紅葉のいろは忍ぶれど

きー子

 母が死んで七年になる。少女は今年で十四になるが、これまでの生にはいいことも悪いこともあった。いいことは、母の教えのおかげでいまだ生き長らえているということ。悪いことは、彼女のもとに七年も行きそびれているということだった。

 秋晴れの早朝。紀伊国きいのくに、雑賀の里の風は爽やかだ。丸い墓石にそえられた花が穏やかにそよぐ。墓前に参る少女は掌をあわせ、しばしの黙祷をささげた。

 七年の歳月は少女をさほど変えなかった。背は伸びたが、その丈はいまだ五尺にも満たない。黒い髪は童女めいて肩の上で切りそろえられており、その瞳に浮かぶ情緒というものは限りなく薄い。一方で着物は黒一色であり、いかにも喪服を連想させるそれである。おかしなことはといえば、その喪服がずいぶん激しく擦り切れているということだった。幼さを残す器量よしの娘が黒衣を風になびかせるさまは、どこか退廃的な陰の美を思わせるものであった。

「ここに、おったか」背後でしわがれた声があがったが、少女はいまだ黙祷をささげていた。邪魔立てをされることはないと知っているかのようであった。たっぷり三〇秒とたち、振り返った先にあったのは、たっぷりと白髪をたくわえた翁である。齢は五〇を回ろうが、足腰はしっかりとしていて曲がることもなく、杖を突くこともなく、なんともきびきびとしている。翁は雑賀の里長であった。名はススキ・マゴロク。それはかつての寄り合いにて上座で少女を立てた男でもあった。

「マゴロクさま」「うむ」澄んだ声に応じる。「仕事でございますか」「左様」「しからば、参ります」是非もないとばかりに立ち上がる。さもそれが当然であるかのごとく。最後に一礼をささげ、きびすを返す。「出番だ────"雑賀の"」"雑賀の"。慣れ親しんだ銘に応じてマゴロクの後を行く。少女に名は無い。だから彼女はそう呼ばれる。雑賀の掟にそむき生まれた子であるがゆえに。

 仔細はマゴロクの私邸で伝わることとなった。といっても、里の住宅と比べて特に立派なものではない。茅葺きの小屋で、土間にむしろを敷き、囲炉裏を囲む。ごくごく簡素なものである。特に手狭であるという印象はない。一人身であったからだ。雑賀の後継者は世襲ではなく、一族の者から見出されるためこれといった問題はない。

 囲炉裏には土鍋が火にかけられていた。山の清流をくみとった、澄み切った水である。それに山菜、解体したしし肉とを放り込み、煮立てる。程よいところで壺漬けにした味噌をとり、鍋のうちに溶かしこんでいく。朝餉をともにしようというのであった。彼らにとって、それは特に珍しくもない日常のことであった。

 少女が雑賀として重用されているのは、里長の決定によるところも大きい。つまるところ、彼女の存在に対する責務をマゴロクが負うことになるのは全く道理であった。いかに娘が人間離れ、神がかり的な手練であろうと、ものを食わねば生きてはゆけぬ。放っておいても少女はいかようにでも山中生き長らえただろうが、それではもののけそのものだ。観察、監視の意味もこめて里長の手元に置く。それが雑賀にとっての最良、そういうことになったのだった。

「頂くか」「はい」熱々のつゆをそれぞれ木椀にそそぐ。湯気とともに味噌の風味が立ちのぼった。少女は食前の礼をささげ、ゆっくりと頂く。わずかに冷えた身体と空きっ腹にうまみの出た汁がよくよく染み込む。なんとも、滋味である。落ち着いたふうに息を吐く。合間、言葉を弾ませるようなことはない。そこには決然とした距離感があった。それは例えば家族といえるたぐいのものではなかった。

 マゴロクは若いうちに妻を亡くし、子はもとよりない。少女は母をなくし親がない。しかし、傷の舐め合いめいた真似はなかった。双方ともそのような代償行為をきらっていたのかもしれない。求めることを知らなかったのかもしれない。また、それは無駄だと知悉していたのかもしれない。いずれにせよ翁はいつでも死に等しくある任を容赦無く命じたし、少女はそれを受け入れた。そして今日もそうする。

