ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
10-071.黒衣の不可触
話は少し戻る。
スティール・メイデンの三人は、ヒロ達を襲った小悪鬼を蹴散らした後、突如現れた黒衣の人物を追っていた。それは石造りの部屋で謎の男から拉致して連れてくるよう依頼を受けたターゲット、黒衣の不可触だったからだ。
三人は山道を駆け下り、エマの方角に向かっていたが、黒衣の不可触の姿は何処にも見当たらない。
「クソッ、何処消えやがった!」
ミカキーノが悪態をつく。ここで取り逃がしたら、待ち伏せした意味がない。
「ミカキーノ!」
黒マントの男が声を掛け、立ち止まる。
「あぁ? どうしたロッケン」
ロッケンと呼ばれた黒マントの男は懐から杖を出し呪文を唱えた。途端に彼らの頭上に雲が集まりだした。ロッケンが杖で天を突くと曇は雨雲となり、激しい雨となって地面を叩いた。
ロッケンは周囲をぐるりと見渡す。道端の一角、半径一メートルほどが雨に濡れていない。乾いた土を目の端で捉えたロッケンは、そこを杖で指し示した。
「透過解術式!」
ロッケンが呪文を唱えると、杖が示した空間がゆらぎ、やがて人の影となった。黒ローブの姿が浮かび上がる。ロッケンは姿を隠す魔法を強制解除したのだ。
「……黒衣の不可触」
ミカキーノが舌舐めずりする。黒ローブは、頭からすっぽりとフードを被り、白い仮面を付けていた。目と口元だけ穴が空いているだけで、顔は全く見えない。
スティール・メイデンの三人は、何の合図もなく散開した。弓矢の男ハーバーは、信じられない跳躍力で、木の枝に飛び移り、黒衣の不可触の左斜め後方に陣取る。雨の魔法を解除したロッケンは、素早くターゲットの右手に回った。黒衣の不可触の正面はミカキーノだ。
「ようやく会えたぜ。お前が噂の黒衣の不可触か。大人しく来て貰おうか。でねぇと腕の一本や二本は覚悟して貰うぜ」
ミカキーノは背の大剣を抜きながら言い放った。だが、その目は油断なく、黒衣の不可触を見つめている。どんな些細な動きも見逃さない。滅多にお目にかかれない大物だ。湿気たモンスター狩りに飽き飽きしていたミカキーノは久々に興奮していた。
黒衣の不可触が僅かに顔を上げる。その仮面が笑っている様に見えた。次の瞬間、ミカキーノの脇を突風が吹き抜け、後ろの大木が、縦に真っ二つに切り裂かれた。
「それがお前の答えか、黒衣の不可触!」
ミカキーノは剣を脇構えにして、一息に踏み込むと剣を横薙ぎに払った。が、その剣は大振りで、間合いも遠い。だがそれは黒衣の不可触の反応を見るための牽制に過ぎなかった。
黒衣の不可触は一歩引いて悠々とかわす。
――ヒュン、ヒュン、ヒュン。
黒衣の不可触の頭上から、三本の矢が続け様に襲う。樹上に陣取ったハーバーが放った矢だ。矢は正確にターゲットの腿を射抜かんとしていた。
――ビュゴッ。
黒ローブの周囲に風が巻き起こる。風は黒衣の不可触を包むように円を描く。竜巻のような突風だ。ハーバーの矢は風のスクリーンに弾かれ、軌道を変え木の幹に突き刺さって折れた。
「やはり、風使いか……」
右に控えていたロッケンは、くくっと笑うとミカキーノに目線を送る。その瞳は俺の番だと告げていた。
ロッケンは杖を上げると、意識を集中する。杖の先端がオレンジの光を帯びた。
「魔法弾!」
杖のオレンジが瞬く間に光球となり、黒衣の不可触に向かって射出された。魔法攻撃だ。
ロッケンが放った魔法弾は、最初は漂うようなゆっくりとした動きだったが、やがて蹴飛ばされるように加速し、一直線に黒衣の不可触に襲いかかる。
魔法弾は一種のエネルギー弾だ。ハーバーの矢とは違い、ちょっとした風程度で軌道が変えられるものではない。黒衣の不可触の風のスクリーンでは防御不可能だ。だが、黒衣の不可触は避ける素振りも見せず、右手の人差し指を立てて唇に当てる。
「迎撃琉」
黒衣の不可触が呪文を唱えると風のスクリーンの一部が変形し、白い菱形の発光体へと姿を変えた。菱形はそのまま外へ飛び出すと、まるで誘導されているかのように軌道を変え魔法弾に向かう。
