紅葉のいろは忍ぶれど

きー子

「────妾を」短く切り揃えられた髪、赤い小袖に黒の打掛、情緒というものの欠けた瞳。ひとがためいてはいるものの端的にいって美しい。もみじよりいくらかは上背があるも、一目ではただの少女に過ぎない姿だった。「戸隠のものか」「否。雑賀であります」「熊野からか。なにゆえぞ」「仔細は後に。先んじてここより脱するべきと存じます」「名は?」「ございませぬ」面妖というほかない問答であった。

「落としたわけでもなかろう」「もとより無きものなれば」少女はそういっておもむろに着物の襟をゆるめた。遊女めいた着こなしであったから、その仕草もいやに堂に入って見えたものだ。そしてまっしろな肌があらわになる。それがもみじには意外に思われた。しみもなければ傷のひとつさえ見当たらないからだった。もみじが知る戸隠者には、傷のないところがないようなものも珍しくない。

 きゃしゃな肩の下、わずかな膨らみの上。刻み込まれた赤いしるしがあった。"忍"のあざなが月下に照らされてよく見える。「この身はただ忍ゆえ」「────さようか」応じて鬼が帯をゆるめる。少女がちょっと眼を丸くした。勢いのままにもみじは背を向け、そして蕾が花開かせるように上肢の着物が腰まで落ちた。まったくあらわになった背に大きく、半ばを埋めるように刻み込まれたあざな────この上なく朱い象形はすなわち"紅"。「違いなく、妾がもみじであるよ。この身そなたにゆだねようぞ、雑賀のもの」そういって振り返る。少女が瞳を細めている。人ならざる鬼にあざなが備わるを不思議に思うているのかも知れなかった。着物をゆっくりと着つけなおす。

「しからば、後に────いらしてくださいませ」確かにその字を認めた少女は、もみじを先導するように行く。「のう。いかに呼べばよかろうか」後ろからいささか場違いな言葉。少女は答えなかった。言葉通りにただ忍であるとつとめているかのごとくであった。「こたえぬならば妾の自儘にしてしまうぞ?」暢気ではあるが本気の響きでもあった。垣根を登り切り、屋敷から脱した際にもまだ物思いにうなっていた。その時だった。

「そこに誰があるか!」たいまつの火がかすかに見えた。飛び下りたときのわずかな物音を聞きつけられたかもしれなかった。まことに優秀であった。少女は喉元に一撃を食らわし迅速に気絶させる。朝までは起きられぬであろうが、今の声を誰に聞きつけられたかもしれない。「────うむ」得心したように鬼は頷く。少女が振り返る。それに応じるかのように、言ったものである。「仮の名よ。"しのぶ"がよいと思うたのじゃが、どうかのう」少女が半眼になった。


 ふたりして三条を東へ抜け、東京極の大路にいたる。「しのぶよ」鬼の声があった。「はい」振り返らずに応じる。仮の名は不思議といやではなかった。"忍"のあざなは母よりたまわる字句であり、すなわち母の身に刻まれていたものであったからかもしれなかった。

 外壁に寄りかかるかたちで小休止。周囲を確認するが、騒ぎにはなっていない様子であった。もみじの思いが不意に口をつく。「この後、いかんとする。門より抜けられようものか」「抜けるのみならば難くはございませぬが」「おぬし化生か」心外このうえない一言であった。「業前は先にしかと見たものの」「いずれにしても、実際にはまかりませぬ」「ふむ?」もみじが首をかしげる。続きをうながす様子であった。

「ひとえに、このたびはもみじ殿を守り通さねばなりませぬ。すなわち、これは都の外へ追っ手がかかっては逃げ出す意味がないということ。しかるに、下向は秘密裏に行わねばなりませぬ。警戒態勢が強まる数日は潜伏を続け、洛中捜索に乗り出す期を狙い火をかけ混乱に乗じるが最善でございましょう」少女────鬼曰く"しのぶ"は淡々とした声で呼応。もみじは瞳を閉ざし沈思黙考。そして口を開けば、いったものである。「おそらく追っ手はかからぬぞ」「そのゆえんや、いかに」しのぶは瞳を眇める。まさに怪訝としたさまであった。

 もみじはちいさく腕組み、すこし考える。「囚われであったわけまで遡らねばならぬ。ちぃとわずらわせるが、かまわぬか」「お聞きいたしましょう」実際のところ、戸隠の鬼であるはずの彼女がなぜ洛中にて囚われの身となっていたのか────気にかからぬわけはなかった。少女はあくまで忍ゆえ自ずからの問いは避けていたが、作戦の上で必要とあらば聞かぬはずもない。

 鬼いわく、戸隠から連れられてきたわけではむろんない。自ずから京を訪れ、かくも懐かしきフジワラ邸をひそかに訪ね、そしてまんまと────半ば偶発的に捕らえられたのだという。「阿呆でございますか」「あ!? 阿呆……で、あろうのう……」しのぶの率直さにしゅんとなる。意気消沈であった。「墓を参ろうと思っておったのだ。ずうっと来られず仕舞いだったんでのう」もみじの形良く細い眉がたわむ。感傷がかすかに影をのぞかせていた。少女には理解し得なかった。