「京に、行け」マゴロクが、唐突に口走った。

「都で、ございますか」悪くないと少女は思った。京はいわば文化の中心地であり、芸事がさかんだ。流行もずいぶん長いものである。母に仕込まれた技はよくよく役に立つことであろう。「京にていかに」

「女だ」マゴロクが上りつめる真っ白い湯気を凝視している。「とらわれの女を、救い出すのだ。それが此度のおぬしの任務だ」「詳細、おたずね出来ましょうか」「身の丈は四尺とすこし。腰まである黒い髪。名はもみじ。信濃のほうのなまりがあるやもしれん」音もなく汁をすすって、「────そして瞳がひどく紅い」自分でさえもいぶかるように、そういったものである。

「それは」少女の瞳がにわかに瞬く。かすかな驚きがある。ひどくまれなことであった。「まるで鬼ではございませぬか」

 早くに母を亡くした少女でさえも聞いたことがある。おそらく閨語りであろう。鬼を騙して盗みを働いた愚者は己が業ゆえに滅び、鬼は悲しみを笛に奏でる。よくよく知られたお伽話である。実のところ昔々というには近しくて、五〇か一〇〇年か前からの流布であるという。また、そのころ実際に起きた騒動を元にしたものであるとも。

「戸隠者からの依頼よ」空になった椀を置く。「あちらは北方からの守護に余力を割かれている。ゆえ、こちらにお鉢が向いたといったところであろうな」肯定も否定もせず、告げる。実際、どちらとも判じがたいのであった。いささか現実離れした話であるが、伊達や酔狂で遥々使者を寄越してくるならば阿呆だ。

「謀りではございませぬか」「こちらからも使者を送り、確かめた。間違いはない」瞳を細めて危惧を口にするが、詮無いこと。すでに細部は詰められていることであろう。そして立場を逸した心配りなど、全く不要なものなのであった。「────フジワラが、くさい。断定はしかねるがな」「かしこまりました」「期限を一月と切る」「はい」頷く。ひとひとりを虜囚にできる家の数など知れたものである。情報収集を続けながら探りを入れればわけはない期間だろう。なにより、都は朝廷──皇のお膝元だ。長居するのはうまくない。

「では、今夜には発ちます」「用意は、あるか」

「初日は移動に専念いたしたく、頂ければ糧食を。後はいかんとも」「構わん。手配しよう」「ありがたきことにございます」

 応じて椀を置き、少女が立つ。軽く身体を慣らすくらいの気持ちで、水を汲みにいく腹つもりであった。「待て」なにごとかと振り返る。戸口で背を向けたところを、不意にマゴロクが制したものである。「はい」

「この任を終え次第、おぬしを寄り合いの議題にかかげる」どういうことか。少女が瞳をすがめる。「正式に里の者として迎えるべく」二の句を告げられても理解しかねた。マゴロクもどう口にしたものか、言葉を選んでいた。一〇秒と続いた沈黙の果てに、ようやくといった様子で、こういったものである。「────おぬしに名をあたえる」

「いりませぬ」ほとんど頭を介さずに、少女は反射的に答えていた。

「おぬしの母の────おしのの遺言に残された名だ!」まるで半ば予想していたようにマゴロクが応じる。

 なんとしたものか、少女にはまるでわからなかった。「おぬしの雑賀への貢献と献身はまごうことなきもの。かつて"雑賀の"と呼ばれたものは一度目で過半が死んだ。一年ともったものはひとりとていなかった────抜きん出ているおぬしを雑賀者とせざるは道理の通らぬことよ」

 七年。物心ついて、十年。名無しのごん兵衛として生きた年月は少し、長すぎた。なぜ、今頃になって。それはきっと、マゴロクが何年もの時間をかけて周囲への根回しを進めてきたがゆえだろう。理解しても、飲みこむことが出来なかった。だからゆっくり咀嚼するほかないと、少女はそう思わざるをえないのであった。振り返らずに、そのまま歩き出す。マゴロクはもう呼び止めなかった。

