紅葉のいろは忍ぶれど

きー子

 素早く南下して朱雀大路にさしかかった少女の行く手を阻んだのは、ナリマサの私兵どもであった。彼らは検非違使の下部よりもいくらか厄介である。鎧を着込んでいるからだ。掴みどころがないというのは少女にとって面倒なことである。「無駄な足掻きは止めよ!」「大人しく縄にかかるがよい!」五人に包まれる。ひとりは灯り持ちで、残りは兵だ。少女の業前を聞いていないわけはないが、彼らはそのほどを実際には目にしていない。つまり実感がないのだろう。威勢よく少女に向かってつめかけたものである。しかし少女が足を止めることはない。とうにワタナベ・イトの影は見えなくなってしまっていた。

「止まれといったはずだ────」ひとりから突き出された槍の穂先を踏みつけにして地に縫い止める。手から離れたそれを拾い上げ、流れるように肩当ての隙間を縫って一突きする。「あがッ」肩の肉を食い破られた男が膝から崩れ落ちる。ここまで少女は声ひとつない。吐息さえしない。振り返りながら背後にある兵の頭を横殴りに叩きつけたものである。兜の上からであったが、それは呆気無く吹き飛んだ。その身が横倒しに地へ打ち付けられる。「ぐッ────ぎぇえええええッ」しかしまだ立ち上がると見て、膝を貫く。脛当ても倒れてしまえばまるで意味をなさなかった。悲鳴に残る二者が気圧される。「お────おのれ下郎、っ!?」ひとりがそう口走ったときにはすでに、目の前に赤く濡れた穂先が迫っていた。少女が槍を投擲していたのであった。それは狙い違わず男の胴をぬき、その身を地面へ縫い付ける。しばらく息も絶え絶えにもがいていたが、やがて血溜まりに沈むように動かなくなった。放っておけば出血で死ぬだろう。

 残るひとりががたがたと震えている。完全に戦意を喪失していた。握っていた槍を取りこぼす始末であった。「た……助けてくれ」うったえる男に、少女がゆっくりと歩み寄る。返り血を浴びたかんばせを伏せて迫るさまはさながら幽鬼じみていた。「子連れの女を見てはおりませぬか」イトは男装であったが、あの長い髪を見て男と間違えるわけはない。声色は穏やかでさえあった。少女はそのほっそりとした指先を男の手に伸ばす。器用に篭手を外して投げ捨てる。その指の関節を押さえる。その手は小刻みに震えている。「し、しらな────ぐううううぅぅぅッッ」激痛を押し殺した悲鳴。小指の第二関節がいやな音を立てた。それは少女の手によって破壊されていた。「まことで、ございますか」少女の無表情が男を見上げる。「……す、朱雀門から出て、まっすぐいくのを見た、それだけだッ」必死になって言いつのる男を観察しながら、少女は無造作に薬指を押さえる。硬さを確かめるように撫でまわす。「本当だ、たのむ、それ以上はなにも知らないッ」ほとんど涙ながらに許しをこう男を見て、手を離した。精魂尽き果てたように彼はくずおれる。

 そうしたことに迷いは全く無かった。内裏をまっすぐと抜ければ位置的に目撃している公算は高いと見ていたが、可能性が低くとも少女は全く同様にしていただろう。暗闇にあがった絶叫を聞いて駆けつけるものはあったが、少女を取り囲もうというものはなかった。そのまま朱雀大路を南下し続ける。少女の動向を追う様子は絶えないが、それを気にかけようという状況ではもはやないのである。「来たな」だから無人の野を行くがごとき少女の行く手に突っ立っていたその男は、否が応でも目を引いた。決して若からぬ総白髪の男が、朱雀大路のど真ん中でただひとり仁王立ちしているのだ。「まぁ、待て────損はさせぬよ」それは逃げも隠れもせず、群れることもなくただそこにあるのだった。鎧も身につけておらず、その手には得物もない。たいまつの灯火だけがあった。きわまって無防備に、少女の前にその身をさらしたものである。

「あなたは」時間稼ぎではない。少女はそう判断した。そうするつもりならばたったひとりで待ち構えるわけはない。歩みを緩める。「ライコウ四天王が一。サカガミ・ギンジ」名乗りをあげた。なんの気負いもない名乗りであったものだから、一瞬耳を疑いかけたものである。だが男は平然として言葉を継ぐ。「下部共は控えさせてある。話を聞いちゃくれねぇかい」包囲する気配は絶えずしてあったが、彼らが動き出す兆候はない。あくまで少女とギンジの二者、そのなりゆきを見守るばかりであった。少女は静かにうなずいてうながす。「手短に願います」「そうだな」なにからいったものかと顎鬚をもてあそびながら数秒、ギンジはよくよく言葉を選ぶ様子であった。

