守銭奴、迷宮に潜る

きー子

21.密談

 その場に取り残された俺がまずやったのは、どこからか飛んできた矢の主──つまり弓手を警戒することであった。ダナン・ド・ヴォーダンを狙っていたことは間違いないが、だからといってこちらの味方であるとは限らない。しばし警戒を続けていると、俺からは大きく離れた崖に矢が一本突き立つ。一瞥すると、その矢尻に文がくくりつけられているようだった。

 毒を警戒して手袋をはめ、矢を引き抜く。そして紙を広げてみる。そちらに向かうので少し待て、といったことが走り書きされている文面であった。一見して敵意はないように思われる。なにより、対岸から魔物を正確に狙い撃つほどの腕前なのだ。始末したいのであれば、わざわざこんな回りくどいことをする理由がなかった。

「ウィル、さま」
「おう」
「お、降ります」
「すまん」

 そういえば、背負いっぱなしであった。なにせ軽いものだから、さして意識しなくても抱えたままでいられる。しかし俺としてもしなやかな白い腕が首筋に絡みついているのは何かと動揺を招きかねないので、大人しく地におろした。俺の身体を壁にするように立つ隊列は崩さずにいる。

「ときに、クロ」
「はい」
「竜と言ってたな。あれは」
「疑いなく」

 ちいさな頭がこくりと頷く。山頂近辺で見かけられたというダナン・ド・ヴォーダンの目的が"竜の卵"であったとするならば合点がいく話であった。どう見ても狂っていたあの男が、目的意識というものを残していたかは謎だが。

 しかし、それ以上に不可解なこともある。あれほどの力を持った魔術師ならば、警戒線を打ち破って山頂までたどり着くのは難しくあるまい。魔物がダナンを襲わなかったのも妙だ。あれではまるで魔物を従えているみたいなものだ。魔物に精通したクロであっても、そんな芸当は不可能だろう。

「どっちにしろ、あれじゃ助からんだろうが」
「いえ」

 クロが静かに首を振る──少しどころでなく驚く。その目は伏せがちなまま、しかしじっと崖の下を見つめていた。

「あれは、"不死鳥の炎"──魔術、です。肉と魂を焼く苦痛を代償に、その灰から生まれ変わる、術。おそらく、生きてます」

 その名から察するに、高位の魔物に由来する魔術であろうか。魔物の見識に長けるクロならば、魔術に通ずることもさして不思議なことではないのかもしれない。なんにせよ、死体を確認するまでは死んだと決めつけるべきでないことは確からしい。率直にいって無茶苦茶だと思った。そんなことをやっているから壊れるんだ。

「狙われるあては、あるか」
「あの人に、覚えはない、です」
「だが、クロの顔はわりと執政院には知れてるんだろ」
「みたい、です」

 となると、クロを狙ったのはその能力を厭ってのことか。ダナン・ド・ヴォーダンにとって厄介であると見なされる何かがあるのかもしれない。少なくとも、俺のほうにいたっては眼中にないといった感じだった。腕を切り飛ばされてなお、恨みも何もあったものではない。痛みを感じているのかさえ不明瞭だ。できれば狂人の相手はしたくない。金を積まれても悩むところだというのに、金になりそうもないのだから大問題だった。

 その時、がりっと靴が石を噛む音がした。不意に足音を立てたというよりは、存在を知らしめるためにあえてそうした感じだった。その音を引きずるようにして、長弓を背負った男が姿を現す。エリオ・ウッドマンだった。気楽にかかげられた掌に手を振り返す。クロがちいさく頭をさげる。

「ちょいと横から邪魔させてもらったぜ、おふたりさん。難儀すらァな」
「全くだ。遺体の確認は?」
「さっき連絡をやった。そろそろ済んでんじゃねェの。状況が状況だ、生死問わずD・O・Aもやむ無しだろう」
「生きてる、かも、です」
「ハハハ」

 エリオは皮肉げな口元をゆがめて快活に笑い飛ばしたあと、ふいに愕然とした。冗談の色がかけらもないクロの表情を見たからかもしれなかった。誰だってそうなるだろう。ちょっと早歩きになって先導するように手招きする。そのあとをふたりで追っていく。自然、下山の道行きとなる。