「────生きて、帰れ」

「────はい」

 そう答えるのが、せいいっぱいであった。


 スズラギ・ハガネは雑賀の里の若人衆のひとりで、中でも年かさのほうであった。今年でかぞえ十七になる。単独での偵察任務につくこともあるが、大人たちの補佐として任に出向くことがもっぱらであった。里の男子は十五から一人前と扱われるものであったが、いまだ経験を積む段階であるというのが実際のところなのである。ハガネは同年代の中でもかなり優秀といえたが、それでも例外ではない。

"雑賀の"と呼ばれる少女を除いて、ただひとりの例外もないのだ。

 であるからして若人衆のほとんどのものは少女を度外視──つまるところ見て見ぬふりをしていた。里の大人たちもつとめて少女を鬼かもののけかのように扱っていて、まっすぐと見るものがなかった。現実に存在する少女に比べ劣っているということから目をそらしていた。その点スズラギ・ハガネは別で、物怖じすることがなかった。若さゆえの無鉄砲さか、親の教えか、あるいは単に頭が悪かったのかもしれない。

「────おい」だからハガネは、不意に出くわした少女に声をかけていた。「何をしているんだ。おまえは」里山の裾野には井戸の目印となる一本の木がはえている。少女はその枝に脚をかけこうもりめいてぶら下がっていたものだから、ハガネの反応は無理もない。

「ハガネ殿」少女が応じる。彼女は自分から口を開くことはめったに無いが、話しかければ応じる。問えば答える。得体のしれぬもののけではなかった。「心をしずめておりました」「頭に血がのぼろうが」「胸はすぎておりますね」かくのごとき、すっとぼけた調子ではあるが。

「おまえにも、胸騒ぎというものはあるか」「久しいことでございます」少女はにこりともせず、土に降りたつ。こうして並ぶと、少女の小柄さが引き立った。ハガネは六尺にも及ぼうかという上背があったからなおさらである。少女は上目にならず、まっすぐとハガネを見る。ハガネはそれに慣れている。「おおかた暇していたのだろう。このあと一手願えるか」内心に探りを入れるようなつもりはないから、もののついでに口にする。

 一手とはつまるところ、たがいの体術を競い合うものであった。試した数は数十にもおよぶが、結果はいつも変わりない。ハガネが少女にさんざんに打たれいなされ投げ転がされて終わる。年下のものには、とてもではないが見せられないものである。年長者としての沽券に関わる。それでもハガネはこりることが無かったから、やはり頭が悪いのだろう。

「構いませぬが。夜には諸事ございますゆえ」ハガネの申し出に少女がことわりを入れることはあまりない。それが意味するところは、近く任務があるということだとハガネはずいぶん前に学んだ。「あい分かった。ならばよい。帰ってからまたたずねるとする」

「かえって、から────」「問題があったか」ハガネは忍の身でありながら、いささか情動が素直であった。業前が十分であるだけに惜しまれる性質である。眉をにわかにひそめているのであった。「いえ」少女は首を横にふる。そして唐突に、いったものである。

「ハガネ殿」「ああ」「仮に、私に、名があったとすれば、いかがなされますか」ハガネは腕組みして、なんだやぶからぼうにといった様子。

「別に。どうもせん」ぱち、と少女の瞳が瞬く。構わず続ける。「我が父上殿はお怒りになられるだろうがな。あれはかたぶつだ」などと余計なことまでいって、あっけらかんと笑い飛ばす始末であった。

「なるほど」「役には立ちそうか」「聞く方をあやまったやもしれませぬ」「おい」少女はあいも変わらず平然とした様子であるから、ハガネは憮然としたものであった。「いえ。ありがたきごとにございます。他に問う方もありませぬゆえ」「……左様か」果たして擁護されているのか否か、微妙な心地しながらもハガネは疑問に思う。相手ならば少女の保護者────もとい管理者であるところの里長がいるではないか。私的な言葉を交わすふうにも見えぬが、強いて不干渉を貫く道理はあるまい。