「俺なら下部の手を引かせることができる」少女が瞳をすがめる。その真意を見定めるかのようであったが、続けられる言葉には隠し立てなどみじんもなかった。「出ていっちゃあくれねえか。都から」「捕えぬのでございますか」少女がにわかに瞑目する。いかんともしがたく不可思議に思う気持ちはぬぐえない。「おまえさんを捕えるのにどれだけの手間と人手がかかる────どれだけかければ捕えられよう?」見当もつかない、という男の口ぶりであった。少女にはなんとも答えようがない。「こっちが手を出さねぇだけですむなら、それにこしたことはない。そういうことだ」つまるところ、単純な損得勘定であった。少女は不意に得心した。なるほどこの男こそが下部を指揮していたものに違えはありますまい────という、いわばひとつの確信であった。

 だが、少女の答えは決まりきっていた。考えるまでもなかった。「お断りいたします」一度ばかり止めた足がまた前を向く。歩み出す。「私にはすべきことがございますゆえ」男とすれ違うようにして行く。ギンジの深いため息が聞こえた。「然様か。東寺配備の兵にも出来るかぎり手出し無用と伝えるところなのだが」「お心遣いばかりはいただきましょう」少女は振り返り、一礼する。「感謝をいたします」「礼を言われることなんぞなにもねぇな────」できるだけ下部の連中とはやり合わないでくんな、とうそぶいてギンジもまた行く。その表情にはどこか苦い笑みが浮かんでいた。

 交渉は決裂に終わった。傍目にはそうとしか見えぬ邂逅であったが、事実はまるで違った。ギンジは少女に情報を伝えていた。しかも、わざわざ口にする必要のない一言でだ。東寺に兵が特別配備されているということは、つまるところ鬼の居所を示しているにほかならない。鬼でもなんでも連れていけと言わんばかりのギンジの振るまいなのであった。罠でないとは限らない────というよりも十中八九は罠のうちに違いないだろうが、彼からすればどちらに転がろうとも構わないのだろう。ゆえに少女としても利用するまでのことだった。

 東寺に向かって南下を続ければ、あからさまにそれと知れる巡邏のつわものの姿がしばしばあった。少女に挑みかかったものの末路を知らない彼らは、やはり同様に痛い目を見ることとなった。しかし練度はこれまでに当たったものよりもあからさまに向上しており、少女にとっても面倒なことであった。連戦続きの末に空が白むのを見て、少女は休息を余儀なくされた。否が応でも激しい動きを要したものだから、背中の傷への負荷もおびただしいものとなっていたのである。少女が焼き討ちをかけて今なお放置されたままの羅城門楼閣に登りつめ、堂々として背をまるめる。もみじはいかような扱いを受けていようものか。それを思えば心にかげりがふと忍び寄るも、今はただ眠った。目覚めたときには半刻しか経っていなかった。

 それからは東寺周辺の探索にあたった。なによりおそれたのは、東寺にまんまとおびき寄せられてすれ違いざまに処刑がとりおこなわれることであった。与えられた情報がそもそも真実であるという保証はないからだ。ナリマサのそれと思しき兵や、またそれと異なる武士のものたちが東寺を中心として配備されていることは事実としてあった。処刑を行うには必ず耳目を集める時間を選ぶことであろうから、特に昼には万全に気を配ったものである。結果として東寺への突入には夕刻を待つこととあいなった。

「────これを」まさに日が沈もうかという刻限に、不意の来訪者があった。少女の知った顔ではなかった。誰かの従者と思しきその男は紙包みを手にして少女へと差し出せば、まるで逃げるように離れていく。いぶかしみながらも広げてみれば、それはまさしく手簡────きわめて簡潔な内容が書きつけてあった。

"崇王護国寺五重塔にて待つ"ただそれだけだった。広げた包みの中から、はらりと赤い布地がこぼれ落ちた。もみじの着物────その袖口に違いなかった。「嗚呼」ギンジの情報とはおそらく別口のそれなのだろう。誘いはあからさまであった。だが、もういい。いってやろう。対手がそのつもりであるならば、最早なにもはばかりはすまい。「……待っていてくださいませ」赤い布切れをそっと懐にしのばせる。

 東寺境内にそびえ立つはるか彼方の五重塔。少女はそれを睨めつけるように見上げる。そして走りだした。脇目もふらず、そして振り返ることももうなかった。


 五重塔────崇王護国寺すうおうごこくじ五重塔は七年前の災厄以前から残る都でも有数の巨大建築物である。巨大であるだけに災厄の被害を大いに受け、そこから修理と改築を施されたのが現在のかたちであった。この五重塔はいまや京の復興に際した象徴のごとく扱われ、同時にこれはさまよえる上皇の御霊を奉るための鎮魂の杜でもある。かくも厳正なる地の最上層に、もみじの身柄はあった。堂内の中心────心柱しんちゅうに矮躯をしっかりと戒められ、磔にされるがごとくして身じろぎひとつさえもままならないといった様子である。

 五重塔は階層ごとにそれぞれが高欄こうらんに囲われた一個の講堂となっている。その中心を心柱と呼ばれる一本の柱が貫いて、かくも巨大な構造物を支えているのであった。それぞれの階層には上下の階層と連なる階段があって、一続きにその行き来を自在にしているのである。木造ではあったが、ちょっとやそっとのことで火がつくような代物ではない。遙か二〇〇尺にもおよぼうかという塔であるから、その幅もまた相応の雄大さを誇っているのだった。

