ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】

日比野庵

2-013.風の精霊にお願いしてみますね

 
 ヒロとリムの二人は、ウオバルの街へと向かう道を歩いていた。かれこれもう三時間は歩いているだろうか。山道を過ぎ、丘陵地帯に入る。陽は傾き天蓋は朱色に染まり始めていた。辺りに広がる芝生も色合いを小麦色に変えている。

 リムはふんふんと鼻歌を歌いながら、ヒロの二、三歩前を歩いていた。疲れた様子も見えない。相当な健脚だ。それもこれも精霊だからなのか。ヒロは、そんな取り止めもない事を考えながらリムの後に続いた。

 しかし、何時までも歩き続ける訳にもいかない。陽が落ちる前に今日の寝床をどうするかという問題がある。もしかしたら、このまま何処かで野宿することになるかもしれないという思いがヒロの頭をよぎる。

 ヒロは、昼間出会ったセフィーリアの姿を思い出していた。セフィーリアは旅をするにしてはやけに軽装だった。あれで野宿をするのだろうか。

 確かに、この世界は暖かく、夜も軽装のままでも凌げそうだ。しかしモンスターに襲われる事も考えない訳にはいかない。いくらセフィーリアが剣の達人だったとしても、寝込みを襲われたら一溜まりもないだろう。

 無論、彼女とて、そんなときの為に服の下に鎧を着込んでいるのかもしれない。だが首筋でもやられたら致命傷になるのだ。

(……やはり野宿は危険だ)

 剣術の心得もないどころか、その剣も鎧も盾さえもない自分が不案内な異世界で野宿するのは無謀とはいかないまでも、やはり無茶に過ぎると思えた。また、精霊とはいえ、リムがモンスターを撃退できるとも思えない。

 それ以前に、水も食料もなしで、何日も旅をするわけにはいかない。空腹は我慢できるにしても水は何処かで補給しなければならない。

 リムは、ウオバルの街まで一日半だと言った。仮にセフィーリアがそこに向かったのだとしても、水なしで一日半は厳しいだろう。やはり、村が近くにあるのではないか。ヒロの推測はいつしか願望に変わっていた。

「リム。精霊の力で村が近くにないか探すことはできないか?」

 ヒロは立ち止まってリムに訊ねる。

「えぇ。どうなんでしょう。風の精霊にお願いして、近くを探して貰うことは出来ますけれど、そんなに遠くまではいけませんし……」

 鼻歌を止めて、振り返ったリムは小首を傾げた。難しそうな顔を見せている。

「駄目元だ。試してみてくれないか。ここで野宿はしたくない」
「はい。ヒロ様がそう仰るのなら」

 リムはその場でくるりと一回転する。ローブの裾がふわりと円を描いた。風上を見つけたリムは、ピタリと止まり、両手の指で三角を作ると胸の前に置いた。金色こんじきの瞳を閉じて、歌うように呪文を唱える。

「天空を巡り、生きとし生ける者の息吹を司る風の精霊テゥーリよ、大地母神リーファの命に従い、盟約を果たしなさい……」

 リムの両手の中に渦が生まれた。リムはゆっくりと目を開けると手の三角を解いて前方に手の平を向けて差し出した。柔らかな風が流れ出す。ヒロにははっきりと分からなかったが、風が幾筋もの束となって、四方に流れていったような気がした。

「風の精霊さん達、お願いしますね……」

 リムは空に向かって囁いた。彼女の金色こんじきの瞳は、そのまま風の流れを追っていたが、やがてヒロに向き直って微笑んだ。

「しばらくすれば、分かると思います」

 リムの言葉を受けたヒロは、風の精霊の返事がくるまで小休止することにした。道端の芝生に腰を下ろす。リムもヒロの横に座った。

 ――平和な景色だ。

 嘘偽り無くヒロはそう思った。夕焼けをこんな風に眺めるなんて子供の頃以来だ。会社であくせく働いていた毎日は一体何だったんだろう。ヒロは不思議な感覚に襲われていた。元の世界の出来事がどこか夢のように思える程に。

各務かかみ君、駆け引きもいい、やられたらやり返すのも有りだ。だが人を信じなくなるのだけは駄目だ」

 ヒロはふと、昔勤めていた中小企業かいしゃ社長おやっさんの口癖を思い出した。

 ヒロは今の派遣社員になる前、仲介卸業の会社に勤めていた。社員三人しかいない本当に小さな会社だ。人手がないから事務から営業から何でもやった。仕事は社長おやっさんに一から教わった。社長おやっさんの代わりに取引先と商談交渉をしたこともあった。

