ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】

日比野庵

4-030.無意識の魔法のアトで

 
「グルルルルル……」

 それはヒロには見覚えがある姿だった。つやつやとした黒い毛皮に鋭い牙。爛々と輝く紅い目の四つ足。この世界に来て始めて襲われた黒狼だ。あの時は一匹だったが、今度は五匹もいる。

「黒曜犬だ。真っ昼間から出喰わすとはね」

 ソラリスがナイフを逆手に構えた。

「やっぱり、危険な奴なのか」

 ヒロも立ち上がって、腰のナイフに手を掛ける。

「一対一なら、どうってこともないんだけどよ。群れが相手だとちぃと厄介だ。ヒロ、お前、魔法使えるか?」
「そんな訳ないだろ。おいリム、起きろ」

 ベンチに寝かせたリムを揺さぶった。だが、リムは、むにゃむにゃ、もう食べれません、と寝言を言うだけで全然起きない。いい夢を見るのはウオバルについてからにしてくれ。ヒロはリムを少々乱暴に左肩に担いで立ち上がる。

「ヒロ、あたいが引きつけておくからその間に逃げろ」
「犬を相手に逃げられるのかよ!」

 しかし、そのヒロの反論はソラリスには届いていなかった。二匹の黒曜犬がソラリスに襲い掛かってきたからだ。

「ヒロ!」

 ソラリスの叫びに合わせて、ヒロはリムを抱えたまま小屋の裏にダッシュする。なんとか身を隠さなければ……。ヒロは振り返る余裕もなく小屋の裏に飛び込んだ。

 大口を開けギラギラと目を血走らせて、黒曜犬が噛みつく。

 ソラリスは、体を捻ってその鋭い牙を躱しざま、右脇の一匹の横腹にナイフを突き立てた。

 ――ズブリ。

 ナイフが柄まで通る。鋭利な刃先は、肋骨の隙間から心臓にまで届いた感触をソラリスに伝えた。ソラリスの一撃を受けた黒曜犬は声を立てることもなく、その場に倒れた。ソラリスは、すぐさまナイフを引き抜くと、今にも噛みつかんとするもう一匹の眉間に思い切りナイフを叩き込む。その一匹はギャン、と声を上げ、地面で手足をばたばたさせていたが、致命の刃だったのだろう。やがてその一匹も動かなくなった。電光石火の早業だ。

 残り三匹。

 あっという間にやられた二匹を前にして、三匹の黒曜犬は低い体勢から唸り声を上げてソラリスの様子を伺っている。強敵だと認識したようだ。

 三匹の黒曜犬は、前足を一杯に伸ばして、伏せに近い前傾姿勢を取ると、勢いを付けてソラリスに襲い掛かった。だが、実際にソラリスに襲いかかったのは一匹で、残り二匹はソラリスの脇を走り抜け、真っ直ぐ小屋へと向かった。

(……やばい!)

 二匹がヒロ達を狙っている事を一瞬で悟ったソラリスは、自分に襲い掛かる一匹を蹴り上げた。腹を見せて転がる一匹を無視して、手にしたナイフを小屋に向かって駆ける黒曜犬に投げつける。ナイフは見事なコントロールで一匹の首筋に突き刺さり、その場でもんどり打って絶命した。しかし、仕留めたのは一匹だけだ。もう一匹は小屋の裏に回り込み見えなくなった。


◇◇◇


 ソラリスが黒曜犬を相手にしている隙にヒロとリムは小屋の裏に逃れていた。だが、相手は犬だ。姿を見られているし、匂いだって嗅ぎつけられているに違いない。ヒロにもナイフがあるが、リムを抱えたままナイフを奮うにも限界がある。一旦、ヒロはしゃがみ込んで、リムを降ろして小屋の壁にもたれかけさせた。

 (どうする?)

 ヒロの頭に、この先の何処かにある落とし穴に落としてやればどうか、という考えが頭を掠める。しかしリムから離れずに、落とし穴に誘導することは難しい。また、リムを抱えて一緒に動いたとしても、下手をしたら、自分達が落とし穴に落ちる危険がある。いくら紅い石が目印だといっても、その石が何処にあるのか確認する余裕なんてあるのか。ヒロは、都合の良すぎる考えだとかぶりを振った。

 ヒロは、腰のホルスターに手をやり、エマの道具屋で貰ったナイフを抜いた。鏡のように研ぎ上げられた刀身がヒロの顔を映す。緊張で張り裂けそうな顔をしている。

 と、そのヒロの目の前に、ソラリスの追撃を逃れた一匹の黒曜犬が現れた。低い唸り声を上げ、紅い目でヒロを睨むと、大口を開け、剥きだしにした敵意を浴びせてくる。ヒロは片膝をついた姿勢で、黒曜犬と正対すると、ナイフを順手に持ち、金槌を握るように親指を握りこんだ。ハンマーグリップだ。

