異世界八険伝
83.聖樹結界と大都ヴァイス・フリューゲル
「エリザベートお祖母様に再びお会い出来るなんて、思ってもみなかったわ」
そうだった。
エリ婆さんは、ミルフェちゃんの祖母だ。髪の色が違うから最初は気付かなかったけど、歳をとれば、人間は禿げるか白髪に変わる……見事に騙された。
「そう言えば、天界で死んだらどこに行くんだろうね」
「竜神様が、天界は魂に安らぎを与える場所だって言ってたわよね」
「うん、静なる魂がどうとかこうとか」
「静なる魂は争いごとをしない。天界では戦争はおろか、ケンカすらも一切起こらない……聖神教ではそう言われている。竜神様が“魂に安らぎを与える場所”と言っていたのは、そういう意味だと思う」
「天界にもたらされた憎しみの心……」
「うん。私達の教義では、魂は“不滅にして夢幻泡影なる存在”とされているの。不滅なのに、夢や幻、泡や影のように儚く壊れやすい。一見、矛盾しているようだけど、そうじゃない。魂はその価値を全うしたとき、再び輪廻転生に至る。でも、それ以前に破壊されてしまうと、完全に消滅してしまう……」
完全に消滅してしまう……。
ミルフェちゃんの最後の言葉が頭に焼き付いて離れない。
事の重大さに、2人の間に長い沈黙が続く。
その沈黙を破ったのはミルフェちゃんだった。
「世界に存する魂の数は常に一定だと言われている。地上界で死ねば天界で生き返る。天界で天寿を全うすれば、地上界で再び生き返る。こうして世界の均衡が保たれている。勿論、魂は全ての生きとし生けるものにある。だから、人が、再び人として生まれ変わるとは限らないけどね」
生物の種類……聞いたことがある。
地球上で確認出来た数は200万種に迫る。そのうち動物が約7割を占め、さらにその7割は昆虫かもしれないと言われている……。
魂の輪廻が異種でも起こり得るのなら、再び人間に生まれ変わる確率なんて……地球上ではわずか200万分の1しかないのだ。
「まぁ、難しい話は抜きにして、再会を喜び、楽しみましょうよ!」
「そうだよね。もう二度と会えないかもだし……」
「もう! そんな悲しいこと言わないで!」
「分かった! 泣かないようにしようね!」
スカイは雲の上をゆっくり、雄大に飛んだ。
そして、3時間ほどすると、徐々に高度を下げていく。
広大な森、その一部が光る膜に覆われている箇所が見えた。これが聖樹結界……。
結界内に飛び込もうと降下していくスカイは、突然急浮上して体勢を崩した。
進入を諦めたようで、申し訳なさそうにボクを振り返る。竜すらも拒絶する結界なのだろうか。
結界の手前に降ろしてもらい、スカイを帰還させる。
目の前に聖樹結界がある。
あるはずなのに、その有無を視認することが出来ない。
でも、結界内では雨が降っていない……その違いだけで結界の存在は認識できた。
「入れるかな?」
「リンネちゃんなら大丈夫でしょう。私はどうかな……」
「体重制限ってこと?」
「いじわる!」
結界内に左手を伸ばす。
うん、大丈夫だ。問題なく入れる。
ボクは、左足をゆっくり踏み込み、思い切って境界線を越える。
一瞬、身体中に弱い電気が走ったような感覚があった。
でも、大丈夫だ!
「ミルフェちゃん、早くおいで」
「私が死んじゃったら、後はよろしく……」
「はいはい、頭にドーナツ乗せてあげるよ」
ミルフェちゃんは、数歩だけ後退ると、走り幅跳びの要領で思いっきり飛び込んできた。
着地に失敗。
勢い余って転がっていき、木の根元にぶつかって止まる。
「私、生きてる!」
「危うく死ぬところだったね……」
結界の中は、エリ村があった森と似ていた。
獣道を、結界の中心に向かって歩いていく。
一歩ずつ、徐々に鼓動が早くなる。
そして、視界には村が見えてきた!
