ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】
9-064.ゴブリンの襲来
――翌朝。
ヒロとリムとソラリスの三人はエマから帰路に就いていた。無事にエマの冒険者ギルドに手紙を届けた。あとは受取証をウオバルの冒険者ギルドに届けるだけだ。何事もなければ、夕方前にはウオバルに着けるだろう。クエストの期日である七日間には十分過ぎる程時間がある。
三人の足取りはこの日もゆっくりとしたものだった。リムの歩く速度に合わせているためだ。ソラリスも早足を止めて小股で歩いている。傍目にも大分ぎこちない。
リムはリムで、ヒロとソラリスの前で鼻歌を歌っている。やがてヒロ達はウオバルに向かう最後の丘に差し掛かった。
路の両脇の木々の梢が日光を遮り、マイナスイオンを帯びた冷気が幹の隙間をスキップしては通り過ぎていく。風を受けてヒロはほっとしたように息を吐いた。この丘は『凱旋の丘』というそうだ。冒険者ギルドの受付嬢ラルルがそう教えてくれた。
ヒロは丘の頂上を目指して真っ直ぐに進んだ。遅いペースとはいえ、かれこれ二時間は歩いている。頂上には休憩小屋があった筈だ。そこで一息入れよう。
やがてヒロの視界に掘っ建て小屋が目に入った。もう少しだ。
「凱旋の丘に建つ小屋にしては粗末だな……」
ヒロはつい率直な感想を漏らした。凱旋というからにはそれなりの立派な謂れがある筈だ。だが頂上の小屋はその立派な丘の名に相応しいものとは思えなかった。
「はっ、そんな名で呼ぶ奴なんざぁ、ここらには居ないね。あたいら冒険者はみんな『犬山』と呼んでるよ」
「それはまた、随分と砕けた名前だな。そういえば、この前大きな黒犬に襲われたのはここら辺だったよな。待てよ? 『犬山』って呼ばれているのは、もしかしたら……」
「そうさ、その手のモンスターがよく出るからさ。だけど、この間の黒曜犬だけじゃないよ。狼人や、小悪鬼だって出る。まぁ、出るのは夜が殆どだけどね。この間はレアケースだよ、……っていいたかったけど」
何かを言おうしたヒロをソラリスが手で制した。周辺に注意を向けて何かを探っている。ヒロも辺りの様子を伺う。右の茂みに大勢が息を殺している気配を感じた。
「ソラリス、これは」
「しっ、モンスターだ。沢山いるね」
ソラリスは歩みを止めた。ヒロとリムもその場で立ち止まる。ガサガサと右の茂みが揺らぎ、緑色の肌をした子供くらいの背丈のモンスターがぞろぞろと姿を現した。尖った耳に鷲鼻。大きく窪んだ眼窩には、猫の目のような縦の瞳が怪しく光っている。小悪鬼だ。
ざっと見ただけでも三十匹。小悪鬼達は皆、ナイフを手にしていた。中には丸い盾や弓矢を持っている者すらいる。小悪鬼達はゆっくりとヒロ達に近づいてきた。
「仕方ないね」
ソラリスが腰の短剣に手を伸ばす。それを見たヒロはソラリスに囁いた。
「待て、ソラリス。君は怪我をしてる。それに相手の意図が分からないうちは無闇に刺激したくない。ここは俺が……」
「どうするんだい」
「魔法で防御できないか試してみたい。ただ、ぶっつけだからどうなるか分からない。逃げる準備だけはしておいてくれ。リムを頼む」
ヒロは、先日ここで黒曜犬に襲われたときのことを思い出していた。あの時はリムを背負って逃げるのに精一杯だった。ソラリスが踏ん張ってくれた御蔭でなんとかなったが、原理的に一人の剣で複数の敵を相手にするのは難しい。一人が手にできる剣は一本、二刀流でも二本が限界だからだ。複数の敵と剣で応戦するには、時間差をつけて、局所的に一対一の場面を作っていかなくてはならない。魔法の種類にもよるが、一対多の戦いは魔法使いの得意とするところだ。
ヒロは自分の両の人差し指に填めた指輪をみた。この指輪があれば、魔法が使える筈だ。だが、ヒロの防御魔法はエマへ行くときに練習したきりだ。いきなり実戦で使えるものなのか。モルディアスは、魔法はイメージ次第で無限にあるといっていたが……。
ヒロの言葉にソラリスが頷く。ソラリスも剣で大勢を相手にする不利を知っているのだ。ヒロは精神を集中させて頭の中でイメージを描いた。自分を含めて、ソラリスとリムを囲むバリアを作るイメージだ。モルディアスの所で初めて魔法を試した時に突然現れた異形の魔物。その動きを封じるためにモルディアスはバリアのようなものを魔物の周りに張った。あれに似た物ができれば……。ヒロはエマへの往路で練習したものよりも、もっと硬いバリアを心に描いた。
練習していた甲斐があったのか、ヒロのイメージは直ぐに実体化した。
――カキン。
ヒロの目の前十歩の所に透明なスクリーンのような壁が現れた。スクリーンは、ヒロを中心とした半球のドームを形成し、ソラリスとリムも一緒にすっぽりと覆った。スクリーン表面には蜂の巣のように正六角形を並べた模様が見える。
ヒロは、スクリーン越しにゴブリン達を観察する。彼らもこのスクリーンが見えているのだろう。その顔には、ありありと戸惑いの表情が浮かんでいた。
だが問題はこの壁の強度がどれくらいあるかだ。ヒロは目線を落とし、腰のホルスターに納めた短刀の位置を確かめる。短刀を構えたい衝動をぐっと抑える。無駄な争いはしたくない。このまま小悪鬼達がやり過ごしてくれないかとヒロは願った。
小悪鬼達同士がなにやら声を掛け合った。と、後ろから弓を持った小悪鬼が前にでてきた。弓を構え矢をつがえる。その数五匹。こちらを攻撃する意志があることは疑いようもない。
だが、小悪鬼達は、数を頼みに近接戦に持ち込むことは避けている。まずは弓での遠距離攻撃で様子をみようとしているようだ。ゲームのように単純にはいかないな、とヒロは思ったが、お陰で時間が稼げる。
ヒロは小悪鬼の矢が全て自分の方を向いていることを確認すると、リムに念話で語りかけた。
(リム、奴らの矢は俺を狙っている。奴らが矢を放ったら、俺は右に避ける。リムとソラリスは、今の内に気づかれないように射線から外れておいてくれ)
(はい。ヒロ様)
リムがソラリスの背を突っつくと、目線で左に誘導する。ソラリスは直ぐにその意図を察して、摺り足で少しずつ左にズレる。リムもそれに続く。一歩半ほど左にズレたところでリムがヒロに念話で合図する。
(ヒロ様、移動しました)
ヒロはソラリスに顔を向けて頷く。ソラリスはリムを庇うようにその前に立ち、短刀を構えている。その顔はいつでもいいぜ、と言っていた。
これで、たとえ魔法でつくったスクリーンのバリアが効かなくても、初撃だけは躱せる筈だ。その後は、バリアを解除して炎粒を放つ。といっても、奴らに直撃させる積りはない。モンスター狩りに来た訳ではないのだ。
こちらの攻撃魔法で小悪鬼を怯ませることができれば、その隙に逃げるチャンスが生まれる。ヒロは右手をそっと捻って、小悪鬼達に見えないように炎粒が出せるか試してみる。ぼっ、と微かな音を立てて、炎の粒が出来上がる感触があった。これならいけそうだ。ヒロは静かに前方の小悪鬼達の出方を窺った。
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