「あんたはいいのか。雇われなんだろ。死ねば報奨が減るぞ」
「いいのさ。俺の仕事は物を取り返すことだから」
「もの?」

 クロがほとんど俺の袖を引きながら、不思議そうに首をひねった。早歩きとなると、ついていくために自然とそうなるようだった。意識して歩幅を緩めつつ、目を細める。俺も気になるところではあった。応じて振り返ったエリオもまた、どこか訝しむようであった。

「あ? 昨日付けで探索者ギルドにも話は下りてんじゃねえの」
「捜索自体はな。話はわかってない」
「本気かよ」

 エリオがしきりに金髪を掻きむしる。鮮やかな髪を台無しにするようなやり口であった。涼し気な見た目に反して、振る舞いはどうにも粗野な感がぬぐえない男である。

 どうもエリオは、口を滑らせてしまったというやつらしい。口の軽い男だ。というよりは、執政院の連絡不行き届きが引き起こした失敗ともいえそうだ。その執政院のほうも急にゲルダからねじ込まれたわけで、内部で混乱をきたしていたのかもしれない。その大本はといえば秘密主義を徹底できなかった騎士団にあるような気がするので、直接の原因はそこに求めることにする。つまり第四騎士団が悪い。よし。

「わり。今のなしで」
「ふれ回らんよ。ただじゃ勿体無い」
「いい根性してらァ」

 ふれ回りはしないが、考えはする。ゲルダの情報を信じるならば、ダナンが執政院で何かをやらかしたことはすでに自明。それをエリオの言葉と合わせて鑑みれば、おおかた物盗りといったところだろう。財務官とは聞いていたが、よもや金目のものではあるまい。ダナン・ド・ヴォーダンの目的──すなわち"竜の卵"と直結するものであると考えるほうが余程自然だった。にしても、物盗りの果てに迷宮に潜伏する魔術師とは。奇妙な既視感を覚えざるをえない。

「ウィル、さま」
「うん」
「お怪我、ないです、か」
「なんだ、今さらに」
「今だから、です」

 クロに浮かぶ不安げな面差し。魔物相手であるならばともかく、人の戦力を見て取るような真似まではクロには出来ない。必然的に指揮も難しくなる。それを慮ってのことだろうか。つとめて安心させようとスカーフの上からわしゃわしゃ撫でる。

「や、やめてください」
「すまん」

 憂いを帯びた表情に、ついそうしていた。ちいさな子どもか何かのように見えたからだった。二度はやるまいと頷く。クロはおさげの髪を片手にもてあそびつつ、乱れた髪をスカーフの内側に仕舞い直していた。

 そのまま向かった先は、ダナン・ド・ヴォーダンが墜落したと思しき場所であった。そこにはすでに第四騎士団の面々が揃っていて、彼らから一様にいぶかしむような視線が投げかけられる。帰ろうかなって思った。俺も出来れば来たくはなかった。しかしダナンの生死は確かめておきたかったのだ。エリオが率先したひらひらと手を振りながら現場へと歩みよる。そしてその端正な面立ちを苦々しくしかめた。オイオイ、勘弁してくれ、と独り言をしてすらいた。

 足元の岩肌にはまるで焼け焦げたような黒い染みがあった。ローブや布の切れ端と思しきものも周囲に散らばっていて、傷口から飛び散ったのであろう血痕もまたあちこちにある。そして笑えることに、まるで冗談のごとく──血やら何やらを引きずったような痕跡がはっきりと残されているのだった。反面、灰や骨といったものはいくら探しても見当たらない。確かにダナン・ド・ヴォーダンはその身体を自ずから灼き尽くしたはずであるというのに。

 現場を観察していると、騎士長マリウスがこちらを見ていた。エリオのみならず俺とクロが揃っていることに疑問を隠し切れないようだった。実際、ほとんど偶然のようなものであるのだから無理はない。

「エリオ殿。なにゆえに彼らが」
「狙われたのさ。そうだろ?」

 不承不承頷く。かたわらのクロも首肯。どちらかといえば、クロが狙われていたのは黙っておいたほうが良いような気がした。理由が明らかであるならばまだしもだが。そう考えている。