「村というより、町だね」
エリ村のイメージを抱いていたボクは、あまりのギャップに思わず呟いてしまった。
「これって、全員エルフ!? 」
ミルフェちゃんに言われて初めて気付く。
全員がアユナちゃんのように、耳が長い。羽がある。ドーナツは……乗っていない。
「そうか……地上界に居たエルフ達が全員ここに集まっているのかもしれない」
ウィズに蹂躙されたエルフの集落を思い出す。
きっと他にも殺されたエルフは居たはずだ。
魔人によるエルフ狩りの目的、それは恐らく……召還石の捜索。もっと早く召還石を集めることが出来ていれば……そう考えると、ボクにも責任の一端がある。
「リンネちゃん、そんな顔をしない! 泣かないって約束でしょ?」
そうだったね。
今にも泣きそうだった。
「うん」
エルフの町を進んでいく。
行き交うエルフ達が手を振って迎えてくれる。
「なんか、歓迎されてる?」
「美少女を歓迎しない人はいないって」
いや、そうじゃないと思う。
ボク達がここに来ることを知っていたような感じだ。
森の自然を利用して作られた町。
大樹の幹の空洞に作られた住居、樹上に組まれた吊り橋、池で水浴びをする子ども達、咲き乱れる花々、そして……人々の笑顔。
「初めて天界っぽい所に来たね」
ミルフェちゃんの感想が物語る通りだ。
聖樹結界は、豪雨を退けるだけでなく、天界に満ちる憎悪の心をも退けているのだろう。ここに居るだけで気持ちが落ち着く。焦りの、不安の心が安らいでいくのを感じる。
やがて、結界の中心、聖樹の前に辿り着いた。
目の前の聖樹は、高さ50mくらいの大樹だ。
白樹の塔と比べるのはおかしいけど、幹の直径が5mを超える、どっしりとした大樹だった。
その大樹の横には教会のような建物がある。
エリ村の、ボクが召還された建物に似ている。
入り口の門扉が開く。
そして、そこから1人の老婆が杖を突きながら出てきた。
エリ婆さんだ!
ボクと、ミルフェちゃんが両手を広げて走り出す!
エリ婆さんも杖を投げ捨て、全力で歩く。
歩みは限りなく遅い。また敏捷が下がったか。
でも、距離は確実に縮まり、やがて力強く抱きしめ合う!
ミルフェちゃんがジト目で見てくる。
うん、なぜかエリ婆さんと抱き合っているのはボクだ。
両手を広げて飛び込んだミルフェちゃんをエリ婆さんは軽快に捌き、ボクの身体を受け止めたのだ。
「勇者リンネ、よく来てくれた!」
「はい、お陰様で……」
「嫌味かい。わしは、銀の召還石のことを伝え忘れたのが気掛かりでな、危うく地縛霊になるところじゃったのに!」
「お祖母様、そのお務めは私が果たしました!」
「おや、お前はミルフェかい? しばらく会わぬ間に立派になったのぅ」
そう言ってミルフェちゃんの胸を揉み始めた婆さん。
「お祖母様、こちらに天神様がいらっしゃると伺ったのですが……」
「あぁ、昨日まで居られた。まさか神様にお会いする日がくるなんて思わなんだ。生前は毎日祈っていたのに、神様の“か”の字も感じなかったのにのぅ」
リーンは記憶喪失で引き篭もっていたからね……。
「天神様は神格を得た神樹であられる。故に、森の守護者たるエルフと深い絆で結ばれておる。我々の代わりに自らを犠牲にして戦い、その結果、邪に犯され、酷く衰弱なされておった。そして、ここにも邪神の影が忍び寄ってきた……」
「今、天神はどこに?」
年寄りの長話をぶった切る。
「アユナが大都ヴァイス・フリューゲルへとお連れした。あそこには未だに勇者がたくさんおるでな、邪神に抗う力は得られよう」
大都ヴァイス・フリューゲル……そこに歴代の勇者達がいるのか。
ボクの脳裏に浮かぶのは“西の真実”。かつて、自殺や処刑された数々の勇者達、彼らは天界で何を思う。
同じことを考えていたのか、ミルフェちゃんが心配そうに見つめてきた。
考えていても仕方がない、前に進もう!
「エリザベート様、ボク達は大都へ行きます」
「待ちなされ」
即答で引き止められた……。
「そなた達、自分がどんな酷い顔をしているのか分かっておるのか?」
酷い顔?
ボクはミルフェちゃんと見つめ合う。
うん、とっても可愛いと思うけど?