 ヒロが顔の前にナイフを構えると同時に、黒曜犬が襲い掛かった。ガキンと甲高い音が響く。ヒロを引き裂さかんとする黒曜犬の凶悪な牙を、ヒロのナイフが一旦は受け止めた。だが、ヒロのナイフは勢いのついた黒曜犬の牙に腕ごと弾き飛ばされ、宙を舞った。

 ハンマーグリップはしっかり握ることができるが、刃がある側への手首の可動域が広いため、力を伝える為には、手首を固定して動かさないようにしなければならない。切っ先を相手に向けて真っ直ぐに出す刺突とは違って、刃の腹で攻撃を受けると防ぎ切れない場合がある。よく短刀を逆手に持つのは、刃のある側への手首の可動域が少なく、力を入れやすいからだ。

 (拙い!!)

 ヒロの顔に焦りの色が浮かんだ。素手でこの黒い狼に立ち向かえると思うほどヒロの頭は御目出度くは出来ていない。それだけに、この至近距離では逃げることはもう手遅れであることも理解していた。

 獲物を切り裂く牙をナイフに邪魔された黒曜犬は、一度首を引っ込めたものの、その紅い目に更に敵意を上乗せして、ヒロに牙を剥いた。ヒロは今度こそ死を覚悟した。

 ――滅せよ。

 ヒロの頭の中に何故かそんな言葉が浮かんだ。無意識の内に身を守ろうとしたのか手が勝手に動く。ヒロの意識はそこで途切れた。



◇◇◇


「…………サマ、……様、ヒロ様」

 ヒロはゆっくりと目を開けた。大写しのリムの顔が見える。夢現ゆめうつつの中にいるようで、状況が分からない。

「……リム。天国へようこそ」
「何言ってるんですか! しっかりして下さい」

 ヒロはリムの支えを受けながら上半身を起こした。

「大丈夫ですか、ヒロ様」

 リムが目をうるうるさせている。

「……なんとかね。天国には行きそびれたようだけど」

 キザな台詞だ。我ながらどうかしてる。だが少しずつ頭がはっきりしてきた。ヒロは自分の体に異常がないか確認した。腹も手足もどうもなってない。確か黒曜犬に襲われた筈だった。一体どうなったんだ。すぐ傍でソラリスが胡坐を掻いて座っている。

「黒曜犬は?」
「一匹を残して、あたいが始末したよ」
「残りの一匹はどうなったんだ?」

 ヒロの問いにソラリスは黙ったまま、サムズアップした拳で後ろを指した。

 ――!!

 ソラリスが指し示した先は風穴だった。鬱蒼うっそうとした茂みは樹木ごと、直径二メートル程に丸く抉られ貫通していた。風穴の先に、向こうの景色がはっきりと見える。一番奥に見える山肌にも丸い跡があり、ぶすぶすと煙のようなものが立ち上っていた。その周りには岩が砕けたかのような大きな石が転がっている。まるで大砲かレーザーでもぶっ放したかのようだ。

「な! これは?」

 何がなんだか分からない。ヒロが呆けた顔をしていると、ソラリスが呆れたように口を開いた。

「ヒロ。お前、魔法が使えるなら最初からそう言えよ。心配して損したぜ」
「俺が、これを?」
「はっ。覚えてねぇのか。あたいは魔法には詳しくねぇけどよ。爆裂系の上級魔法じゃないのか。あれは」

 ヒロはリムなら何か知っているのではないかと、訊ねてみる。

「リム、何があったんだ? 俺が魔法を使ったのか?」
「はわわ、わ、私も、物凄い音がして目が覚めて……。良く見てないんです。ヒロ様の手から物凄い炎が出ていたのだけは見えましたけど……」

 理由は分からないが、やっぱり魔法を使ったらしい。ヒロにはまだ信じられなかった。

(俺が魔法だなんて……。黒曜犬おおかみに襲われて、命の危険を感じたとこ迄しか覚えていない。いくら魔法が存在する世界だからって、いきなり俺が魔法を使えたりする事なんてあるのか……)

 混乱しながらも、ヒロはゆっくりと立ち上がった。

「……ったく。黒曜犬の牙はそこそこで売れるのによ。お前が消し炭にした分、損しちまったぜ」

 頬杖をついたままソラリスが文句を言った。しかし、ヒロの目に映るソラリスの顔はどことなく嬉しそうだった。
 

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