「では。また」「────ああ。また」かすかな物思いをめぐらせるうちに少女は早々と去っていく。ハガネはそれを見送るかわりに一瞥すると、改めて日課の練行をこなすべく山へと向かうのであった。

 仮定は真なるか。よもや、という思いをひそかによぎらせながら。


 夜を迎えた。あたりは暗闇であるが、よもや喪服めいた黒い着物のまま出張るわけはない。それでは昼に目立って仕方がないからだった。赤い小袖を着つけた上から黒い打掛をはおる格好で旅の荷を背負い、少女はひとり里を発つ。旅の遊女あそびめをよそおうべく身につけたそれであった。

 紀伊の里山から京までは常人であれば四日、あるいはそれ以上と見積もらなければならない道程である。夜の山道は闇に包まれているためきわめて危険で、朝を待つことを余儀なくされるからだった。その点少女は夜目がきき、地の利をわきまえており、おまけに不安定な足元をものともしないのである。丸一日もあればあっさりとたどり着くだろう。まさに超人的といってよい。心に思いわずらうところもなく、少女の移動はすこぶる迅速である。

 日の出を見る前に山を降りた。関所にかち合うが、鬼が出るか蛇が出るかという丑三つの刻である。見張りがあるわけはなく、当然のごとく綺麗にすり抜けて北上。小休止を経て食事をとり、そのまま夕刻には京の都が玄関口、羅城門を拝もうかという算段であった。事実そうなった。

 夕日の影を落とした羅城門の雄姿はいかにも退廃的であった。雨曝しにされ、暴風に打たれ、時に火をつけられた大門はすでに幾度ともなく倒壊と修復を繰り返しているのであった。それはさながら定められた生と死の象徴であり、またそれに抗う人々の営為にも似ていた。

 少女はそれを目にするが感傷はなかった。つとめてゆっくりと歩みを進める。かろうじて秩序を保った門前、その両脇にはふたりの見張り番が立っていた。検非違使庁の下部しもべであろう。それぞれに摺り衣をまとい、片手には野太い木柄に矛先を金属器とする槍があった。彼らは少女に視線をさだめ、決然として言い切ったものである。「止まれ」少女が足を止める。

「汝、何者か。答えよ」警戒心もあらわだった。「旅芸のものにございます。お上さま」粛々とした答え。「周りに控えるものはございませぬ。この身ひとつ、上がらせくださいませぬか」続けた言葉で、あからさまに気配のやわらいだ感があった。女を前にして気を抜かせ、賊がなだれこむ。さして珍しい手ではあるまい。「証を示せようか?」しかしなお追及の手がある。治安の程度はよほどであるらしかった。

 そこで少女は流れるように足を進めた。それがあまりに自然体であったため、ふたりともが一瞬反応しかねた。手にした槍を突きつけたのはまさに今、少女が彼らの間をすり抜けかけた時のことである。「どういうつもりだ!」両側からそれぞれに矛先が向けられる。それは今にも少女に突き立てられかねない間合いであった。

「これが証にございまする」しかし少女がそういったものであるから、槍頭は宙で止まった。男らの面差しには当惑があった。無理からぬことである。「なに?」「こうまで近うしては私は逃げられぬでしょう。だれかの助けをなくしては」両手を背で組み膝をつく。瞳を伏せる。「そして、いま助けはございませぬ」全くの無防備な姿であった。「これにて潔白となりえましょうか────」

 かんばせを伏しながらも堂々たる心地に、かえって男らのほうが困惑していた。ちいさな頭に突きつけられた槍先こそが震えているのだから世話はない。念のためにと周囲に目を配るが、事実少女の言葉の通りであった。彼女はまごうことなく、ひとりであった。「か……構わぬ。立て」「行ってよい」と、気まずさを追いはらうように急き立てられさえして門を通る。

 ようよう少女は京に入る。暗がりの朱雀大路が目の前に広がっていた。

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