「リンネちゃん……クマが! 肌荒れが!」
「えっ! そんなこと!? 」
「眠っておらんじゃろ。まずは休め。いざと言うときに身体も頭も動かねばどうする」
そう言えばそうだ。
魔界から天界へ、そして竜神の神殿から白樹の塔、聖樹結界……魔力も完全ではないし、スカイだって休ませたい。
「そうですね、お言葉に甘えさせていただきます」
朝か昼か、それとも夜か……それすらも分からないけど、ボク達はエルフの方々と楽しく食事をし、歌を聴き、ミルフェちゃんと一緒にお風呂に入って心も身体も癒した。
そして、5時間くらいだろうか、睡眠もとった。
★☆★
別れの時がきた。
エリ婆さんだけでなく、アユナパパも泣いていた。
罪悪感と責任感がボクの心を押し潰してくる。ぐっと込み上げてくる感情を、笑顔で乗り越え、何とか口にする。
「皆さん、お世話になりました……」
「うむ、重荷を背負わせてすまんかったな……」
「いえ……」
「リンネ様、アユナを宜しくお願いします……」
「はい……」
背を向けて歩き出す。
ミルフェちゃんも必死に涙を堪えていた。
結界を出ると、ボク達は再び豪雨に晒された。
しばらく雨に打たれながら、気付かれないように、滝のような涙を流した。
「スカイ、お願い。大都へ連れて行って!」
指輪を荒れ狂う天に翳し、魔法陣から頼もしい友を呼ぶ。
大都ヴァイス・フリューゲル……エリ婆さんが言うには、フリージア王都の位置からおおよそ真北にあるらしい。
きっと、そこにアユナちゃんが居る。
サクラちゃんも、魔神も天神も。
聖樹を振り返って、ふと思う。
アユナちゃんは、エリ村が魔人に滅ぼされたことを思い出したんだ。もし邪神がここに来れば、再びエルフ達に悲劇が起こる。きっと、そう考えたんだろうね。ボク達なんかよりずっと辛い別れを経験し、乗り越えて、前に進んだんだね。
★☆★
スカイはとても元気だった。
雲の上を滑るように飛翔する勇姿は、まるで飛行機のようだ。
最初は気持ち良くて笑っていたボク達だけど、次第に顔が引き攣ってきて、1時間もすると喋るどころか、目を開ける余裕もなくなってしまっていた。
ロンダルシア大陸は、およそオーストラリア大陸と似たような感じだ。形だけでなく、広さや気候も似ているように思う。
こんなに大きな大陸が、大西洋にあったと言われるアトランティス大陸や、インド洋のレムリア大陸、太平洋のムー大陸のように、海底に沈んでしまうなんて考えられない。
因みに、エリ村からフリージア王都の北、天界の大都がある場所までは1500km近くあるだろう。時速150kmで飛んでも10時間掛かる距離だ。その距離を、スカイは8時間足らずで飛んでしまったのだから、乗っているボク達がどれだけしんどかったのかを想像してほしい。
上空から見ると、天使が羽を広げたような見事な都だった。
大都ヴァイス・フリューゲル……多分、ドイツ語で“白い翼”のような意味だと思う。何となくドイツ語っぽい地名や人名が多いのが気になるけど、偶然だろう。
都を柔らかく包む結界が見える。
聖樹結界ほどではないが、豪雨や魔物を防いでいるのかもしれない。と言っても、天界には魔物は居ないんだっけ。一応、この世界での竜は魔物ではないらしい。竜神の眷属、いわゆる獣と妖精の中間くらいなのだろう。
スカイは大きく減速し、東門を目指して降下していく。
次第に気力と視力を取り戻してきたボク達が見たものは、ヴァイス・フリューゲルの中央、広場のような場所で行われる戦闘風景だった!
「戦ってる!」
「戦争!? 」
「邪神かもしれない!! 」
「スカイ、広場の上空へ!! 」
門から悠長に入る必要はない!
結界が覆う上空、ボクはそこから浮遊魔法を使って一気に飛び降りる!
勿論、ミルフェちゃんも道連れだ。
目指すのは広場の中央、戦闘の真っ只中!
右手にミルフェちゃんを抱きしめ、左手は風圧で捲り上がるスカートを押さえる。
眼下に向けて大声で叫ぶ!
「戦争を止めてください!! 」
★☆★
ボク達は、大都ヴァイス・フリューゲルの王宮に連れて行かれた。
そこで、男たち5人に囲まれている……。
桃色の髪の巨漢戦士は、ヴェルサス……初代フリージア国王にして、エリ婆さんの夫。金髪に黄金の鎧を纏った男は、アルン王国建国者である勇者アルン。そして、同じく金の刺繍を施した法衣を身に付けた3人の老人、西の三賢……地上界で命を終えた者達だった。
その中に、勇者アルンの妻、伝説と言われるパーティの僧侶の姿はなかった。天界での天寿を全うし、既に地上界に転生したのかもしれない。
『それで、そなたは我々の戦闘を止めに来たのか』
勇者アルンが代表してボク達に詰め寄る。
この人は、かつて勇者召還を散々行い、大陸を混乱に落とし入れた張本人……。
かつての偉人たちの前で固まるミルフェちゃん。
代わりにボクが無表情の盾となって戦う!
「はい。地上界からもたらされた憎悪の連鎖が天界を蝕もうとしています。それは魔王復活を企てる魔人の狙いであり、さらには邪神の存在も……」
『はっはっは!! 』
『これは傑作だな!』
ボクの弁論を遮り、嘲笑する男達……。
瞬時に怒りが沸騰する!
「今は人間同士が争っている場合ではありません!」
『わっはっは!! 』
『グフッ、グフフッ』
『これはなかなか……ぶはっ!』
くっ!
こいつら!!
