紅葉のいろは忍ぶれど

きー子

十一

 少女が五重塔に踏み込んだという報を受け、ナリマサは一時的な落ち着きを見せた。第一階層に投入された兵数のことがまず念頭にあったからだ。よもや早々には破られまい、という余裕が見受けられたのであった。そしてそれは瞬く間にして水泡に帰した。まさに崩落といってよく、まるで反動をつけたかのようにナリマサの焦燥はみるみるうちに高まっていった。それだけならばまだしも、主の醜態に引きずられるかのように統率を失った私兵が二〇ほど最上層になだれこんでくる始末であったから世話はない。もっとも、非常事態にこそ落ち着いてしかるべき指揮官が慌てふためいているのだから当然のことであった。

 ライコウの一喝によって統率は回復したが、士気が戻ることはもはや無い。それで私兵は最上層の見張りにとどめられた。たとえ第四層に再配置しようとも、無駄な犠牲を生むことにしかならないのは目に見えて明らかであったからだ。「とんだ無様もあったものよの」鬼の皮肉にも殺意のこもった視線が返るばかりである。ナリマサの目はひどく血走っていた。しばらくもみじを睨んでいたが、やがてはっとすると階段の方を執拗に睨めつける。戦々恐々として少女の訪れを恐れているのだ。まさに気が気でないという有様であった。「貴殿は身を潜めているがよい」ライコウは得物を手にして立ち上がった。それは三尺にも及ぼうかという太刀である。老身でありながら、ライコウはその重みを物ともしていないのであった。

「ライコウ殿────そなたばかりが頼りとすべきものだ」ナリマサがいう。ライコウはそれを制するように掌を突き出すばかりである。早く下がれというかのような刹那の間に、赤い影がおどりでた。それは階段から身を翻すかのごとくして飛び出し、接地する。見張りの私兵たちが引き止める暇さえもなかった。にわかにどよめいた時にはすでに遅い。ざわめきは波紋を広げるばかりで、踏み入るその影にはまるで手がでないのであった。真っ向から立ちはだかるは、ただひとり。「おそろしきおなごよ」小山のごとき体躯をほこる翁。その目にたたえた光は泰然としていて恐れひとつない。ライコウ四天王を率いる長にして朝廷の守護たる大将軍の名を冠する伝説にも等しき存在────ゲンジ・ライコウそのひとだった。

 対するは赤い着物に黒い髪。幼さを残せども端的にいって器量よしの少女。その手には一振りの刀があった。その目は一途に鬼を見ていた。「助けに参りました────もみじ殿」心柱しんちゅうへと磔にされたもみじを見る。声は淡々としていながら、無事であることへの安堵がいかんともしがたく滲むのであった。「ほんに来るやつがあろうものかえ」憎まれ口を叩けども鬼のかんばせからは心配の色が隠せていない。それはさながら照れ隠しのようでさえあった。だから少女にもためらいはなかった。「"信じておる"と仰せでございましょう」「……阿呆、め」鬼の笑みがほころぶようにこぼれた。頷き、そして惜しみながらも視線を切る。「すぐにそこからほどきますゆえ」

「ほざけ、下郎め! 下賎な女ごとき、ここで────」いいかけたナリマサが絶句する。少女の視線が突き刺さっていたからだった。殺意などという生温いものではない。必要であれば今すぐにでもたたっ斬ってやろうという意志が宿っていた。それほどまでに冷え冷えとした瞳なのであった。「ひ」素っ頓狂な声をあげてナリマサがへたりこむ。そのままあがこうとするが、動けない。腰を抜かしてしまっていた。「引いておけばよかろうものを」叩きつけられる敵意を肩代わりするように、ライコウが一歩前に踏み出す。「女よ」白い髭をたくわえていながら、それは一〇〇をこえる齢とは思われぬほどにかくしゃくとした歩みであった。「貴殿はなにゆえこれを求めるか」鬼をしめす。

めいゆえに」少女の答えはこのうえなく端的であった。しかしライコウはそれでは頷かない。「このライコウを敵に回すと知ってのことであろう」頷くのはむしろ少女のほうだ。「命とはそれを押してのものか。それでもなお命を貫くか」刹那にも満たない逡巡があった。そして少女はゆっくりと首を振った。だが、それは否定を意味しなかった。「────命のみにはあらざるゆえに」少女の指先がそぉと柄の根に絡む。それでもはや諦める余地はないと誰の目にも知れた。ライコウもまた同様であった。瞑目して、太刀が一息に抜き払われる。「我らは京都守護! 我はゲンジ・ライコウ! 咎人にして武人よ────貴殿の名をかかげよ!」まばゆいほどの白刃が大気を爆ぜさせる。それは紫紺めいた雷花を刀身にまとわせ、走らせているのであった。灯火など物の数ではない輝きがそこにあった。