「そっちの嬢ちゃんを狙ってたように見えましたね。少なくとも無差別じゃあなかった」

 そして次の瞬間に、思惑をあっさりと潰されていた。恐るべき目敏さであった。いつから見ていたのかと思わないでもない。推するに、ダナンが派手に魔術をばら撒いている時の騒動を聞きつけた辺りが妥当か。許せとばかりにエリオが手をかざしてくる。積極的に許さない方針でいこうと考える。騎士団に属する者どもの視線がにわかにクロへと集中していた。

 その間にもエリオは朗々と説明中。俺はそのかたわらで余計な混じりっけがないか確認しながら、たまに一言付すにとどめる。

「──にわかには信じがたいが。現場状況からしても生存は確か、と考える他ないだろう」

 マリウスは重々しく頷き、俺とクロをしげしげと眺める。値踏みするような視線であった。その拍子、クロに袖を捕まえられる。

「即ち、明日以降にも継続的に"魔女"様が襲撃を受ける事態を懸念しなければならない、ということでもある」

 力強く袖を引かれた。クロのいやな予感はよくよく冴えたものであるらしい。ことの成り行きが面倒くさくなってきた。やっぱり帰っておいたほうが良かったような気がしてくる。今からでも帰ろう。そう心に決めた。

「いかがですかな。我々第四騎士団の元に保護しその身柄を守り抜く。決して悪いようには致しますまい」
「お断り、します」
「これは、異な────」

 喧々諤々とやり始めるところを察したように、クロの瞳が持ち上げられる。まとめられた髪の下から覗く双眸が神妙にうったえてくる。俺か。俺がこれを説得するのか。面倒くさい。頷いて引き継ぐ。面倒くさいがやらないわけにはいかない。

「俺らはあんたらの実力を知らない。何か信頼に足るものは無いのか」
「貴様に発言は求めておらん!」

 率直に信頼出来ないといったら怒られそうだったので、迂遠な言い回しでいってみたらそれ以前の問題だった。怒り心頭である。そのオールバック逆立ててやろうかという気持ちになる。ぐっと抑えて二の句を継ぐ。

「あんたらの任務はダナンの確保だろう。クロをそのための囮に使わない理由があるか」
「それ以上は我々への侮辱とみなすぞッ」
「必ずしもそうするとは言ってない。最低限、外部の目がいるってことだ」
「悪くねえんじゃねえですかい、隊長。嬢ちゃんは捜索の足がかりに、ウィルのほうも相当やる。一時的に行動を共にするってェのはちょうど良い落とし所だと思いますぜ」

 隙間を縫うように口を挟んでくる。落とし所とはいったものの、エリオにとっては初めからこの形が狙いだったのかもしれない。食えない奴だと思う。クロはちょっと不満気だった。しきりに袖を引かれる。とはいえ、『ダナン・ド・ヴォーダン捜索』の案件は俺としても早期に解決を望みたいことには違いがない。なにせ相手はかなり高位の魔術師なのだ。仮にまた襲撃を受けたとして、俺だけで何度も追い払えるとは限らなかった。

「ならんッ、探索者風情を麾下に加えるだと!? いずこの者とも知れぬならずものを共に出来ようものかッ!」
「俺も雇われもんなんすけど」
めいなくば誰が使うものか、忌々しいッ」

 色々な考えが浮かび始めたところを、たった一言の怒声で吹き飛ばされた。ちょっと大したものであると思う。大したうんこ野郎だった。ならずものなのは正直なところ否定出来ないので、思わず両手があがりそう。クロに袖を引っ張られているのでさっぱり上がらないが。

「なら、しょうがない。帰るか」
「はい」

 いっそこの件が解決するまでは探索を控えるか。あるいは本腰を入れるもやむ無しと自ら解決にあたるか──このどちらかに舵を取るべきかもしれなかった。そして稼ぐ手を止めたくないという俺の考えを優先するならば前者はありえないが、もしクロを損なうような事態が起きれば将来的な損失は計り知れないものがある。金貨20枚を手に出来たとしても、だ。

