僕と彼女のセカイ

巫夏希

1-7. たったひとつの冴えたやり方

「…………出来ない」

 僕は志津里に振りかざした杖を戻した。
 目を丸くしてへなりと座ってしまっていた志津里は、僕の行動に理解できなかったのだろう。立ち上がると、僕に突っかかってきた。

「どうしてよ。どうして……私に攻撃をくわえないの!? だってあなた言ったじゃない……。自分が次の神になった、って!」
「そうだ。確かにそうだけど……!」
「やれ、神よ。お前は、お前が持つ凡ての知識のもと、目の前にいる少女の贖罪を行わなくてはならない」

 僕の後ろに立っていたのは海人だった。海人の腕には動かなくなった流花がタオルめいてかけられている。
 神からその座を引き継いだあと、神だった存在はその存在が新たに定義されるまでそれはただの抜け殻と化す。ただし長期間そのままにしておくと抜け殻が抜け殻の意味を成さなくなり、そのまま消滅してしまう。
 これは僕の脳内にある知識が勝手に参照した、何らかのデータだった。

「……うるさい」

 それは誰に向けてか、って?
 そんなこと言うまでもない。背後にいる先輩めいた雰囲気を漂わせて命令を下す海人に、神なのに気持ちが揺らいだのか神を僕に譲り渡した流花に、そしてそれを受け取った僕自身に、そしてそもそもこの空間へ呼び寄せた志津里に。

「お前に選択肢など、ない」

 コツ、と一つ足音が鳴った。
 ほかならない海人のものだ。

「お前に選択肢など、一つもないんだ。最初に、神になった時点で」
「僕は好きで神になったわけではないぞ、海人」
「……ほう、僕を名前で呼ぶのは流花くらいだと思っていたが、初対面でそう来るとは、君も結構な神になるだろうね?」

 世界にヒビが入り始める。
 神とか、世界とか、どうでもよかった。
 ただ僕は。
 何の罪も犯していない、彼女を殺さねばならない理由が見当たらなかった。
 七つの大罪だって、神が決めたルールだ。でも僕が決めたルールではない。理不尽なものだ。

「……そうだよ。そんなこと言えば、神だって強欲じゃないか。神だって凡て知り尽くしたとか言っておいてなにも知らないじゃないか。そんな存在が……ひとりの少女を裁いていいのかよ」

 それを聞いて海人は笑みを浮かべる。
 まるで、そんなことどうでもいいとでも言いたい風にも見えた。

「じゃあ、神。君は神となって……何をするつもりだい?」

 ニヒルな笑みを浮かべたまま、海人は言った。
 僕は、それを告げる。

「この古臭い柵を……破壊する!!」

 そして、空間が爆ぜた。


 ◇◇◇


 この世界は平凡すぎるものだと思う。
 なんというか、ツマラナイ。
 生きているだけで、死んでしまいたくなるとは言わないが、そんな感じだ。パット・パルマーも、言っていた。ツマラナイと感じるならば、世界は色を失っていくと。まさにそのとおりであると思う。
 今日も僕は一人で閉じこもっている。僕専用の部屋、とは言わないが、旧校舎にある古い理科室が謂わば僕だけの部屋でもある。
 古ぼけた人体模型に、黒板消しでも簡単に書いたチョークが消えない黒板とかがあるが、僕自体ここに馴染んでいる。まあ、ここに居れば若干はつまらなくならない。クラスには在籍しているけれど、僕のこの野暮ったさ(というか僕自身が他の人間に興味を持っていない、という理由も付加しているのだが)が考慮されて、クラスで浮いている存在となっている。それでも、僕は特に気にしないし、彼らは全てツマラナイ存在だからどうでもいいのだけれど。

「お茶頂戴?」

 そう言ったのは志津里だった。

「あ、私もお茶ほしい!」

 そう言ったのは流花だ。志津里の隣に座って、眠たいのか完全に開いていない瞳を擦っていた。

「というかさ……なんで流花までいるんだい?」
「別にここはあなた専用の場所でもないでしょう?」

 それを言われては困る。

「……あ、あの。もしダメなら私出ていきますけど……」
「いいのよ、流花。このちんちくりんのことは放っておいて」
「それひどくない!? お茶淹れろとか言ったくせして!」
「あーあーうるさいきこえなーい」
「絶対聞こえてるだろそれ!」

 僕は考える。
 この世界でよかった、と。
 僕が神の権限を使って、神の概念を消し去ることによって、僕以外の人間はすべてリセットされた。
 即ち、今までのことを知ってるのは僕だけなのだ。僕ひとりだけで――いい。あのむごたらしい、悲しい事実を知るのは、僕だけで充分なんだ。

「この世界は……なんというかツマラナイわよね」
「……そうだね」

 僕は、志津里の言葉にあまり考えずに言う。

「なによ、あなた。きちんと考えて言っているのかしら?」

 志津里は言うが、僕はそれをうまく誤魔化す。
 今までのことを知ってるのは僕だけ、ということは神の知識も僕の頭の中に入っている。なぜか。


 ――わからない、というのが結論だ。


 というか、それによって解らないことがなくなった。解らないという概念自体が僕の中から消滅した。
 でも、それは『ツマラナイ』というのには直結しない。
 だって――さ。
 こんなに面白い毎日が待っているのだから。
 僕は窓から外を見上げる。
 海人という、顔を思い出すだけで憎たらしい男の顔を空に思い浮かべ、言った。

「……なあ、あんたはこれ以上にいい世界を構成することができたのか。誰ひとり殺すことなく、こんな世界を作ることができたのか」
「なに、それ独り言? なんというか……気持ち悪い」
「君だってそうするだろ」

 志津里に指摘すると、彼女は目をそらす。
 さあ、彼女たちにお茶を淹れることにしよう。
 それが、僕と彼女の世界の、たった一つの日常だから。

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