 かくして鬼はあえなくお縄になった。そこからが本当の問題であった。彼女をいかに扱うべきか。先代の皇が健在であったならばすぐさま処刑されただろうが、それはすでに墓の下である。「もみじ殿は、むかし────」昔語りを思い出しながら、しのぶがゆっくり言葉をつむぐ。「あの家から笛を奪ったのでございましょう」「返してもらったのじゃ。今もある」そっと懐に手をしのばせて鬼がうそぶく。「くだんのことは死罪にも値するのでは。皇の賜り物とあってはなおさらに」「そう。それである」もみじが然りといったふうに頷く。ちいさな手の中に笛があった────"紅葉くれは"。「盗られてはおらぬよ」しのぶは困惑を隠しえない。

「盗られてはおらぬ。そういうことになっておる────皇よりの賜り物を失したとなればフジワラ家の面目はまるつぶれ。この笛はすでにナリヒラとともに葬られた。すなわち、あってはならぬものであるよ」つまるところ、政治的な理由であった。「よくぞ奪われずに済んだもの」「焼かれたぞ」もみじが口元をかすかにゆがめる。「あれ以来、手ずから作った贋物を持っておったのでな。やつらの目端がきかなかったのは幸いであるのう」幼いかんばせに全く似つかわしくない老獪さがあった。底意地の悪い笑みであった。しのぶは呆れたものである。

「して、御身の無事は────」しのぶが鬼を見る。幼い姿は、生きてきた年月をまるでうかがわせないものであった。「八百比丘尼さながらとでも」もみじが静かに首を振る。「いったように、あれらは正当な理由で妾を処刑しかねていた。しかれども、不当に殺めれば家にかぶった汚名はすすげぬ」板ばさみ、という次第であった。「すっきりはするであろうがな」「なるほど」しのぶが得心したように頷く。「つまらぬことにございます」「おぬしとは気が合うらしいのう」呵々大笑────むろん、闇に潜んでいるのだから秘めやかなものだった。

「ともあれ大意はつかめました。表立って戦を構えるような真似はいたしかねるとも」「うむ。わかっとうくれたならば幸いじゃ」「しからば今すぐ。参ります」もみじが目を剥く。その身をまるで引きずるようにしてしのぶが駆けた。道程は東京極をまっすぐと抜けて南東の隅にあたる大将軍社をよぎり西へ────向かう先は羅生門である。「な────なにをしやる、しのぶっ」「外に追手をかけられぬのならば、つまるところ決して外に逃がすような愚は犯すまい、ということ」返答ともつかぬ風で少女は淡々と言い聞かせる。「貴女がいなくなったと知れればすぐにでも門は固められる────好機は今のみに御座います」いって、かたわらの鬼に黒い打掛をかぶせるように着せる。わずかばかりでも身を隠すためだった。「うむ。人のぬくもりよ」もみじは戯けながら不承不承に頷いたものである。

 途上、しのぶは東寺に手早く火をかける。東寺は羅城門の両脇に位置する検非違使詰所の一方である。そしてれっきとした寺院でもあった。木で出来ているものだから、よく燃えた。きらめくような黄金の火であった。「派手にやるのう!」「派手に騒いでいただきましょう」陽動であった。何人かは死ぬだろうが、それは少女のあずかり知るところではない。彼女が学んだ教えに不殺はない。彼女の不殺は、ただの結果である。極限までに無駄を廃したがゆえの結果。それだけのことだった。

 東寺にほど近い五重塔を過ぎ駆けつけてみれば羅城門前もまた大騒ぎとなっていた。夜の哨戒をつとめる下部らは明らかに浮足立った様子である。煌々と光る火の元に駆けつけるべきか、あくまで警戒を強めるべきかという判断ができていない。つまるところ烏合の衆であった。しのぶは暗闇の中、ひとりひとりの意識を淡々と刈り取っていく。ひととおり片付けたところで火を手にすこしだけ迷う。「やってしまえばよかろ?」点火した。よく燃えた。

 こうなれば羅城門の楼閣に身を構える警備のものとしてはたまったものではない。あえなくいぶし出された男達をことごとく地に打ち倒してゆく。目立たずひそやかにいくべきか、もみじのために危険をまったく排除すべきか。それぞれ秤にかけ、後者を優先したということであった。「殺めぬのかえ」「必要なればそうします。母の教えゆえ」「親孝行であるの」「生きてるうちにそうであったならより幸いでございました」しのぶの自嘲。よくない感傷であった。

 怒号と悲鳴に満ちた羅城門はやがて静かになった。炎の海と化した楼閣からはしばしば木くずが崩れ落ち、火花が宙に爆ぜる。少女はくさむらをかき分けるように炎の狭間を歩む。その後にもみじが続く。そして不意に、壁のような炎へ真円の風穴がうがたれた。まるでくり抜かれたかのように。