 なかばクロに引かれるかのように歩き出す。今日一日でえらく袖が伸びてしまったような気がする。布地の具合を心配していると、ふと後ろから声がした。

「お待ち下され、"魔女"様ッ。我々がいかに信頼に欠けども、ただその者一人にとは、なにゆえにか!?」

 クロが立ち止まるのにあわせて止まる。顔だけで振り返ると、口を開いて言ってのけた。

「私も、探索者、ですから」

 かかげられるクロの左手の甲には、十字剣クルセイドの紋章。思えば、騎士でもなんでもない俺のような人間がそれを名乗っているというのも皮肉なものである。再び歩き出すうちにも背後を警戒するが、さすがに後ろから刺されるようなことはなかった。視線はそれこそ背に突き刺さらんばかりの鋭さであったが。

「ウィル、さま」
「ああ。様はやめろ」
「そろそろ、許されたかと、思ってました」
「許してないよ! なんだ!」
「──お護り、くださいます、か?」
「出来る限りは」

 今日はなんとかなった。出来る保証はないが、どうにかなった。どうにもならないなら、さっさと逃げるかもしれない。どうにもならない事態に陥らないためにも、クロが要る。少なくともそれだけは確かなことだ。静かに頷く。答えが十分であったかはいまいちだが、袖を握り返す手は不満気ではなかったように思う。

 そうしながら、思いを馳せる。俺の手の中に、ちいさな羊皮紙の切れっ端が残されていた。エリオとのすれ違いざま、咄嗟に滑りこまされたものである。その技術にも感心させられたものだが、注目すべきはその内容──今夜の時間と場所だけが記されたものである。クロに袖を引かれながら、頭の中ではさてどうしたものかと神妙に考え始めていた。


 清算を済ませて宿へと戻る。指定された時刻は夜更けであったから、クロがよく寝静まってから一人で行くことにした。町中でまさかとは思うが、何かの罠とも限らないからだ。最近のクロは疲れがたたっているのもあって、夜も早いうちに寝こけてしまう。その様子をちょっと見て、明日は出るのを遅くしようかと考える。我ながら親兄弟かなにかかと思うが、なにぶんちいさな見目であるから仕方がない。

「あらぁ、ウィルちゃん。こんな時間に珍しいわねぇ~」

 宿の一階に降りると、早速メリアさんに見咎められてしまう。なんだか幸先の悪いスタートである。不吉だ。果たして大丈夫だろうか。自分の行く末がちょっと心配になってくる。

「ちょっと出てくる。遅くはならん、と思う」
「クロちゃんに心配かけるんじゃないわよぉ? あっ、まさか女──」
「断じて違う」

 勢いのままに巨体の彼女に詰め寄られかける。両手を突き出してノーセンキュー。実際、鬼が出るか蛇が出るかという気分なのでとても女が出てくるとは思えなかった。手厚い歓迎は受けないようにしたいところ。あまり遅くなっちゃダメよ、と注意されつつ見送られていく。彼女こそいよいよ親じみているな。お母さんかなにかだった。

 指定された場所は町の中心のほど近く。ともすれば衛兵の目も届きそうなくらいだった。灯りはぽつぽつと軒先に点在するもののさすがに消え始めているので、いつも使っているランプを取り出して火をつける。遠巻きに場所をうかがってみるも、人が隠れられるような物陰は周囲に見当たらず。多勢の人影もなし。それどころか長身の影がランプを片手に、ひとりで何気なく突っ立っているのだった。その堂々とした様たるや、いっそ無用心といっていいような姿である。暗闇にも目立つ鮮やかな金髪はどこからどう見てもエリオ・ウッドマンその人に疑いない。

「よ。来てくれたみてェね、ウィル」
「ああ。──で、どういうつもりだ」

 ひらひらと陽気に掌がかかげられる。それを合図に包囲がつくられるような気配は、全くなかった。おそらく今のエリオは個人的にそうしているのだろう。にしてはいつもの態度とまるで変わったところがないのだが。調子のいいやつだった。

