異世界から「こんにちは」

青キング

台所使用試験

 数字の記載されている紙が壁にかけてある。
 左上隅に大きく『6』と、その下には小さめに数字が並んでいる。
「なんですかねこれ?」
「その紙でしょ。私も知らない」
 太刀さんが帰ってきたら教えてもらおう。
 大好きな人の帰宅を待ち望むのが、日常になってきた。
「リアン先輩って、この世界に来て良かったと思ってますか?」
 楽しそうにでも見えるのか、隣でシャマが質問してくる。
「私は太刀さんと居られればどこでもいいです」
「リアン先輩らしいですね」
 そうかなぁ?
 大好きな人だから当たり前な気がするが?

 辺りはすっかり暗くなっていて、早足で自宅に向かう。
 今回は金銭的な問題で購入したものはなかったが、目星はつけてきた。
 リアンとシャマのためにいろいろ探してきたのだ。
 ワンピースやらスカートやらシャツやら、とにかく似合いそうな物に目星をつけて帰ってきた。
 昼からバイトがあると言って冬花が行ってしまってから今までずっと慣れないショッピングモールを徘徊していたからか、予想以上にぐったりきている。
「バイト代が入るのが一週間後くらいか、うー生活も厳しいなぁ」
 嘯いているといつの間にか自宅の前に到着していた。
 家の中は明かりが灯っており、人がいることを確定させている。
 ドアノブに手をかけて回すと、駆ける足音が家中に響く。
「ただいまー」
「遅いです太刀さん」
 リアルがリビングから待ってましたと言わんばかりの駆け足で俺の前に現れる。
 玄関でのこのやり取りは実に感慨深い。
 迎えてくれるという温もりを感じる。
「太刀先輩、お疲れ様です」
 リビングからリアンに遅れて出てきたシャマは俺を見て疲れていると判断したみたいだ。
「ぐったりとしてますね。夕食は私が食べさせてあげましょうか?」
「あーズルい!」
 ズルいとはなんのことだろうか?
「シャマが食べさせるなら私もやる」
 リアンはなぜか挙手して言う。
「それならリアン先輩にお任せします」
 そう言い残してシャマはリビングに戻っていった。
 どうしようどうしようとリアンは困惑してあたふたしている。
「自分で言ったんだ覚悟を決めよう!」
 上を向いて右手を握りしめ、何かを決意したようだ。
「太刀さんキッチンの使い方教えてください」
 ……おいそこからかよ!
 そうだった料理ができないのではなく、キッチンの使い方がわからないのか。
 これを機に教えてあげようかな。
「太刀さん聞いてますかー」
 急接近して顔を覗き込んでくる。近い近い。
「聞いてるから顔を遠ざけてくれ」
「キッチンの使い方を教えてくれますか?」
 改めて居直り直立する。
「よぉーし。これから台所使用試験を行う、受験者礼!」
 俺の言葉を合図にリアンは頭を深々と下げた。
 そうして俺とリアンはリビングを通りキッチンに向かった。
「では試験を始める。まずは手本と説明からだ」
 俺はガスの元栓を開け、スイッチを押す。
 青い微小な炎がぼぅっと出てくる。
「すごいです!」
 俺の世界では当たり前なのにな。
 目を輝かせながら炎を見つめるリアンに俺はひとつ忠告する。
「使ったあとは絶対にスイッチを押して炎を消す。そうしないとこの家が焼けることになるからな」
「消しかたはどうすれば?」
 首を捻って不思議そうに聞いてくる。
「さっきのスイッチを押して、指を離せば自然と消える。あぁそうそう、炎の強さはスイッチを右に回すと強くなり、左に回すと弱くなるからな」
「すごいですねぇ、魔法で火の強さを調節してたのにこんな簡単に」
 感動して目をキラキラ光らせている。
「私がやってみていいですか?」
 体を上下に揺らしながら楽しそうに聞いてくる。
「できるかな、やってみて」
 リアンはいそいそとスイッチを押した。
 ぼぅっと小さな炎が現れ、リアンがスイッチを回すと大きくなり火力が増す。
「これで私も料理が作れます」
「鍋やフライパンは下の棚に入ってるぞ」
 それを聞いてしゃがみリアンは棚を開く。
「ほんとです!」
 異世界にしか無いもの、現実世界にしか無いもの、それぞれあるらしい。
「未知の物ばかりで楽しいです」
 異世界にはどうも機械系がほとんどないようだとリアンの反応で一目瞭然だ。
 あありがとうこざいます、疲れていたのに」
 唐突にお辞儀された。
 そして少しモジモジしだして口を開く。
「もし私が料理作ったら食べくれますか?」
「もちろん」
 俺が頷くとリアンの顔がぱぁーと笑顔になる。
「わがまま聞いてくれてありがとうこざいます」
「俺もリアンの手料理食べてみたいしな」
「それなら早速……」
「今日はもう疲れた」
 言下に断った。
 リアンは眉を下げて残念そうにする。
「風呂入りたいしな」
 申し訳なくキッチンを後にする。
「太刀さんの意地悪、朴念仁」
 リアンが何かを漏らしたが、聞き取れなかった。
 俺はリビングを去った。
 廊下に出るとシャマが壁にもたれ掛かっている。俺を待っていたのだろうか。
「太刀先輩、ひとつ言わせてください」
 真顔でこちらに近づいてそう言うと、少しの間を入れた。
 そして口をおもむろに開いた。
「バカですか?」
「えっ突然何を?」
 シャマの俺を見る目が鋭くなる。
「リアン先輩が可哀想。さっきの会話聴いてましたよ、普通ならあそこは作らせてあげるでしょ」
 そんな言い草ないだろ。俺だって申し訳ないとは思ってるんだ。
「風呂とやらの準備はやっておきました、リアン先輩は太刀先輩に手料理を食べてほしいんです、あと作ってる姿も見ててほしいんです。まぁ私欲とリアン先輩どちらを選ぶかは先輩次第ですけど」
 でもそうだよな。シャマの言う通りだよ。
 俺の足は否応なしに動いていた。
「太刀さん!」
 突然リビングに駆け込んできた俺にびっくりしたのか目を大きく見開いている。
 リアンの目下は少し赤くなっていた。
「お腹空いたぜリアン」
「どういうこと?」
 瞳がかなり潤んでいる。
「何か食べたいな」
「はい……今から作ります」
 嬉しそうに涙目ながらに笑った。
 そうだ、この笑顔と比べられる物はないだろう。
 すごい神々しい笑顔だった。

 こっそり二人のやり取りを覗いている。
 どちらも笑顔で何よりだ。
 これでいいのだ。自分は……リアン先輩のために。
 何でこんなに泣けてくるんだろう。これでいいはずなのに。
 自分の心に嘘なんてついていない!
 そうだ、そうなんだ。
 自分は……何で泣いているのだろう。
 答えは考えても出てこなかった。

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