「王ならば、勇者ならば、その責任を果たせ!! 」
頂点に達した怒りは、年長者への敬意を忘れ単なる怒鳴り声になってしまっていた。
『す、すまん……プッ!』
『おい、笑うなよ……ウププ』
『王よ、お戯れはこれくらいで……』
『あぁ、そうだな……』
しばらくして笑いを鎮めた男達は、真剣な面持ちでボク達を見つめてきた。
こっちの戦力を測っているのか?
戦うつもりか!?
不敬であることを忘れ、思わず杖に手を伸ばす。
『すまぬ、お主が昨日のアユナ殿とそっくりだったものでな、ついつい微笑ましく思って笑ってしまったのだ』
はぁ?
どういうことだ?
『俺が説明しよう』
戦士ヴェルサスが歩み寄ってきた。
この人、ミルフェちゃんのお祖父さんだよね……この威圧感、優しいミルフェちゃんとは全く似ていない! ピンクの髪と筋骨隆々な肉体にこの世ならざる恐ろしいギャップを感じる。
自然と杖を握る手に力が篭る。
『力を抜け、敵意はない』
両手を挙げて自らに敵意がないことを示しているが、笑顔が逆に怖い!
『俺達は、確かにお前が言うように憎しみの連鎖を引き摺っていた。特に、召還勇者達だな。状況は深刻で、争いに明け暮れる日々だった。当然、それが天界のあるべき姿ではないことは自覚していた。魔王の思う壺だと言うことも理解していた。
そんな折、昨日の朝だったか。突然、空からエルフの娘が舞い降りた。エリザベートの村のアユナという娘だ。俺らの中の憎悪を感じ取り、戦闘を止めようと、必死に語っていたよ……。
彼女は、憎悪に憎悪を返すことなく、笑顔でこう提案してきた。“皆で楽しく修行して憎悪を発散させましょう”ってな! それから、勇者達は時間を忘れるくらいに楽しんでおる。この都に憎しみの念は欠片ほどもない。憎悪の連鎖は断ち切られた。全てアユナのお陰だ。
そして、昨日の今日だ。アユナと同じことを言い始める者が2日連続で現れようとはな! すまん、笑ってしまった』
「……」
アユナちゃん、活躍したんだね。
聞けば、真剣ではなく棒に布を巻いた擬似剣でスポーツのように戦っていたそうだ。スポーツチャンバラみたいなものか……。
勘違いして突っ込み、暴走した自分が恥ずかしい。
『そこの桃色の……もしや、ミルフェか?』
「あ、はい! 初めまして、お祖父様」
固まっていたミルフェちゃんが立ち上がり、膝を曲げてぎごちない挨拶をする。ヴェルサスはミルフェちゃんの所に飛んできて、その肩をがっしりと掴んだ。
『立派になったな!』
やばい、何か嫌な予感がする!
案の定、ヴェルサスの両手がミルフェちゃんの胸に向かっていく。
「やめいっ!」
『ぐあっ!』
辛うじて、ボクの杖が手を薙ぎ払う。
悲しそうに萎れるヴェルサス、それを笑いながら見つめるアルン達……船頭多くして船山に登るとか、コックが多いとスープがダメになる、なんて言われるけど、この大都に限って言えば、三人寄れば文殊の知恵の方だろう。
「ところでお祖父様。邪神との戦いに、ここにいる勇者達の力をお貸し願えないでしょうか」
召還勇者がどれほど強いかは分からないが、力を併せることが出来れば!
『だが、断る』
ボク達の願いは、勇者アルンの発言により、一刀の下に斬りおとされた……。
「アルン様、どうしてですか!? 」
『我々が召還した者達への、せめてもの償いだ。我々には彼らの魂を守る責務がある。この世界のことは、この世界の者が解決すべきだ。もう、彼らを巻き込みたくはない……』
勇者アルンの悲痛な心の叫びを聞いた。
何も言い返すことが出来なかった。
『本当にすまないと思っている。俺らは大陸中から可能な限りの天界人をここ大都に集めた。結界を張って魂を守り抜く、これが俺らに出来ることだ』
そうか……海へと沈み行くこの大陸で、標高の高い北部山岳地帯に大都ヴァイス・フリューゲルが築かれたのはそういう理由があったのか。
あれ?
もしかして、アユナちゃん達はここに居ない!?
「天神はどこへ?」
『天神様をご存知か! なるほど、使命を帯びた者達なのだな。神々は南西へと向かわれた。はるか彼方、地上のニューアルンが築かれた地に、城塞都市ローゼンブルグがある。今朝、そこへと旅立たれた』
ニューアルン……また一歩遅かったか。
それにしても、アユナちゃん達はどうやって移動しているんだろう。
もしかして、魔神や天神の力?
そうか。さすがにスカイでも神の力には及ばないよね。
でも!
5日遅れだったボク達は、半日遅れのところまで追いついてきたんだ。
急ごう!