「いいや。腹割って話そうぜっつゥ、そんだけのことさ」
「本気か?」
「本気も本気」

 ひひ、と笑う。その様はやはりいかにも道化めいている。どこまで本気で言っているのか、掴みどころがまるで無かった。どうにも俺の周りには掴めない人間が多すぎる。

「考えて、気づいたわけだ。俺の手には負えんかもしれんってェね」
「なるほど」

 立ち話もなんだと適当に連れ立って歩み出す。あまり人気の少ないところは避けていく。頷きながら、昼のことをなんとはなしに得心する。そのために俺とクロを引きこもうとしていたわけか。どうしようもない結果に終わったが。主にどうしようもない一人によって。

「いっそトンズラしようかと思ったわけだが、それも信頼に傷がつく。明日が山だからな」
「明日に何か?」
「あるのさ」

 エリオは言いながら荷物から瓶を取り出す。蓋を開けると酒精がにわかに漂った。こういったところで堂々たる飲酒はどうかと思う。彼なりの信頼というか、安心感を与えようとしているのだろうか。しかしかえって胡散臭いとも思った。顔がいいのもいいことばかりじゃないな。

「あの階層はほとんどの時、白昼だ。通ってりゃわかんだろ。だが、月に一度だけ夜が来る。一日ずっと夜が続くそォだ」
「それが、明日か」
「そォいうこと。何かをするにはうってつけってわけだ」

 言葉の真偽は定かではないが、実際に見ればわかることだから結構な話。頷いて、問う。

「その、目的。だいたいの見当はついてるんじゃないか」

 エリオを見やる。瓶を傾けて酒を干している。結構きついように思うくらいの臭いだが、特に酔った気配もなく続ける。

「ずばりだ。あいつが盗っていったもん────つまり、俺が取り返さなきゃならねェもんと関係がある」
「言っていいのかよ、それ」
「イイんだ。ふれ回るなよ、出処がバレる」
「言わんよ。タダでは」
「ッとにイイ根性してやがる。悪い顔もできんじゃねェか」

 悪態をつきあって、どちらともなく笑い出した。真面目な話だが、まだ笑えるくらいの余裕はある。良い傾向には違いない。不意にエリオが真面目な顔をつくって、言う。

「『竜枝りゅうえ』ってもんなんだと。昔──っつっても何十年か前に竜を打倒し、殺しきれずにやむなく竜の力を封じた器。らしい、ぜ」
「捨てるか壊すかしとけよ、そんなもん」
「それも危険なんじゃねェの。まっ、そこまでは知らねェさ」
「むしろ、よくそこまで聞けたもんだな」
「目標の動きを読むためにっつったら渋々、な」

 しかしこう聞いていると、エリオが情報を漏らしかけたのも何かの前振りだったように思えてくる。素の可能性も十分にあるだろうが。実際問題、物盗りを働いたとは知りもしないどこぞの探索者がダナンを見つけて、懐にしのばせた『竜枝』とやらをご拝借したらどうするつもりなのだろう。待っているのはお偉いさん方による厳重な取り調べと口止め料代わりの高額賞金、といったところか。そうすると執政院の身から出た錆が市井に広まることはないだろうが、だからといって漏れ出さないとも限らない。人の口に戸は立てられないからだ。俺の目の前にいる男のように。

「ともあれ、目的は山頂──"竜の卵"に違いないか」
「へェ。それは分かってんだな」
「クロのおかげで」
「ハハ、狙われるわけだ」

 エリオは軽く笑い飛ばしてくれたものだが、それだけではちょっと納得いかないものがある。明日が絶好の機会であるならば、わざわざ今日のこのこと姿を現してクロを襲撃した理由がわからない。二階層の夜を待って息を殺し、足音も立てずにいるのが最善に決まっていた。あんな真似をしては目立ってしょうがないだろう。アホなのだろうか。一瞬思うが、元は文官なのだからそんなわけがなかった。狂人の考えはわからない。狂っているからで済ませるのも、全くかしこいとは言えそうにないが。