「しょせんは名も無き端女はしためよ────」腰を抜かしたナリマサの声を遠く置き去りにして少女が刀身を抜き払う。太刀のそれに比べれば尺は見劣りするも、刃の冴えでは負けていない。「なんたる、業物」「あのこしらえ、あの刃」「あれはよもや」私兵どもが口々にどよめきをあらわにする。言わずもがな、いち早く勘付いたのは相対するライコウであった。「"鬼切"であるか」茨木童子の腕を刎ね飛ばしたとされるワタナベ・ツナの愛刀────その銘であった。「面白い」好々爺然とした笑みが浮かぶのも刹那のことに過ぎぬ。対するはゲンジ・ライコウが生涯をともにする大業物。「我が"童子切"にて迎えん!」朱点童子を殺めたとされるまさにその一振りが応じる。刀身に帯びる紫紺の光がとぎれとぎれにまたたく。

 そして少女が、口を開いた。「私は」その目はライコウを────否、その向う側にあるもみじを見ていた。「私の名は、しのぶ」決然として断ずる。迷いはない。鬼の双眸がにわかに揺らぐ。「いざ、参る!」────二振りの刃が交錯した。


 祟王護国寺すうおうごこくじ五重塔────最上層。今やこの地は剣撃つるぎ刃鳴はなに支配されていた。余計な音が立てられることはなにひとつなく、皆が押し黙って固唾を呑んだように静まり返っている。ただひとつの例外、それは剣をになう二者がこぼす吐息ばかりであった。高らかに響かせられる金属の音は清いほどにまで澄んでいて、その下で純然たる殺し合いがもよおされていようとは誰が想像しえよう。

 繰り広げられる剣撃は大方の予想に反して互角の一言に尽きた。これにはしのぶに信を寄せていたもみじさえも目をみはったものである。ひかれ合うように激しく撃ち合いながら火花を散らすようにして離れ、死線を飛び越えるはよしとせぬ。かと思えば不意を突くように鋭い踏み込みをみせ、ライコウはそれに難なく応ずる。鍔迫り合いになってはいかんともしがたくライコウが勝るものであり、しのぶは身を一歩引くことをよぎなくされた。少女をはるかに上回り六尺にもおよぼうかという翁の肉体であったが、筋骨隆々といった姿では決してない。果たして老躯のどこにこれほどまでの力が備わっていようものか────。

「悟っておるか」不意にライコウがいったものである。その意味は周りの誰にもわかるものではない。ただひとり、彼に相対する少女を除いては。「────ッ」しのぶは答えずに間合いをあける。その大回りの動きを目の当たりにしては、鬼でさえもその意図を知れようものである。しのぶは今、紙一重で躱すことを奇異なまでに避けているのであった。飛び退るか、あるいは"鬼切"の刃でしっかと受け止めているのだ。「よかろう」大きな踏みこみをともない、ライコウの剣閃が落ちる────袈裟懸けだ。しのぶはまさに受けるというよりも刃を噛み合わせるがごとくして刀身を勢い良く叩きつける。火花が爆ぜる。

 否、それは火花ばかりではない。ライコウの刀身を駆ける紫紺の雷花が、ふれる大気を余すことなくき斬っているのであった。それはつまるところ"童子切"の刀身のみならず、その周囲にさえもライコウの武威はおよんでいるのだ。すんでのところで回避したならば、雷花が瞬く間にしのぶの身体を焼きつかせることであろう。それは刃への細工か、あるいは陰陽の術か。はたまた、「超常、にございましょうか」つまらぬまやかしの類ではないと踏む。それは最悪といっていい想定だ。人の身でありながら振るわれる異能の力など、まるで理の通じぬものであるからだ。だが、しのぶはそれに疑いを持っていない。確信してさえいた。「呵呵かか────」ライコウは肯定とも否定ともつかず、笑った。そして弾かれたところから返す刀で二の太刀を振るう。雷刃が迫り来る。

