくして頭上から吊り下げられた灯火や鐘が落下し始める────それはけたたましい騒音をまき散らしながら凶器となって下にあるものを襲う。それが余計に兵たちの恐怖を煽り立て、もはや総崩れは避けえない様子であった。それどころではない事態があった。丈にして二〇〇尺にもおよぼう堅牢にして荘厳なる五重塔が崩落を始める────それほどの地震であった。それはまさしくライコウの言葉通り"災厄"と呼ぶにふさわしいものだ。

 続けざまに講堂をかたちづくる組み木が絶え間なく落下をはじめる。降り積もらんばかりに重なり、堂内は火をつけたような大騒ぎとなり果てた。組み木が落ちれば構造はいかんともしがたく脆くなり、後はただただ崩れるばかりである。兵たちがたがいに押しのけあうような醜態をさらして大階段へと殺到する。ナリマサも続くべく周囲を見渡した。木くずを散らしながら崩落する組み木の壁にはばまれ、もはや鬼と少女の様子はうかがうべくもなかった。そしてふと、頭上を見やった。「ひっ────」そこにはまさに落ちてくる大木があった。ナリマサは咄嗟に地を蹴るが、巻きこまれるように背中から組み木の下敷きになって倒れこむ。「ぐ、げッ」骨の数本は逝ったかもしれなかった。呻き声をあげて、なおもナリマサは身じろぎさえままならない。鬼を戒めにしていたつけが回ってきたかのごとき姿であった。

「誰か、誰かあるかッ! 私を! 私を助けろ!」必死になってナリマサが叫ぶ。誰かへと呼びかける。ナリマサとて期待しているわけはないが、もはやそうすることしか出来ないのであった。兵どもは自分のことに精一杯で、助けに来ることなど期待できようはずもない。「おう」だが、予想外にも声があった。声の主の影がナリマサの視界に重なる。濃密な鉄のにおいが香る。「────ライコウ殿」ゲンジ・ライコウが血みどろの老躯を引きずってナリマサのもとに参じていた。その手には"童子切"がいまだあった。胸元には痛々しい傷痕がくっきりと刻まれていた。ライコウは落ち窪んだ瞳を細め、ナリマサを見下ろしている。「いったで、あろう」「よ、よもや。このようなことが、あろうとは────」とても偶然とは思えない。まさに"災厄"を招いたというほかなかった。ナリマサのかたわらには"地之皇つちのすめらぎ像があった。彼はナリマサの所業をずっと見ていたというのであろうか。

「ら、ライコウ殿────」ライコウはなかば死に体のまま、表情も変えない。ナリマサを助けるつもりもないようであった。なにせ手を伸ばすこともしていない。だが、この機を逃しては確実に死ぬだろう。ナリマサは必死になって弁舌を振るう。「私が……私が、悪かった。そなたの言葉を聞き入れなかったがためだ」ナリマサの息は荒い。痛みから生ずる熱が男の頭を煮え立たせる。「どうか、どうか頼む。私はここで沈むわけには行かぬのだ」「なにゆえか」食いついた。ひときわ熱がこもるナリマサの口は止まらない。「私はいずれ権勢の座にのぼる。上るべくあるのだ! すめらぎをもこえて! ライコウ殿、そなたの力があれば必ず叶おうことだ! その時にはともに執権の座を────」唐突にその声が止まった。

 ライコウの"童子切"の切っ先がナリマサの背に突き立っていた。胸にある文字────"業"のあざなまでもを貫いてその命を確実に奪う。「然様か」翁は淡々としていう。ナリマサの口がぱくぱくと開かれる。なぜとそう聞いているかのようであった。だが、すでに男はものをいうことも出来ない。「皇に抗するものは、あまねくかくあるべし」ナリマサの本性をうかがい知り、摘みとること。それがナリマサと行動を共にしていた最大の理由なのであった。ナリマサは死に際にそれを知ることとなったが、もはやどうにもならない。ひときわ身体を引き攣らせ、幾度ともなく痙攣する。そして死んだ。

 ライコウもまた、崩れるように膝を折った。いかんともしがたい致命傷であった。本来ならば動くことさえ億劫であった。しかし、悪くはない死に様であると考えていた。戦の手傷で死ねるならばいくらか上等だ。それも、あれほどの武人を相手にすることができたのだ。我が曾孫の嫁に来てくれたらば────たわむれのような思考がとりとめもなく浮かぶ。揺れはいまだ続いていた。頭上を見上げると、今にも組み木細工が崩れ落ちかけているのであった。「さらば」ゲンジ・ライコウはゆっくりとまぶたを閉ざした。その目が開かれることは、もう無かった。


 いまだに続く揺れの中を、もみじとしのぶは互いに支えあいながら立ち上がる。もみじとても身体は万全でなかったが、しのぶの容態とは比べるべくもないものである。一見して幼気な鬼は血塗れの少女に肩を貸し、歩み始める。「死ぬでないぞ、しのぶ。さもなくば」「さもなくば────いかように、ございましょう」少女の瞳の色はいささか茫洋としたものである。意識が定かでないのであった。まさに無理からぬことであって、自分の足で立って歩けることこそが僥倖といわざるをえないだろう。しかし鬼は屹然としていったものである。「さもなくば後を追うてやろうぞ」「それでは何にもなりませぬ」「なにをいうか」もみじはたやさず戯れをつむぐ。しのぶの意識を途切れさすまいとつとめてそうしているのだろう。実際、それはありがたかった。彼女が健在であることが、今のしのぶには何よりも心強い。「冥土から引きずってでも連れ帰ってやるからの」「頼もしいかぎり」しのぶは静かに笑む。それでようやく最上層の大階段を降り切ることができた。