「きぃん」と金属の音がした。音よりもなおはやきものが先んじて飛び出していたかのごとくであった。

 しのぶは咄嗟、小脇に鬼を抱えて飛びすさる。「ほあっ」もみじの間の抜けた声。同時になにかがしのぶの頬をかすめて裂く。一筋の血が流れ、地に落ちるよりも早く取り巻く炎にあおられて蒸発した。「して、やられましたか」傷をつけられたことではない。先回りされていたことだ。まるでこのことを予見していたようでさえあった。

「派手にやってくれたものです」高く落ち着き払った声がした。炎の向こう側に浮かぶかげろうのような人影。白い狩衣に黒い烏帽子。腰には刀。男装であった。しかし髪のほうは女であることをまるっきり隠していない。長い、というよりも長すぎる髪であった。膝の裏あたりまではあるだろう。年は少女より三つは上に見えた。「兄さんの懸念はまちがいではなかったようですね────」つぶやくとともに抜剣。刃が赤い光をてりかえす。「何が目的か。賊よ」しのぶは黙して答えない。

「答えぬならば、それもよい」女が刀を片手で無造作に構える。「汝の手並みに敬意を払い、我が名のもとに切り払って差し上げましょう」冷静そのものだが、少女のように情緒の欠けたそれではなかった。女はつとめて怒りを殺し、決然として名乗りをあげた。「────ライコウ四天王が一。ワタナベ・イト」あの時の男からかと、少女はおおいに合点がいった。

「こたえる名は」「しのぶ」「御座いませぬ」もみじの声が挟まった。台無しであった。

「いざ、参る」それは冗談の通じない女であった。イトの踏み込みに応じて紙一重にかわす。少女は依然として無手である。イトの剣は鋭く速く、そしてなによりも変幻自在であった。振り切ったと思われる一閃が次の瞬間には異なる剣筋へと転じ襲いかかる。もみじを守りながら反撃の糸口を探り当てられるようなものではない。

 しのぶが剣術に対するときの最善手はひどく単純だ。まず出がかりを潰す。あるいは振り切ったところを絡め取る。残心すれば詰めかける。隙をわずかでも見れば征圧はたやすいものである。だが、目の前の若い女にはそれがなかった。ライコウ四天王────天下に名高き大将軍とその精鋭たる配下。これほどのものかと少女はひそかに嘆息したものである。「────なにものですか」対する女もまた訝るのを禁じえない。数合交わしてなお互角。格好からしてただものではないが、賊の業前ではありえないことであった。

「────しのぶ」もみじからはじめて、心配するような声があがった。鬼は少女の背に隠れるように動く。というよりも、しのぶの方がそう動くように誘導しているかのよう。守りながらというのはたとえでもなんでもなく、少女自身の身を壁としているのであった。これにはイトも舌を巻いた────なにせ背後にいるもみじの姿を視認することさえままならない。炎に取り巻かれていては顔つきどころか背格好さえ茫洋としている。

 さらに数合重ねるも糸口は見えない。むしろ防戦を強いられることもあり、しのぶにとっては徐々に不利だ。なにより気がかりなのは、イトが刃をあくまで片手で振るっていることにある。なにかある、と空手の左を注意しないわけにはいかない。少女は咄嗟に賭けをうつ。「────なっ」「おぉう!?」少女以外が一様に驚いた。飛びのくと同時に鬼をひっ捕らえて一目散に逃げ出したからだった。見切りをつけたのだ。あまりにも迷いのない初動であったものだから、否応なくイトの反応が遅れる。「大人しく御縄にかかれっ!」遠ざかる背に届く声。

 そして、「────黒縄こくじょう」詠じるとともにイトは空いた手を引いた。闇夜から音もなくなにかがしのぶに迫る。

 咄嗟にしのぶは身体をちいさくするように丸める。もみじの身体を抱えこむようにして。正体のつかめない攻撃から守るための処置であった。「────ぎッ」瞬間、小袖も巻きこんで少女の背中がばっさりと斬り裂かれる。一筋の細い傷痕が深く刻みこまれ、夥しい血潮をほとばしらせる。ちいさな呻き声があがる。しかし疾歩の速度は全く変わらなかった。尋常のことではない。大火から遠ざかるちいさな背は見る間に闇へと消えた。

「────おそろしいこと」刹那の交錯の中でイトは確かに見た。少女が抱えこんでいた、ひどく幼い風貌の娘。それを身を挺して庇うさまは、まさに鬼気迫るあやかしのごとくであった。さながら鬼子母神。鬼ならざる少女をこそイトはそのように感じたのであった。皮肉なものである。

 イトは左の指に絡みつくそれ────細くて黒く長やかな女の髪をよりあわせた"黒縄"をたぐりよせる。そして生き残りの下部たちを叩き起こし、急いで指揮を取り始めた。収拾は今しばらくつきそうになかった。

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