次の目的地、城塞都市ローゼンブルグで合流する!
そうだった。
エリ婆さんは、ミルフェちゃんの祖母だ。髪の色が違うから最初は気付かなかったけど、歳をとれば、人間は禿げるか白髪に変わる……見事に騙された。
「そう言えば、天界で死んだらどこに行くんだろうね」
「竜神様が、天界は魂に安らぎを与える場所だって言ってたわよね」
「うん、静なる魂がどうとかこうとか」
「静なる魂は争いごとをしない。天界では戦争はおろか、ケンカすらも一切起こらない……聖神教ではそう言われている。竜神様が“魂に安らぎを与える場所”と言っていたのは、そういう意味だと思う」
「天界にもたらされた憎しみの心……」
「うん。私達の教義では、魂は“不滅にして夢幻泡影なる存在”とされているの。不滅なのに、夢や幻、泡や影のように儚く壊れやすい。一見、矛盾しているようだけど、そうじゃない。魂はその価値を全うしたとき、再び輪廻転生に至る。でも、それ以前に破壊されてしまうと、完全に消滅してしまう……」
完全に消滅してしまう……。
ミルフェちゃんの最後の言葉が頭に焼き付いて離れない。
事の重大さに、2人の間に長い沈黙が続く。
その沈黙を破ったのはミルフェちゃんだった。
「世界に存する魂の数は常に一定だと言われている。地上界で死ねば天界で生き返る。天界で天寿を全うすれば、地上界で再び生き返る。こうして世界の均衡が保たれている。勿論、魂は全ての生きとし生けるものにある。だから、人が、再び人として生まれ変わるとは限らないけどね」
生物の種類……聞いたことがある。
地球上で確認出来た数は200万種に迫る。そのうち動物が約7割を占め、さらにその7割は昆虫かもしれないと言われている……。
魂の輪廻が異種でも起こり得るのなら、再び人間に生まれ変わる確率なんて……地球上ではわずか200万分の1しかないのだ。
「まぁ、難しい話は抜きにして、再会を喜び、楽しみましょうよ!」
「そうだよね。もう二度と会えないかもだし……」
「もう! そんな悲しいこと言わないで!」
「分かった! 泣かないようにしようね!」
スカイは雲の上をゆっくり、雄大に飛んだ。
そして、3時間ほどすると、徐々に高度を下げていく。
広大な森、その一部が光る膜に覆われている箇所が見えた。これが聖樹結界……。
結界内に飛び込もうと降下していくスカイは、突然急浮上して体勢を崩した。
進入を諦めたようで、申し訳なさそうにボクを振り返る。竜すらも拒絶する結界なのだろうか。
結界の手前に降ろしてもらい、スカイを帰還させる。
目の前に聖樹結界がある。
あるはずなのに、その有無を視認することが出来ない。
でも、結界内では雨が降っていない……その違いだけで結界の存在は認識できた。
「入れるかな?」
「リンネちゃんなら大丈夫でしょう。私はどうかな……」
「体重制限ってこと?」
「いじわる!」
結界内に左手を伸ばす。
うん、大丈夫だ。問題なく入れる。
ボクは、左足をゆっくり踏み込み、思い切って境界線を越える。
一瞬、身体中に弱い電気が走ったような感覚があった。
でも、大丈夫だ!
「ミルフェちゃん、早くおいで」
「私が死んじゃったら、後はよろしく……」
「はいはい、頭にドーナツ乗せてあげるよ」
ミルフェちゃんは、数歩だけ後退ると、走り幅跳びの要領で思いっきり飛び込んできた。
着地に失敗。
勢い余って転がっていき、木の根元にぶつかって止まる。
「私、生きてる!」
「危うく死ぬところだったね……」
結界の中は、エリ村があった森と似ていた。
獣道を、結界の中心に向かって歩いていく。
一歩ずつ、徐々に鼓動が早くなる。
そして、視界には村が見えてきた!