――ドッ。
耳をつんざく破裂音が響いた。白い菱形が魔法弾に命中したのだ。魔法弾はそのまま打ち落とされて消えた。
「ふん」
ロッケンは小さく鼻を鳴らすと、両手で杖を握り直した。杖の先端を黒衣の不可触に向け、先程より更に意識を集中させる。本人以外には聞こえない程の小声で詠唱を始める。その様子から魔法弾よりも遙かに強力な魔法を放つ準備に見えた。
ロッケンの意図を察したミカキーノは、素早くロッケンの前に移動し剣を構える。同時に樹上から、ハーバーが牽制の矢を放つ。黒衣の不可触の攻撃からロッケンを守る為だ。大魔法は強大な威力を持つ代わりに、使用する魔力も桁違いに大きくなる。また、発動までに時間が必要となり、詠唱も長くなる。実戦で使うには発動の間に攻撃されないよう仲間のサポートが必要だ。
ミカキーノとハーバーは阿吽の呼吸でロッケンを守る動きをしていた。即席のパーティではこうはいかない。こうした連携一つとってもスティール・メイデンの強さの一端が伺えた。
ロッケンの手に力が入り、杖が小刻みに震えた。すると、先ほどの魔法弾よりも遙かに大きな赤い光球が杖の先端に姿を顕した。光球はどんどん大きくなる。
ロッケンは魔法弾の百倍の攻撃力を持つと言われている最上位魔法を発動させようとしていた。余りにも膨大な魔力を消費するこの魔法は、実戦で使われることは滅多にない。いや、そもそもこの魔法を使える者は殆どいないのだ。ウオバルの大学で魔法教官を勤める者でも、使いこなせる者は両手に満たない。ロッケンは間違いなくA級魔法士に匹敵する実力を持っていた。
ロッケンが生み出した巨大光球は、ゆっくりと彼の頭上に移動し、やがて人一人をすっぽり飲み込むくらいの大きさに成長した。
「魔法多弾頭弾」
ロッケンが最上位魔法を放つ。巨大光球は黒衣の不可触を、風のバリアごと飲み込まんばかりの勢いで襲いかかる。絶対の防御力を持つ黒衣の不可触といえども只では済むまい。誰もがそう思った。
「迎撃琉」
黒衣の不可触が再び先程の魔法で応戦した。菱形の発光体は、ロッケンの巨大光球に接触する。赤い光の球は粉々に砕かれ、またもや迎撃されたかに見えた。しかし、今度はそれからが本番だった。
――バシィ。
激しい音と共に、巨大光球は無数の球に分裂し、加速をつけて黒衣の不可触に向かって襲いかかる。魔法多弾頭弾はその名のとおり、数千、数万の魔法弾を同時に浴びせる魔法だ。黒衣の不可触の迎撃の魔法で破壊されてはいなかった。光球は砕かれたのではなく、自ら砕けたのだ。
一つや二つの魔法弾は防げても、数万単位なら話は違ってくる。いわゆる飽和攻撃だ。単純だが効果的な攻撃だ。
だが、彼らスティール・メイデンが受けた依頼は黒衣の不可触を殺さずに拉致することだ。最上級魔法で致命傷を与えては元も子もない。無論、彼らも其処は承知していた。ロッケンにも多少だが回復魔法の心得がある。
「……半殺しであっても生きている範疇だ」
即死でさえなければなんとでもなる。ロッケンはほくそ笑んだ。
黒衣の不可触は、顔を上げて、頭上から降り注ぐ魔法の弾をちらりと見る。しかしその場から動かず、静かに呪文を唱えた。
「リーの平安」
黒衣の不可触の躰が一瞬光ったように見えた。次の瞬間、風のスクリーンの外側に無数の光球が生まれた。その光球は次々と真上に浮かび上がり、一旦停止すると、これもまた誘導されているかのように、軌道を変え、襲い掛かる魔法弾を迎撃した。
一つ。また一つと魔法弾が破壊されていく。
一呼吸したかしないかの内に、ロッケンの放った数万を超える魔法弾は一つ残らず撃ち落とされた。
黒ローブは、散歩の途中でふと立ち止まっただけだとでも言うかのように平然と立っていた。
――決して誰も触れることさえできない存在。
――鉄壁の防御。
――黒衣の不可触。
 黒いフードの下で、決して動く筈のない仮面の口がニヤリと笑みを浮かべていた。
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