「のう、しのぶ」「はい」「妾は、おんしを信じ切れずにおった」「────はい」「して、それでも構わぬと思うてもいた。しのぶが無事であるならば、それこそ重畳と」告解めいてもみじがいったものである。最中にもしのぶが気にかけて崩落する組み木を避けるようにして歩み、ゆっくりと塔を降りていく。「しかれども仰せでございました。信じると」「う、む」「名も無き、この身を」しのぶが瞑目して、言い切ったものである。「なれば、そればかりにて十全」「命ゆえに、かの」「命のみにあらざるゆえに」「照れるものであるのう」鬼のたわむれ────それが聞きたかったのかもしれなかった。少女の心に安堵の念が堪えなかった。自然と歩みが早まる。第三階層を抜ける。人と出くわすことはもはや無かった。五重塔に残るのは今や鬼と少女のふたりきりなのかもしれなかった。

「私は」ふいに少女から口を開く。「この任ののち、いただく手はずでございました」「なにをかの」「私の名を。母上に賜りし名を」「ふぅむ」鬼が感嘆していう。「それは妬けるのう」戯れにもほどがあった。ずっこけかけるところであったが、今倒れたらおそらく立ち上がれなくなるだろう。しのぶは歩むことに専心する。「実のところ、いらぬとも思うておりました」「名を、か」「もみじ殿のそれが余計であると思ったことと同じように」「妾のもか!?」少なからざる衝撃を受けたかのごとくもみじが眉を垂らす。あまりの気落ちしたさまであったから、しのぶは思わず笑ってしまった。そして、いったものである。「今はさようには思うておりませねば」「おんしは、魔性よの」「化生はもみじ殿でございましょう」「さような意味ではないのじゃよ────」事実、少女にはその名が誇らしくあった。高く名乗りをかかげたように。少女はすでに、しのぶであった。

 二階層からなお降る。一階層に辿り着く。大地の揺らぎはいくばくか止んでいた。外にはやはりなおも暗き京の夜があった。塔の入口はしのぶが蹴破ったときそのままで、それがどこかおかしかった。「先んずるは休まねばの────手当も入用よ」「もみじ殿も、なにか口にせねばなりますまい」「阿呆、さようなものは後で」そう言いかけて、鬼の腹の虫がおおいに騒いだ。赤面であった。それでもなお折れなかったのはさすが、といったところであろう。しのぶはつとめて意識を外側に向ける。果たしてどれほどの包囲が敷かれていようものか、知れたものではないからだった。考えても詮無いことであったから押しこめていたものであったが、いざ眼前にしてみれば今の少女にはいかんともしがたい難題であった。それでもふたりは行くしかない。ままよ────ふたりはまるで飛び出すように、五重塔からようよう脱出したものである。

 だが、包囲といえるものはなかった。それどころか人の気配さえもなかった。つとめて人払いがされているようでさえあって、しのぶとしてはまさに拍子抜けの感なのであった。「不可思議なこともあろうものよな」鬼とても幾ばくかの覚悟は決めていたのであろう。なればこその呟きとともに、ゆっくりと背をかえりみる。祟王護国寺すうおうごこくじ五重塔────その雄大であった外殻はさながら剥ぎ取られたかのようで、塔の中心となる部分ばかりを残して容赦の無い崩落の傷痕を見せつけるのであった。

 そして、もうここに用はなかった。もはや塔を振り返ることもなく少女と鬼は行く。京の闇に潜むかのごとくして、秘めやかにその身をかげらせて。「のう、しのぶ」「はい」「────妾にはかたじけなきまでの仕儀、ありがたし。せめて身を尽くし、残る生を捧げようぞ」「私の生ばかりでは余しましょう」「しからば子孫代々までも」もみじがいたずらげに笑うものであったから、しのぶもまた笑みを見せた。その風体はぼろぼろでも、何にはばかることもなく。


 ────こたびの地震はのちに"東寺震災"としておおいに知られることとなる。祟王護国寺五重塔はその影響をもっとも被って崩壊の憂き目を見る。再建には長い年月を要することとなるだろう。地之皇つちのすめらぎがもたらす功徳に皇への叛意が暴き出されたフジワラ・ナリマサはその報いを受けた。これをもって災厄をもたらす上皇の祟りはいまだ健在であることが世に明らかとなったのであった。ゲンジ・ライコウはその尊い犠牲になったことを受け、ひときわ手厚く弔われた。当夜、見張りにあたっていたものとされる兵の死者はなし。負傷者が少数。揺れの大きさ、長さに反してその規模は不自然なまでにちいさく、狭いものであったという。

 ゲンジ・ライコウが亡くなったあとの穴は大きかった。ライコウを継ぐべき子と孫はすでに早世しており、当代にあたる曾孫はいまだ年若い身の上である。それで当座はゲンジの重臣であるワタナベ家の当代が武士団をあずかる。ただし実質的な管理は経験、知識ともに豊富であるライコウ四天王の一角ことサカガミ・ギンジが担うこととなる。

 七年前の大災厄を決して忘れてはならない。かくなる偉大な教訓とともに、"東寺震災"の記録は幕を閉じる。そこに鬼と少女の存在が記されることはついぞなかった。

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