「村というより、町だね」
エリ村のイメージを抱いていたボクは、あまりのギャップに思わず呟いてしまった。
「これって、全員エルフ!? 」
ミルフェちゃんに言われて初めて気付く。
全員がアユナちゃんのように、耳が長い。羽がある。ドーナツは……乗っていない。
「そうか……地上界に居たエルフ達が全員ここに集まっているのかもしれない」
ウィズに蹂躙されたエルフの集落を思い出す。
きっと他にも殺されたエルフは居たはずだ。
魔人によるエルフ狩りの目的、それは恐らく……召還石の捜索。もっと早く召還石を集めることが出来ていれば……そう考えると、ボクにも責任の一端がある。
「リンネちゃん、そんな顔をしない! 泣かないって約束でしょ?」
そうだったね。
今にも泣きそうだった。
「うん」
エルフの町を進んでいく。
行き交うエルフ達が手を振って迎えてくれる。
「なんか、歓迎されてる?」
「美少女を歓迎しない人はいないって」
いや、そうじゃないと思う。
ボク達がここに来ることを知っていたような感じだ。
森の自然を利用して作られた町。
大樹の幹の空洞に作られた住居、樹上に組まれた吊り橋、池で水浴びをする子ども達、咲き乱れる花々、そして……人々の笑顔。
「初めて天界っぽい所に来たね」
ミルフェちゃんの感想が物語る通りだ。
聖樹結界は、豪雨を退けるだけでなく、天界に満ちる憎悪の心をも退けているのだろう。ここに居るだけで気持ちが落ち着く。焦りの、不安の心が安らいでいくのを感じる。
やがて、結界の中心、聖樹の前に辿り着いた。
目の前の聖樹は、高さ50mくらいの大樹だ。
白樹の塔と比べるのはおかしいけど、幹の直径が5mを超える、どっしりとした大樹だった。
その大樹の横には教会のような建物がある。
エリ村の、ボクが召還された建物に似ている。
入り口の門扉が開く。
そして、そこから1人の老婆が杖を突きながら出てきた。
エリ婆さんだ!
ボクと、ミルフェちゃんが両手を広げて走り出す!
エリ婆さんも杖を投げ捨て、全力で歩く。
歩みは限りなく遅い。また敏捷が下がったか。
でも、距離は確実に縮まり、やがて力強く抱きしめ合う!
ミルフェちゃんがジト目で見てくる。
うん、なぜかエリ婆さんと抱き合っているのはボクだ。
両手を広げて飛び込んだミルフェちゃんをエリ婆さんは軽快に捌き、ボクの身体を受け止めたのだ。
「勇者リンネ、よく来てくれた!」
「はい、お陰様で……」
「嫌味かい。わしは、銀の召還石のことを伝え忘れたのが気掛かりでな、危うく地縛霊になるところじゃったのに!」
「お祖母様、そのお務めは私が果たしました!」
「おや、お前はミルフェかい? しばらく会わぬ間に立派になったのぅ」
そう言ってミルフェちゃんの胸を揉み始めた婆さん。
「お祖母様、こちらに天神様がいらっしゃると伺ったのですが……」
「あぁ、昨日まで居られた。まさか神様にお会いする日がくるなんて思わなんだ。生前は毎日祈っていたのに、神様の“か”の字も感じなかったのにのぅ」
リーンは記憶喪失で引き篭もっていたからね……。
「天神様は神格を得た神樹であられる。故に、森の守護者たるエルフと深い絆で結ばれておる。我々の代わりに自らを犠牲にして戦い、その結果、邪に犯され、酷く衰弱なされておった。そして、ここにも邪神の影が忍び寄ってきた……」
「今、天神はどこに?」
年寄りの長話をぶった切る。
「アユナが大都ヴァイス・フリューゲルへとお連れした。あそこには未だに勇者がたくさんおるでな、邪神に抗う力は得られよう」
大都ヴァイス・フリューゲル……そこに歴代の勇者達がいるのか。
ボクの脳裏に浮かぶのは“西の真実”。かつて、自殺や処刑された数々の勇者達、彼らは天界で何を思う。
同じことを考えていたのか、ミルフェちゃんが心配そうに見つめてきた。
考えていても仕方がない、前に進もう!
「エリザベート様、ボク達は大都へ行きます」
「待ちなされ」
即答で引き止められた……。
「そなた達、自分がどんな酷い顔をしているのか分かっておるのか?」
酷い顔?
ボクはミルフェちゃんと見つめ合う。
うん、とっても可愛いと思うけど?