 幾度ともなく"鬼切"と"童子切"が撃ち合い、しのぎを削り合う。しのぶは雷撃と刃をいずれもよくいなしていたが、反撃の機会を見出すことができない。特にくせものなのは、ライコウの振るう"雷花"が刃をまとわせるに限らないことであった。まさしく「超常」というしのぶの見立て通りといったところであろう。少なくとも刀にちゃちな細工がほどこされているという線は消えた。「────ふッ」刃を引くとともにライコウのしわがれた掌が伸びる。剣撃に格闘を交えるのは少女もよくやる手だ。しかし、「────ッ!」しのぶの目が見開かれる。掌は稲光めいた雷花を帯びながら少女を掴みあげんとしているのであった。咄嗟にさばこうとしていた左手に急制動をかけ、身を低く沈めてかわす。

 ライコウの至近にあるのはきわめて危険であったが、かといって間合いを開くわけにもいかない。これで"雷花"を放射されてはたまったものではない。実際にそう出来るかは定かではないが。「ひゅ────」呼息しながら、一閃する。敵への無知こそが、しのぶにはなによりも厄介であった。ゆえに不利になることは承知でありながらも観察を続けざるをえない。神経をとがらせ、炯々と瞳をかがやかせ、虎視眈々と機会をうかがう。刃をとぎすませる。

 一閃を刃でいなされる。繰り出された返す刀を弾いて下がる。少女が手を伸ばして掴みかかる。しかしそれを気取っていたかのごとく男が下がると同時、小手に刃が落ちる。しかし腕を出したのは囮でしかない。矮躯を独楽のようにして遠心力をのせての一太刀────振り下ろしから転じて胸前にかざされた"童子切"がそれをふさぐ。ともすれば永遠にさえも思われよう一進一退の攻防を延々と交わす。剣撃の中でしのぶはそれを見極める。すなわち、"雷花"が生ずるのはライコウの身体のどこかでなければならないということだ。そう考えると刀に電撃が生ずるのはおかしな話だが、ことは単純だ。ライコウにとっての刀とは肉体の延長線に過ぎず、つまり肉体の一部とさえ見なされようものなのだ。

 またつまびらかに見れば、二点へ同時に"雷花"を生じされることもできないようだ。先ほどしのぶはライコウの掌に目を奪われてしまったが、実際に刀を見ていれば間違いはなかった。あえてそう見せているとも考えられようものだが、理由がない。詰めるための手をわざわざ出し渋るようなものだ。「────図っておるな」くぼんだ目つきは老練だ。息を潜めるしのぶの様子をよくよく見抜いたものである。だが、その思惑までは悟られるまいとする。少女はつとめて反応せずに刃を振るう────喰い合った刀身が反作用のごとく担い手共々に弾き返される。それでもなお、互いに刃を突きつけ合う。まるでそれは狩るべき鬼を求めているかのように。

 討ち取る算段はつけた。後はやるのみ。だが、先んじてしかけたのはライコウであった。刃を水平にかざしながら、左の掌が紫電をまとい少女の首根っこへと伸びる。二択を迫られるもしのぶの判断に迷いはなく、刃からも離れるように右へ避けて下段を払う。ライコウは半歩下がってそれを半ばかすめるようにして避ける。狩衣の白を散らせながらもライコウは間髪入れずに突きをくりだす────片手平突きである。雷光を走らせる切っ先がまさにしのぶへと向かい来る。だがそれこそが狙いであった。あえて紙一重に避ける。そこはいまだライコウの眼前であり、すなわち男の刃が届く範囲である。横薙ぎに転ずればしのぶの身体はいかんともしがたく刻まれるであろう。だが構わなかった。懐に踏み込みながら刃を跳ね上げる────翁の左腕を刎ね飛ばすほうが早い。つまるところそれは時間の問題であった。至近の左手から"雷花"を喰らう心配はもはや無いのだ。

 そして"鬼切"が空を切った。

「な」外した? この間合いではありえない。目測を見誤った? そんなわけはない────ならばなぜ? 少女の困惑を瞬く間にして氷解させる現実がそこにはあった。ライコウの左腕は、肘から先が全く消えていたのだ。否、腕のかわりのごとく稲光の縁取りが間欠的にばちばちと爆ぜている。腕が全く"雷化"しているのであった。刃が雷を断ち切れようはずがない。少女がそれを理解するまでの刻は刹那にさえも満たない。「ッ────」まさにその時、ライコウの横薙ぎが少女の痩身へと見舞われる。紅い華が咲く。それはまるで滝のように噴き出して床をおびただしく塗らしめた。少女は咄嗟に飛び退っていたが、ほとんど倒れこんでいるにも等しい姿態であった。間に合うはずもなかった。にわかに兵が沸く。ナリマサが喜色をあらわにする。