「はは────」ナリマサの笑い声が堂内に響く。おびき寄せるための手管と、迎え撃つ態勢は十全に整えた。多くのものが不覚を取りはしたが、もはやあやまつ余地はない。鬼をかどわかした不埒者を罰し、鬼を刑する。かくして執権への野心をたぎらせるに相応の盤石を取り戻す。男はすでに計画の成功を疑っていないのであった。

 五重塔のそれぞれの階層にはライコウ四天王をふくむありったけの戦力を配置。一階層からして人ひとりで打ち破れるような代物ではなく、しかもそれを何度も繰り返さなければならないのだ。おまけに最上層には今代の朝廷最強にして最高峰の戦力────ゲンジ・ライコウがあった。まさに難攻不落ともいうべき態勢である。これにはたとえいかなる化生も鬼も膝を屈しようというものである。

「余計な手出しは無用であるぞ────」と、もみじについてはライコウによくよく言い含められたものであったから、ナリマサもそれに従った。今はその力に大いに頼る立場でもあるのだ。布切れを切り落としたのはそればかりのことで、誘い出すには打ってつけの餌であり、こちらの手中に鬼があると誇示するにも有効と考えたからであった。この点、ナリマサは人の弱所を突くことによく長けていた。それを意識的にやるのがなおたちの悪いところであった。当のもみじはといえば「ふん」と鼻で笑い飛ばしたものであるが。

「残念であったな、鬼よ────きゃつはこちらに向かっているのだそうだ」まんまと引っかかった、ということであった。間違いなくその原因となってしまったもみじの心情たるやいかばかりか。その面差しは喜びとも悲しみともとれぬ複雑怪奇きわまるそれで、感情のおきどころがないように幼いかんばせを伏せるほかない。しのぶの業前のほどを目の当たりにしているもみじとて、ナリマサの示唆する戦力のほどには戦々恐々としたものである。鬼はただただ祈るように、朱い瞳をゆっくりととざす。

 ライコウはただひとり座し、抜き身の刀身をあらためている。薄っすらと暗がりを落とし始めた堂内に、白くまばゆい剣の輝きが灯る。鉄の拵えからも外されて露わな目釘の間近にちいさくあざなが刻まれていた。それすなわち"安綱"の銘である。「ライコウ殿。手の程は万全であろうな」「言うまでもあるまいよ」枯れた声が応じる。しわがれた手が柄と刃を組み合わせる。ゆっくりと、しかし正確に目釘を打つ。その仕草は一種の儀式めいていて、ともすれば余裕さえうかがわせる様子であった。だがそこに油断の気は全くない。まさに百戦錬磨の老兵というべき姿なのだった。

 最上層の高みからでは下界の様子をうかがい知ることがほとんど出来ない。日はすでに沈んだ刻限ともなればなおさらのことであった。だが、にわかに荒立つのをライコウを気取ったのだろう。「始まったか」ふ、とこぼれたライコウの呟きにナリマサは振り返るが、それに応じることなく刃を鞘に収める。ナリマサがいぶかしむように眉を歪める。そして口を開きかけた────まさにその瞬間であった。

「う────あ」ひどくうろんな声をあげて、何者かが階段を上ってきたのであった。よもや早速仕留めたのではないかと色めきだってナリマサが向き直る。だが、そこにいたのは彼が配下におく私兵のひとりに過ぎないものであった。「そちは何用か────報告か? よもやつまらぬことではあるまいな」定期的に報告をよこすよう言いつけてはあるが、それにしては少し早すぎる。ナリマサが苛立ったように男を咎める。「あ────アァ」そしてそのまま彼はばったりと倒れこんだ。これは果たしてなにごとか? ライコウもまた立ち上がって大階段へと歩みよる。

 そしてライコウはそれを見た。「ほ、ぅ」「────っ!」ライコウが感嘆をもらす一方で、覗きこむように見たナリマサが息を詰めた。"頂きに参らん"そう刻みこまれていたのだった。男の背に直接、真っ赤な文字で。べったりと血の線を引いたそれはすでに判読も困難であったが、刃の辿った軌跡を見れば意味をとることはきわめて容易であった。誰がそうしたのかなど考えるまでもなかった。ナリマサの誘いにかかったのはこの上なく明らかであったが、同時にいかんともしがたく焦燥がこみ上げてくる。

 私は、致命的な間違いを犯してしまったのではあるまいか────。

「ラ、ライコウ殿」「おう」「か、必ず、殺せッ! 必ずだ!! これをやった化け物を決して生かすな────処刑する必要もない!」恐怖でナリマサの声が震える。手が震える。必死になって叫ぶのに対して、老翁はただ淡々と頷くばかりである。「手当てはしてやらぬのかえ」「だ、黙れッ!」こんなものをずっと目の当たりにしているなど、全くごめんであった。報告にあがってきた兵へとそれを任せ、奥の上皇────地之皇つちのすめらぎ像のかたわらへと居する。今にも階下からそれが現れるのではないかと、そんなはずではないと思いながら気が気でなかった。「────無事でありや、しのぶ」かような怪物を心配するこの鬼は心底から狂っているとしかナリマサには思えなかった。

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