「リンネちゃん……クマが! 肌荒れが!」
「えっ! そんなこと!? 」
「眠っておらんじゃろ。まずは休め。いざと言うときに身体も頭も動かねばどうする」
そう言えばそうだ。
魔界から天界へ、そして竜神の神殿から白樹の塔、聖樹結界……魔力も完全ではないし、スカイだって休ませたい。
「そうですね、お言葉に甘えさせていただきます」
朝か昼か、それとも夜か……それすらも分からないけど、ボク達はエルフの方々と楽しく食事をし、歌を聴き、ミルフェちゃんと一緒にお風呂に入って心も身体も癒した。
そして、5時間くらいだろうか、睡眠もとった。
★☆★
別れの時がきた。
エリ婆さんだけでなく、アユナパパも泣いていた。
罪悪感と責任感がボクの心を押し潰してくる。ぐっと込み上げてくる感情を、笑顔で乗り越え、何とか口にする。
「皆さん、お世話になりました……」
「うむ、重荷を背負わせてすまんかったな……」
「いえ……」
「リンネ様、アユナを宜しくお願いします……」
「はい……」
背を向けて歩き出す。
ミルフェちゃんも必死に涙を堪えていた。
結界を出ると、ボク達は再び豪雨に晒された。
しばらく雨に打たれながら、気付かれないように、滝のような涙を流した。
「スカイ、お願い。大都へ連れて行って!」
指輪を荒れ狂う天に翳し、魔法陣から頼もしい友を呼ぶ。
大都ヴァイス・フリューゲル……エリ婆さんが言うには、フリージア王都の位置からおおよそ真北にあるらしい。
きっと、そこにアユナちゃんが居る。
サクラちゃんも、魔神も天神も。
聖樹を振り返って、ふと思う。
アユナちゃんは、エリ村が魔人に滅ぼされたことを思い出したんだ。もし邪神がここに来れば、再びエルフ達に悲劇が起こる。きっと、そう考えたんだろうね。ボク達なんかよりずっと辛い別れを経験し、乗り越えて、前に進んだんだね。
★☆★
スカイはとても元気だった。
雲の上を滑るように飛翔する勇姿は、まるで飛行機のようだ。
最初は気持ち良くて笑っていたボク達だけど、次第に顔が引き攣ってきて、1時間もすると喋るどころか、目を開ける余裕もなくなってしまっていた。
ロンダルシア大陸は、およそオーストラリア大陸と似たような感じだ。形だけでなく、広さや気候も似ているように思う。
こんなに大きな大陸が、大西洋にあったと言われるアトランティス大陸や、インド洋のレムリア大陸、太平洋のムー大陸のように、海底に沈んでしまうなんて考えられない。
因みに、エリ村からフリージア王都の北、天界の大都がある場所までは1500km近くあるだろう。時速150kmで飛んでも10時間掛かる距離だ。その距離を、スカイは8時間足らずで飛んでしまったのだから、乗っているボク達がどれだけしんどかったのかを想像してほしい。
上空から見ると、天使が羽を広げたような見事な都だった。
大都ヴァイス・フリューゲル……多分、ドイツ語で“白い翼”のような意味だと思う。何となくドイツ語っぽい地名や人名が多いのが気になるけど、偶然だろう。
都を柔らかく包む結界が見える。
聖樹結界ほどではないが、豪雨や魔物を防いでいるのかもしれない。と言っても、天界には魔物は居ないんだっけ。一応、この世界での竜は魔物ではないらしい。竜神の眷属、いわゆる獣と妖精の中間くらいなのだろう。
スカイは大きく減速し、東門を目指して降下していく。
次第に気力と視力を取り戻してきたボク達が見たものは、ヴァイス・フリューゲルの中央、広場のような場所で行われる戦闘風景だった!
「戦ってる!」
「戦争!? 」
「邪神かもしれない!! 」
「スカイ、広場の上空へ!! 」
門から悠長に入る必要はない!
結界が覆う上空、ボクはそこから浮遊魔法を使って一気に飛び降りる!
勿論、ミルフェちゃんも道連れだ。
目指すのは広場の中央、戦闘の真っ只中!
右手にミルフェちゃんを抱きしめ、左手は風圧で捲り上がるスカートを押さえる。
眼下に向けて大声で叫ぶ!
「戦争を止めてください!! 」
★☆★
ボク達は、大都ヴァイス・フリューゲルの王宮に連れて行かれた。
そこで、男たち5人に囲まれている……。
桃色の髪の巨漢戦士は、ヴェルサス……初代フリージア国王にして、エリ婆さんの夫。金髪に黄金の鎧を纏った男は、アルン王国建国者である勇者アルン。そして、同じく金の刺繍を施した法衣を身に付けた3人の老人、西の三賢……地上界で命を終えた者達だった。
その中に、勇者アルンの妻、伝説と言われるパーティの僧侶の姿はなかった。天界での天寿を全うし、既に地上界に転生したのかもしれない。
『それで、そなたは我々の戦闘を止めに来たのか』
勇者アルンが代表してボク達に詰め寄る。
この人は、かつて勇者召還を散々行い、大陸を混乱に落とし入れた張本人……。
かつての偉人たちの前で固まるミルフェちゃん。
代わりにボクが無表情の盾となって戦う!
「はい。地上界からもたらされた憎悪の連鎖が天界を蝕もうとしています。それは魔王復活を企てる魔人の狙いであり、さらには邪神の存在も……」
『はっはっは!! 』
『これは傑作だな!』
ボクの弁論を遮り、嘲笑する男達……。
瞬時に怒りが沸騰する!
「今は人間同士が争っている場合ではありません!」
『わっはっは!! 』
『グフッ、グフフッ』
『これはなかなか……ぶはっ!』
くっ!
こいつら!!