「しのぶ!」鬼の悲痛な声が少女を刺した。それで少女は立ち上がることができた。致命傷は避けていたが、腰の上をざっくりとやられているのであった。流れる血潮が着物の赤をひときわ色濃く濡らしていく。命の水を吸ったたもとはいやに重く、そこからしたたり落ちる雫が血溜まりをつくる。立ち上がれるだけでも奇跡的であった。「まだ、立つか」"童子切"を振るって血を払い、ライコウが嘆息する。「いま、楽にしてやろう」むろんのこと、しのぶにそれを聞く耳はなかった。しのぶは冷静に見定めていた。いかにして、もみじばかりでも逃がしたものか。この身体で目の前の翁に立ち向かうなど、無謀にもほどがあろうというものだ。「────く」身体がいやに寒い。血が相当に抜けてしまっているのであった。

 瞳をすがめる。心柱に縛られたもみじまでの距離をはかる。ライコウの脇を抜け、縄を断ち、抱きかかえたまま連子窓をやぶって飛び出す。成功する公算は低いが、やるほかはあるまい。自分は間違いなく死ぬだろうが、もみじだけでも永らえてもらいたかった。かのギンジとやらは頼れるだろうか────難しいだろう。

 一瞬の思考を流すうち、ふいに鬼と目があった。偶然かと思われたが、そうではなかった。もみじの朱い瞳はしのぶをじっと見つめているのであった。「────ともに果てるは構わぬがの」そのちいさな口を開かせた。声はかすかに震えていた。「わらわばかりが生きるのは、もうごめんじゃよ」鬼の目に涙があった。「ころせ。おぬしの、てで」

 ナリマサがなにかをいいかけた。ライコウが迷いなく刃を振るう。そして少女もまた、刃を返した。撃ち合いながら"鬼切"が悲鳴をあげる。なにせライコウの剣撃のみならず、その雷神じみた異能までも受け止めているのだ。少女と同じように限界は近い。「しからば、もみじ殿」そのうえでしのぶはいう。「ともに生きるのみにございましょう」決然と。今もなお深い傷にもみじの着物────その切れっ端をあてがう。瞬く間にしのぶの命が染みこんでいく。血は確実に抜けていたが、今はあたたかでさえあった。「いま少し、お待ちくださいませ」「────ほんに、阿呆よ、おぬしは」鬼は涙を流す双眸をしずかにつむった。そして見開いた。全てを見届けるべく。

 そしてしのぶが地を蹴った。急襲である。狙いは迷うことなく首。ライコウはそれを咄嗟に刀身で受ける────その目が見開かれていた。「なに、ゆえ────」少女の疾駆がためである。それは明らかにこれまでの動きよりも速まっていた。尋常でさえありえぬことだが、すでに少女は手負いなのだ。しのぶはライコウの困惑を意に介さず刃をすべらせる。その剣先は吸い寄せられるかのごとくして胸の中心へ向かう。翁はそれを足捌きでかわす。反撃がままならぬほどの極端な攻勢であった。急いているか、または焦れているとしか思われぬほどのものである。「ひゅ────」実際、しのぶは息をわずかに乱していた。少女の攻勢をしのぐほどに体力の消耗は深刻になっていくはずであった。

 だが、しのぶの思うところはまるで異なっている。無理をしているのは事実である。無理にライコウの急所を狙い続けている。だが、決して勝負を急いてはいない。むしろその目は炯々と、ライコウの挙動を常に観察し続けている。"雷化"を自由自在に扱えるならば、ライコウが少女にとどめを刺す好機は数え切れないほどあったはずだ。だが現実にはそうなっていない。雷神の化身のごとく見えた老翁の力とて、神の不条理では決してない。克明な道理があるに違いなかった。それを見極めるべく、少女は続けざまに剣閃を放ち続ける。急所を刺すための刃をしきりに振るいながら、本命はむしろ手足を狙うそれにあった。ライコウほどの手練を、不意打ちで仕留められようはずはない。

 胸を、首を、顔面を。否が応でも致命に至らしめる太刀筋はひとつの例外もなく刀身をもってさばかれる。"童子切"と撃ちあうたびに"鬼切"が静かにきしむ。つとめてそれを気にかけないふうにして脚を掠めていく一閃を連ねる。そのとき、しのぶは感覚する。それはさながら"雷化"のきざしにも等しき大気の揺らぎであった。切っ先がからっぽの手応えを得るよりもなお早く、刃で引き切るようにして退すさる────まさに、であった。腿から足の先まで雷と化したその身は刃を全く受け付けない。しかし開けた間合いはライコウの返す刀を届かせない。「く────」ライコウのちいさな呻きがあった。しのぶが小鼻をにわかにひくつかせる。異臭。肉を灼けつくようなにおい。それで、知れた。