「そういうわけで、明日はお山の大将と山頂の警護だろォな。で、こっからが本題」
「今さら加われってんじゃないだろうな」
「近いが、違ェよ」

 アレにはもう期待しねェ、と大仰の両手を広げてお手上げのサイン。全く同感である。頷いて、うながす。エリオが派手にボトルをあおってから、一声。その顔には赤味が全くなかった。

「期待はしないが無能でもねェ。あちこちに斥候を置くはずだ。目標を発見次第、山頂の本隊に情報が入る」
「斥候がやられなきゃいいがな」
「死ぬ前に文を飛ばしてくれることを祈るさ。──そこで俺からウィル、おまえに報せを送る。もちろん勝手にな。山頂で本隊が奴を食い止めるうちに、支隊と合流して挟撃をかけてくれ。それで五分五分と俺は見ている。それくらいにあの魔術師は、規格外だ」

 つまるところは討伐の協力、にしても非公式な申し出というわけだ。案の是非を頭の中で考え始める。

 そもそもダナン・ド・ヴォーダンを早いうちに始末したいのは俺にしたって同じである。金になるかは、どうだろう。マリウスという七面倒臭いやつがいるので、下手をすれば御破算になるだろう。エリオのフォローはあまり期待したくない。いっそ何人かが死んでいれば話は簡単になりそうだと考える。いざとなったら誰かを盾にしよう。殺しを楽しむのは御免だが、稼ぐためなら構わない。生きるためにも構わない。

「支隊と合流ってのは、どうだろうな。俺は探索者風情だ」
「ウィル。本隊から外されて斥候に置かれるってェのは、つまるところどういうやつだと思う」
「なるほど」

 エリオに浮かんだ笑みはすこぶる悪辣である。なるほど、悪い顔をしている。俺もそんな顔をしていたのかもしれない。気をつけなければならない。

 斥候にしたって重要な役目に違いないだろうが、あの騎士長がそうやって末端の兵を大事に労っているだろうかという問題である。そうでなければ、エリオが取り入ってみせるのはわけのないことだろう。ひどく容易いはずだ。

「嬢ちゃんもいればなおイイだろうよ。ダナンの奴を迷わせられれば万々歳だ」
「それは、あまり気が進まないな」

 狙われると知っているのに、わざわざ連れて行くようなわけはない。まさしく囮だ。クロはそんなことには使えない。そんな風に使い潰すべきではない。

「まっ、そこは任すが。奴は魔物を率いるってェ話もあったろ。必ず役に立つ。それに」
「それに、なんだ」
「多分、おまえを一人にゃしたがらねェ」
「確信的に言うな」

 思わず眉があがる。少しだけ予想出来てしまったからかもしれない。俺の袖にも限界はあるのだ。そのうち破れるかもしれない。

「さて。どォする?」

 話すことは話した、とばかりにエリオが立ち止まる。ぐるぐると当て所無い歩みを続けるうちに、いつの間にか元いた待ち合わせ場所へと戻ってきていた。どうやらこの男は、本当に腹を割って話すためだけに俺を呼び出したようだった。なんだか、逆に呆れたやつだった。

 確約される報奨として、エリオが執政院から受け取る報奨の半分を分け前とする。俺の至らなさゆえだからしゃあねえな、とのこと。話のわかるやつ。ダナン・ド・ヴォーダンの首を取ることが出来れば、そこに金貨5枚が加わる。都合金貨10枚という計算である。達成度合いで実入りが前後するのは仕方のないことか。

「乗ろう。少なくとも、俺は」

 頷いて、応じる。考えることはもう十分にやった。ダナンの"不死鳥の炎"なる魔術は実際驚異的だが、あれは自ずから身を炎に晒さなければならない類の魔術だ。肉と魂を代償にするとは、そういうことだ。つまり、発動の間を与えず──あるいは発動間もなくして殺しきれば、勝機はあるとかんがえる。後はどれだけやれるか、だ。

 それから細かい待機場所などを打合せて、実際的な協力案と相なった。

「そんじゃあ、明日は頼むぜ。おふたりさん」

 ふたりで行くつもりは当然無かった。ひらひらと手を振り、去っていく姿を見送る。そして宿に戻るべくきびすを返しながら、思う。

 ──クロを説得するのが一番の難題になりそう。

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