「王ならば、勇者ならば、その責任を果たせ!! 」
頂点に達した怒りは、年長者への敬意を忘れ単なる怒鳴り声になってしまっていた。
『す、すまん……プッ!』
『おい、笑うなよ……ウププ』
『王よ、お戯れはこれくらいで……』
『あぁ、そうだな……』
しばらくして笑いを鎮めた男達は、真剣な面持ちでボク達を見つめてきた。
こっちの戦力を測っているのか?
戦うつもりか!?
不敬であることを忘れ、思わず杖に手を伸ばす。
『すまぬ、お主が昨日のアユナ殿とそっくりだったものでな、ついつい微笑ましく思って笑ってしまったのだ』
はぁ?
どういうことだ?
『俺が説明しよう』
戦士ヴェルサスが歩み寄ってきた。
この人、ミルフェちゃんのお祖父さんだよね……この威圧感、優しいミルフェちゃんとは全く似ていない! ピンクの髪と筋骨隆々な肉体にこの世ならざる恐ろしいギャップを感じる。
自然と杖を握る手に力が篭る。
『力を抜け、敵意はない』
両手を挙げて自らに敵意がないことを示しているが、笑顔が逆に怖い!
『俺達は、確かにお前が言うように憎しみの連鎖を引き摺っていた。特に、召還勇者達だな。状況は深刻で、争いに明け暮れる日々だった。当然、それが天界のあるべき姿ではないことは自覚していた。魔王の思う壺だと言うことも理解していた。
そんな折、昨日の朝だったか。突然、空からエルフの娘が舞い降りた。エリザベートの村のアユナという娘だ。俺らの中の憎悪を感じ取り、戦闘を止めようと、必死に語っていたよ……。
彼女は、憎悪に憎悪を返すことなく、笑顔でこう提案してきた。“皆で楽しく修行して憎悪を発散させましょう”ってな! それから、勇者達は時間を忘れるくらいに楽しんでおる。この都に憎しみの念は欠片ほどもない。憎悪の連鎖は断ち切られた。全てアユナのお陰だ。
そして、昨日の今日だ。アユナと同じことを言い始める者が2日連続で現れようとはな! すまん、笑ってしまった』
「……」
アユナちゃん、活躍したんだね。
聞けば、真剣ではなく棒に布を巻いた擬似剣でスポーツのように戦っていたそうだ。スポーツチャンバラみたいなものか……。
勘違いして突っ込み、暴走した自分が恥ずかしい。
『そこの桃色の……もしや、ミルフェか?』
「あ、はい! 初めまして、お祖父様」
固まっていたミルフェちゃんが立ち上がり、膝を曲げてぎごちない挨拶をする。ヴェルサスはミルフェちゃんの所に飛んできて、その肩をがっしりと掴んだ。
『立派になったな!』
やばい、何か嫌な予感がする!
案の定、ヴェルサスの両手がミルフェちゃんの胸に向かっていく。
「やめいっ!」
『ぐあっ!』
辛うじて、ボクの杖が手を薙ぎ払う。
悲しそうに萎れるヴェルサス、それを笑いながら見つめるアルン達……船頭多くして船山に登るとか、コックが多いとスープがダメになる、なんて言われるけど、この大都に限って言えば、三人寄れば文殊の知恵の方だろう。
「ところでお祖父様。邪神との戦いに、ここにいる勇者達の力をお貸し願えないでしょうか」
召還勇者がどれほど強いかは分からないが、力を併せることが出来れば!
『だが、断る』
ボク達の願いは、勇者アルンの発言により、一刀の下に斬りおとされた……。
「アルン様、どうしてですか!? 」
『我々が召還した者達への、せめてもの償いだ。我々には彼らの魂を守る責務がある。この世界のことは、この世界の者が解決すべきだ。もう、彼らを巻き込みたくはない……』
勇者アルンの悲痛な心の叫びを聞いた。
何も言い返すことが出来なかった。
『本当にすまないと思っている。俺らは大陸中から可能な限りの天界人をここ大都に集めた。結界を張って魂を守り抜く、これが俺らに出来ることだ』
そうか……海へと沈み行くこの大陸で、標高の高い北部山岳地帯に大都ヴァイス・フリューゲルが築かれたのはそういう理由があったのか。
あれ?
もしかして、アユナちゃん達はここに居ない!?
「天神はどこへ?」
『天神様をご存知か! なるほど、使命を帯びた者達なのだな。神々は南西へと向かわれた。はるか彼方、地上のニューアルンが築かれた地に、城塞都市ローゼンブルグがある。今朝、そこへと旅立たれた』
ニューアルン……また一歩遅かったか。
それにしても、アユナちゃん達はどうやって移動しているんだろう。
もしかして、魔神や天神の力?
そうか。さすがにスカイでも神の力には及ばないよね。
でも!
5日遅れだったボク達は、半日遅れのところまで追いついてきたんだ。
急ごう!
次の目的地、城塞都市ローゼンブルグで合流する!
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