 ライコウの異能は決して無償のものではない。彼はまるで平気に振る舞っていたが、"雷花"はそもそも翁の身をこそ灼いているのであった。たとえば"雷化"した腕のふれる断面などもまた同様であろう。ゆえにライコウは致命的な部位を"雷化"せしめることはできないし、長引くこともよしとしない。それを今の今まで押し隠していたのだから、まさにおそるべき精神力であるといえた。総白髪をたたえる翁とは思われぬ力がそこにはあった。「しからば」少女は半身に構える。右の半身を前にして"鬼切"をかざす。たがいに長期戦は望むところではない。ライコウはそれを表すまいとしていただけだ。ならばやりようはある。

 ライコウが一歩、力強く踏み込む。地鳴りをさえも響かせて、塔を揺るがしかねぬそれであった。裂帛の気合をたずさえ上段から振り下ろされる袈裟懸けの太刀がしのぶを襲う。太刀筋は真っ向から少女の身体を狙うかに見えたが、いささか大振りに過ぎた。つまるところ、それは少女に受け止めさせようとする剣筋である。"鬼切"の破壊を目的としたものなのであった。軋みをあげる刀身をなおもかざすしのぶの姿は、ともすれば無防備にも見えたろう。すなわちそれこそが誘いの一手にほかならないのだ。ゆえに少女は一歩、退りながら手にした刀を、「な」何の気なしに鞘に納めた。剣先が風を巻き起こしながら虚空を切り裂いていく。それはさながら雷を斬るはめになった少女のささやかな意趣返しのようでさえあった。そしてしのぶはその軌跡を後から追うかのごとくして────跳んだ。「ィ────ッ!」抜き放つ間さえも惜しむかのようにして、刀の柄を顔面に叩きこむ。狙い違わずライコウの片目を破壊する。「ぐ────ゥッ」

 しのぶは反動に押し返されながら接地。ライコウは痛みにうめきながらも、わずかに身体を仰け反らせるのみ。後ずさるも数歩ばかりである。これでライコウはいかんともしがたい視界への枷をはめこまれた。一方のしのぶには残された時間が刻一刻と迫りきている。たがいに余裕はないが、ほとんど互角であるといってもよい。「そんな、馬鹿な」「まさか」「ライコウ様が────」にも関わらず、にわかに巻き起こるざわめきは並々ならぬものがあった。それこそがゲンジ・ライコウの名が持つ偉大さを示してもいよう。ナリマサなどはもはや片時も離れず地之皇像のかたわらにあって、なかば祈るにも似た様子なのであった。

 しのぶは手を滑らせぬよう、柄にこびりついたものを払いのける。ライコウもまた視界をはばむ眼球のかけらを拭い去る。そしてどちらからともなく、構えを取った。ライコウは"童子切"を両手にかまえていた。対するしのぶは抜刀せぬままほっそりとした指先を柄尻に絡みつけた。剣撃の響きさえない完全なる静寂がおとずれる。そして秘めやかに足を擦る。距離がつまる。間合いを埋める。「────っ」もみじが固唾をのむ。目をそらすことなく、少女の行く末を見守っている。止めどなく流れる血潮が少女の脚を血に染める。終わりはすでに間近にあった。

 たがいに疾駆する。ライコウが踏みこむ。しのぶが鞘走らせる────二者の身体が駆け抜けざまに重なる。ふたつの剣閃が交錯し、身体ごとすれ違う。

 刹那がすぎて、一方がしずかに倒れこむ。血潮が吹き上がり、血だまりに沈む。声もなく勝鬨もない。

 しのぶはライコウを斬り捨てた。全速の抜刀術は刀も紫電もあまねく掻い潜り、決して避けえぬ胸の中心にかけて刃を走らせていたのであった。その頑健な肉体を斬った代償であろう、"鬼切"の刀身は蜘蛛の巣のようなひび割れを走らせているのであった。少女は刃を振るって血を払い、しめやかに納刀する。「────お、みごと」ライコウの声に、ただうなずいた。ライコウの剣はしのぶの身体に届かなかった。その刃は少女の肌にあてがわれたもみじの布切れの上で留まっていたのであった。感慨はなかった。ただ、まだなすべきことが残っているという事実だけがあった。

 しのぶは鬼へ歩みよる。もみじが瞳をまたたかせる。そして、どちらからともなく笑った。

「紅葉のいろは忍ぶれど」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く