 取引先も色々だった。大手はそれほどでもないが、無理難題を吹っかける者、ちょっとした瑕疵や納期遅れを責め立てて少しでも値引きしようとする者もいた。時には取引相手とつかみ合いの喧嘩になりかけたことさえあった。そんなとき社長おやっさんはいつも酒の席に呼んでは、口癖のようにいった。

「人を信じないもんは、しまいには信用されなくなる。信用を失ったら商売はやれん。だから各務君、最後の一線だけは踏み外すな」

 社長おやっさんの熱っぽい口調がヒロの頭の中で響いた。

 だが、それから二年して社長おやっさんの会社は不況の煽りを受けて倒産した。社長おやっさんは取引先に土下座までして仕事を取っていたらしい。それでも駄目だった。

 ヒロがプログラマーになったのは、そんな斬った張ったの場に身を晒すのが嫌になったからだ。機械相手ならそんな煩わしさもないだろうと思った。現実には顧客と仕様の確認や変更で何度も打ち合わせをすることもあるのだが、交渉の矢面には正社員がたってくれる。あの時と比べれば全然マシだ。

 ――社長おやっさん……。今は何してるんだろう。元気でいてくれるといいけど。

 社長おやっさんは倒産した会社の後始末をした後、田舎に帰った。それから二年程は葉書のやり取りがあったのだが、それっきり連絡が取れなくなった。

 ヒロは横に座っているリムに顔を向けた。

 リムは、ヒロにピタリと寄り添い、右手をかざすようにして風を掴まえている。その横顔はヒロには幾分か大人びて見えた。

「ヒロ様。分かりましたぁ」

 リムがキラキラした金色の瞳を向ける。

「この先の丘を越えたところに小さな村があるそうです」
「あったか。よかった。陽が沈む前までに行こう」

 ヒロが立ち上がる。リムは、ありがとうと、風の精霊テゥーリに礼をいって腰を上げた。


◇◇◇


 ヒロとリムが、街道沿いの寒村に着いたのは、丁度、陽が沈んだ頃だった。

 家々が十数件立ち並ぶ村だ。いくつかの窓からは灯りが漏れている。その一角に一際賑やかな声を響かせている二階建てがあった。近づいてみる。表玄関には、木の板に六芒星を焼き付けた看板がぶら下がっている。遠目に覗くとなにやら杯を重ねている様子だ。酒場のようだ。

 ヒロはここで宿がないかと尋ねる積もりだった。だが店に入ろうとしたところで、大事な事に気づいて足を止めた。

 ――かねを持ってない。

 この世界では物を得るのに何を対価としているのだろうか。物々交換か、それとも貨幣を使っているのか。多分後者だ。物々交換するにしても、誰にでも分かる価値のあるものでないと無理だ。ヒロは肩からナップサックを下げ、中のものを確認した。大したものは入ってない。ペットボトル紅茶は二本とも飲んでしまったし、筆記用具を物々交換したところで、大したものにはならないだろう。そもそも交換に応じてくれるかどうかすら怪しい。

「どうかされたのですか? ヒロ様」

 リムがヒロの上着の裾を引っ張る。彼女の顔は、早く入りましょうよと訴えていた。そうしたいのは山々なのだが、お金がないのはどうにもならない。そんなヒロにリムが助け船を出した。

「あの、お金がないのなら、私に持ち合わせがあります。食事と一泊くらいであれば、余裕ですよ」
「なんで分かった?」
「えへへ。ヒロ様の顔に書いてあります、って嘘です。ヒロ様のテレパシーを受け取りましたから」
「え?」
「ええと、ヒロ様は私の念話テレパシーを受け取ることができる方です。それは逆にヒロ様が頭の中で考えたことも私が聞き取れることでもあるのですよ。尤も、ヒロ様が強く念じたことだけですけどね。でも、今のははっきり聞こえました。ヒロ様、余程気になさっていたのですね」

 ヒロは慌てた。いきなり心の中を読んだと言われて動揺しない訳がない。だが、バレてしまったからには仕方ない。ヒロは正直に白状した。

「済まない。リム。実はそうなんだ。俺は金を一文も持ってない。だからなんとか金を稼がなくちゃいけないんだ。だけど、それもこれも街に行って仕事を見つけてからの話だ。この場はどうしようもない。申し訳ないが、少し貸してくれると助かる」
「そんな事気にしないでください。私はヒロ様をお手伝いすることにしたのですから。それに……」

 リムは少し悪戯っぽく笑った。

「昼間の落とし穴で、ヒロ様に団子キビエを御馳走になりました。その代金ということにして差し上げます。だから貸し借りなしです」

 さぁさぁ入りましょう、とリムはヒロの背を押した。ヒロは、自分の背中を押してくれるリムの小さな手をとても頼もしく思った。
 

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